たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

乃木坂46『考えないようにする』について考える


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 好評発売中の乃木坂46の最新シングル『おひとりさま天国』。新生乃木坂46を高らかに宣言する表題曲については以前書いた。

weatheredwithyou.hatenablog.com

 今回は収録曲の一つである『考えないようにする』について語りたい。5期生のメンバー全員が参加する、いわゆる5期生楽曲だ。これがほんと素晴らしい。(ちなみに『マグカップとシンク』も( ・∀・)イイ!!)

 基本情報として作曲は杉山勝彦、編曲は杉山勝彦&谷地学、作詞は言うまでもなく秋元康。MVの監督は大久保拓朗コレオグラファーはSeishiro。

 

 歌詞は、好きだった人が親友と付き合っていることを知ってしまった人物(たぶん女性)の心情を歌ったもの。

 この歌詞の核心は理性と感情の対立にある。「好きでいてはいけないという判断」と「彼のことを好きだという直感」の間における葛藤。「考えないようにする」というタイトルにもなっているキーワードは、感情を封じ込めることを意味している。通常、思考は理性との繋がりが強いはずだから、「考えないようにする」といえば理性を封じ込める意味になるはずである。主人公の「考えないようにする」という言葉は矛盾を孕んでいて、必然的にその試みは成功しない。

 歌詞の大半はストレートに彼女の心情を述べているのであるが、浮いている箇所がある。「葉っぱ」について語られるAメロ部分だ。木も話したり聞いているという仮説があるとかないとか。それが仮説なのは、木が話したり聞いたりするようには見えないからだ。ここから、木は本心を表に出せない主人公のメタファーであると分かる。葉脈が美しいのは、入り組んだ人間関係に思い悩む彼女の姿が美しいことを意味していて、『考える人』という像の有り様と重なるものがある*1。しかも、『考える人』を制作した当時のロダンは、ローズという未届の妻がいながら、教え子のカミーユ・クローデルと恋に落ちてしまっていたのだとか。*2『考える人』にはまさにロダンの三角関係の悩みが投影されている(と考えられているようである)。この相似形が秋元康の脳内になかったとしたら、MVで『考える人』を使うことを思い付いた人は大きくガッツポーズをしたことだろう。

 ここでまず述べておきたいのは、この歌は人間の悩む姿の美しさを歌っているものだということだ。悩みを解決するかどうかなどは眼中にない。そもそも解決不可能な悩みを解決しようとするとかえって泥沼にはまることになる。大事なのは自分が解決不可能な問題に悩んでいるという状態を客観視することなのである。

 

 MVの冒頭は「同調は美しく、同調は苦しい」というモノローグから始まる。心が通じ合うのは心地よいが、そこに嘘が混じっていると苦しくなる。人が多様である以上、必ず嘘は混じる。だから同調をやめる(=個性的である)ことに憧れる一方で、同調をやめれば悪目立ちしてしまうからできない。……といったところか。

 浜辺に佇む冨里が本を抱えている。本は思考の象徴だろう。海の意味は分からない。感情の波を暗示しているのかもしれない。

 

 イントロが流れる。

 長机を挟んで二列に対面する5期生たち。ダンスの振り付けの解釈は素人には難しいが、冒頭は比較的分かりやすい(気がする)。手で顔を覆っている。これが何も見えていなかった自分を表している。手をずらして片目が覗く。その後、たちまち考えごとをしている風のポーズをする。すぐにそのポーズをやめるが、また考えるポーズ。少女は何かを見てしまって、考えることを始めてしまった。考えないようにしても考えてしまう。そんなことを表現しているのではなかろうか。

 冨里と井上が踊る部屋にはピアノが置いてある。ピアノは和音を奏でられる数少ない楽器の一つだ。ハーモニー(=美しい同調)の象徴と考えてよいだろう。(この部屋での井上の表情がすごい。艶美とはこのことか。密室でこの目で見つめられたら心臓が潰れて人は死にます。)

 一ノ瀬が池田に何かを耳打ちする時、木々の隙間から夕焼けが美しく輝く。このMVで姿を表さないが強烈な印象を残すのは太陽だ。葉脈を見るのには太陽に透かす必要があることに注目したい。5期生たちが最初にいる洋館は、日差しから彼女たちを守ってくれる。洋館の中で起きることは彼女たちが隠しているものを意味しているのだ。が、窓から注ぐ陽光は、葉脈(隠された人間関係)を暴いてしまう。

 一ノ瀬と池田がただならぬ関係にある様子を見つめるアルノ。アルノを見つめるいろは。五百城の目線はいろはの頭上で彼女が何を観ているかは定かではない。

 小川屋、川崎、菅原の三人は十分幸せだそうです。

 

 次に描写されるのは建物の外。表面上の関係性である。リアルワールドはほぼ全て手ブレ演出がなされている。

 本を閉じる冨里。思考の世界から抜け出すことを端的に表しているが、もしかしたら洋館の中の世界は彼女の妄想や願望かもしれないという想像の余地もある。

 道路にしゃがみこんでいろはに可愛いと思ってもらおうとする五百城。小川もいるではないかと思うかもしれないが、いろはの手を握る五百城の手がクローズアップされるのに注目いただきたい。続くカットを注視すると、案の定、五百城は小川の手は握っていない。

 イヤホンをはめて風見鶏の下で一人座っている川崎。川崎は集団の中にいると周囲に合わせてしまって苦しい、だから一人が好きという人物像であることがうかがえる。そんな彼女に声をかける井上と一ノ瀬は別の場所に連れ出す。それが川崎にとって嬉しいことだったのか迷惑なことだったのかは分からない。たぶん両方だろう。

 池田と菅原が二人いるところに突撃するアルノ。菅原とイチャイチャする池田を眺めるアルノ。この頃はまだそれが幸せだったのだ。

 魚市場で、てんでんばらばらに踊る10人。彼女たちは自由にそれぞれのやり方で楽しんでいるように見える。表面上は。

 

 キラキラ輝いて見える彼女たちだが、その内心には一人で抱えているものがある。表面上の彼女たちと洋館の中の彼女たちが交互に映される。

 

 で、このMVの解釈において一番のポイントとなるのが、次の場面。洋館を立ち去ろうとする冨里とそれを眺める9人。冨里が振り返ると、9人はいなくなっていて、カットが切り替わった瞬間に冨里も含め10人で洋館の前で踊り出している。場所は洋館から地獄の門へ、また洋館へ戻ってから魚市場へと移っていく。

 ここが難しいところだが、歌詞を手がかりにしてみよう。「考えないようにするから」と歌った直後に冨里が洋館を去ろうとするわけだから、恋を放棄しようとする冨里の理性をここで表しているのではないかという仮説が立てられる。考えないようにすると言いつつ名残惜しくて洋館を振り返ってしまう。やっぱり考えてしまうのだ。恋を捨てることができない。押さえつけようとするだけ思いは強くなって、表面の世界にも溢れ出てしまう。

 それでもギリギリ表面上の世界は取り繕われて美しく曲が終わる。上述のとおり、この物語に解決はない。少女たちが思い悩む姿の美しさが肝心なのだ。

 

 冨里に話しかける井上。敬語の冨里。初対面だとすれば逆ナン。逆ナンじゃないとすると、二人は初対面ではない。でも関係性は薄い。三組の三人組は互いに挨拶もしない。逆ナン説が濃厚。井上和に逆ナンされたいアルゥ~~~。

 それは置いておいて、現実世界パートが全体的にフィルターをかけられていることと歌詞を合わせて考えると、時系列としては2番(現実世界)→エピローグ→1番(洋館)→3番(洋館)の順なのかなあという感じがする。それぞれ安定していた三つのグループが、冨里が加わり一つになることで入り組んだ葉脈が生じてしまった……て感じかなあ?

 

 正直、冨里が洋館を去る直前の池田と井上のカットの意味は?とか、小川と菅原のポジションは?とかまだまだ疑問は残るものの、だいたい妥当な読みにたどり着いた気がしなくもない。

 16歳(2023/9/3現在)の少女が乃木坂46という組織の中で、比較され順位を付けられる日々を過ごす。様々な思いが湧き起こる。不安、羨望、嫉妬、期待、失望、絶望、愛着、嫌悪……。それでも表面上は、アイドルとして、乃木坂46として、5期生として、幸せそうに生きているように見せている。そんな姿に美しさを見出すこの歌は、人間・冨里奈央の美しさを称えているのだ。

 

 ちなみに、本に葉っぱを挟むと紙に色移りするので止めた方がいいです。