たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

人生の三大出費は住居・教育・老後ですか?

今週のお題「人生で一番高い買い物」

 

 「人生 三大 買い物」で検索すると、トップ20のサイトに軒並み出てくるのが

  • 住居費
  • 教育費
  • 老後費

の三つである。どうやら人生三大出費といえばこれ!というくらいの定番らしい。たぶん何かの教科書にこれが書いてあるのであろう。

 この三つ+αをお題として取止めもないことを書いていく。

住居費の本質はリスクである

 住居費に関してはたしかにうなずける。生涯の出費に占める住宅関連費の割合がそんなに高くないという人は間違いなくリッチマンリッチウーマンである。私の今の家は家賃5万円くらいだが、年間で60万円。50年住めば3000万円もかかる。う~ん、引っ越そうかな。

 「持ち家か賃貸か」という議論がよくある。持ち家のメリットとしてよく挙げられるのがトータルでは安いとか資産になるとか改造が自由とかいったことだ。賃貸のメリットは引っ越しやすいとか修繕費を払わなくていいとかなんとか。

 だが、これらの要素は全て一つのことに集約することができる。リスクだ。「持ち家か賃貸か」という問いは「リスクを取るか取らないか」という問いとイコールだ。

 住宅、つまり不動産は資産だ。資産を持つことにはリスクがある。どんな資産にも付き物の値下がりリスクがあるし、不動産の場合は、近隣にヤバい奴がいるリスク、他の土地に住む必要が生じる(あるいは住みたくなる)リスク、天災リスクといろいろなリスクがある。不動産はそう簡単に売れないのもポイントだろう。

 賃貸にはそういったリスクはない。近隣にヤバい奴がいたら引っ越せばいい。天災で家がぶっ壊れたら引っ越せばいい。土地の価格が下がることはむしろ好都合だ。引っ越すのは多少手間だが、不動産の所有者が不動産を売却する手間に比べれば些細なものに違いない。

 しかし、リスクあるところにリターンが生まれる。賃貸するために不動産を取得する者は必ずコストを上回る家賃収入を求める。借りる側は上に挙げたようなリスクを背負いたくないから、その家賃に同意する。よって、賃貸物件に住むことは必然的に持ち家に住むよりも高くつく。

 問題はリスクをいかに評価するかである。これはもう個人の感覚によるので、一歩脇道に逸れて、リスクを下げる方法はないか?を考えてみたい。

 一般人が不動産所有リスクを下げるには「よ~く吟味する」しかない。この地域に将来性はあるか? 大災害に見舞われる確率を高める要因はないか? 素人には限界があるから、信頼できる不動産屋を見つけることも大事だ。そうなってくると、その不動産屋が本当に信用できるのか?ということもよ~く吟味する必要が出てくる。結局、最後は直感に頼るしかない。

 だが、ファンダメンタルズ分析よりもインデックス投資の方がリスクが低くリターンが高いなんてのはもはや株式投資では常識だ。インデックス投資とは、言い換えれば、分散投資である。ファンダメンタルズの鬼、ウォーレン・バフェットだって分散投資をしている点は変わりない。分散投資は投資の王道。不動産でも同じことが言えるはずだ。

 吟味して一つの土地に投資するよりも、いくつかの土地を分散して保有した方がリスクは低くなる。あるいは、一つの土地にマンションを建ててたくさんの人に貸し出すという手法もある。これには借りる側にもメリットがある。小さな部屋さえあれば十分ですという人がわざわざ余分に広い土地を買ったりする必要がなくなるからだ。

 投資のためではなく住むために不動産を買おうとしている人にとっては何の話だ?と感じられるかもしれないが、本質は投資用だろうが居住用だろうが変わらない。リスクを取って持ち家を買えば、平均的には賃貸よりも安上がりで済むはずだ。ただ、庶民は居住用不動産として一つの不動産しか買えない。だから、居住用不動産を購入するということは不動産保有リスクを負い、かつリスクを分散することもできないということなのだ。

 「持ち家か賃貸か」という話題は、そのリスクをどう評価するかどうか次第なのである。結局はよく言われるメリット・デメリットをどう考えるか、と同じ話なのだが、少し見え方が変われば幸いである。

教育はスタートアップだ

 教育は不動産とは全く違うゲームになってくる。

 子供を持つことにもリスクがある。子供によってかかる金は違う。真っ当に育ってくれる場合もあれば、ヤバい奴に育つ可能性もある。だが、子供を賃貸借することはできない。売ることもできない。金のかかる無謀な夢を子供が抱き始めたからといって、金のかからなそうな別の子供に乗り換えることはできないのだ。

 子供が欲しければ、子供を持つというリスクを背負うしかない。子育てにまつわるリスクを回避する方法を強いて挙げるなら、すでに立派に育った子供を我が子とするのがベストに違いない。自分でスタートアップを立ち上げるより、M&Aの方が安全で確実というわけだ。親と結婚するのもいいし、里親になるのもいいし、M&Aの手法は様々だ。あなたがどこかの王国で頂点に立ちたいなら、娘を皇太子に嫁がせるのが手っ取り早い。

 とはいえ、世の中の大多数はM&Aを選ばない。むしろリスクを背負うことが子育ての醍醐味だと考える人の方が多いに違いない。スタートアップには夢と愛が満ち溢れているM&Aにもそれらはありうるが)。

 教育費の大半を占めるであろう学費に注目してみる。公立の学校であれば小学校から高校まで年間10~30万円程度らしい。安っ! 家賃に比べて安っ! しかも期間限定。

 ところが私立の中高一貫校になると年間60~70万円の学費がかかる。さらに私立の学校に通わせるためにはたいてい塾に行かせる必要が出てくる。

 だが、私立の学校にはそれだけの価値がある。なにせ東大合格者数上位の高校はほとんどが私立だ。教育力があるかどうかは分からないが、優秀な同級生に恵まれているのは確実だ。とはいえ、あなたの子供がお笑い芸人になりたい!と思ってしまったら、この投資はあまり意味を成さないかもしれない。

 学費の安さと教育の質を両立させる方法もある。中高は筑駒、大学は東大にぶちこむのだ。エリート街道を最安で歩める。最高だ。交友関係の多様性を確保したいなら、中学までは平均的な公立に通わせて、高校は日比谷高校や翠嵐高校というのがバランスが取れているかもしれない。子供が優秀で、あなたが正しく導ければ塾に通わせずにそういうルートを辿らせることも不可能ではない。大学は地元の国公立で十分だというのならば、さらに現実味が増してくる。

 ともかく、教育にはお金をかけようと思えばいくらでもかけられるし、節約しようと思えばかなり節約することも可能だ。参考に文部科学省の学習費調査結果を貼っておく。

https://www.mext.go.jp/content/20191212-mxt_chousa01-000003123_01.pdf

 幼稚園から高校まで全て公立なら15年間の総額が541万円。全て私立なら1830万円。実に三倍以上の開きがある。にも関わらず、費用対効果が必ずしも釣り合うとも限らない。何が正解か分からない。

 教育は投資ではなくスタートアップだ。そもそも家族がスタートアップだ。よく「主婦の仕事を時給に換算すると~」という論があるが、あれは根本が間違っている。主婦は従業員ではない。共同経営者なのだ。

 マイケル・ポーターによれば、企業経営における優れた経営戦略は以下の五つの条件を備えている必要がある。

 最も重要なのは特徴ある価値提案だ。最高を目指す競争は消耗するだけ。独自性を目指す競争こそが勝利の鍵だ

 これ以上はやめておくが、とにかく教育費には親の価値観が色濃く反映されるし、それが全てだと言っても過言ではない。

老後は老後の問題じゃない、今をどう生きるかだ

 老後費って……

 いやこれってただの生活費ですや~ん。

 ただの生活費ですや~ん。

 生活費ですや~ん。

 要するに、若い頃から倹約生活を心がけている人は、老後費も少なくて済む。若い頃から倹約生活を心がけていれば貯金も多くなるはずだが、老後に備える必要のある貯金は少なくなる。そして若い頃から健康な生活を心がけている人も、老後費は少なくて済むはずだ。

 若い頃の小さな差が、年老いた頃には大きな差になる。老後費を抑えたければ今どう生きるかを考えるべきだ。

保険料

 さて、住居費・教育費・老後費というラインナップを見て、「あれ?」と思った人も多いはずだ。人生で二番目に高い買い物といえば、生命保険じゃないのか?と。

 検索キーワードが悪いのかもしれないが、保険料を掲載していたサイトは少なかった。下は数少ないサイトのうちの一つだ。

kurashinista.jp

 なぜ保険料に言及するサイトが少ないのだろうか? その秘密はこの人生三大出費を紹介する動機にある。

 検索上位のサイトがなぜ人生三大出費を紹介しているかというと、訪問者に将来の備えをさせるためである。

 「教育費はたけぇぞ~!」と言って、読者がビビってくれれば、「だから学資保険に加入しましょう!」とつなげることができる。「老後費はたけぇぞ~!」と言って、読者がビビってくれれば、「だから養老保険に加入しましょう!」とつなげることができる。「住居費はたけぇぞ~!」と言って、読者がビビってくれれば、「だから専門家に相談しましょう!」とつなげることができる。

 そう、全てはビジネスなのである。

 「生命保険はたけぇから入んねぇ方がいいぞ~!」と言って、読者がビビってくれても、儲かることは稀だ。だからウェブ上にはそういう情報はあまり掲載されない。

 自動車も同じことである。「自動車はたけぇから買わねえで電車に乗れ!」と言って儲かるのは鉄道会社くらいである。

 逆に言えば、「生命保険はたけぇから入んねぇ方がいいぞ~!」と主張することで儲かる人はウェブ上では見つけにくい情報をくれる。たとえば出版社とか。私は下の本を読んで勉強した。

 著者はライフネット生命保険の創設者だが、ライフネット生命保険がまだ上場していない頃(2009年。ライフネット生命保険が営業を開始して翌年)の本だ。それだけに従来の生命保険に対する苦言が赤裸々に詳しく書いてある。

 

 人生には様々なリスクがある。避けようがないリスクもあれば、代償にリターンを得られるリスクもある。しかし、知識があれば簡単に無にできるリスクもある。たとえば、無駄な生命保険に入ってしまうリスクとか。情報源は分散しているほど多様な知識にアクセスできる(そんな気がする)。

 人生から余計なリスクを取り除く方法の一つは自分自身を教育することだ。それは老後になってからやることではない。今すぐやるべきことだ。それが老後を左右するに違いない。

 

 ちなみに、このブログはビジネスではない。上のリンクを踏んでも私には一銭も入らない。広告を踏んで儲かるのは、はてなブログだけだ。私に報酬があるとすれば、アクセスが増えるとなぜか嬉しいくらいのものである。

 

 教育のところでポーターに触れたが、ポーターについては下のページで書いている。

weatheredwithyou.hatenablog.com

幼き頃からごっこ遊びにハマり続けている

今週のお題「何して遊んだ?」

 

 幼き頃はとにかく「ごっこ遊び」をすることが多かった。

 幼稚園では『ドラゴンボール』のキャラになりきって戦いごっこをしていた。ないはずのかめはめ波がまるで本当に存在するかのように幼児たちは吹き飛ばされていった。家ではガンダム消しゴムやらなんやらを使って姉と人形ごっこをしていた。姉がレゴブロックで作った舞台を私が破壊するのでよく怒られた。姉に漫画を読んで聞かせることもよくやっていた。中学受験を控えて勉強していた姉は激怒していた。

 ちなみに、ごっこ遊びでは下記の6つの力が身につくそうだ。*1

  • 他者の視点から物事を考える能力
  • 創造力
  • 表現力
  • 協調性
  • 観察力
  • 社会性

 なんだこれは。社会人にこそ求められる能力ではないか。全人類がごっこ遊びをすべき。

 それにもかかわらず、小学生くらいになると人前でごっこ遊びをすることはなくなっていく。中学生くらいになると漫画の朗読もやらなくなる。(とはいえ、このくらいの時期はやたらと大人ぶった物言いをしたくなる時期である。これをごっこ遊びの延長と言えなくもないが、遊んでいるという感覚はあまりないだろう。)

 じゃあ真似をすることへの情熱の炎がすっかり消え失せたかというと、そんなことはなく、ふとした拍子に復活したりする。高校生の頃、友達に誘われて壁になりきる遊びに興じたことがある。壁にぴったり張り付いて一切の感情をなくすのだ。一種の瞑想のようなものだと思ってもらえばいい。これはなかなか楽しかった。ぜひやってみてほしい。壁から見た世界を体験できるはずだ。一人でやっていたら奇異の目で見られるかもしれないが、複数人でやれば現代アートになるかもしれない。

 さすがに最近はごっこ遊びをすることはめっきりない。社会人にもなると、すべてがガチである。疲れて帰ってきた旦那もどきに泥だんごを食べさせている暇があったら、婚活して結婚して本当の料理を共に食らうのが大人という生物なのである。それをどう評価するかはさておき、無意味に何かを演じる時間という遊びは人生からどんどん失われている気がする。個人的には、なんだか人間として衰退していくような感じがする。少し寂しい。

 そんなことを考えながら、YouTubeで動画を見ていた。


www.youtube.com

 サムネイルだと浜辺美波のような、動くと夏菜のような美女だが、これは緑黄色社会というバンドのボーカルである。美貌に反して(?)、かなりの実力派だ。

 第一声。「いつもと」の発声だけで、ハッとさせられる。この時点で上手い。一番をまるまるアカペラで歌い上げる。朗々とした歌声に引き込まれる*2。テクニックは多彩で、ウィスパーボイス、ファルセット、エッジボイスの使い分けは自在だ。歌声一つで豊かな世界を作りあげてしまう。なんという歌手だろうか? 二番から入ってくるギターの演奏も痺れる。ハーモニクスが( ・∀・)イイ!! 心が滾る。

 気付くと、自分も歌っていた。Shoutしていた。お腹を叩きながら。そーれーでーもーぉ!!!

 良い曲を聴くと、自分でも歌わずにはいられない。女性歌手の歌だから男子の私に完璧に歌えるわけもない。およそ他人に聞かせるには値しない歌、まさにごっこ遊びである。だがこれが楽しいのだ。

 そうか。私は無意識のうちにずっとごっこ遊びにハマり続けていたのだ。歌い続けるかぎり、Babyの頃の情熱は消えていない。6つの力を育てていこう。

2013年に読みたかった『2016年の週刊文春』

 前回、『フェルマーの最終定理』や『暗号解読』のサイモン・シンがなぜ面白い本を書けるのかについて考えた。その秘訣は三つだった。

  • 歴史を描いている
  • 人を描いている
  • 難題を描いている

 これが奥義であるという確信を私はさらに深めるに至った。

 『2016年の週刊文春』には文藝春秋社の100年近くに及ぶ歴史が描かれている。

 月刊『文藝春秋』は1923年1月に発行された。発起人があの菊池寛であることは有名な話だが、これは菊池寛が作家としてだけでなく編集者としても一流であったことを示している。とはいえ、経営者としての適性もあったかといえばそうではなく、文藝春秋社の経営を実質的に担っていたのが佐佐木茂索(ささきもさく)だった。第二次世界大戦を境に菊池寛文藝春秋から手を引くが、佐佐木茂索池島信平らの後押しを受けて文藝春秋を率い続けた。

 1959年4月、佐佐木茂索は社内の反対を押し切って『週刊文春』を創刊する。三年前に創刊された『週刊新潮』の成功を受けてのものだった。当時、週刊誌は新聞社が発行するものであった。新聞社は全国に記者を配置し、連日連夜各家庭に新聞を届ける流通網がある。出版社にはその全てがなかった。それにも関わらず、天才・斎藤十一率いる『週刊新潮』はすべての障害をクリアした。新潮にできて文藝春秋にできないわけがない。『週刊文春』はこうして始まった。

 才能ある編集者たちの努力で成功を収めていく『週刊文春』であるが、その栄光がピークに達したのは花田紀凱(はなだかずよし)編集長時代だ。花田は編集長になって最初の半年で平均実売部数を前期より4万部以上伸ばした。1988年下半期の557,332部は『週刊新潮』を上回る数字だった。創刊三十年にして初めてのことだった。

 その後も快進撃は続き、1991年上半期の実売部数は668,469部。『週刊新潮』に15万部以上の大差をつけていた。下半期には683,529部を記録し、ついに総合週刊誌のトップに立つ。1993年上半期には766,897部にまで到達。

 しかし、皇室関係の記事が批判を受けるようになり、花田紀凱は1994年4月に『週刊文春』を去ることになる。異動先は『マルコポーロ』だった。花田は『マルコポーロ』を3万部から12万部まで伸ばすが、1995年1月、あのマルコポーロ事件が起きる。社長が辞任に追い込まれる大事件をきっかけに花田は閑職に追いやられ、翌年、文藝春秋を去ることを決める。

 それから『週刊文春』はジリジリと部数を下げていくことになる。バブル崩壊リーマンショック、インターネットやスマホの台頭が追い打ちをかけた。2010年以降、部数が50万部を超えることはなくなっていた。新谷学が『週刊文春』の編集長になるのは、そんな2012年のことだった。

 新谷は徹底したスクープ主義を貫いた。予算の減少や訴訟リスクの増加の中で『週刊ポスト』や『週刊現代』はすでにスクープ競争から下りていた。新谷は『週刊文春デジタル』を始めるなど、デジタルシフトも推し進めた。

 新谷の『週刊文春』はスクープを連発したが、部数の減少は止まらなかった。2015年の部数は416,890部。40万部を割るのは時間の問題だった。10月、新谷学は社長から3ヶ月間の休養を言い渡されることになる。

 休養が明けてからは凄かった。新年一発目はゲス&ベッキー。間髪入れずに甘利明の贈収賄。宮崎謙介不倫、元少年A直撃、ショーンK、舛添要一公費濫用、内田茂黒歴史SMAP解散のきっかけとなったインタビュー……。これだけのスクープを報じながら、訴訟になることはなかった。それだけ物証を揃えていたし、取材対象の言い分も掲載していたということだ。2016年は『週刊文春』の年だった。

 成功はいつまでも続かない。2017年には売上はまた減少した。しかし、2016年で「スクープといえば『週刊文春』」というブランドは確立した。デジタルシフトが加速し、デジタルは新しい収益源となりつつある。

 来年、創立100周年を迎える文藝春秋は今、転換期に立っている。

 

 『2016年の文藝春秋』には文藝春秋の歴史が書かれている。それはたくさんの個性あふれる才人たちによって紡がれた物語である。そこには出版不況の中で雑誌社がいかに戦うべきか?という難題が内包されている。それはジャーナリズムとはどうあるべきか?という問いでもある。記者クラブの閉鎖性、取材対象との癒着、記者の匿名性などはしばしば議論される話題であるが、文藝春秋のあり方はここに一つの答えを出している。

 さらに面白いのは、一民間企業の歴史にすぎないにも関わらず、それが社会史でもある点だ。AppleAmazonといった大企業の歴史ももちろん世界中の人に大きな影響を与えているわけだが、文藝春秋の歴史は日本人の記憶と強く結びついている。

 やはり2016年は格別だった。私が『週刊文春』を初めて買ったのもこの年で、甘利明の不祥事に関するレポートに感動したことを覚えている。誰も知らない権力者の悪事を暴き出す。確かな物証を添えて。真のスクープとはこういうものだと思った。世間では、スクープそのものだけでなく、『週刊文春』がなぜこれほどスクープを連発できるのかということさえもが話題の的だった。

 

 ブロガーにとっては勉強になることも多い。

 おそらくほぼ全てのブロガーがぶち当たる問題がネタ切れだろう。週刊誌にとっても、この点は課題だ。週に一回、440円で数十万人に販売する雑誌を休みなく作り続けるのだからプレッシャーはブロガーの比ではない。数百人の社員の生活がかかっているのだからなおさらだ。ネタを生み出し続けるために必要なこととはいったい何なのだろうか? 答えはシンプル。人に会うこと。文藝春秋の社長にもなった田中健五の言葉は印象的だ。

お前のアタマなんかたいしたことない。貧弱な頭蓋骨が一個しか入ってない。外に出て一〇人優秀な人、新しい人に会えば、素晴らしい頭蓋骨が一〇個増えることになる。これをやらないと編集者は生きられないよ。

 社交性皆無の私にとっては聞くのも恐ろしい言葉である。

 プランとは何かについても書かれている。プランとは、タイトルであり、優れた疑問だと書かれている。この疑問に答えを出すのもやはり人、つまり取材対象だ。編集者は人間関係が全てなのだ。

 花田紀凱タイトルを付ける時に重要なこととして次の五つを挙げている。

  • 覚えやすいこと
  • 個性的なこと
  • 簡潔なこと
  • 他と容易に区別できること
  • 声に出して読んで響きがいいこと

 さらに体言止め(「〇〇の真相」や「〇〇の内訳」)は動きが出ないのでダメだそうだ。

 文章についても勉強になる話がある。著者は週刊誌記事の文章に求められる要件を次のように述べている。

  • 一瞬で読者を引き込むインパクトのある書き出し
  • 基礎知識がない読者を容易に理解に導く考え抜かれた構成
  • 簡潔で明快、リズミカルで物語性のある文体

 著者も『週刊文春』の編集者であったので、『2016年の週刊文春』もまさにこの文章によって書かれている。

 この本にはほとんど事実しか書かれていない。著者の考えは全体の1%にも満たないだろうし、やたら修飾された文は皆無である。『2016年の週刊文春』というタイトルにも関わらず、80%近くまで読み進めないと2016年にたどり着かない。

 だが私は読んでいて不満を覚えることは一瞬としてなかった。圧倒的に面白いからだ。1ページとして退屈な部分がない。素材の良さもあるのだろう。文藝春秋にはどれだけ面白い人間が集まっているのかと憧れを抱かずにはいられない。

 何を隠そう、私も学生時代に文藝春秋の面接を受けたことがある。グーグルマップで確認したが、場所はおそらく紀尾井町文藝春秋西館の地下。2013年のこと。事前に月刊『文藝春秋』を読んで挑んだが、なんの手応えもなく終わった。いつもどおりのことであった。付け焼き刃の準備で面接に堪えない用意をするのがダメ就活生の特徴である。

 当時の私はアニメが好きだったが、アニメ業界はブラックなのでアニメの原作になりうる出版社を志望していた。不純な動機であるが、文藝春秋を受けるに当たっては的はずれな動機でさえあったかもしれない。『2016年の週刊文春』を読めば、文藝春秋は出版より雑誌の会社だということが分かる。私は漫画雑誌以外の雑誌に何の興味も持っていなかったから(ほとんどの出版社は雑誌を重視しているにも関わらず!)、危うく採用されていたら大変なことになっていたかもしれない(杞憂)。

 ここから分かるように私は実績も企業研究も考えも全てが甘々のダメダメ就活生だったわけだが、当然、出版業界以外の面接にもことごとく落ちた。出版社は人気に対して門が狭い。数千人の志望者に対して採用されるのはわずか数人というのが相場だ。状況は今も変わらないらしい。私が出版社の面接を通過できるはずもなかった。

 自業自得だが、就活は私にとってトラウマとなった。文藝春秋もそのトラウマの一角を成している。しかし、『2016年の文藝春秋』を読んでいたら、就活生の特権を使って文藝春秋の敷居をまたげたことは良い思い出にも感じられてきた。ホテルニューオータニで筆記試験を受けたのも文藝春秋の採用試験だった気がする。あれも良い思い出だ。また、本書に登場する魅力的な編集者たちに憧れを抱く反面、多忙な週刊誌の編集者は(能力適性はもちろん)性格的にも自分には向いていないし、採用されなくて良かったと思わされる。そういうわけで『2016年の週刊文春』は私のトラウマを解消する薬にもなってくれた気がする。

 だいぶ話が逸れた。

 『2016年の週刊文春』は非常に面白い本だった。週刊誌編集者の凄みをこの本自体が体現している。これからしばらく教科書として『週刊文春』を読んでみようかと思う。本当なら9年前、文藝春秋の面接を受ける前にやるべきだったことだが、今からでも遅くはないに違いない。

わたしの戦闘力は400,000,000,000,000,000,000,000,000です

「面白くなさそうだ」と感じたら、それはチャンスだ。

あなたの知らない世界が待っているから。

英雄はこの世界に存在する。

あなたの知らないところで戦い続けている。

殊に暗号を巡る物語は舞台裏で起こっているから。

 というわけで、『暗号解読』を読みました。

 この本は暗号の歴史を書いたもので、暗号に関する一定の知識を得ることができます。

 こんなこと言われたら、「暗号について学びたいなー」と思わないかぎり普通は手に取らないし、「暗号について学びたいなー」と思う人はかなり少ないと思います。

 が、これは誰もが読むべき本だと私は主張したい。

 なぜならば、圧倒的に面白いから!!

 あなたは『鬼滅の刃』が好きですか?

 もしそうだとしたらきっと、それはそこに出てくる登場人物たちが紡ぐ物語に心惹かれるからでしょう。鬼と命がけで戦う鬼殺隊の姿に、煉獄さんを始めとした死んでいった者たちの思いを受け継いで戦う炭治郎たちの姿に胸を打たれるからでしょう。炭治郎が知恵を使って屈強な鬼たちに挑むのも醍醐味かもしれません。

 それはフィクションの世界にだけあるものではないのです。現実の世界でも同じような物語は繰り広げられているのです。

 そんな物語を描いているのが、そう、『暗号解読』なのです!

 ここに描かれているのは暗号という鬼と戦う暗号解読者たちの物語。あるいは暗号解読者という鬼と戦う暗号作成者たちの物語ということもできます。

わたしの戦闘力は400,000,000,000,000,000,000,000,000です

戦闘力……たったの5か……ゴミめ……

わたしの戦闘力は530000です。ですがもちろんフルパワーであなたと戦うつもりはありませんからご心配なく……

 鬼滅ベースでいくと見せかけておいて、『ドラゴンボール』の名言を持ち出すのですが、戦闘力が数値化されると少年の心は沸き立つものです。『幽遊白書』でも妖力が数値化されていました。

 暗号の強さも同じように数値化することができます。鍵の候補がどれだけあるかを調べればよいのです。シンプルな換字式暗号であるカエサル暗号の戦闘力を25だとすると、より複雑な単アルファベット換字式暗号の戦闘力は26の階乗、数値にすると400,000,000,000,000,000,000,000,000になります。日本語では400𥝱(じょ)と言いますが、これは4兆の1兆倍です。

 詳細は以下の記事で書いているので省きます。

weatheredwithyou.hatenablog.com

 この単アルファベット換字式暗号がラスボスかと思ったら大間違い。これは序盤のボスです。ドラゴンボール』でいえばピッコロ大魔王。『鬼滅の刃』でいえば、累(那田蜘蛛山のあいつ)くらいなもんです。

 カエサルを雑魚扱いするあたり中二病感がありますが、中二病ですら気が引ける数字を持ち出しちゃう。それが暗号ワールド。

 この後に出てくるヴィジュネル暗号やエニグマは、この単アルファベット換字式暗号を何乗もしたくらいの戦闘力を誇ります。

ヒエログリフの解読者に俺はなる!!

 無惨様も泣いて逃げ出す超強力な鬼たちと戦うのが暗号解読者たち。言うまでもなく天才揃いです。コンピューターの生みの親とされるチャールズ・バベッジバベッジの理論をさらに進めたアラン・チューリング、番外編の主人公はあのフーリエにエジプト土産を見せられロゼッタ・ストーンの解読者になることを決めたシャンポリオン。他にも数々の天才が暗号解読に挑んでいきます。

 いかにして彼らは戦闘力400𥝱を優に超える敵を倒すのか? 『ジョジョの奇妙な冒険』をも凌ぐ知恵比べがそこにはある!

天才作家サイモン・シン

 私はこの本を読んでサイモン・シンは本当に天才だと思いました。『フェルマーの最終定理』といい、なんで難しい問題をこんなに分かりやすく、なによりこんなに面白く書けるのかと感動します。

 サイモン・シンのように本を書く秘訣について考えていきたいと思います。

歴史を描く

 サイモン・シンは歴史を描きます。『フェルマーの最終定理』もいきなり「フェルマーの最終定理とは……」と説明を始めるのではなく、それよりはるか前のピタゴラス教団の話をスタートラインとしています。

 遠回りなようですが、これには2つの効果がありそうです。

 一つは、話をドラマチックに演出する効果です。たとえば『SLAM DUNK』を「桜木花道がバスケのインターハイ二回戦を突破する話です」と紹介したら、これは猛烈につまらなそうです。説明が間違っているわけではありません。でも、やはり「桜木花道はもともと不良で赤木晴子に惚れてバスケを始めたんだ~」とか、「三井は天才シューターだったんだけど怪我で腐っちゃって~」とかいったような結論に至るまでの道筋が『SLAM DUNK』の面白さを構成しているわけです。物事の成り行きを説明することは歴史を語ることであり、そこにはドラマがあります。

 もう一つは、ステップアップの効果です。難しい問題も、始まりは簡単な問題だったりします。フェルマーの最終定理は理解できなくても、ピタゴラスの定理は誰もが学校で習うし、証明までできる人も少なからずいます。エニグマの仕組みが難しく思えても、カエサル暗号は誰でも理解できるくらい単純だし、なんならクイズかなんかで一度くらいは目にしたことがあってもおかしくありません。だから歴史の最初の方の話は、読者にとってハードルが低く、理解がしやすいです。読者はここで成功体験を積みます。「よし、難しそうな話題が理解できたぞ!」と。著者は歴史の時計を少し進めて、もう少しだけ難しい話題を説明します。前提知識はすでに説明してあるので、読者はわりあい簡単に理解できます。こうして読者に新しい成功体験が生まれます。これを繰り返していくと、あら不思議。いつの間にか高度な問題も理解できるようになっているか、少なくとも理解しようという気になっています。まるでゲーム感覚で難しい本を読むことができるというわけです。

 名ブロガー骨しゃぶりさんも下の動画(1:06:30~)「そこに至る歴史を紹介したら、たいていのものはすごく感じる説」について述べています。


www.youtube.com

 弱点は話が長くなることでしょうか。話が長くなる分、読者を強く惹きつける努力も求められそうです。

人を描く

 サイモン・シンは人を描きます。難しい問題そのものを論ずるのではなく、それに取り組んだ人々について語るのです。

 問題は無機質ですが、人間には血が通っています。「ヒエログリフに解決した人がいるという話を聞いて、シャンポリオンは卒倒した」なんてエピソードはヒエログリフ解読について知るうえでなんの意味もありませんが、こういう人間味あふれる話に人は惹きつけられます。

 フィクションでも、人間(擬人化された動物や物を含む)が登場しない話というのはまず存在しないのではないでしょうか?

難題を描く

 サイモン・シンは難題を描きます。フェルマーの最終定理は400年証明されませんでしたし、暗号も1990年代にようやく一つの終着点にたどり着いた分野です。

 難題に取り組むのは天才たちです。超人です。言い換えれば英雄です。人間は英雄譚を好むものです。難題を巡る人々の歴史を書くことは、英雄譚を書くことと同義なのです。人類最高の叡智を持った、実在した英雄の物語が面白くないわけがありません。

 一方で、難題は難題であるがゆえに、常人には容易に理解できないものです。これを分かりやすく説明するというのはこれまた難題です。この難題の前に敗れ去る著者は多く、最初から挑む気のない著者も少なくありません。人々は理由なく「難しいもの=退屈なもの」と考えているわけではないのです。

 説明能力に恵まれたライターにとって、このジャンルは財宝がたくさん眠っているブルーオーシャンなのかもしれません。

 

 というわけで、『暗号解読』超オススメです。

 『フェルマーの最終定理』も究極的に面白いぞ!

『イミテーション・ゲーム』という冗字に満ちた暗号

 サイモン・シンの『暗号解読』を読んだので『イミテーション・ゲーム』を見直してみました。

 『イミテーション・ゲーム』はアラン・チューリングの人生を描いた映画です。

 第二次世界大戦中、ドイツは通信文をエニグマという強力な暗号機で暗号化していました。この暗号文を解読できるかどうかに、連合軍、ひいては民主主義や自由主義の存亡がかかっていました。

 このエニグマの解読において傑出した働きを見せたのが、イギリスの天才数学者アラン・チューリング。彼は今日のコンピューターの原型を構想し、その知見によって見事にエニグマ解読に大きな貢献をしたのです。


www.youtube.com

 『暗号解読』においても、エニグマ解読について詳細に描写されています。読む前と後とでは『イミテーション・ゲーム』の見方も変わるのではないか? そんなことを思って観始めたら、面白いくらいにそのとおりでした。

 というのも、嘘(と思われる描写)がかなり多いのです。

 下のサイトは"Based on a True Story"な映画がどれくらいBased on a True Storyなのかをグラフにしてくれているサイトです。

www.informationisbeautiful.net

 これを見ても、イミテーション・ゲームの真実あるいは真実っぽい部分は42.3%しかないことが分かります。

 

 私が見ていて気になったところを具体的にあげていきます。

頻度分析をするわけがない

 暗号解読機を作ろうとするチューリングに対し、他のメンバーが「俺たちは文字の使用頻度の分析で暗号文をかなり読み取った。なのにお前は働かずに何をやっている?」と罵る場面があります。

 これは大嘘もよいところです。なぜならエニグマに頻度分析は通用しないし、そんなことはエニグマ保有していたイギリスの暗号解読本部においては当たり前の大前提だったからです。

 このシーンがどれだけおかしいかを理解するには、暗号について少し学ぶ必要があります。

暗号の種類

 暗号には大きく分けて二種類あります。

  • 転置式暗号 文字の配置をバラバラにすることで文を解読不能にする暗号
  • 換字式暗号 文字を別の文字に置き換えて文を解読不能にする暗号
転置式暗号

 たとえば、転置式暗号の具体例は下のようなものです。

「転式号文の置ババにると文解不にる号置暗 字配をララすこでを読能す暗」

 これは上に書いた転置式暗号の説明文を暗号化したものです。説明文で使った文字はそのままに、順番をバラバラにしています。

 暗号は復号して元の文に戻せなければいけないので、不規則にバラバラにするわけにはいきません。暗号化にはルールがあって、そのルールを知っている人だけが解読することができます。逆に言えば、このルールを突き止めさえすれば暗号を解読できることになります。

 この暗号文の場合は、まず前から奇数番目の文字を抽出して元の順番通りに並べ、次に偶数番目の文字を順番通り並べて作っています。この法則性さえ見抜けば解読ができます。

換字式暗号

 換字式暗号は文字を別の文字に置き換えて暗号化する手法です。

 最も有名なのがカエサル暗号です。下のように、アルファベットを三つ前の文字に変換して暗号文を書くのです。

変換前:ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZ

変換後:XYZABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVW

 例えば、Appleと受信者に伝えたいと思ったら、変換前の文字の下にある文字を使って(フォントの関係上ズレて見づらいですが……)Xmmibという暗号文を送ります。

 暗号文を受け取った側は逆に、Xmmibを構成する各文字を、変換後の文字の上にある文字に置き換えていくことで、Appleという言葉を再現することができます。

 これはかなり簡単な方法です。ずらす数を増やしたり減らしたりすればパターンは増えるものの、それでも25パターンしかありません(アルファベットの文字数は26。26文字分ずらすと変換前と変換後が同じになってしまうので25パターンとなります)。ですから、カエサル暗号であることにさえ気付けば、誰でも総当たりで簡単に解読できてしまいます。

 これをより複雑にするにはどうすればよいかというと、変換後の文字をABC順にしないことです。

A→V

B→D

C→L

……

といった具合に、完全にランダムな文字の対応にすればよいのです。これを単アルファベット換字式暗号といいます。

 完全にランダムな対応表によって作った暗号文がこちら!

W'u mq eiy emh mo eiy zmskg kmmxwq' gmzq mq lsyvewmq vqg eiy mqkb yahkvqvewmq W lvq owqg. Wt eiy kmpy eive W'py omrqg ypys twqly bmr'py dyyq vsmrqg. Bmrs kmpy hre uy emh mo eiy zmskg.

 あなたはこの暗号が解けるか!?

 暗号の解読には変換前の文字と変換後の文字の対応を突き止めないことにはどうしようもありませんが、総当り式に対応表を突き止めるのは不可能です。

 換字式暗号の文字の対応表の作り方は26!通りあります。これは400𥝱(4兆の1兆倍)にも及ぶ数字です。一秒に一つの対応表を試すとなると宇宙の年齢の十億倍の時間がかかります。全人類が力を合わせても文明が滅びるまでに正解にたどり着くことはできないでしょう。これに比べれば元気玉で倒せる魔人ブウは大したことのない敵です。

 極めて強力な暗号であることが分かるでしょう。

換字式暗号を打ち破る頻度分析

 しかし、この強力な換字式暗号にも弱点があります。

 文章にはよく使われる文字とあまり使われない文字があることです。英語であれば頻出する文字はE、T、Aです。

 ということは、暗号文中に出てくる文字の数を調べれば、どれがどの文字なのかはだいたいあたりがつきます。

 上の暗号文に登場する文字で多いのはM、Y、Q、Eです。このうちのどれかがE、T、Aである可能性が高そうです。

 上の暗号文にはスペースがあるので、それもヒントになりそうです。たとえば、三文字で英文に頻出する単語といえば"THE"があります。

 上の暗号文中には"eiy"が5回も登場します。もしこれが"the"なのだとしたら、一気に

E→Y

H→I

T→E

の対応がわかってしまいます(左が変換前、右が変換後)。EとYはこの暗号文中で頻出文字だし、EとTは英文における頻出文字なので、その観点からいっても、この見方は有望です。

 このように文字の出現頻度を突破口にして暗号解読を行う手法を頻度分析といいます。

 ちなみに、上の暗号文解読のヒントをさらにあげるなら、Wは一文字だけで登場していますが、一文字だけで使われるのはほぼ確実にAかIです。これをもとに、文頭の"W'u"を解釈するとW'u=I'mで

M→U

I→W

という対応も作れそうです。

 あとは二文字の言葉に注目するのもよさそうです。mqとmoが表しているのがなんなのかが分かるとゴールはだいぶ近いかもしれません。すでにIが使われていることを考慮すると、Mに該当するのはA(at,as,am)かO(on,of)のどちらかかも。でもTもMももう出ているのでおそらく

O→M

なのでしょうね。

 文が短いので完全解読は困難かもしれません。著作権の関係で平文を載せるのは躊躇われますが、ヒントはカーペンターズです。

エニグマとは

 ともかく、頻度分析が単アルファベット換字式暗号には有効です。

 暗号作成者はどのようにすれば頻度分析をものともしない暗号を作ることができるのでしょうか?

 これに対する一つの答えが、一文字ごとに使う対応表を変えてしまうことです。

 頻度分析がなぜ有効かといえば、一つの暗号文の中で、同じ対応表がずっと使われているからです。Eに対応する文字が一つだけだから、たくさん登場する文字はEの候補になるのです。暗号文の中にPがたくさん登場するとして、そのPが一つの文字しか表していないから、E、T、Aのどれかである可能性が高そうだな~という推測が立つのです。

 しかし、文の中の1文字目に現れるEはAに、2文字目に現れるEはGに、3文字目に現れるEはQに……という具合に変換していったら?

 エニグマによる変換の具体例を見てみましょう。

平 文:bee feel eel

暗号文:eci itxx wau

 上の文をエニグマ的に暗号化したものが下の文です。下のサイトを使いました。

エニグマ暗号機シミュレーター Online - DenCode

 これを見ていただくと、同じEの文字が全く違う文字に変換されているのが分かるでしょう。EはCになりIになりTになりXになりWになりAになっているのです。これに頻度分析は通用しません。

 この一文字ずつ異なる対応表を用いるという方法は強力なのですが、弱点が一つあります。解読が大変な分、暗号化も大変なのです。人力では暗号化する側にとってもかなりの労力が必要になります。

 エニグマが開発されるより前、単アルファベット換字式暗号の発展形としてヴィジュネル暗号というものが考案されましたが、これはすべての文字に対して異なる対応表を用いることまではできなかったため、やはり頻度分析の応用で破られることになりました。

 あぁ! すべての文字に対して、異なる対応表を使うことさえできれば解読されないのに!

 そんな暗号作成者たちの願いを叶えてくれる魔法の機械、それがエニグマだったのです。

 エニグマがどんなものかごく簡単に説明してみると、変換前の文字と変換後の文字を結ぶあみだくじを作る機械です。あみだくじのあみだ部分は三本のシリンダーに刻まれた線で描かれていて、一文字打つごとにシリンダーが回転することで毎度異なるパターンの変換を実現します。一本目のシリンダーは一文字打つごとに1/26回転し、一本目のシリンダーが一回転すると二本目のシリンダーが1/26回転し、二本目のシリンダーが一回転すると三本目のシリンダーが1/26回転するという仕組み。さらにシリンダーは入れ替え可能。これだけで26の3乗✕3✕2✕1=105,456通りのあみだくじを作ることができます。これに加えて、任意の文字と任意の文字を6組まで交換できる仕組みも備えていたもんだから、あみだくじの総数は1京にも及んだようです。もちろん機械はあみだくじを作るだけじゃなく、キーボードを使って打ち込んだ文字を自動的に変換してくれます。

エニグマに頻度分析は通用しない

 イギリスの暗号解読の本部であるブレッチレー・パークは映画のとおり、エニグマを持っていました。ですから原理もわかっていたし、エニグマがどのような対応表(=あみだくじ)を作り出すかもわかっていました。

 問題はドイツ軍がどの対応表を使うかが分からないこと、つまりドイツ軍がエニグマをどんな設定にして用いるか分からないことです。上記のとおり、エニグマの設定パターンは最も簡易な初期型で、およそ一京通りありましたから、これを総当たりで突き止めることは不可能です。少なくとも一日の間では。

 かといって頻度分析も使えません。エニグマのシリンダーが回転しきるのは17,576文字目を打ち終わった時。その時になってようやく最初の設定に戻ります。暗号文のほとんどは17,576文字以内に収まるでしょうから、暗号文中のすべての文字が異なる対応表によって変換されているわけです。だから頻度分析のしようがありません。

 ですから、頻度分析など行うわけがないのです。ましてそれによって成果が出ることなどありえないのです。

チャーチルがなぜかチューリングの言いなり

 上の例から分かるとおり、チューリング以外のブレッチレー・パークの面々は映画化されるにあたり無能と化しています。明らかに通用するわけない頻度分析を行っちゃう奴らなので、誰もチューリングの考えを理解しないし、あまつさえ妨害さえする始末です。

 しかし、理解者が一人だけいます。姿も現さないウィンストン・チャーチルです。チューリングがチームに対する不平を書いた手紙を出すと、チャーチルチューリングを暗号解読班の責任者にしてしまいます。

チャーチルチューリングの要求に応えたことは事実

 たしかに、チューリングが上司への不満を書いた手紙を出し、チャーチルがそれに応えるということはありましたが、それは暗号解読機が完成してからのことです。

 暗号解読機が完成したのは早くも1940年8月8日のこと(すごい!)。その名もアグヌス・デイ。略称アグネス(映画では幼なじみのクリストファーの名が付けられている!!)。アグネスは驚くべき成果を見せ、一年半の後には15台が稼働していたそうです。このアグネスを稼働させるために十分な人材をその時のブレッチレー・パーク責任者エドワード・トラヴィス中佐(デニストン中佐ではない!!!)が確保してくれない不満をチューリングたち有志が訴えたところ、チャーチルが即座に暗号解読者たちの要求に応えるよう命じたのです。

 チャーチルの対応は現実でもなかなかスマートですが、映画のように暗号解読の実績のないチューリングの訴えを受けてチームの責任者にするというのは流石にチャーチルを美化しすぎではという気がします。

チューリング以外も有能だったブレッチレー・パーク

 まんまと責任者になった映画のチューリングはさっそく無能な人間をクビにします。まるでブレッチレー・パークには無能しかいなかったかのような描写です。

 しかし、実際のブレッチレー・パークは様相が違います。映画の中ではチューリングが機械を開発するまでエニグマを解読できていなかったかのように描かれていますが、実際には解読できていたのです。

 というのも、映画でも言及されているようにエニグマを入手したのはポーランドなのですが、ポーランドエニグマの攻略法を発見していたからです。それに貢献したのがポーランドの数学者レイェフスキ。彼の功績によりそれまで解読不可能だと思われていたエニグマが解読可能であることが示され、そして暗号解読には数学者が役に立つということが知れ渡ったのです。

 エニグマの進化により、リソースの少ないポーランドは暗号を解読できなくなってしまいました。それでもレイェフスキの発見した攻略法は英仏に伝えられ、ポーランドが侵攻された後も、後を継いだブレッチレー・パークは成果を出していたのです。

 さらに、ブレッチレー・パークは独自の発見もしていました。完全無欠に見えるエニグマにも欠陥があったのです。それは人が使うということです。

 ドイツ軍のエニグマ・オペレーターはメッセージごとに三文字のメッセージ鍵をランダムに選ばねばなりません。ランダムな三文字を選ぶというのは実は難しいことです。オペレーターたちは疲れからか、キーボード上の隣り合った文字を選ぶことが多かったようです。あるいは、恋人の名前(CIL)をメッセージ鍵にすることもあったようです。こうしたメッセージ鍵をシリーと呼びます。

 ドイツ軍は毎日エニグマの初期設定を変えるのですが、この設定を一日中使うのでは同じ設定で膨大なメッセージを送ることになります。同じ鍵を使い回すというのは暗号にとって弱点になりうることなのです。単アルファベット換字式暗号が頻度分析によって打ち破られるのはすべての文字で同じ設定(鍵)を繰り返し使っているからですが、それに似たようなことがエニグマでも起こらないとも限りません。というわけで、ドイツ軍は念には念を入れて、エニグマの日々の初期設定はメッセージごとの鍵を伝えるためだけに用いたのです。そのため、メッセージ本文に用いられる設定はメッセージごとに異なることになり、普通に考えれば暗号の解読者はメッセージごとに一京分の一の設定を探らねばならなくなってしまいます。この抜け穴がシリーだったということです。

 ちなみに、メッセージ鍵は間違いのないよう二回繰り返されます(エニグマによって暗号化されるので見かけ上は完全に別の文字が並びます)。この二回の繰り返しがやはりエニグマ運用法の弱点であり、レイェフスキによる攻略につながったのです。チューリングの仕事はドイツ軍がメッセージ鍵を一回だけ送るようになった時に対処できるようにしておくことでした。実際にドイツ軍はメッセージ鍵の繰り返しをやめて、解読は進まなくなります。ですが、わずか三ヶ月後、アグネスが完成しチューリングの発明は威力を発揮するのでした。

 映画の中で、無線の傍受をしているイギリスのオペレーターが、通信の最初がいつもCILLYで始まると述べ、これが暗号解読のきっかけになるシーンがあります。実際にはCILLYという文字も日鍵(一日ごとの初期設定)によって暗号化されていたはずだし、そういったメッセージ鍵が解読の鍵になることはチューリングが気づく前からブレッチレー・パークでは知られていたことだったというのが現実なのです。

 ついでにいうと、ドイツ軍が「ハイル・ヒトラー」を必ず使うと映画の中で述べていましたが、繰り返しを避けることが暗号の保護に欠かせないことを考えれば、文末にハイル・ヒトラーを毎回入れるなど絶対にありえないはずです。とはいえさすがに天気を意味する"wetter"のような言葉は定期的に使わざるを得なかったようで、これが暗号解読において重要な意味を持ったことは事実です。

チューリングが作戦を決めるわけがない

 暗号解読に成功したチューリングが、暗号を解読したことを敵に知られないためにUボートに襲われる船を救わない選択をするシーンがあります。

 これもありえないことです。

 暗号解読と軍事作戦の指揮は全くの別物であって、暗号解読者たちに作戦を決定する権限があるはずがありません。解読者の仕事は暗号の解読であって、付随して作戦の決定までやらされてしまったら肝心の暗号解読が立ち行かなくなることは明らかです。これは『暗号解読』を読むまでもなく、当たり前の話です。

教訓

 その他にもビール暗号は書籍番号が使われた未解読の暗号であってその暗号方式ではないとか、色々とツッコミどころは多いです。

時には嘘をつくことも必要である

 とはいえ、『イミテーション・ゲーム』が面白いことは間違いありません。ベネディクト・カンバーバッチキーラ・ナイトレイの演技は素晴らしいです。上に挙げたような嘘八百が面白さに貢献しているのもおそらくはたしかでしょう。

 もし史実どおりに描けば、相当に工夫しない限り、難解かつ退屈な映画になっていたに違いありません。チューリングが対立する相手は誰でしょうか。ドイツ軍という抽象的な概念か、はたまたエニグマそのものでしょうか。観客は勝負の展開を理解できるのでしょうか。その対決はいかにしてドラマチックな解決に至るのでしょうか。暗号解読機ボンブ開発のきっかけとなる事件のようなものはなさそうです。チューリングの勝利はいかなる結果を生むのでしょうか。マシンの開発に成功した後、戦争に勝利したことはナレーションベースで片付けられるのでしょうか。

 あくまで暗号解読の現場っぽい雰囲気を伝えることだけに集中したことは勇気ある選択だったと言えるかもしれません。脚本家は私なんかよりはるかに詳しい史実を知っていたはずだし、知っていればいるほど史実に反する物語を描くのは怖いはずですから。

 上に挙げたような嘘の数々の中には物語をエンターテインメントたらしめる秘訣が隠されているはずで、そこから学べることも多そうです。

映画で歴史は学べない

 とはいえ、やはり歴史を題材にしているのに史実に反したことばかりであることに違和感を覚えないといったら嘘になります。観客の大半は映画が史実に基づいていると思っているはずですから。たいていは数日もすればほとんどの内容を忘れてしまうかもしれませんが、映画を見た人の1%でも、本物のデニストン中佐もチューリングのことが理解出来ない無能だったという勘違いをしたまま死んでいくとしたなら、デニストン中佐も浮かばれないでしょう。本当の彼はチューリングを始め、多種多様な人材を採用し、エニグマ解読を成功に導いた有能な指揮官だったはずです。

 せめて自分がそのような誤解に陥ることを可能な限り避けるためにも、「映画で歴史を学ぼうとは思わないことだ」と肝に銘じるべきでしょう。映画は映画として楽しむ。歴史を学ぶつもりなのだとしたら、あくまで興味を持つきっかけぐらいに考えるという態度は忘れないようにしたいところです。

 ブレッチレー・パークの物語を史実に忠実に、かつ『イミテーション・ゲーム』より面白く描く猛者が現れることを願わずにはいられません。

文字が映像に勝る領域

 『暗号解読』はエニグマ編以外も含めて、はちゃめちゃに面白い本です。それでいて史実にも忠実であるはずです(上に書いたことは『暗号解読』に基づいているので忠実でないと困ります)。

 文字媒体の強みをここに感じます。抽象的なものを抽象的なまま楽しめるのが文字の世界です。知的な楽しみがそこにあります。時間の制約が緩いというのも強みかもしれません。同じエンターテインメントでも、やっている競技が違うのです。映画がスノーボードハーフパイプだとしたら、本はカーリングみたいなイメージ。

 Youtubetiktokが栄える動画の時代というべき昨今。もはやブログの時代ではないとも言われますが、動画が苦手とし文字が得意とする領域もあるということはおさえておきたいところです。

 

 まあそんなわけで『暗号解読』のせいで『イミテーション・ゲーム』を素直な心で楽しめなくなってしまいました。でも、後悔はしていません。『暗号解読』を読んでいない人生より『暗号解読』を読んでいる人生のほうが幸せだと確信しているからです。

 

 ちなみに、多様性の科学にもブレッチレー・パークの話が載っています。『暗号解読』ではさらっとしか書かれていない部分について書いているので違った見方もできそうです。多様性に関する一エピソードにすぎないので分量としては多くありませんが。

会社に囚われた日本人なら共感できる! 『月に囚われた男』

 映画『月に囚われた男』を見ました。

 監督はデヴィッド・ボウイの息子であるダンカン・ジョーンズ。彼の長編デビュー作で、2009年の映画です。

 以下、ネタバレあり。


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 人類のエネルギー問題が月によって解決された時代の話。核融合発電の燃料であるヘリウム3は1万トンあれば人類の100年分のエネルギーを賄えるところ、月にはヘリウム3が数十万トンある。これを有効活用することに成功した世界の物語。

 ちなみに月に関する話は以前、うっすらと下の記事で書いたことがあります。

weatheredwithyou.hatenablog.com

 主人公サム・ベルはヘリウム3の採掘員。この3年間、月面基地で黙々と働いてきた。採掘といっても作業はほぼ全自動で行われており、サムがやることといえば、タンクに資源が溜まったらそれを地球に送り出すことくらい。それしか仕事がないから、他に作業員はいない。

 サムはまだ若く、地球に帰れば妻がいる。生まれたばかりの娘もいる。にも関わらず、やり取りはビデオメッセージを送り合うことしかできない。機材トラブルによりリアルタイム通信ができずにいるのだ。だから即時にコミュニケーションを取れる相手はロボットのガーティだけ。

 そんな辛い任務も残すところあと2週間。そこで事故が発生して……。

 

 そんな話なのですが、無理のある設定だとは思わないでしょうか。

 月面に一人で3年も閉じ込められているなんてのは地獄です。思い出してほしい。コロナが蔓延し始めて間もない頃、不要不急の外出を自粛できなかった人間がどれだけいたのかを。

 わずか一週間ですら人と会わずにはいられない人間がいるというのに、それが3年も続くとは、なかなかタフな仕事です。非人道的とさえ言っていいかもしれません。

 そこがミソです。なぜサム・ベルはこんなところにいるのか?

 

 基地の外で事故にあった後、サムは基地の中で目覚めます。ガーティは基地の中しか移動できないはずなのに……。

 しばらく基地の外に出ないようにとガーティを介して本部から命じられたサムですが、それが気に食わずに脱走を試みます。採掘場の方に行ってみると、壊れた作業車の中に凍りついた宇宙服の男がいるのを発見。男を基地に連れ戻したサムは蘇生を試みます。

 サムが目覚めると、そこには自分と同じ顔をした男が……。

 

 そう、サムはクローン人間だったんですね。それもあまり性能の良くないクローン人間のようです。ちゃんとモチベーションを上げないと働かないし、3年で壊れちゃうクローン人間。

 サム・ベルの記憶はすべて偽物。彼が生まれたのは3年前だし、妻も娘もいません。そもそも地球にいたことすらないのです。

 サムは偽の記憶に励まされ、3年間の地獄に耐えてきました。3年待てば地球に帰れるはずだから。

 しかし、それらはすべて嘘。どれだけ頑張っても帰れるはずがありません。クローン人間に行き場所などないのです。3年の労働の後に待ち受けているのは死です。このクローン人間は3年で壊れちゃうのです。

 3年の耐用年数が過ぎてサム・ベルが壊れたら、新しいサム・ベルが目を覚まして、また仕事を始めます。あと3年経てば妻子の待つ地球へ帰れると思い込んで……。

 サムにとっては辛いですが、企業にとっては良い方法です(全自動化しろよという疑問は脇に置いておきます)。サムの食事の面倒さえ見ればよく、彼のその後の人生に配慮する必要がまるでない。人事トラブルのリスクもない。まことに安上がりです。

 

 私はこの映画を見るのは2回目なのですが、初めて観た時は働き始めておそらく一、二年目の頃でした。その時はまあまあ面白い映画だなと思ったくらいのはずで、あまり印象には残りませんでした。

 それから数年。久々にこの映画のタイトルを見て、観たことがあるのかすら定かでなくなっていました。二回目の視聴にしてほぼ初見ですが、改めて見直すと、見方が(おそらく)完全に変わっておりました。

 今回、私が感じたのは、これは今も地球上で起きている話だ!ということです。

 

 会社に安い労働力として使い倒されて死んでいくサム・ベル……。それはまさにブラック企業で働く人々の姿そのものではありませんか。

 仕事は退屈だし、辛いこともたくさんある。でも、仕事に慣れていけば、辛いことは減っていくし、そのうちに楽しみが見えてくる。勤務年数が長くなれば給料も上がるし、いつか必ず報われる。他の会社も同じようなものだろうし、よそで通用するようなスキルが自分にあるとも思えない。定年まで耐えれば、そこから先は晴れて自由な年金生活が待っている……。

 そんな幻想を抱いて、なんとか耐えている労働者たち。今どきはもっと冷めているかもしれないけれど、少なくとも働かないよりは働いた方がいいとは思っているはず。そうでなければ、なんのために働くのか。

 でも、仕事をしていると適度な運動も取れず(あるいは過度な運動を強いられ)、メンタルを削られ、睡眠時間の短縮を余儀なくされ、寿命は確実に働くことで縮まっています。二重の意味で会社に人生を捧げているのです。

 けれど会社はそれに報いようなどとは考えません。

 現場は最低限の人数、最低限の賃金で回せばいい。業務量に対して人員が少なすぎれば残業をさせるだけ。時間外勤務が過労死ラインを超えていようが、子供が寝る前に家を出て子供が寝た後に帰宅する父親がいようが、そんなことは知ったことではない。なにせ新しく人を雇うのは金も時間もかかるのだから……。

 

 偽物の記憶を信じて3年間働いて死んでいくサム・ベル。

 何かを信じて定年まで(あるいは自殺するまで)働いて死んでいく労働者。

 SF映画として見ても悪くない作品ですが、社会派映画として見ると厚みが違います。

 この映画にリアリティを感じられなかったのなら、あなたは月に囚われずに済んでいる幸せ者なのかもしれない。

1%が勝敗を分ける

 今、サイモン・シンの『暗号解読』を読んでいます。どちゃくそおもしれえんだこれが。

 この本の中で、数学者が大活躍しています。

 私は影響を受けやすいたちなので、数学を勉強したくなってきます。数学の能力が高まれば何者かになれそうな気がしてきます。

 テレビを見ながら数独をやっている時間を数学の問題を解くためにあてればなんだか有意義な気がします。

 そうなったら善は急げです。行動あるのみ。しかし、まず何をすればよいのだろうか?

 青チャートを買えばいいのか? 青チャートがええのかえーのんか?

 ……何? 基礎を固めるなら白のがいい? え、チャート式は受験対策にすぎないから一対一対応の方がいい?

 いやでも、そもそも数学の勉強をしたって何者かになれるわけないし、そんなことするならもっと有意義な時間の使い方があるんじゃないのか? 

 

 現代は情報過多で困ります。

 

 というわけで、数学の問題集を買うことには二の足を踏んでいるのですが、そんなことでは一度着いた火は鎮まりません。卓球の勝率を数学的に考えてみることにしました。

 

卓球とは

 卓球はラバーを張ったラケットを持ってプラスチック製のピンポン玉を打ち合い、得点を競うゲームです。

 素人ならば相手のコートに入れることに必死で、お互いにミスをしないことだけが目標になります。玄人になってくればくるほど、いかに強烈な回転をかけるか、いかにスピードのある球を放つか、いかに相手の裏をかくか、いかに相手を操作するか……といった駆け引きの要素が増えていきます。

 こう考えると一見複雑そうですが、本質は簡単です。

 一回のプレー(サービスを構えてから最後の返球が終わるまでの一連のラリー)で必ずどちらかに得点が付き、その得点が先に11ポイントに達した方(あるいはデュースで二点連取した方)が勝つ。

 それだけです。

勝率を計算する

 仮に水谷というプレイヤーと張本というプレイヤーがゲームをするとします。

 ここで水谷が得点する確率をpとした時、張本が得点する確率は1-pとなります。水谷が得点しなかった時、張本も得点しないことは卓球というゲームにおいてありえないからです(レットは考慮に入れません)。

水谷が得点する確率:p

張本が得点する確率:1-p

 pは水谷や張本の実力、コンディション、メンタル、戦術、相性等の様々な要因によって決まり、厳密に言えば刻々と変化するはずですが、それらを平均したときの得点率です。

水谷11-0張本

 このとき、水谷が11点連取して勝つ確率はどのように定まるか。これは当然、

p^11(pの11乗)

 です。

水谷11-1張本

 次に、張本が1点取れるけど、水谷が勝利する場合の確率を求めます。

 まず、最初に張本が得点し、その後、水谷が11点連取するパターンが起こる確率は、

(1-p)×p^11

 となります。

 次に、水谷がまず一点を取った後、張本が得点し、水谷が10点連取するパターンが起こる確率は、

p×(1-p)×p^10

 となります。

 そんな感じで考えていきますと、これは水谷の得点と張本の得点の順列なのだということがわかります。

 一回のパターンが生じる確率は下のようになります。

(p^水谷の得点数)×{(1-p)^張本の得点数}

 これが、水谷の得点と張本の得点の並べ方の数だけ起こります。赤い玉と白い玉の並べ方の数を調べるのと同じように計算すればいいのです。

 張本が1点だけ取れるパターンは、10個の赤い玉と1個の白い玉の並べ方の数と同じだけあります。赤い玉が11個ではないのは、最後に水谷が得点することは決まっているからです。水谷11-0張本となった時点でそのセットが終了するので、その後に張本が得点することはありえません。

 そうなると、並べ方の数は

(10+1)!/(10!×1!)

 になります。

 11個の球をそれぞれ別物として並べた後に、同じ色のものは同じとみなしたときに同じ並べ方になるものを打ち消すイメージ(だったはず)。

 したがって、水谷11-1張本となる確率は、

[(p^11)×{(1-p)^1}]×(10+1)!/(10!×1!)

 となります。

水谷11-x張本(x≦9)

 11-2から11-9までのパターンの確率も同様に計算することができます。張本の得点をxとした時、各々のパターンは以下の確率で発生します。

[(p^11)×{(1-p)^x}]×(10+x)!/(10!×x!)

デュースの処理

 デュースになった場合は別のやり方で計算する必要があります。

 まず、10-10になる確率を計算します。やり方は上記と同じです。

[(p^10)×{(1-p)^10}]×(10+10)!/(10!×10!)

 この確率を仮にDとします。

 ここから水谷が2点連取する確率は

p^2

 です。

 逆に11-11になる確率は

p×(1-p)×2

 です。

 ここからまた11-13になるか12-12になるかの分岐があります。

 するとデュースをx回繰り返した末に水谷が勝つ確率は以下のとおり。

D×{2p(1-p)^(x-1)}×p^2

 事象が発生する順に並べているので分かりづらいですが、これは初項aがD×p^2、公比rが2p(1-p)の等比数列と同じです。

 この等比数列は無限に続きます。2点差がつかないかぎり、決着はつかないからです。

 無限等比級数の和は

a/(1-r)

 で求められるようです。数Ⅲの範囲みたいなので私はやったことがありませんが。

 ということで、デュースで水谷が勝つ確率は、

D×p^2/{1-2p(1-p)}

 となります。

勝率

 水谷が1セットを取る確率は上で求めた各パターンが生じる確率の合計になります。

 これで得た確率にもとづいて、今度は水谷が先に3セットなり4セットなりを取る確率を求めればそれが勝率になります。計算の要領は上と同じです。

具体的に

 ここまで議論が抽象的だったので、具体的にp=0.6とした場合、どうなるかを見てみましょう。スプレッドシートで計算してみたのが以下の表になります。

p=0.6の場合

 スプレッドシートを画像にするにあたり、表がなんか歪んじゃってますしところどころ雑ですがが私は気にしないタイプです。

 さて、これを見るとわりと驚きの結果です。

 10回プレーして6点取れる場合、1セットを取れる確率は83.64%。5セットマッチの場合、勝率は96.63%。7セットマッチに至っては98.35%の確率で勝利できるのです。ほぼ確実に勝てるということになります。

 当然ですが、10回プレーして5点が取れる場合、つまり二人の実力が全くイコールでp=0.5である場合、1セットを取れる確率も50%、勝率も50%になります。

 では、pを0.01(つまり1%)ずつ上げていくと、5セットマッチの勝率はどうなるのでしょうか?(一般的な大会は5セットマッチです。)

p=0.51 → 57.23%

p=0.52 → 64.22%

p=0.53 → 70.77%

p=0.54 → 76.70%

p=0.55 → 81.90%

 お分かりいただけただろうか?

 得点率が1%高まるだけで、つまり100回プレーして50点取れていたところを51点取れるようになるだけで、勝率は5%以上もアップするのです!

 おそらくそれは体感にすれば、自分が強くなったかどうかも分からない程度の差でしかないはずです。試しに100回プレーして計測してみたくらいでは、誤差なのかどうかわからないでしょう。そのくらいの僅かな差が勝敗に極めて大きな影響をもたらします。

 ここから得られる教訓はたくさんあります。成長を実感できないとしても、それはいつか大きな結果を生む可能性があると考えることもできます。自分よりほんのわずかだけ強い選手と戦うことになったとしても、運で勝てるとは思わないことだという戒めとしても捉えられます。逆に、自分がなめている相手に負けた場合、それは良くて相手と自分が互角であることを示しているのであって、運が悪かったから負けるなんてことはまずありえないということも言えます。

ルール改定について

 もしあなたが国際卓球連盟の会長になったとき、卓球のルールを変更する参考にもなるはずです。セットを取るための点数が少なければ少ないほど、セット数が少なければ少ないほど、番狂わせが起こりやすくなります。

 ちなみに、かつて卓球は1セット21点制の5セットマッチでしたが、現在は1セット11点制の7セットマッチになっています(大きい大会では)。

 これによりp=0.6の場合の勝率は、99.34%から98.35%に変化しました。

 さらに現在、T2ダイヤモンドという大きな大会ではデュースはなし、試合開始から24分経過すると1セット5点制になるというルールのようです。デュースがなくなった場合、7ゲームスマッチにおいてp=0.6のときの勝率は98.35%から97.93%に変化します。さらに5点制になると、91.31%にまで落ちます。

 卓球はどんどん不確定性を増すようにルール改定される傾向にあるようです。

結論

 やはり数学は面白い。表面には現れない物事の本質を我々に見せてくれます。

 今回は、得点率がゲームをいかに左右するかを見たわけですが、数学力を高めれば得点率を高める方法まで求められるようになるかもしれません。数学力とは関係ないかもしれません。

 いずれにせよ、これは数学を趣味にするしかない!