たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

レーズンが最高値を記録した新聞記事が面白いリーズン

 最近、ブログの更新頻度が下がっている。ネタが思いつかないからである。これではいかんと思い、ブログの本旨に帰ろうと思う。つまり、日々思うことについて書いていくのだ。

 

 今年に入ってから新聞を熱心に読んでいる。私はケチなので、まずお試しで無料購読できるサービスを一通り試す予定だ。今は日本経済新聞を購読している。

 読んでみて分かったこと。新聞は面白い。

 実家を出てから新聞は買ってこなかったし、実家にいた頃もそんなに熱心には読んでいなかった。だから、新聞に載っている情報というのはインターネットに転がっていると思い込んでいた。実際、それが間違っているとは言い難い。

 それでも新聞は面白い。読む価値がある。特に、ツイッター(あえてXとは呼ばない主義である。)で話題にならないようなニュースが面白い。

 

 たとえば、次の記事。

レーズン最高値 米・トルコ産不作/紅海混乱も影 国内卸値、製菓・製パン打撃

 有料会員専用の記事で日経電子版に登録していないと読めないので、内容を要約してみよう。

 まず、「レーズンの国内取引価格が過去最高を記録した」というのが重要な事実。

 その理由であるが、そもそもレーズンの最大の輸入先はアメリカで、2023年は輸入量の58%を占めていた。アメリカのどこでレーズンが生産されているのかというと、カリフォルニアが主産地。

 昨年の夏、カリフォルニアは気温が上がらず、ぶどうの糖度が上がるのに時間を要した。その結果、レーズンを乾燥させるタイミングが雨の多いシーズンに差し掛かってしまった。といったことがあり、生産量が減ったようだ。

 アメリカがだめなら他の国から輸入すればいいじゃない。誰もがそう思うに違いない。では、レーズンの第二の輸入先はどこなのか? トルコである。2023年は輸入の35%をトルコが占めていた。

 ところが、トルコでも生産量が激減する見込みなのだという。理由は、雨が多かったから。畑で病害が発生したり、やはり乾燥に支障を生じさせたようだ。

 結果、主要な輸入先で生産が減り、国内取引価格が上昇したというわけである。フーシ派の攻撃により紅海の航海が困難になっているからますます先行きは暗い。

 ちなみに、アメリカではナッツ類などの方が収益性が高いとして転作が進んでいるらしい。対して、トルコはリラ安もあり、近年輸入量を伸ばしているとのこと。

 以上が大雑把な記事の内容だ。

 

 うむむ……実に面白い。なぜならば、ここには物語がある。物語とは権力関係の変化だ。(日本にとっての)レーズンの王アメリカが、トルコに王座を奪われる(かもしれない)。そういう物語がここにはあるのだ。

 それでいて、色々な発見がこの記事にはある。たとえば、「レーズンは雨に弱いのか~。まあそりゃ乾燥させてるもんなあ……」とか「レーズンの主要な産地はカリフォルニアなのか~。たしかにアメリカワインといえばカリフォルニアだもんな~」とか。そう、ここには人生の伏線回収もある。

 伏線回収といえば、『ボボボーボ・ボーボボ』の有名なセリフ「レーズンのレーズンによるレーズンのためのレーーズン」はリンカーンの有名な演説のパロディであるが、澤井啓夫はレーズンといえばアメリカということを知っていたに違いない。昔の私はそんな事も知らずにゲラゲラ笑い転げていたわけである。もしかしたら100年後の人々は、たとえレーズンの産地に詳しい人でも『ボーボボ』を読んで「なぜゲティスバーグの演説?」と思う可能性がある。その頃にカリフォルニアはもうレーズンの生産をしていないかもしれないからだ。一見ナンセンスギャグを繰り返しているだけの漫画に見える『ボーボボ』の中にも現代が切り取られているのだ。……という妄想をする余白が上の記事にはある。

 ついでにいえば、「レーズンの産地はだいたい同じ緯度にあるのかもしれない」と、描かれていない物語の予想もできる。実際そうなのだ。レーズンの産地ランキングを見てみると、トルコ、アメリカ、中国、イラン、南アフリカウズベキスタン、チリ……といったメンツが並ぶ。トルコ、カリフォルニア、中国、イラン、ウズベキスタンは日本とだいたい同じ緯度にあることが分かる。南アフリカとチリは?と思うかもしれないが、意外にも南アフリカやチリは、上記の国々と赤道を挟んで対称の緯度にあるのだ。ためになったね~。ためになったよ~。

 

 新聞にはこういう物語が溢れている。しかも、ある程度の期間にわたって新聞を読んでいると、以前読んだあのニュースがここに繋がってくるのかあ……ということがある。そうなるとますますニュースは面白くなってくる。

 それでいて、インターネットの海に比べるとコンパクトにまとまっている。膨大な量のニュースの中にまぎれて「レーズン最高値」なんて見出しを見ても「あっそ……。どうでもいぃ~わ!」と思うだけで流してしまう。しかし、新聞という限られた量の中にあると、「ちょっくら読んでみますかねえ」という気になる。これがでかい。

 これらの感覚はたとえばグーグルニュースやニュースピッグスでニュースを読んでいた頃にはなかった感覚だ。新聞だから提供できるものはたしかに存在する。

 

 欠点があるとすれば、量が多すぎることだ。先に書いたことと矛盾するようだが、いくらコンパクトにまとまっているといっても、全ての記事を読もうと思うと数時間かかる。ピンとくる記事だけピックアップしても1時間以上は必要だ。こうなると平日はもう読めない。割り切って見出しを眺めることだけに徹している。

 週刊新聞があればいいのに……。

 

 新聞というと、とかく「役に立つから読め」と言われがちだが、はっきり言って役に立つものなんて極力読みたくないのが人間ではないだろうか。それに、レーズンが高値になったことを知ったからって一般の人々にはなんの役にも立たない。スーパーに並んでいるレーズンパンが高かったりレーズンの数が減ったりしている理由を知っていることがなにか金銭的な価値を生むかといえば、そんなことはない。(ビジネスチャンスを見つけて稼ぐ人はいるかもしれないが、圧倒的少数であろう。)基本的に、我々はただ時代の流れを受け入れるしかない。同じことは、トランプが共和党の候補になりそうとかウクライナがやばいとか中国の衰退が始まりつつあるとか、そういうビッグニュースにも言える。そういう意味では新聞が役に立つと言えるかどうかは微妙である。

 新聞は役に立つから読んだほうがいいのではない。新聞はただ面白いのだ。