たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

こちとらいつでもFIREする構えよ

今週のお題「卒業したいもの」

 

 ふと気づくと、FIRE(Financial Independence&Retire Early)達成のための目標額が貯まっていた。

 ネットの記事を読んでいると、なぜかFIREするのには一億円が必要であるかのように書かれていることが多いが、あれは火よりも真っ赤な嘘である。FIREの基礎には4%ルールというものがあって、毎年の生活費を資産の4%以内に抑えれば資産が30年後になっても尽きていない確率が極めて高いというアメリカにおける研究結果を参考にしている。これを言い換えれば、「自分の生活費の25倍の資産があれば仕事辞めちゃってもいいんじゃね?」ということになるというわけだ。

 そして、『FIRE 最強のリタイア術ーー最速でお金から自由になれる究極メソッド』という本では、さらに現金クッションなるもので安全を取るように提唱している(私の記憶では)。

 ともかくそういうわけで私は私なりに考えて目標額を設定していたわけであるが、予定ではもう2,3年後に達成するはずだった。それが幸か不幸か、ここ最近のブラック企業生活*1のおかげかはたまた株高のおかげか、想定外のスピードで目標達成を果たしてしまったという次第である。

 

 というわけで、私がさっさと卒業したいのは会社である。

 もう十分な金はある(しかも退職金という名のボーナス、いや、給与の後払いもある。ますます私の将来は安泰である)のだからさっさとやめてしまえばいいのだが、そうはいってもなんだかんだで愛着はある。もちろん毎年毎年仲の良い人々が辞めていくのを見送る寂しさも味わっているが、彼ら彼女らは転職をするのが常であって「プー太郎になります」などというものはいない。私が先陣を切ることはやぶさかではないのだが、上司や同僚、家族は心配するに違いない。心配するだけならいいが、やかましく口出ししてくるに違いない。それは非常に煩わしい。なんかこう、周囲の人間を黙らせる素敵ビジョンが欲しい。

 そう、私には退職後のビジョン(=ジワタネホ)がない。だから、毎晩毎晩(土日除く。)「なんで睡眠時間(=命)を削って働いているんだ?」と思いながら生きているわけだが、一歩踏み出す気にもなれない。ずっと一日中家に引きこもって映画(∋『ショーシャンクの空に』)を見続ける生活よりは、今の生活(=囚人生活)のほうがいくぶんかマシである可能性がゼロではない。いや、限りなくゼロに近いかもしれない。。。

 というわけで、もし仕事がなかったらやりたいことリストを作成しているわけだが、今のところ

・新聞をじっくり読む

・平日の舞台公演とかを観に行く

・オフシーズンに旅行する

しかない。これがいい感じに貯まったら、あるいは会社のブラック度が耐えられないレベルに達したら、それか責任あるポジションにされそうな年齢になったら、はたまた良い転職先でも見つかったら、または元手ゼロで始められる良い感じのビジネスアイデアを思いついたら、晴れて卒業とあいなるのかもしれない。これだけの地雷がありながら私が雇用され続けてくれているのは会社にとって奇跡だ。感謝せえよ? 仏に。(私はどちらかといえば仏教が好きなのである。)

 

 ……ということを考えていったときに、はたと気付いた。これからの私が会社で働くことで得るものは遊ぶ金以外のなにものでもない。これからは給与を全部浪費してもいいんだ! 値段を理由に何かを諦める必要がない。なんたって、どんだけ安く見積もっても年間百万を超える遊ぶ金が入ってくるのだから。

「フッフッフッ……これからはステーキだって蟹だってなんだって買えるぞ……」

 そう呟きながら、一週間の食材の買い出しに行った。

 気付けば、私は一番お買い得な野菜を探していた。

「大根一本180円かあ……ちと高いなぁ……」(私は大根の底値は100円だと知っているのだ。)

などと考えている。「贅沢していいんだぞ」とどれだけ働きかけても、抗えない。グラム200円を超える牛肉なんて、とうてい買う気になれない。心が拒んでいる。「べつに牛肉が豚肉や鶏肉より美味しいわけじゃねーしなあ……」とどうしても考えてしまう。「蟹は食うのが大変すぎる」と考えてしまう。

 そうか……私は贅沢よりもお金の節約が好きなのか……。

 かろうじて、納豆の一番高いやつを買った。いつもの3パック56円ぐらいのやつに対して、2パック170円ぐらい。たか……たかすぎる……。でも114円しか贅沢してない。納豆は美味しい。作るのも後片付けも簡単。納豆は神。いや、仏。毘盧遮那仏螺髪。(「どちらかといえば仏教が好き」と書いた手前、神という言葉には敏感にならざるを得ないのである。)

*1:2月は日数も少なく休日も多くしかもコロナで数日休んでいたのに時間外労働が50時間を超えていた。異常だ。

『あの頃、乃木坂にいた』写真集を買うということは、未来を信じるということ

 『あの頃、乃木坂にいた』を買った。これまでの経験から、写真集を買っても虚しいだけだと思っていたのだが、ついムラムラして買ってしまった。

 この本は、乃木坂46五期生の写真集である。価格は2,182円(税抜き)。今年の2月20日に発売された。

 オリコン週間写真集ランキングによると、2/19~2/25で86,883部*1、2/26~3/3で10,661部*2を売り上げたようである。つまり現時点で97,544部を売り上げており、212,841,008円の収入を生んでいるということになる。

 仮に被写体たるアイドルの取り分を5%としよう*3。その場合、五期生に配分される印税は、10,642,050.4円となる。これは五期生全員での金額であるから、一人あたりにすると967,459.13円となる。仮に累計で20万部近くまで積み増すとしても、メンバーにしてみれば200万程度の収入しか入らないことになる。まあ、ただ写真に撮られるだけで200万円もらえるなら良い仕事といえるだろうが。

 写真に撮られるだけで2億円もの富を生み出すなんて、アイドルとはすごいものである。2億円あれば一生食っていける。だが一方で、アイドルとは原材料のようなもので、企画をして、彼女たちにメイクをして、衣装を着せて、撮影場所を確保して、輸送して、上手い具合に写真を撮って、冊子にして、また全国の書店に輸送して、プロモーションをして……といった一連の企業活動が付加価値を生んでいるのだということを上記の数字が示している。

 

 写真集には271枚の写真が掲載されている(表紙、カバー裏を除く)。

 ここで最もシンプルな(=つまらない)写真集を想像してみよう。そこには全く同じ写真が271枚掲載されている。

 これの反対の写真集こそが面白い写真集であるといえそうだ。一言で言うならば、一枚一枚が異なった印象を与えるべきである。写真集は。(倒置法)

 では、いかにして271枚もある写真にそれぞれの色を付けているのだろうか?

 写真集の構成要素は以下のとおり。

  • モデル
  • ポーズ
  • シチュエーション(背景)
  • その他(ページごとの構成など)

 今回、モデルは11人いる。被写体が一人だけの通常の写真集に比べてかなり有利だ。組み合わせは2,047通りある(11C1+11C2+……)。なるほど、それぞれの写真に映るメンバーの組み合わせを変えていけば、271をはるかに超えるパターンを生み出すことができる。もちろん、このうち、10人や9人のショットは採用されないと考えてよさそうだが(写っていないメンバーがハブられている感じがするから)、それでも271を超えるパターンを生み出すことは容易だ。

 では、そのような手法で写真集に変化がもたらされているのだろうか?

 実際、何人のショットが何枚あるのだろうか。数えてみた。

0人:1枚(以下、単位は省略)

1:103

2:63

3:32

4:34

5:13

6:5

7:2

8:2

9:2

10:1

11:12

 数え方としては背景と化しているメンバーは人数に入れていない。おおよその基準としては、顔が写っていないとか、誰かの後ろに隠れているとか。ただし、顔がメインではない写真に関してはこの限りではない。その他にもどの程度のピンボケまで許容するかなど、数え方には多分に主観が入り込む余地がある。したがって、数える人によっては、別の結果が出るだろう。

 10人や9人の写真があるのは意外だった。10人に関しては全員の集合写真で1人*4が完全に別のメンバー*5の後ろに隠れてしまった写真だったのだが(たぶん全員が写っている写真がなかったのであろう)、9人の写真はなぜ9人で良しとしたか若干謎である*6。とはいえ、やはり過半数に当たる6人を超えると枚数が一気に少なくなる。

 本題に戻ると、この配分から考えるに、写真に映るメンバーの組み合わせによって271のパターンを生み出しているわけではないことが分かる。なんせ11パターンしかないワンショットが103枚もあるのだから。

 というわけで、変化は被写体の組み合わせによって付けられているわけではないようである。案の定だが。

 

 ポーズについては、以前書いたように大きく分けると三つのパターンが存在するように思われる。

weatheredwithyou.hatenablog.com

 三つしかパターンがないのだから、ポーズだけで変化を付けることは困難である。

 

 では、シチュエーションは何パターンあるのだろうか。撮影場所をカウントしてみよう。

  1. ちょっと緑多めの路上
  2. 駄菓子屋
  3. 公園
  4. 茶店
  5. バス
  6. 体育館
  7. キャンプ場
  8. 工作室的な部屋
  9. ホテル
  10. 牧場
  11. 旅館
  12. プール
  13. 電車
  14. 海岸
  15. 写真スタジオ

 15の撮影場所がある。271枚の写真があるから、平均して一シチュエーションあたり18.07枚。かなり少ないことが分かる。

 しかも、シチュエーションが変われば、コスチュームも変わる。たとえばホテルならパジャマ姿だが、旅館なら浴衣姿が見られるという仕組みだ。

 また、屋外か屋内かによって光の具合も変わってくる。屋外であれば昼か夜かでも印象は異なってくる。その他に、プールのようにメンバーを濡らすことで異なった印象を与えることが可能な、特殊フィールドも存在する。

 というわけで、どうやら写真集の肝はシチュエーションにあるらしいことが分かる。シチュエーションの中で変化をつけるのが、被写体の組み合わせだったりポーズだったりするに違いない。

 当たり前のことを延々検討した結果、当たり前の結論に至ることに成功した。

 

 さて、上記のシチュエーションから考えてみるに、『あの頃、乃木坂にいた』のコンセプトは、デビュー2年めの彼女たちのいずれ失われるであろうフレッシュさを記録に残すことに違いない。一言で言うなら、青春。

 これに最も近いものが卒業アルバム。今回の写真集は卒業アルバム的なものを目指しながらも、もう少しプライベートに迫る。そんな感じのイメージ。メンバーには修学旅行という説明がなされたようだ*7

 それゆえにタイトルは『あの頃、乃木坂にいた』。これは五期生たちが卒業をした後、己の青春時代を振り返るための写真集なのである。

 

 ところで、人間にとって「過去を思い出すこと」はそれ自体が大きな喜びである。より広い表現をすれば、「過去の再現」は人間にとって非常に重要な営みだと言っていい。

 思い出話に花を咲かせること、伝承すること、物語を作ること、文字を書くこと、日記を残すこと、絵を描くこと、像を彫ること、楽譜を読んで演奏すること、録音すること、動画を撮ること、墓標を立てること、記念碑を立てること、遺跡を掘ること、タイムマシンに乗って過去へ行くこと……これらすべてが過去の再現という営みである。人間の活動(特にエンターテイメント系の活動)の大半は、過去の再現を志向している。もちろん写真もその一つだ。

 2024年の我々にとって、『あの頃、乃木坂にいた』は、今の五期生たちを撮ったもののように思える。だから、この写真集の価値は「可愛い乃木坂46五期生ちゃんたちの写真がたくさん載ってるよ。うっほほーい」だと思い込んでしまう。水着ショットがあるかどうか、おっぱいが大きいかどうか、そんなことばかり気にしてしまう。おそらくだいたいの写真集はそうなのだ。

 しかし、それは写真の本質的な価値ではない。写真にとって最も重要な機能は、過去を残すことであり、過去を想起させることなのだ。写真の本当の価値は年月が経つうちに明らかになっていく。

 『あの頃、乃木坂にいた』は擬似的に懐かしさを感じさせるように構成されているものの、それはあくまで擬似的にでしかない。何年か経って今が過去になったとき、熟成された『あの頃、乃木坂にいた』は真の味わいを帯びることになる。その頃に、五期生の過去を振り返りたいと思えるかどうか?

 この写真集のタイトルを付けた人(たぶん秋元康だろう)は、その点を理解している。そして、五期生たちの未来を信じているに違いない。彼女たちが数年後には忘れ去られているような存在ではないと。十数年、あるいは数十年経っても、この写真集を買った人々は彼女たちのことを思い出したくなると。

 なるほど、写真集を買うことは株を買うようなものかもしれない。数年後、数十年後に見返したいと思えるなら、その写真集は買いである。

レーズンが最高値を記録した新聞記事が面白いリーズン

 最近、ブログの更新頻度が下がっている。ネタが思いつかないからである。これではいかんと思い、ブログの本旨に帰ろうと思う。つまり、日々思うことについて書いていくのだ。

 

 今年に入ってから新聞を熱心に読んでいる。私はケチなので、まずお試しで無料購読できるサービスを一通り試す予定だ。今は日本経済新聞を購読している。

 読んでみて分かったこと。新聞は面白い。

 実家を出てから新聞は買ってこなかったし、実家にいた頃もそんなに熱心には読んでいなかった。だから、新聞に載っている情報というのはインターネットに転がっていると思い込んでいた。実際、それが間違っているとは言い難い。

 それでも新聞は面白い。読む価値がある。特に、ツイッター(あえてXとは呼ばない主義である。)で話題にならないようなニュースが面白い。

 

 たとえば、次の記事。

レーズン最高値 米・トルコ産不作/紅海混乱も影 国内卸値、製菓・製パン打撃

 有料会員専用の記事で日経電子版に登録していないと読めないので、内容を要約してみよう。

 まず、「レーズンの国内取引価格が過去最高を記録した」というのが重要な事実。

 その理由であるが、そもそもレーズンの最大の輸入先はアメリカで、2023年は輸入量の58%を占めていた。アメリカのどこでレーズンが生産されているのかというと、カリフォルニアが主産地。

 昨年の夏、カリフォルニアは気温が上がらず、ぶどうの糖度が上がるのに時間を要した。その結果、レーズンを乾燥させるタイミングが雨の多いシーズンに差し掛かってしまった。といったことがあり、生産量が減ったようだ。

 アメリカがだめなら他の国から輸入すればいいじゃない。誰もがそう思うに違いない。では、レーズンの第二の輸入先はどこなのか? トルコである。2023年は輸入の35%をトルコが占めていた。

 ところが、トルコでも生産量が激減する見込みなのだという。理由は、雨が多かったから。畑で病害が発生したり、やはり乾燥に支障を生じさせたようだ。

 結果、主要な輸入先で生産が減り、国内取引価格が上昇したというわけである。フーシ派の攻撃により紅海の航海が困難になっているからますます先行きは暗い。

 ちなみに、アメリカではナッツ類などの方が収益性が高いとして転作が進んでいるらしい。対して、トルコはリラ安もあり、近年輸入量を伸ばしているとのこと。

 以上が大雑把な記事の内容だ。

 

 うむむ……実に面白い。なぜならば、ここには物語がある。物語とは権力関係の変化だ。(日本にとっての)レーズンの王アメリカが、トルコに王座を奪われる(かもしれない)。そういう物語がここにはあるのだ。

 それでいて、色々な発見がこの記事にはある。たとえば、「レーズンは雨に弱いのか~。まあそりゃ乾燥させてるもんなあ……」とか「レーズンの主要な産地はカリフォルニアなのか~。たしかにアメリカワインといえばカリフォルニアだもんな~」とか。そう、ここには人生の伏線回収もある。

 伏線回収といえば、『ボボボーボ・ボーボボ』の有名なセリフ「レーズンのレーズンによるレーズンのためのレーーズン」はリンカーンの有名な演説のパロディであるが、澤井啓夫はレーズンといえばアメリカということを知っていたに違いない。昔の私はそんな事も知らずにゲラゲラ笑い転げていたわけである。もしかしたら100年後の人々は、たとえレーズンの産地に詳しい人でも『ボーボボ』を読んで「なぜゲティスバーグの演説?」と思う可能性がある。その頃にカリフォルニアはもうレーズンの生産をしていないかもしれないからだ。一見ナンセンスギャグを繰り返しているだけの漫画に見える『ボーボボ』の中にも現代が切り取られているのだ。……という妄想をする余白が上の記事にはある。

 ついでにいえば、「レーズンの産地はだいたい同じ緯度にあるのかもしれない」と、描かれていない物語の予想もできる。実際そうなのだ。レーズンの産地ランキングを見てみると、トルコ、アメリカ、中国、イラン、南アフリカウズベキスタン、チリ……といったメンツが並ぶ。トルコ、カリフォルニア、中国、イラン、ウズベキスタンは日本とだいたい同じ緯度にあることが分かる。南アフリカとチリは?と思うかもしれないが、意外にも南アフリカやチリは、上記の国々と赤道を挟んで対称の緯度にあるのだ。ためになったね~。ためになったよ~。

 

 新聞にはこういう物語が溢れている。しかも、ある程度の期間にわたって新聞を読んでいると、以前読んだあのニュースがここに繋がってくるのかあ……ということがある。そうなるとますますニュースは面白くなってくる。

 それでいて、インターネットの海に比べるとコンパクトにまとまっている。膨大な量のニュースの中にまぎれて「レーズン最高値」なんて見出しを見ても「あっそ……。どうでもいぃ~わ!」と思うだけで流してしまう。しかし、新聞という限られた量の中にあると、「ちょっくら読んでみますかねえ」という気になる。これがでかい。

 これらの感覚はたとえばグーグルニュースやニュースピッグスでニュースを読んでいた頃にはなかった感覚だ。新聞だから提供できるものはたしかに存在する。

 

 欠点があるとすれば、量が多すぎることだ。先に書いたことと矛盾するようだが、いくらコンパクトにまとまっているといっても、全ての記事を読もうと思うと数時間かかる。ピンとくる記事だけピックアップしても1時間以上は必要だ。こうなると平日はもう読めない。割り切って見出しを眺めることだけに徹している。

 週刊新聞があればいいのに……。

 

 新聞というと、とかく「役に立つから読め」と言われがちだが、はっきり言って役に立つものなんて極力読みたくないのが人間ではないだろうか。それに、レーズンが高値になったことを知ったからって一般の人々にはなんの役にも立たない。スーパーに並んでいるレーズンパンが高かったりレーズンの数が減ったりしている理由を知っていることがなにか金銭的な価値を生むかといえば、そんなことはない。(ビジネスチャンスを見つけて稼ぐ人はいるかもしれないが、圧倒的少数であろう。)基本的に、我々はただ時代の流れを受け入れるしかない。同じことは、トランプが共和党の候補になりそうとかウクライナがやばいとか中国の衰退が始まりつつあるとか、そういうビッグニュースにも言える。そういう意味では新聞が役に立つと言えるかどうかは微妙である。

 新聞は役に立つから読んだほうがいいのではない。新聞はただ面白いのだ。

『エイリアン』と『ザ・フライ』と『リトル・ミス・サンシャイン』と『オデッセイ』と『天使にラブソングを』

 認識している限りでは初めてコロナにかかった。しんどかった……。

 日経新聞とにらめっこしながら、特に書くことも思いつかないので、観た映画について書こう。

 

 『エイリアン』は1979年の映画。監督はリドリー・スコット、脚本はダン・オバノン、主演はシガニー・ウィーバー

 『ザ・フライ』は1986年の映画。監督はデヴィッド・クローネンバーグ。主演はジェフ・ゴールドブラム

 『リトル・ミス・サンシャイン』は2006年の映画。監督はジョナサン・デイトンヴァレリー・ファリス、脚本はマイケル・アーント、主演はアビゲイル・ブレスリンなど。

 『オデッセイ』は2015年の映画。監督はリドリー・スコット、脚本はドリュー・ゴダード。主演はマット・デイモン

 『天使にラブソングを』は1992年の映画。監督はエミール・アルドリーノ、脚本はジョセフ・ハワード。主演はウーピー・ゴールドバーグ

 

 『エイリアン』は『ジョーズ』の宇宙人バージョン。

 肝心なのは、モンスターとのバトルが物語のクライマックスになる点。『ジョーズ』はサメとのバトルに持っていくまでに工夫を要したが、『エイリアン』では宇宙船という閉鎖空間にエイリアンが紛れ込んで否応なく戦うしかなくなる。

 このシチュエーションの差によって、バトルの様相はかなり異なる。『ジョーズ』では互角の戦いが繰り広げられたが、『エイリアン』で展開するのは一方的な虐殺である。

 そういうわけで『エイリアン』の方がホラー度が強い。グロいしキショい。

 

 『ザ・フライ』は、テレポーテーションの際に蝿と人間が融合してしまうというシチュエーションが謎に有名な作品。1958年の映画のリメイクである。

 これもモンスターが登場して最期にはバトルが発生する作品ではあるのだが、『エイリアン』とは全く異なる、重要な要素がある。変身だ。

 サメやエイリアンをぶっ殺すのにはなんの躊躇もいらないが、相手が元人間となると彼を殺すのには悲しみが生じる。それこそがこの作品の肝である。カフカの『変身』みたいなものである。

 そのため、ハエ男が生まれるまでのラブストーリーにまあまあの時間が費やされるのであるが……この作品は難しい。ハエ男のビジュアルがきしょすぎるため、融合以降はB級チックなホラーにしかならない。そうなると、前段のラブストーリーとの落差があまりに激しくなってしまってちぐはぐ感が拭えない。でもラブこそがこの映画の肝だから、そこの手を抜くことはできない。

 というわけで、この映画はB級映画になる宿命を背負って生まれてきたといっても過言ではないのではなかろうか? ただでさえそうなのに、ハエ男のセックスが激しすぎてヒロインが限界を迎えたりだとか、クズみたいな元カレが終盤ではヒロインをサポートして結果的に寝取った形になったりだとかで、ますますB級臭がする一本となっている。

 しかし、この映画の製作費は1500万ドル。『エイリアン』よりも高い。B級臭は製作費から生まれるのではない。エロとグロから生まれるのだ。

 

 打って変わって『リトル・ミス・サンシャイン』は平和なロードムービー

 この作品が生まれたきっかけは『ホーホケキョ となりの山田くん』だ。ささいな日常を描くことでも傑作を生み出せることを知ったマイケル・アーントが書いたのが本作。

マイケル・アーント② | スタジオポノックオフィシャルブログ Powered by Ameba

 この作品は、リトル・ミス・サンシャインという美少女コンテストへ出場する家族を描いたロードムービーだ。

 ロードムービーは孤独を描く映画だ。車に乗る人々は社会から隔絶されている。この映画に登場する家族の一人ひとりも、社会からなんらかの形で隔絶されている。父は出版社から企画を断られ、兄は色覚異常で憧れのパイロットにはなれないことが判明する。伯父は自殺未遂をしたばかりだし、祖父はヤク中だ(そして『怒りの葡萄』よろしく彼は死ぬ)。

 こうしたエピソードが積み重ねられた果てに、ついに美少女コンテストに出場するわけだが、そこで明らかになるのが圧倒的な実力差。末っ子の前に絶望が立ちふさがっていることを目にした家族はついに団結をする。いい話や。

 

 『オデッセイ』も孤独を描いた映画だが、やはり人類の団結を描いている。ポイントは家族のような小規模な団体の結束ではなく、人類規模の結束だという点だ。

 となると、似たテーマでも全く異なったアプローチが必要になってくる。人類規模の結束が必要になるのは、ビッグプロジェクト。それも宇宙プロジェクトということになろう。宇宙は閉鎖空間、孤独の世界でもあるから都合がいい。

 というわけで、火星に取り残された男の物語が生まれた。火星じゃなくて宇宙船でも良いのでは?という発想から生まれたのが『プロジェクト・ヘイル・メアリー』である。(知らんけど。)

 

 『天使にラブソングを』もある意味では閉鎖空間を描いている。修道院に繁華街で歌手をやっていた女が闖入する。異質な世界の住人たちが音楽によって繋がっていき、互いに変容していく。

 ここでウーピー・ゴールドバーグが修道女たちを殺しまくれば『エイリアン』が生まれる。異なる文化が衝突すれば、物語は生まれるのだ。

 ウーピー・ゴールドバーグが修道女たちを皆殺しにせずにすむのは、音楽があったからだ。さらに団結を深めるのがやはりビッグプロジェクトの存在である。

 個人的には、主人公たちが音楽を作り上げていく過程をもっと描いてほしかったなあという思いはある。面白かっただけに。

東京経済オンラインのアクセスランキングを元に、優れたタイトルの要素を考える

 名著『2016年の週刊文春』に次のようなことが書いてあった。

「編集者に一番必要なのは企画力だ」「プランとは、つまりはタイトルのことだ」

 というわけで、今日はタイトルについて考えてみたい。優れたタイトルとはどのような要素で構成されているのか?

 まずは優れたタイトルを収集せねばなるまい。今回は、東京経済オンラインの月間アクセスランキングをもとに考えてみよう。

アクセスランキング | 月間 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

 2024/2/12のランキングは次のようになっている。

  1. ヴィレヴァンが知らぬ間にマズイことになってた
  2. ドイツ人が「無料でも」お茶や水の提供を断るなぜ
  3. 松本人志氏追い込む文春報道に見えてきた”異変”
  4. 「ゴミ屋敷のくぼみに寝る」母親が救われた瞬間
  5. 「入社が難しい有名企業ランキング」トップ200社
  6. 6万人減も「2035年人口減少数」関東市区町村350
  7. 「松本ずっと嫌いだった」投稿をそう軽視できぬ訳
  8. 妻の転勤帯同で「主夫になった夫」が味わった窮地
  9. レゴランド炎上、冷静に見て何がマズかったのか
  10. 「ストロング系」毎日10缶飲んでた私に起きた異変
  11. 「財務力が強い上場企業ランキング」トップ300
  12. 冷凍ブロッコリー「水っぽくならない」超ラク解凍
  13. 首位は半減「2035年人口減少率」関東市区町村350
  14. 「セクシー田中さん」悲しい出来事の裏にある現実
  15. 松本人志氏の性加害疑惑対応にみる「空気の変化」
  16. 宝くじ「高額当選続出」という売り場のカラク
  17. ポケモン似?バク売れ「パルワールド」色々ヤバい訳
  18. 上位2社は1兆円超「金持ち企業」ランキング300社
  19. 「結婚猛反対にあう道長」の才能見抜いたある女性
  20. 7兆円超えも「借金の多い企業」ランキング300社
  21. ハイブリッド車」やけに復活している2つの理由
  22. アサヒが撤退「ストロング系」はなぜ広がったのか
  23. チェコに登場、欧州初「中国製電車」数々の問題点
  24. 植物状態の夫」が終末期病棟で迎えた意外な最期
  25. 春節「日本に行くのやめた」中国人達が”集まる国”
  26. ドーミーインが「夜鳴きそば」を提供し続ける理由
  27. 40代で「資産35億」築いた男の脅威の”ドケチ時代”
  28. 「不適切にもほどがある!」世代で生じる”温度差”
  29. 実写化「ゴールデンカムイ」驚嘆の感想で溢れる訳
  30. 小さな高級車「日産オーラ」を買っている人物像

謎を提示せよ

 現実ベースで作成された記事もフィクションも、人の心を動かさねばならないという点では変わらない。フィクションで観客を引き付ける手法としてよく用いられるのが謎だ。東洋経済オンラインでも、謎の提示が多用されている。

 謎と言っても色々あるが、ミステリー小説的分類をするなら「フーダニット」「ハウダニット」「ホワイダニットの3種類があるが、ダントツで多いのがホワイダニット系タイトルだ。

ホワイダニット

 シンプルに、タイトルの中で使われている言葉を使って抽出してみよう。

  • ~訳:3件
  • ~理由:2件
  • ~なぜ~:2件

 7/30≒23%が、ホワイダニット、すなわちある事実を導く理由が謎の主題になっている。

 では、いったいどのような事実の理由を問うているのだろうか?

 改めて、当てはまるタイトルを並べてみよう。

  • ドイツ人が「無料でも」お茶や水の提供を断るなぜ(A)
  • 「松本ずっと嫌いだった」投稿をそう軽視できぬ訳(B)
  • ポケモン似?バク売れ「パルワールド」色々ヤバい訳(C)
  • ハイブリッド車」やけに復活している2つの理由(B)
  • アサヒが撤退「ストロング系」はなぜ広がったのか(C)
  • ドーミーインが「夜鳴きそば」を提供し続ける理由(A)
  • 実写化「ゴールデンカムイ」驚嘆の感想で溢れる訳(B)

 こうして見てみると、三つのパターンがある。一つは論理的に導き出される答えと矛盾する事実。これをAパターンとする。もう一つは、社会的潮流に逆行する事実。これをBパターンとする。最後に、適切でない方法で社会的潮流を生み出してしまった事実。これをCパターンとする。

レッツトライ!

 それではタイトルづくりを実践してみよう。まずはAパターンから。

  • 1万年と2千年前から愛し続けてきた相手と結婚したのに一ヶ月で破局した訳
  • 無料で納豆ご飯を食べられる食堂に一人も客が訪れなかった理由
  • 最寄り駅から車で5時間……限界集落のレストランになぜ行列が絶えないのか
  • カピバラのうんちはなぜ良い匂いがするのか

 な、なんだかちょっとそれっぽい気がする……!

 次はBパターン。

  • 驚異の喫煙率100%……若者の間で喫煙が流行っている訳
  • 何度干されてもあの芸能人が不倫をし続ける理由
  • アメリカ議会はなぜウクライナを支援しないのか

 次はCパターン。

  • サッカーマニアによる解説動画も……かまいたち山内のプレーが絶賛された訳
  • 下ネタまみれの「マサ内藤の架空チャンネル」が登録者数13万人を獲得した理由
  • 衰退する猫ミーム「チピチピチャパチャパ」はなぜ広がったのか

 それっぽい。それっぽいぞ!

 この調子で分析を進めていこう。

フーダニット

 続いて、フーダニット式のタイトルも目につく。以下が私がフーダニットだと考えるタイトル群である。*1

  • 松本人志氏追い込む文春報道に見えてきた”異変”
  • 妻の転勤帯同で「主夫になった夫」が味わった窮地
  • レゴランド炎上、冷静に見て何がマズかったのか
  • 「セクシー田中さん」悲しい出来事の裏にある現実
  • 松本人志氏の性加害疑惑対応にみる「空気の変化」
  • 「ストロング系」毎日10缶飲んでた私に起きた異変
  • チェコに登場、欧州初「中国製電車」数々の問題点
  • 小さな高級車「日産オーラ」を買っている人物像
  • 植物状態の夫」が終末期病棟で迎えた意外な最期
  • 「不適切にもほどがある!」世代で生じる”温度差”
  • 春節「日本に行くのやめた」中国人達が”集まる国”
  • 「結婚猛反対にあう道長」の才能見抜いたある女性

 これはホワイダニットでは?と思われるものもあるが、そもそも「誰がやったか」と「なぜやったか」は不可分だ。したがって、何を問うているかではなく、問いの立て方によって両者を区別しようと思う。

 端的に言えば、フーダニットは答えが名詞(あるいは単語)になる問い、ホワイダニットは答えが文になる問い、とここでは定義する。また、ミステリー小説の犯人は基本的に人間だが、ノンフィクションの記事は犯人ばかりを考えるものではないので、本来は”What done it?”(ワダニット)とでも言うべきであろう。

 フーダニットは、ホワイダニットと異なって、フーダニットであることを示す言葉が必ずしも存在しない。「何が」というワードを入れているのは11タイトル中1である。

 多くのタイトルの共通点は体言止めだ。そして、その体言をより詳細にしたものこそが問いの答えになる。逆に言えば、体言止めの体言は、答えをやや限定するもののなおいくつかの選択肢を残す程度の、曖昧なものとなる。おそらく、そのようなバランスを取れない場合に「何が」を使って問うことになるのだろう。

 では、体言を修飾する部分に共通点はあるだろうか。若干の主観が交じるが、どれも罪と罰に関わるものだ。罪といっても、犯罪とは限らないし、なんなら倫理に反することとも限らない。多くの読者が抱えている身勝手な思いに反することであればよい。

 たとえば、「妻の転勤帯同で「主夫になった夫」が味わった窮地」は、夫は主夫になるべきではない(と少なからぬ人間が思っている、あるいは思っているのではないか?と思っている)から罪に関わるものだ。念のため言っておくと、私は主夫になるべきではないと思っていないし、なんならなりたい。

 「小さな高級車「日産オーラ」を買っている人物像」は、高級車はでかくて高いべきなのに小さくして安く済ませようとしているのがけちくさいから罪。そういうノリである。でも、きっと少なくない人がコンパクトで自分にも手が届きそうな高級車なら買ってみたいと思っている。罪は欲望とも密接に関わっている。

 だいたいのタイトルは罪っぽいものを提示して、答えに罰っぽいものが来ることを予感させる。だが、その逆もある。

 「「植物状態の夫」が終末期病棟で迎えた意外な最期」がそれだ。罰といってもなにか悪いことをした報いである必要はない。(運命による)理不尽な仕打ちを受けることは、神からの理不尽な罰に等しい。本来なら罪に対して罰があるべきだが、今回はたぶん罪がない。それならば、誤った罰に対して相応の報いがあるべきではないか? 意外な最期とは罪の逆、祝福であることが期待されるわけである。

レッツトライ!

 さあ、フーダニット形式のタイトルづくりにチャレンジしてみよう。

  • 緑色になった豚肉を炒めて食べた男の末路
  • 10年間掃除しなかったズボラ男の家に現れた生物
  • コンビニで傘を盗まれた女子高生に待っていた贈り物

 まあ、悪くはないだろう。

ハウダニット

 ハウダニットはそんなに多くない。ハウツー系はこれに当たるはずだから意外だ。

 サンプルが少ないので法則は読み取れない。というか「宝くじ」に関しては作りがホワイダニットと同じなので、純粋なハウダニットのサンプルは一つしかない。

 直球でハウツーものの「冷凍ブロッコリー」の記事だが、ブロッコリーは最近指定野菜に追加されることが決まった話題の野菜であることが上位に入った理由だろう。トレンドを取り込むことがポイントである可能性はある。

レッツトライ!

 法則がわからないのでやってみてもしょうがない気がするが、一応自分でも作ってみよう。

  • アメリカ大統領選挙」世界の命運を決める戦いを勝ち抜く方法
  • 「フーシ派攻撃」超危険紅海を安全通行
  • 「セクシー田中さん」原作者が映像業界から作品を守るワザ

 こんな感じか? わからない。

ランキング

 日本人はランキングが大好きだ。これは昔から変わらない。相撲には番付が採用されていたし、その延長線上には温泉の番付なんかもあった。たしか。

 公式な制度としては五山十刹なんかがあるし、貴族の職位なんかもランキングといってもいいかもしれない。だからであろうか、人気記事のランキングのテーマは社会的地位に関わるものばかりだ。つまり、人間が所属するものがお題になりがちである。

  • 「入社が難しい有名企業ランキング」トップ200社
  • 6万人減も「2035年人口減少数」関東市区町村350
  • 「財務力が強い上場企業ランキング」トップ300
  • 首位は半減「2035年人口減少率」関東市区町村350
  • 上位2社は1兆円超「金持ち企業」ランキング300社
  • 7兆円超えも「借金の多い企業」ランキング300社

 それからランキングの数がかなり多いところも特徴だ。これはそもそもこのランキングを作る目的が「入社する会社を決めるため」「引越し先を決めるため」であることと、ランキングに関係する人口を増やすためではないかと思われる。

(ただ、東洋経済オンラインというサイトに掲載されているランキング自体が偏っている可能性があるため、以上に書いたことは普遍的な法則ではないかもしれない。)

レッツトライ!

 一応作ってみよう。東洋経済の真似をして企業と自治体で攻めても面白くないので別の所属で考えてみる。

  • 「就職に有利なサークルランキング」トップ200
  • 「長寿に寄与するコミュニティランキング」トップ300
  • 「生涯年収を高める習い事ランキング」トップ350

 こんな感じ……か?

その他

 余ったのが以下の三つ。

  • ヴィレヴァンが知らぬ間にマズイことになってた
  • 「ゴミ屋敷のくぼみに寝る」母親が救われた瞬間
  • 40代で「資産35億」築いた男の脅威の”ドケチ時代”

 まあ読む者次第で謎があるにはあるが、少なくともタイトルで明示はされていない。

 これらのタイトルには物語性がある。(フーダニットに分類した「道長」の記事もここに分類した方がよい気がする。)

 ポイントは二つあって、登場人物(法人含む。)がいること、変化があることだ。

 「ヴィレヴァンが知らぬ間にマズイことになってた」の登場人物はもちろんヴィレッジヴァンガードくんであり、「久々に会ったヴィレヴァンくんはかつての輝きは見る影もない姿になっていた……」といった感じの趣がある。もちろんこれが成立するのは、みんなの心の中にヴィレヴァンくんがいるからだ。

 そういう共通認識のない人物が登場する場合、人物紹介がある。「「ゴミ屋敷のくぼみに寝る」母親」、「40代で「資産35億」築いた男」みたいな。おそらく、この人物紹介は物語の先行き(変化後)を示唆するものでなければならない

 そして、人物紹介の後に物語の先行きのおおまかな方向性が示される

 たとえば、ゴミ屋敷マザーという登場人物には、ゴミ屋敷マザーになるに至るまでの過去とゴミ屋敷から脱する未来が内包されている。これのいずれかを示せば、そこに物語性が生まれる。

 資産35億男もやはり、資産35億を築くまでの過去と資産35億を気付いた後に没落する未来が内包されている。今回の記事は前者についての物語であることが示されている。

レッツトライ!

 さあ、自分でも作ってみよう。

  • 久々にプリクラを撮ったら祖母の霊が映り込んでいた
  • 高所恐怖症の男がパイロットになった瞬間
  • 日産スタジアムを埋めた歌手の路上シンガー時代

 いやけっこういいんじゃないかこれ。

まとめ

 ということで、今回の学びをまとめてみよう。

  • 非論理的に見えることがあったらなぜ?を問おう。
  • トレンドに逆らう事象があったらなぜ?を問おう。
  • 良くないと感じるものがトレンドになったらなぜ?を問おう。
  • 罪と罰に関する話題は体言止めでクイズ形式にしよう。
  • ハウツーはトレンドを取り込むべき……か?
  • ランキングは社会的地位と所属に関わるもので、数はなるべく多めに。
  • 物語性のある登場人物を立てよう

 ただし、これはあくまで東洋経済オンラインの直近一ヶ月のランキングを見た結果にすぎない。時期を変えればまた全然違う結論が見出されるかもしれないし、サイトを変えてもやはり異なる結果が出るかもしれない。

 たとえば、文春オンラインのランキングを見ると、また違う雰囲気がある。文春の基本戦略は「有名人+性or金or罪」で表せそうだ。この式から導き出されるベストが有名人のスキャンダルだが、

独身生活を謳歌する皆藤愛子は「一人暮らし満喫女子」 事務所で20年でも変わらないキレイの秘訣は?

みたいな有名人単品もあれば、

「ちょっとHな大人のディズニーランド」滋賀県の“ナゾの歓楽街”「雄琴」には何がある?【これぞ男の夢の世界】

のように性or金or罪単品もある。

 

 ちなみに、今回の記事はどれにも当てはめようがないなーと思ったのでAIに付けてもらった。

 無理やり当てはめるなら

「タイトルを考えずにブログを書き出した男の末路」

といった感じか。なんかそれはタイトル詐欺っぽい気がする。

 なるほど。プランとは、つまりはタイトルのことなのか。

*1:ホワイダニットより多いのに2番目にしたのは、当初は6件だけのつもりだったからだ。書いているうちにこれもフーダニットだなとなって、結果ホワイダニットより多くなった。

『アクロイド殺し』と『方舟』と『爆弾』

 『アクロイド殺し』と『方舟』と『爆弾』を読んだ。いずれもミステリー小説である。

 以下、ネタバレを辞さないので未読の方は注意していただきたい。

 

 『アクロイド殺し』はミステリィの女王アガサ・クリスティの傑作。

 ある晩、田舎の富豪アクロイドが自宅で刺殺された。同日から彼の義理の息子ラルフが姿を消す。アクロイドの義理の姪フローラは、名探偵ポアロにラルフの潔白を証明するよう依頼する。

 

 『方舟』は夕木春央の小説。

 9人の青年たちが山奥の地下施設に閉じ込められた。彼らが脱出するには誰か一人を犠牲にしなければならない。水没していく施設。残された時間は少ない。そんな最中に殺人事件が発生する。

 

 『爆弾』は呉勝浩の小説。

 軽犯罪で逮捕された男スズキタゴサクが、取調べ中、不意に爆破事件を予言する。予言のとおりに事件は発生し、タゴサクはさらなる事件の発生を告げる。

 

 ミステリーにおいて重要な役が四つ存在する。

  • 名探偵
  • 助手
  • 犯人
  • 無能な警察

 そして、ミステリーにおいては、名探偵と犯人の距離が面白さに密接に関わってくる。安楽椅子探偵を除いて、距離は非常に近くなければならない。

(なんか偉そうに語っているが、私はミステリー小説をそこまで読んでいないので話半分に読んでいただきたい。)

 

 まず、『アクロイド殺し』では名探偵はエルキュール・ポアロである。そして、失踪したラルフをアクロイド殺しの容疑者として追いかける警察は、お約束どおり無能を演じる羽目になっている。

 では犯人は誰なのかという話だが、その前に、『アクロイド殺し』はクローズドサークルではない。つまり、アクロイドの館には誰もが侵入できたため、容疑者を絞ることは難しい。ここでアガサ・クリスティはその時間に現場付近にいた正体不明の男を登場させ、もし館の外の人物が犯行に及んだとすればこいつが犯人であるという人物を用意する。これによって、犯人の候補は擬似的に限定されることになる。

 クリスティはアクロイドの館にいた7人の人物とラルフ、謎の男の9人を犯人候補として読者へ提示する。それぞれの怪しさはおおむね均等であり、誰が犯人であってもおかしくない。まあ、無能な警察に容疑をかけられるラルフと謎の男は犯人ではないだろうと予測は立つだろうが……。怪しさは犯行が可能であったことのほかに、アクロイドの死によって得た利益と、不審な言動によって醸し出される。ちなみに、利益の大きさは、客観的な数値ではなく、利益の受け手がそれをどのくらい必要としていたかで決まる。

 さて、ここで重要なのは「誰が犯人だったら面白いだろうか?」という問いである。もし怪しさが均等でなければ、最も怪しくない人物が犯人であるのが一番面白い。だが、今回は誰もが均等に怪しいのだ。

 ミステリーの面白さを決定づけるのは名探偵と犯人の距離だ。これらの人物の中でエルキュール・ポアロに最も近い人物は誰だろうか?

 それは名探偵の助手。物語の語り手だ。かくして、『アクロイド殺し』では叙述トリックが用いられることとなる。

 犯人が用いたトリックはシンプルだ。音を使ったアリバイ工作が二つ。ところが、各々の登場人物が別の思惑で偽装工作を重ねていく。それによって事件は複雑化していく。さらに、クリスティは、金銭トラブルや色恋沙汰や下衆な噂話といった、謎以外の面白みを小説に与えているところも決して忘れてはならない。

 

 対して、『方舟』はクローズドサークルだ。犯人候補は最初から限定されている。

 特徴的なのは、時間制限があること、そしてなによりも登場人物が脱出するためには誰かが犠牲にならなければならないという設定だろう。

 犯人にとって殺人は百害あって一利なしのはず。なのに、なぜ犯人は殺人の罪を犯したのか?

 限定的な状況もあってか、『アクロイド殺し』に比べると謎以外の面白みが薄い。これは容疑者の描写の濃淡(≒名探偵との距離)に関わってくるので、結果として犯人はバレバレになる。だが、その欠点を補ってあまりあるほどに、この謎は強力だ。謎は「なぜ犯人は殺人の罪を犯したのか?」だから、「誰が殺したのか」はさして重要でもない。

 実は最も重要なのは、無能な警察が登場しないことだ。見当違いの人物が疑われる場面がほぼ存在しない。……かのように見える。クライマックスまでは。

 この小説では最後の最後に、名探偵の推理が大外れであったことが明かされる。名探偵は「誰が殺したか」の正解は出せたが、「なぜ殺したか」の正解は出せなかった。

 『アクロイド殺し』では助手=犯人だったが、『方舟』では名探偵=無能な警察だったのだ。これがこの小説の最大の仕掛けである。

 

 『爆弾』も「なぜ罪を犯すのか」を謎として提示する小説(ホワイダニット)だ。犯人は最初からほぼ明らかにされている。表面上は「スズキタゴサクは次にどこを狙うか?」を巡ってストーリーは進むが、読者にとって重要なのはあくまで「スズキタゴサクと過去に自殺した刑事の関係性は?」という謎だ。

 そして、この小説もやはり名探偵と犯人の距離が非常に近い。なんせずっと取調室の中で対峙しているのだから。作者の筆力が問われるに違いないが、名探偵と犯人が顔を突き合わせて話す場面の緊迫感がこの小説の肝だ。

 また、無能な警察VS犯人を経て、名探偵VS犯人へと移行するのもセオリーどおり。

 では、この小説の特徴がどこにあるかというと、名探偵が安楽椅子探偵であることだ。事件現場に赴かず話を聞いただけで事件を解決してしまう安楽椅子探偵は、犯人との距離が遠いのが通常だ。代わりに、安楽椅子探偵の手足となって動く助手が犯人に接近する。だが、この小説ではそれが逆転している。助手は現場へ赴き犯人から離れ、名探偵は取調室から出ることなく犯人と対峙している。

 

 というわけで、セオリーを踏襲しながら、セオリーから外れる。これが名作の秘訣だ。

 そして、セオリーとは

  • 名探偵
  • 助手
  • 犯人
  • 無能な警察

の四人を用意することと、名探偵と犯人の距離は極端なものにすることである。トリックは必須要素ではないというところがミソだ。

『マイ・フェア・レディ』と『プリティ・ウーマン』について

 『キューティ・ブロンド』と間違えて『プリティ・ウーマン』を観た。『マイ・フェア・レディ』と間違えて『ティファニーで朝食を』を観た。

 

 それはともかく、『プリティ・ウーマン』と『マイ・フェア・レディ』について語っていきたい。

 この二つの映画はどちらも、富める男が貧しい女性を援助して成り上がらせるというのがストーリーの骨格になっている。

 これらの物語の原形は『シンデレラ』である。社会的地位の低い女性が変身をして、そのポテンシャルを発揮するというところが肝だ。『シンデレラ』では魔法の力で変身を果たしたが、『マイ・フェア・レディ』や『プリティ・ウーマン』では現実的な方法で変身しちゃおうというのがミソである。発想としては、死んだ恋人の復活を現実的な方法でやり遂げた『めまい』と同じだ。

 『プリティ・ウーマン』に関して言えば、そのまんま、金持ちがドレスを着せてくれて周囲からの目も本人の自意識も変わるという手法を取っている。

 『マイ・フェア・レディ』についてもドレスで着飾る要素はあるのだが、メインの変身の手法は発音の矯正だ。映画の冒頭で現れた謎の男が、「まともな英語の発音ができればお前でもまともな仕事に就けるだろうに!」と嫌な感じの歌を歌うところからスタートする。男は音声学の教授なのだが、ヒロインは彼に師事することにする。漠然とした閉塞感を打ち砕く意外な道(ランチェスター戦略において注力すべき領域)を指し示した点と、努力と根性でどうにかできる点が面白い。

 さらに、魔法には時間制限がある点も『シンデレラ』にならっている。

 『プリティ・ウーマン』は2週間の間だけ金持ちの恋人として振る舞うという契約が締結される。言うまでもなく、2週間後には本当の恋に落ちている。

 『マイ・フェア・レディ』も女王が列席するパーティで低い身分の女とバレないことが目標として設定される。これまた言うまでもなく、パーティが終わる頃には女と教授は恋に落ちてしまっているという寸法である。

 

 現代日本版のリアルおとぎ話を考えてみよう。

 「アンチエイジングケアを極めた結果、友達がみんな死んじゃったけど私は元気です」みたいな。

 あるいは、「精子提供を受けて体外受精した卵子代理母に子供を産んでもらったら超人が生まれたので、ピットブルと雉とゴリラを調教して外国に攻め込みます」みたいな。

 ……というのは物語の本質を理解せず、ただ要素を置き換えただけの悪い例です。

 もっと、たとえば一寸法師なら、「劣った(とみなされる)身体的特徴を持つ者が優れた身体的特徴を持つ者に、その身体的特徴を使って勝利する話」ぐらいにまで抽象化しなければならない。あれ? そうか。一寸法師は『フォレスト・ガンプ』の原作だったのか。

 ちなみに『ドラゴン桜』は日本版『マイ・フェア・レディ』です。

 

 個人的には、『マイ・フェア・レディ』の方が好きだし名作だと思うのだが、ちょっと長すぎると思わなくはない。

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