たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

読書感想文は本を読む前に書くのがいいのかもしれない

 社会人12年目にしてやっと『イシューからはじめよ』を読んだ。

 

 この本の主張を端的にまとめると、短い時間で圧倒的な成果を出すには「最初に仮説を立てましょう」ということ。ただの仮説ではなく、本質的な問題についての仮説でないといけない。さらに、本質的なだけでは足りず、現時点で検証可能でないといけない。

 これの何がいいかというと、仮説を証明できた場合に確実に大きな成果が得られる。証明のために何をすればいいかが明確なので、無駄な作業が発生しない。

 逆に仮説を立てないと、まず闇雲に調査をしてから何か意味がありそうなことを考えるという順番になるわけで、よほど運が良くない限り無駄が多くなる。

 とまあ、そんな感じの話であると理解した。

 

 読みながら思ったのは「こんなん無理でしょ」ということである。そして、自分はなんらかのイシューをどこかの段階で設定するような仕事はしていないぞ?ということである。

 というわけで、自分はこの本のターゲットではなかったのかもしれないということを思った。

 

 それから数日後、別の本にマーカーを引きながら、こんなことを思った。

「読んでる時に大事だと思う場所と、ブログを書くときに参照できる場所って違うんだよな〜」

 その時、気付いた。

 これこそイシューから始めることで解決される問題なのでは?

 ブログを書くという行為は知的生産ではないか。(ちなみに『イシューからはじめよ』ははてなブログの記事がスタートにあるんだってさ。衝撃的だね。)

 だとすれば、イシューから始める=本を読むよりも先に感想文を書いてしまう。そうすることで読書の生産性を高めることができるのではないか?

 しかし、本を読むよりも先に読書感想文を書くことなど可能なのか?

 いや、可能な気がする。

 そもそも人はなぜ本を読むのか?

 それは人生観と世界観を変えるためである。

 同じことは感想文にも言えるはずである。

 あらかじめ世界観がちょっとだけ変わるような感想文を書いておく。

 言い方を変えれば、その本を読んで自分の世界観がどのように変わるか想像する。

 読書中は感想文に使えるパーツを探す。

 そうすれば本を読んだ後に

「大したこと書けないな〜。めんどくさいな〜」

「一言で要約してみるけど、正確さに自信がないなあ。でも読み返すのめんどくさいなあ。まあ「そう理解した」とでも書いとけばいっか」

と思わずに済むはずである。

 無論、読んでみたら思ってたのと違う可能性はある。だが、その外れた予測こそ、その本の意外性=面白ポイントを指し示しているのである。

 う〜ん、これはなんだかいける気がするぞ。

 というわけで、次回はそのように記事を書いてみたいと思ふ。

『テスカトリポカ』感想

 『テスカトリポカ』を読んだ。

 メキシコの麻薬戦争に負けた売人が再起を図ろうと日本で頑張る話。タイトルはアステカ帝国で信じられていた神の名前。

 感想を一言で言うと、全体としては面白いけど面白くないところもあるという感じ。

 

 映画の冒頭で観客を惹きつけるために使われる三つの要素がある。

  • エロ

 名作は大体これらのいずれか又は複数を使っている。それだけこれらには求心力がある。

 その点、麻薬はエンターテインメントの題材としては優秀である。麻薬は犯罪組織にとって巨大な資金源であり、犯罪組織には死がつきまとうからである。

 『テスカトリポカ』の優れたところは、麻薬という題材の潜在能力をきちんと引き出しているところにある。つまり、ビジネスとしての犯罪を描き出しているのだ。

 

 読みながら思ったこと。

 コカインには圧倒的な商品力がある。リピーター率が極めて高く、値段を釣り上げても需要が落ちない。このビジネスの最大の肝は、捕まらずに流通させることにある。したがって、生産から販売までを一気通貫して行う必要がある。コカの木は南米原産だから、メキシコやコロンビアといった南米において麻薬カルテルが強大な力を持つことになる。

 その土地でしか取れないものが巨大な富を生み出すという意味では、中東の石油ビジネスに似ている。石油は違法なものではないから国家が掌握している。でもコカインは違法な商品だから、国家ではなく犯罪組織が取り扱う。違法であるがゆえにリスクプレミアムが乗り、コカインはさらに高く売れる。

 つまり、法規制が犯罪ビジネスを生み出している。もちろんこれは犯罪ビジネスに限った話ではない。新たに生まれた規制は裏にも表にもビジネスチャンスを生み出す。新たな規制は、規制に適合するための技術の価値を飛躍的に高めるし、ずるして規制をすり抜けることの価値も高める。

……のか!といったことである。

 

 麻薬ビジネスのビジネス的な面を掘り下げていくと、犯罪者の生きる裏の世界と我々の生きる表の世界と重なることに気づかずにはいられない。犯罪を躊躇なく犯すという一点を除けば、そこにあるのはただの資本主義の論理だからである。

 この小説には資本主義のほかにも家族やアステカ帝国の神話といったキーワードがあるのだが、そこら辺はあんまり面白くなかった。特に後者。

今年はミュージカルを観る年にしたい

 今年はミュージカルを観る年にしたい。

 そんなふうに思った。

 

 先日、劇団四季の『マンマ・ミーア』を見に行った。父親を知らない少女が結婚式に父親候補3人を招待してみたら……!?というドタバタコメディミュージカルである。タイトルで分かるとおりABBAの楽曲を用いているのが特徴。

www.shiki.jp

 『マンマ・ミーア』を観るのは初めてではない。10年以上前、中学か高校のイベントで見たことがある。

 ここがすごい。

 公式ホームページには2002年12月に上陸と書いてある。ということは、劇団四季はもうかれこれ23年以上、このタイトルを上演し続けているというわけである。

 演劇というビジネスを成功させるためには、おそらくチケットを損益分岐点以上の枚数売ることが必要になってくる。

「何が当たるか分からない」

 これがエンターテイメントビジネスが向き合い続けねばならない問題である。

 企業に求められるのは勝率を上げる工夫である。

 劇団四季はこの問題に「集客力のあるタイトルを上演しまくる」という方法で立ち向かっている。

 『マンマ・ミーア』以外にも『ライオンキング』や『CATS』などロングラン作品は多い。

 ただし、これを行うためには、二つの壁を乗り越えなければならない。

 一つは、人間の壁である。

 人間は老いるし、病気にもなれば怪我もする。

 短期間の公演であれば、そのようなリスクが顕在化する確率はさほど高くない。が、長期間になればなるほど人間というリスクが顕在化する確率は高くなっていく。数十年の公演を一人の役者に依存して行うことは不可能と言ってよい。

 だから劇団四季はスターに頼らない。独特の演技法のメソッドがあり、専属の役者を多数抱えている。

 もう一つの壁が、会場の壁である。

 劇場の所有者にとって、劇場という資産を運用するに当たり大切なことは回転率である。できれば劇場を365日誰かに貸し続けたい。

 そうなると劇団四季が「この作品ヒットしたからもっと上演したいぞ!」と思っても、契約期間が過ぎてしまうと次の借り手に譲らざるを得ない。公演すれば確実に儲かるのに、諦めるしかない。

 この問題をクリアするために劇団四季は専用の劇場を持っている。

 劇団四季の直近の営業利益は33億円。コロナ禍が明けてからは毎年このくらいの水準で稼いでいる。

決算公告 | 会社概要 | 劇団四季

 参考として、東宝の演劇事業は34億円、阪急阪神ホールディングスのエンタメ事業は130億円(阪神タイガース含む。)、松竹の演劇事業は17億円。名だたる大企業と同等以上に稼いでいると言えそうである。

 

 『ISSA in Paris』というミュージカルもみた。

www.umegei.com

 HPを覗くとまず目に飛び込んでくるのは、主演のイケメン実力派俳優二人である。

 Introductionを見ると、モーリー・イェストン、高橋知伽江、藤田俊太郎、海宝直人、岡宮来夢と、売りとなるスタッフやキャストの名前を強調している。

 そう、こちらのアプローチは属人的なのである!

 20年以上上演している『マンマ・ミーア』と異なり、『ISSA in Paris』は新作のオリジナルミュージカル。

 その時点で劇団四季とは正反対の戦略を取らざるを得ない。

 タイトルに集客力がないからキャストの魅力で訴求する。キャストは四季のような常備軍ではなく傭兵集団である。

 劇場を長期間確保するのはリスクが高いから、日生劇場、梅田芸術劇場、御園座を1月に満たない期間だけ借りて公演を行う。

 劇の中身に着目すると、『ISSA in Paris』の方が圧倒的に豪華である。セットは大掛かりかつ多様だし、音楽は生演奏。ここにも新作オリジナル作品であるが故の努力が感じられる。(劇団四季ほど固定費がかからないというのも一因かもしれない。)

 対して、『マンマ・ミーア』は一つのセットの表裏を使っての演出。歌はもちろん生歌だが、それ以外の音楽はたぶん録音。全国どこでも上演できる仕様。簡素だが、それでも客を感動させられるという自信を感じる。

 ただ、セットが簡素だったのは今回の『マンマ・ミーア』が非専用劇場での上演だったからだ。これが例えば専用劇場での『ライオンキング』なんかだとセットはかなり豪華になるものと想像できる。

 

 このように、同じミュージカルと言っても、その作りは演目ごとに全く異なるのである。

 これは奥深えぞ……とオラは思った。

 たとえば、今度奥田いろはが出演するミュージカル『秘密の花園』は韓国からの輸入作だが、四季のディズニー系作品と違って集客力が保障されているとは言い難い。だから製作委員会方式や500席規模の劇場、半年の公演期間とリスクコントロールにかなり腐心している印象。

 林瑠奈が出演する『民王』は、東宝とテレビ朝日の共催。東宝の演劇運営ノウハウ&劇場×テレ朝のIP&宣伝力のシナジーを期待した事業だと想像できる。『秘密の花園』に比べるとリスクが低そうな気がする。実際、600席と劇場規模は少し大きめ。公演期間も1月と長め。比較的攻めている、が、『民王』というタイトルを考えると慎重な気もする。

 ……みたいに妄想が広がっていく。

 というわけで今年はミュージカルを観る年にしたいと思ったのである。

乃木坂46 14th YEAR BIRTHDAY LIVE 感想 

 乃木坂46の14th YEAR BIRTHDAY LIVEに行ってきた。

 チケットを応募するときは悩んだ。モチベーションが少し下がっていたからである。

 というのも、1月にあった6期生のスタ誕ライブは2日ともチケットが当たり、2月にはカップリングコレクションのチケット(しかもまたしてもプレミアム)が当たり、今年すでに3回もライブに参加している。ちょっとお腹いっぱいな気分になった。

 しかも、会場が東京ドーム、日程は平日。

 正直、東京ドームはそんなに良い会場ではないと思っている。これまでバックナンバーと櫻坂のライブで2回東京ドームを経験したことがある。どちらもスタンド席の上から何段目という位置だった。会場が広く、勾配が急。アーティストがかなり遠い。それでいて音響があまり良くない印象(バックナンバーの前に行ったSSAの藤井風のライブがかなり音響が良かったので、相対的にそう感じただけかもしれない。)。魅力的な点を挙げるならば交通の便が良いところだろう。

 とはいえ、以前書いたリアルミーグリの力でなんとかモチベーションが復活。応募したところ、19日と20日の2日間も当たってしまった。しかも19日はまたしてもプレミアムシート。初めて当たった時は二度と最前列など当たらないと思っていたが、1年も経たないうちに3回も最前列近くが当たってしまった。乃木坂のライブをステージの近くで見たいみなさん、のぎ動画に登録するのです。意外と競争率低いぞえ……。

 

 ただ、今回分かったのは、広い会場でのプレミアムシートはそれほど旨味がないということである。

 乃木坂のライブの良いところは、どの席でも近くで乃木坂ちゃんを見られる確率が高いことである。トロッコで巡回したり、スタンド席の中にお立ち台を設けてそこに乃木坂ちゃんが現れたり、さまざまな工夫でハズレの席の客でも幸せになれるように工夫が施されていることが多い。

 今回のライブでもアリーナには十字型にステージが配置され、アリーナ席が当たればどの席からでも乃木坂ちゃんを近くで見ることができたはずである。スタンド席前方ならば大型トロッコに乗ったメンバーがよく見えたに違いない。

 とはいえ、上述のとおり東京ドームは急勾配。スタンド席上方からスタンド席真ん中あたりを見てもかなり遠いし、移動中に転んだりしたら大変なことになる可能性がある。となると、客席にお立ち台を設けたとしても、絶対に遠くから眺めることしかできないエリアが生まれる。(実際、櫻坂のライブではメンバーを近くで見ることなどできなかった。)

 なんと乃木坂はこの問題に対して一つの回答を出す。気球である。気球に乗ったメンバーが天井界の客に会いに行くという演出。実際のところ最上エリアにいた客が満足できる距離だったのかは分からないが、「ハズレの席を作らない」というスタッフの意気込みを感じた。

 このようにして、乃木坂は広い会場全体を満遍なく満足させるライブを作ろうとしていたのである。素晴らしいライブだったのではないだろうか。

 だが、言い換えると、最前席が常に最前席であるとは限らないということでもある。普段ならばそれも大した問題にはならないのだが、東京ドームほど広い会場ともなると、メインステージを空ける時間がけっこう長くなってしまう。

「ここ、プレミアムシートだよな……? 料金ちょっと高いよな……?」

と内心思わなかったといえば嘘になってしまう。

 20日もアリーナ席が当たったのだが、そちらの方が十字部分に近くて良かった気がしなくもない。噴射された金テープも19日はお裾分けしてもらったけど、20日は手に余るほど降ってきたし……。

 無論、乃木坂に最前席を優遇するようなライブをしてほしいわけではない。ただ、次回はプレミアムじゃなくてもいいかもしれないという教訓を得たという話である。(だからプレミアムシートはよく当たるのかもしれない。)

 

 ライブ本体の感想は手短に書いていく。乃木坂のライブが名曲揃いで素晴らしいのはいつものことなので、一点だけどうしても書きたいことだけ書いておく。梅さんの卒コン感動したとか、『Actually…』のアルノと『ごめフィン』のさくちゃんにはいつも心踊らされるわねえとか、書こうと思えば書けることはいくらでもあるのだが、長くなるので割愛する。

 ただ一個だけ伝えたいこと、それは……

 火炎放射は熱い!

 それなりに距離があっても一瞬で体感温度四十度ぐらいになる。ステージ上だともっと熱いだろう。みんな涼しい顔してるのが偉い。

 違う!

 伝えたかったのはそんなことではない!

 二日目の『Rewindあの日』『悲しみの忘れ方』である。

 圧倒的だった。

 それぞれ中西アルノと林瑠奈のソロ歌唱(と言っていいのか分からんが。)が存分に堪能できた楽曲。心が震えた。(奥田も裏方に徹しながら歌唱力がダダ漏れしていて、彼女がメインの曲があっても良かった。)

 合唱には合唱の良さがあるけれども、やはりソロにしかない良さもある。アルノや林のような実力のある子には、ソロでその技術、力強さ、個性を表現させてあげる場が絶対に必要なのよ。

 ライブは全員で作り上げるものだからソロパートをもっと増やしてとは言わないけどさ、これを楽しめるのがライブ当日とリピート配信の二日間だけってのは勿体なさすぎないですか。運営さん。来年のソフト発売までお預けってひどくないですか。運営さん。

 切り抜いてYouTubeにアップしてほしい。切実に。メンバーの才能をライブ会場とTBSチャンネルに封じ込めていていいと思っているのかと私は問いたい。ライブバージョンを音源化して配信せんかいって話なんですわ。

 ソニーが4.5万曲の版権取得したなんてニュースになっとりますけども、ソニーの営業利益の3割は音楽部門が稼いでるなんて言うとりますけども、その足元ではこんな風に貴重な音源が死蔵されてるんですわ。

 なんだかだんだんイライラしてきたぞ。

 まあ、それくらい中毒性のある歌声だったということなのです。

Geminiで音楽を作ってみた

 昨晩、寝る前の手なぐさみにGeminiで音楽を作成してみた。

 できた楽曲がこちら。

gemini.google.com


歌詞

ままままーん
ちちちちーん
おべぺぺぺぺ
ぱおっぽおっ
なんなんなんなん
花は咲く
およよよよよ
ほへーん
はへーん
夏が来る

 

 すごい。

 いかれた歌詞なのにめちゃくちゃいい感じの曲に聞こえる。

 なんというか、子どもがオノマトペで遊んでいるような風情がある。

 急にさしはさまれる理性、「花は咲く」が全体を引き締めている。

 「花は咲く」があるから全体にも何か意味があるように思えてくる。

 花ってすごい。

 岩井俊二はそれを知っていたんだ。

 

2曲目

gemini.google.com

歌詞

昔、陳勝という男がいた

それはそれは大昔

陳勝という男がいた

2000年以上前の話

陳勝という男がいた

卑弥呼よりも前のこと

陳勝という男がいた

ソクラテスよりは後の時代

陳勝という男がいた

 

 「陳勝という男がいた」と「どのくらい昔の話なのか」をひたすら繰り返してるだけなのにめっちゃいい感じだ!

 手前味噌だが歌詞が良い気がする。

 人間にとって「過去を思い出す」ということはそれ自体がエンターテイメントだ。

 だから「陳勝がどんな男であるか」よりも「陳勝という男が過去にいた」という事実の方が人間の本能を刺激するのである。

 それを繰り返すと楽しい。

 作詞者はそのことを知っていたに違いない。

 いや、私なんですけど。

 単に陳勝のことをほとんど知らないから時代感しか書けなかっただけですけど。

 理屈と膏薬はどこにでもくっつくとはこのことですね。

 ソクラテスのくだりが入ったバージョン↓

gemini.google.com

 

3曲目

gemini.google.com

歌詞

雷鳴が鳴り響いた

たいていはやりすごした

でも今日はダメみたいだ

目を覆う手に涙

君がいないから

ひびが痛い肌

 

 韻を踏みたいだけの歌。ちょっと真面目風味&テンプレ感があって面白みに欠けるがこれも嫌いじゃない。韻ってすごい。

 

 どんな言葉も素敵に聞こえてくる。音楽ってすごい。楽しい。

 ただAIに指示しただけだけど、それでも自分の曲だって感じがして思い入れが生まれるからか、何回も繰り返し聴いてしまう。

 アーティストもこんなふうに自分で作った楽曲を聴いているんでしょうか。さぞかし楽しかろう。

心を安定させる方法

 会社の同僚に心を安定させる方法を聞かれることがある。

 どうやら私は外から見ると常に落ち着いて見えるらしい。実際にはそんなことはなく、ちょくちょくプチギレしたりしている。が、外にはそれほど伝わっていないらしい。

 世の中には気分の波が激しい人がいる。そういう人に比べれば、たしかに私の心は安定している方なのかもしれない。

 私からアドバイスできることがあるとすれば「あんまり妄想しすぎない方がいいですよ」ということぐらいである。

 だいたいの悩みは妄想から生まれる。事実をありのままに見つめることができず、無駄に解釈をして自分を苦しめている。

 

 以前、こんなツイッターまとめを見かけた。

togetter.com

 おそらくハンバーガー店の店主であろう人物が嘆きのツイートをしている。

僕のハンバーガーのトレードマークと言っても過言ではない飛行機のピック。これが驚くほどの勢いでなくなっていく。こだわっているので原価一本1300円。なくなる(盗まれる)度に心も懐も痛い。これ、普通に見て「持って帰っていいもの」と思うのか。「常識」とは何かがわからなくなってきている。

 これが無駄な妄想で自分を苦しめている人間の例である。

 この人物の眼前に存在するのは「原価1本1,300円のピックを持って帰ってしまう客がしばしばいる」という事実である。

 であるならば、彼はピックの持ち帰りを防ぐ施策を粛々と行えばいいだけの話である。

 それにもかかわらず、なぜか彼は懐だけでなく心までもを痛めてしまう。痛め果てた末にツイッターに投稿して物議を醸してしまうのである。*1

 彼の心が痛む原因は、「原価1本1,300円もするこだわりのピックを持って帰っていいなどとは思わないのが常識であり、そのような常識をすべての客が共有しておくべきである」という妄想である。

 その妄想に起因して、「世の中には常識のない奴らが多すぎる!」「悪いことだとわかっててやってんのか?」「それとも俺の常識が間違っているのか?」「俺がバカなのか?」などといったまた別の妄想が派生していると推測をする。

 そのような妄想はやめて、「この世界にいる80億人や日本にいる1億2千万人の間で一定の価値観を共有できるとすればそれは奇跡に近いことだ」と考えることができたならば、彼の心の苦しみはすべて溶けてなくなるのである。(おおげさに言っています。)

 

「デートでは男が奢るのが当たり前」

「月謝の支払いにはピン札を使うのが常識」

「40本入りのペットボトルの箱なんか持ち運べるわけないじゃんか」

 SNSを沸かせてるのはだいたい妄想である。妄想と妄想がぶつかりあっている時などは不毛の極みである。

 人間の苦しみの根源にはだいたい妄想がある。

「普通」

「当たり前」

「常識」

「〜なわけがない」

 こういうワードが頭をよぎったら、自分が妄想に囚われていないか顧みた方がいい。

 これは「期待しない」ということでもある。「この人はこういうことをしてくれるに違いない!」「悪いことが続いたから良いことがあるはず!」みたいな期待も妄想である。

 

 また、「あの人は私に怒っているんじゃないか」「あの人に嫌われているんじゃないか」みたいなことを考えてドキドキすることもあるだろう。

 それもまた妄想である。

 もちろん実際にその予想が的中することもあるだろう。が、不確定な状況で妄想を広げることにはなんら意味がない。

 状況を確定させたり、悪いことが起きた場合に備えてなんらかの対策を打ったりすることができるならすればいいが、それができない(またはそれをすることが苦しい)から悩んでいるのだろう。それならばスッパリ妄想はやめてしまった方がいい。

 

 上にも書いたとおり、私の精神が本当に安定しているかといえばそんなことはない。なので、私もしばしばイライラしたりはしている。そういうとき「今妄想しているな」と思えば、ある程度は対処できる。

 それでも妄想が止まらないこともある。妄想しないということは人間にとって極めて難しいことだ。

 そういうときは妄想よりも心奪われる何かに取り組むのがいい。筋トレでもするのがいいんじゃないか。

 ちなみに、上記のような考えを私が抱くに至ったきっかけが↓の本である。妄想をしないためのトレーニングとして坐禅をするのもいいかもしれませんね。

*1:もちろん、実際には適切な施策が思いつかないからアイディアを募集したい、または世間の声を募りたいという極めてビジネスライクな思惑に基づくツイートである可能性も十分にある。あるいはおしゃれなピックを使っているハンバーガーの巧妙な宣伝かもしれない。が、ここでは話を分かりやすくするため、彼が実際に心を痛めているものとしたい。

ユニクロを封印して、2万円のシャツを買ってみた。

 昨年から「ユニクロ以外で月に1回服を買う」という制約を自分に課している。

ルール設定の経緯

 7年前に複数の会社のワイシャツを買って比較してみたことがある。

  • ハルヤマ
  • オリヒカ
  • ユニクロ

 価格帯はいずれも同じくらい(たぶん四千円ぐらい)で揃えた。

 結果、ユニクロのワイシャツが圧倒的に滑らかな手触りで品質が良いと感じた。オリヒカはなんかゴワゴワしてるし、ハルヤマはなんか分厚くて体操着みたいだった。それに比べたら、ユニクロのワイシャツはまるでシルクのように思えた。

 それ以来、「コスパならユニクロが最強」が私の中で定説となっていた。だからもっぱらユニクロで服を買っていたのだが、いつしか、なんだか面白味がないなという気分になってきた。

 そこであえて「ユニクロで買わない」という制約を設けてみた。

 これはコストパフォーマンスのうちパフォーマンスを重視して服を買おうという試みだ。これによって今まで見えていなかったものが見えてくるのではないかと期待したのである。

 許容するコストの範囲を広げるということになるが、そうなればケチな私は服を買わなくなる。だから「月に1回買う」というルールにした。

取組み

中古のハイブランドに手を……出さない

 私はファッションにうといのでとりあえずハイブランドを体験してみようと考えた。ハイブランドならブランド名だけで威圧できそうという発想である。

 しかしハイブランドとなると、1アイテムに数十万かかるのが普通になってくる。これはさすがに広げた許容範囲すら超えてくる。そこで中古で買おうと考えた。最寄りのワットマンに行ってみたところバーバリーのトレンチコートを発見。が、サイズが少し大きく思えたのでこれはスルー。それに、中古の服にはなんとなく魅力を感じなかった。

 メルカリなども検討したが、メルカリの残高もそんなにないし結局ハイブランドはやめることにした。

AIに相談だ

 というわけで、地道に勉強することにした。勉強の手段は三つである。

  • 雑誌
  • AI

 ただ、ファッションに関して本はあまり役に立たない。そもそも書籍がほとんどないのだ。本当に知識がゼロならば、MB氏の本を読んでドレスとカジュアルという概念を獲得するのは良いと思う。

 ファッション業界のメインメディアは雑誌だ。私はNetflixではなくU-NEXT派なのでファッション雑誌は無料でいくらでも読める。というわけでたまに眺めてみたりしている。ファッション雑誌に掲載されている服は基本的に馬鹿高いので、掲載されている服を買うわけではない。アイテムそれ自体を探すというよりは、買うべきアイテムの方向性を探すというイメージ。『Safari』あたりに「青シャツは万能」と書いてあったら青シャツについて調べるといった使い方だ。

 一番お世話になっているのがAIである。「このブランドってどういうブランドなの?」「このトップスにはどんなボトムスを合わせると良いと思う?」「青シャツは万能ってほんまでっか?」「なんでサンタコスは可愛いの?」みたいになんでも聞ける。すごい時代である。

 AIとの対話の中で、ポロシャツの起源はラコステのL.12.12だという事実を知る。これは面白いと思った。L.12.12を買えば、定番のポロシャツが手に入ると同時に、ポロシャツの歴史に触れることができるのである! というわけでフレッドペリーのM12とあわせて買った。ラコステはフランスのテニスプレイヤーで、フレッドペリーはイギリスのテニスプレイヤー。両者を買うことでフランスとイギリスの違いも垣間見えるのではないかと思ったのである。

 そんな感じでスタートした。

結論

 こうした取組みの中で得た結論は、「高い服は良い」ということである。

ブルックスブラザーズに感動

 ある時、セールをやっているのを発見して、ブルックスブラザーズのドレスワイシャツを買ってみた。一応説明しておくと、ブルックスブラザーズは世界最古の紳士服販売店で、アメリカを代表するブランドの一つ。

 9千円で買ったが、定価は2万円。ユニクロの5倍である。果たして、そのクオリティやいかに?

 結論、四千円のワイシャツとは別物だった。

 生地には厚みがあるのだが、ハルヤマのような体操服感は皆無。厚いのに繊細さも兼ね備えている。少しざらっとした手触りなのだが、オリヒカのようなゴワゴワ感はなく触り心地がよい。

 一番感動したのは色である。ブルーのチェックシャツを買ったのだが、発色が明るい。スーラの点描画を想起した。絵の具は混ぜるとくすんでしまうのだが、混ぜるのではなく隣り合うように色を置くと鮮やかな色彩を表現することができる。おそらく白・薄いブルー・濃いブルーの細かいチェックが点描法と同じ効果により鮮やかなブルーを生み出しているのだ。

 もはや絵画を身に纏っている気分である。良い服は着るとちょっとだけテンションが上がる。これから仕事が待っているのに、仕事中なのにテンションを上げられるという奇跡。

 これはユニクロのワイシャツでは得られない感動であった。高い服は気分が良くなるのだ。コスパは大事だが、尺度がそれしかないのは少しもったいないかもしれない。

 ちなみに、パソコンの画面からだとブルブラのシャツの魅力は全然伝わってこない。実際に見て、着てみないと分からない。ファッションは難しいぜ。

(余談だが、ブルックスブラザーズジャパンの親会社はダイドーリミテッド、日本の会社である。だからかは分からないが、ほかの海外ブランドに比べるとブルックスブラザーズは日本人にも合うサイズ展開となっている。)

ファッションど素人は仕事着から始めるのがいいかも

 ここまで書いてきて思ったが、かつての私のような万年ユニクロ勢(♂)がファッションにお金をかけるならば、最初は仕事用のワイシャツに投資するのが良いかもしれない。

 なぜなら、仕事用のワイシャツは頻繁に使うからだ。休日用の服は休日に気合いを入れたい時しか着ない。しかし、仕事用のワイシャツならば毎週使う。

 仮に2万円の服を買ったとして、休日用の服は年に5回も着ないかもしれないが、仕事用の服なら30回ぐらいは着る。そうだとすると1回あたりのコストは仕事着の方が断然低いのだ。一方で、1回当たりの効用は変わらないのだから、トータルの効用は着用回数の多い仕事着の方が大きい。

 しかも、仕事用のワイシャツの場合、失敗する可能性が低い。スーツにワイシャツを合わせてダサくなることはまずないからである。サイズにさえ気を付ければよいのだ。これほど簡単な買い物はない。

 仕事着に金を掛けるのは圧倒的にコスパが良い! ユニクロというコスパを離れつつ、コスパを実現することもできるのである。