『あの頃、乃木坂にいた』を買った。これまでの経験から、写真集を買っても虚しいだけだと思っていたのだが、ついムラムラして買ってしまった。
この本は、乃木坂46五期生の写真集である。価格は2,182円(税抜き)。今年の2月20日に発売された。
オリコン週間写真集ランキングによると、2/19~2/25で86,883部*1、2/26~3/3で10,661部*2を売り上げたようである。つまり現時点で97,544部を売り上げており、212,841,008円の収入を生んでいるということになる。
仮に被写体たるアイドルの取り分を5%としよう*3。その場合、五期生に配分される印税は、10,642,050.4円となる。これは五期生全員での金額であるから、一人あたりにすると967,459.13円となる。仮に累計で20万部近くまで積み増すとしても、メンバーにしてみれば200万程度の収入しか入らないことになる。まあ、ただ写真に撮られるだけで200万円もらえるなら良い仕事といえるだろうが。
写真に撮られるだけで2億円もの富を生み出すなんて、アイドルとはすごいものである。2億円あれば一生食っていける。だが一方で、アイドルとは原材料のようなもので、企画をして、彼女たちにメイクをして、衣装を着せて、撮影場所を確保して、輸送して、上手い具合に写真を撮って、冊子にして、また全国の書店に輸送して、プロモーションをして……といった一連の企業活動が付加価値を生んでいるのだということを上記の数字が示している。
写真集には271枚の写真が掲載されている(表紙、カバー裏を除く)。
ここで最もシンプルな(=つまらない)写真集を想像してみよう。そこには全く同じ写真が271枚掲載されている。
これの反対の写真集こそが面白い写真集であるといえそうだ。一言で言うならば、一枚一枚が異なった印象を与えるべきである。写真集は。(倒置法)
では、いかにして271枚もある写真にそれぞれの色を付けているのだろうか?
写真集の構成要素は以下のとおり。
- モデル
- ポーズ
- シチュエーション(背景)
- その他(ページごとの構成など)
今回、モデルは11人いる。被写体が一人だけの通常の写真集に比べてかなり有利だ。組み合わせは2,047通りある(11C1+11C2+……)。なるほど、それぞれの写真に映るメンバーの組み合わせを変えていけば、271をはるかに超えるパターンを生み出すことができる。もちろん、このうち、10人や9人のショットは採用されないと考えてよさそうだが(写っていないメンバーがハブられている感じがするから)、それでも271を超えるパターンを生み出すことは容易だ。
では、そのような手法で写真集に変化がもたらされているのだろうか?
実際、何人のショットが何枚あるのだろうか。数えてみた。
0人:1枚(以下、単位は省略)
1:103
2:63
3:32
4:34
5:13
6:5
7:2
8:2
9:2
10:1
11:12
数え方としては背景と化しているメンバーは人数に入れていない。おおよその基準としては、顔が写っていないとか、誰かの後ろに隠れているとか。ただし、顔がメインではない写真に関してはこの限りではない。その他にもどの程度のピンボケまで許容するかなど、数え方には多分に主観が入り込む余地がある。したがって、数える人によっては、別の結果が出るだろう。
10人や9人の写真があるのは意外だった。10人に関しては全員の集合写真で1人*4が完全に別のメンバー*5の後ろに隠れてしまった写真だったのだが(たぶん全員が写っている写真がなかったのであろう)、9人の写真はなぜ9人で良しとしたか若干謎である*6。とはいえ、やはり過半数に当たる6人を超えると枚数が一気に少なくなる。
本題に戻ると、この配分から考えるに、写真に映るメンバーの組み合わせによって271のパターンを生み出しているわけではないことが分かる。なんせ11パターンしかないワンショットが103枚もあるのだから。
というわけで、変化は被写体の組み合わせによって付けられているわけではないようである。案の定だが。
ポーズについては、以前書いたように大きく分けると三つのパターンが存在するように思われる。
weatheredwithyou.hatenablog.com
三つしかパターンがないのだから、ポーズだけで変化を付けることは困難である。
では、シチュエーションは何パターンあるのだろうか。撮影場所をカウントしてみよう。
- ちょっと緑多めの路上
- 駄菓子屋
- 公園
- 喫茶店
- バス
- 体育館
- キャンプ場
- 工作室的な部屋
- ホテル
- 牧場
- 旅館
- プール
- 電車
- 海岸
- 写真スタジオ
15の撮影場所がある。271枚の写真があるから、平均して一シチュエーションあたり18.07枚。かなり少ないことが分かる。
しかも、シチュエーションが変われば、コスチュームも変わる。たとえばホテルならパジャマ姿だが、旅館なら浴衣姿が見られるという仕組みだ。
また、屋外か屋内かによって光の具合も変わってくる。屋外であれば昼か夜かでも印象は異なってくる。その他に、プールのようにメンバーを濡らすことで異なった印象を与えることが可能な、特殊フィールドも存在する。
というわけで、どうやら写真集の肝はシチュエーションにあるらしいことが分かる。シチュエーションの中で変化をつけるのが、被写体の組み合わせだったりポーズだったりするに違いない。
当たり前のことを延々検討した結果、当たり前の結論に至ることに成功した。
さて、上記のシチュエーションから考えてみるに、『あの頃、乃木坂にいた』のコンセプトは、デビュー2年めの彼女たちのいずれ失われるであろうフレッシュさを記録に残すことに違いない。一言で言うなら、青春。
これに最も近いものが卒業アルバム。今回の写真集は卒業アルバム的なものを目指しながらも、もう少しプライベートに迫る。そんな感じのイメージ。メンバーには修学旅行という説明がなされたようだ*7。
それゆえにタイトルは『あの頃、乃木坂にいた』。これは五期生たちが卒業をした後、己の青春時代を振り返るための写真集なのである。
ところで、人間にとって「過去を思い出すこと」はそれ自体が大きな喜びである。より広い表現をすれば、「過去の再現」は人間にとって非常に重要な営みだと言っていい。
思い出話に花を咲かせること、伝承すること、物語を作ること、文字を書くこと、日記を残すこと、絵を描くこと、像を彫ること、楽譜を読んで演奏すること、録音すること、動画を撮ること、墓標を立てること、記念碑を立てること、遺跡を掘ること、タイムマシンに乗って過去へ行くこと……これらすべてが過去の再現という営みである。人間の活動(特にエンターテイメント系の活動)の大半は、過去の再現を志向している。もちろん写真もその一つだ。
2024年の我々にとって、『あの頃、乃木坂にいた』は、今の五期生たちを撮ったもののように思える。だから、この写真集の価値は「可愛い乃木坂46五期生ちゃんたちの写真がたくさん載ってるよ。うっほほーい」だと思い込んでしまう。水着ショットがあるかどうか、おっぱいが大きいかどうか、そんなことばかり気にしてしまう。おそらくだいたいの写真集はそうなのだ。
しかし、それは写真の本質的な価値ではない。写真にとって最も重要な機能は、過去を残すことであり、過去を想起させることなのだ。写真の本当の価値は年月が経つうちに明らかになっていく。
『あの頃、乃木坂にいた』は擬似的に懐かしさを感じさせるように構成されているものの、それはあくまで擬似的にでしかない。何年か経って今が過去になったとき、熟成された『あの頃、乃木坂にいた』は真の味わいを帯びることになる。その頃に、五期生の過去を振り返りたいと思えるかどうか?
この写真集のタイトルを付けた人(たぶん秋元康だろう)は、その点を理解している。そして、五期生たちの未来を信じているに違いない。彼女たちが数年後には忘れ去られているような存在ではないと。十数年、あるいは数十年経っても、この写真集を買った人々は彼女たちのことを思い出したくなると。
なるほど、写真集を買うことは株を買うようなものかもしれない。数年後、数十年後に見返したいと思えるなら、その写真集は買いである。
*1:https://www.oricon.co.jp/rank/obp/w/2024-03-04/
*2:https://www.oricon.co.jp/rank/obp/w/2024-03-11/
*3:参考
タレント写真集のギャラ、印税配分は?元人気アイドルが明かす/芸能/デイリースポーツ online
*4:血液型不明の女、池田瑛紗
*5:A型の女、中西アルノ
*6:ちなみにここでも写っていないのはてれさぱんだ。
*7:乃木坂46写真集『あの頃、乃木坂にいた』井上和、五百城茉央、小川彩に聞く“5期生”の揺るぎない連帯感|Real Sound|リアルサウンド ブック