たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

『リング』

 鈴木光司の『リング』を読んだ。

 

 

 貞子で有名なので、ホラーの印象が強いが、実際はサスペンス又はミステリーの色合いが強い。

 主人公は雑誌の記者で、離れた場所にいた4人の人物が同時刻に似たような変死を遂げていることに気付く。

 彼らにいったい何が起こったのかを探っているうちに、主人公は一本のビデオテープにたどり着く。それが変死の鍵を握るのかどうか、そもそも4人がそれを見たのかも分からぬまま、主人公はビデオを見る。御存知のとおり、そのビデオは呪いのビデオだった。

 ポイントは次の二つだ。

・主人公は1週間後に死ぬ。

・呪いを解く方法は存在するが、それが何なのかは示されない。

 これによって物語は、「呪いを解く方法とは何なのか?」という謎の答えに向かって強い力で引っ張られていくことになる。さらに、主人公の妻と幼い子どもまでビデオを見てしまうことで引力はさらに強くなっていく。

 主人公は一人の相棒とともに、謎に迫っていくのだが、それは地道な調査によるものだ。ここで描かれているのは、呪術と科学の相克である。呪術的なもの(たとえば宗教など)は科学によってその存在感を失ってきた。主人公たちがやろうとするのは、それと同じように科学によって目の前にある呪術を倒そうという試みであり、一種のバトル要素だ。

 主人公たちは、ついに山村貞子にたどり着く。貞子は伊豆大島で生まれた超能力者。母親もひょんなことから超能力を得て有名になったのだが、世間から中傷を浴び自殺してしまった。貞子もまた世を恨みながら死んでいくのであった。

 実はホラーと親和性の高い要素に、家族がある(気がする)。『ヘレディタリー』、『シャイニング』、『シックスセンス』などなども家族の話だ。ホラーに欠かせないのが強い恨み。強い恨みは強い感情によって生まれ、強い感情は長年の蓄積によって育まれる。一定の感情が長期間にわたり蓄積されるということは、閉じたコミュニティである可能性が高い。究極の閉じたコミュニティ=家族……という仕組みではなかろうか。また、家族は遺伝や相続を伴う共同体だから、呪いの継承ともこじつけやすい。

 それはともかく、主人公たちは貞子の遺骨を探し出し、弔う。タイムリミットが過ぎても主人公は生きていた。どうやら呪いは解けたらしい。

 ……と思いきや、どんでん返しがある。有名なので書いてもいい気がするが、あえて伏せよう。ここで描かれるのは呪術と科学の融合だ。読者にとってはそれまでの伏線が一気に収束していく快感がある。

 どうでもいいが、1991年に出版された本(書かれたのは1989年)で、呪いとウイルスを絡めて描いているのがすごい。今ではバイラルマーケティングなんて言われたりもするが、当時は一般的ではなかったはずだ。作家の想像力は時代の先を行く。

 

 卓越した小説だが、ところどころに拙さも感じる。「これは作者のデビュー作に違いない」と思ったら、デビュー前の作品だった。ミステリーに当たらないという理由で横溝正史賞の受賞を逃したのだとか。

 優れた筋があれば、細部に拙さがあっても傑作は傑作たりうる。また、傑作であっても、閉じたコミュニティでは正当に評価されない(と言っていいかわからないが)こともある、ということを教えてくれる作品だ。

 

 ちなみに、映画版は上で挙げた要素をほぼ捨てている。だが、テレビから化け物が出てくるというイメージはかなり強烈で、日本中に貞子というキャラクターを印象付けた。これは完全なる映画オリジナルだ。素晴らしい原作を使いながら、「呪いのビデオ」という一点だけに注目して全く別の作品を作り上げることも、なかなかできることではあるまい。