たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

アメリカ映画ベスト100制覇への道:その91 羊たちの沈黙

 猟奇殺人の犯人を捕まえるために猟奇殺人鬼の手助けを借りよう!

 

 『羊たちの沈黙』は1989年の映画。監督はジョナサン・デミ、脚本はテッド・タリー。主演はジョディ・フォスターアンソニー・ホプキンスアカデミー賞は作品賞・監督賞・脚色賞・主演女優賞・主演男優賞を受賞。

 

 まず最初に言わねばならないのは、羊たちの沈黙』は安楽椅子探偵を主人公にしたミステリー作品である。安楽椅子探偵とは、事件現場に赴かずに事件を解決してしまう名探偵のことだ。

 名探偵役はもちろん牢屋に閉じ込められている天才精神科医ハンニバル・レクター。彼から情報を引き出すため、美貌のFBI捜査官候補クラリススターリングが派遣される。なぜレクターのような輩に頼らねばならないかといえば、犯人が猟奇殺人者だからだ。この作品がサイコホラーと呼ばれる所以はそこにある。(言うなれば、サイコホラーというのは料理の味付けを指す言葉であり、料理そのものを表す言葉ではない。塩ラーメン、醤油ラーメン、味噌ラーメン、とんこつラーメン……のラーメンじゃない部分に当たるのがサイコホラーである。)

 レクターはクラリスをひと目見ただけで彼女のバックグラウンドについて様々に言い当てる。シャーロック・ホームズ仕草である。

 レクターは天才なので、犯人を容易に特定することができる。だからレクターが協力的だと映画が成り立たない。幸いにして、レクターがクラリスに協力する理由はなにもない。協力したとて、釈放されるわけではないのだから。

 というわけで、クラリスがレクターからいかに情報を引き出すか。ここが映画の肝となる。

 クラリスはレクターに様々な餌を与える。その見返りにレクターはクラリスにヒントを与える。餌はクラリス自身。彼女の知恵を示すことであり、彼女のトラウマを告白することだ。(このトラウマというのが子羊を救えなかったことだというのだから可愛いものである。クラリスの気高さと弱さが、レクターの邪悪さと強さを際立たせる。)

 ミステリー作品で頻出の役柄として、無能な警察がある。無能な警察は名探偵をないがしろにして、独自の推理を展開し冤罪を作り出す。この作品にもそれの亜種が登場する。彼の名はチルトン。彼はクラリスを出し抜くため、レクターに誤った餌を与え、結果的にレクターの脱獄を許してしまう。

 レクターがクラリスに残したヒントは大したものじゃないし、なんならレクターがヒントを出さなくてもクラリス単独で事件解決可能だったんじゃないか?というくらい、犯人に辿り着くまでの道筋に特段の仕掛けはない。ミステリーにおいて、冴えたトリックは必ずしも必要ではないのだ。大事なのは、真実に辿り着くまでにいくつかのステップを踏むこと、そしてそこにドラマがあることなのではないか。

 

 『羊たちの沈黙』において、クラリスたちが獲得するのは自由だ。

 犯人のバッファロー・ビルは肉体からの自由を求めて殺人の罪を犯し、それは被害女性たちの自由を奪うものだった。罪を暴くために、クラリスが動き、上院議員の娘は囚われの身から解放される。これによりクラリスもトラウマから(たぶん)解放され、ついでにレクターも解放される。

 自由にも色々な自由があるのである。

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 ちなみに、2022年に直木賞を受賞した米澤穂信の『黒牢城』も同じく囚われの安楽椅子探偵を描いている。