たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

絶望感を覚えるほどにミステリーとして完璧すぎる『深夜の告白』

アメリカ映画ベスト100制覇への道:その14 深夜の告白

 銃撃された様子の保険外交員ウォルター・ネフが、同僚のキーズあてに録音メッセージを残す。それは保険金殺人の告白であったーー。

 『深夜の告白』は倒叙ミステリーで保険金殺人を描いた映画だ。監督はビリー・ワイルダーで、脚本にはあのレイモンド・チャンドラーが参加している。レイモンド・チャンドラーといえば、アニメ好きの間では『コードギアス 反逆のルルーシュ』の名台詞「撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけだ」の元ネタとして有名なハードボイルド小説の巨匠である。

 名作映画が必ずしも面白いとは限らない。面白いと思っても、「80~100年前の作品なのに」という枕詞が付く気がするときもある。

 だがしかし! この映画は今でも圧倒的に面白い! 考えれば考えるほど完璧すぎるのである。この作品は。

保険金殺人という題材

 まず保険金殺人という題材はミステリーと究極的に相性が良い。

  • 保険金殺人において、犯人は必ず「金のために」「家族を」殺す。
  • 保険金殺人は殺人とバレてはいけない。
  • 保険会社の社員という探偵が存在する。

 すべての保険金殺人はおぞましいと言っても過言ではあるまい。なぜならば、保険金殺人は金のために家族を殺すものだからだ。このおぞましさに観客は魅了される。

 保険金殺人は殺人とバレてもいけない。生命保険の種類にもよるかもしれないが、他殺はもちろん、自殺とさえ思われてもいけない。高度な計画的犯行が要求され、ここに謎が生まれる。

 ミステリー小説においては探偵役を置く必要があるが、保険金殺人においてはここに労力を割く必要がなくなる。生命保険会社の社員という探偵役が説明するまでもなく存在するからだ。しかも、ここにはお仕事小説的な要素も忍ばせることができる。

 ちなみに、ミステリーというよりはホラーだが、日本では貴志祐介の『黒い家』が保険金殺人をモチーフにした名作として思い浮かぶ。後の『悪の教典』にもつながるサイコパスの登場がこの小説の目玉であるし、貴志祐介は保険会社に勤めていたから詳細な描写が可能だった。

犯人の妥当性

 殺人を巧妙に偽装することは難しい。犯人はいかにして計画を思いつくのだろうか?

 という問題がすべてのミステリーには(本来であれば)つきものなのだが、『深夜の告白』ではこれに完璧な答えを用意している。保険会社の「中の人」を犯人にすればよいのだ。それであれば生命保険について熟知しており、普段から絶対にバレない保険金殺人の方法について考えていてもおかしくない。(特に映画の場合、トリックを考えるシーンを挟む必要がないから、時間を節約することができるという大いなるメリットがある。)

 これにより思わぬ副産物も生じることになった。犯人と名探偵が同じ職場で働いている状況が生まれたのだ。これには二つの効果があって、一つは名探偵が近くにいるせいでバレないかどうかを常に意識しなければならないサスペンスを生じさせる効果。もう一つは、犯人と名探偵が同僚なのであるから、友人でありながら敵という矛盾した関係性を両者の間に結ぶことができて、物語をドラマティックに仕上げることが容易になる。

ホワイダニット倒叙

 殺人を行うために、犯人は二つのものを持っていなければならない。手段目的だ。この二つが揃った時に初めて事件は動き出す。

 上述のとおり、主人公のウォルター・ネフはすでに手段を持っていた。だから彼に必要なのは目的だ。物語の焦点は「なぜウォルター・ネフは保険金殺人をするに至ったのか?」となる。

 これを描くために最適な形式として倒叙が採用された(おそらくこれにはネフのトリックが謎としてさほど面白いものではないことも関係している)。冒頭に書いたとおり、この映画ではウォルター・ネフ自身が語り手となり、過去を回想していくのだ。

ファム・ファタール

 ウォルター・ネフが殺人を犯す動機は、ファム・ファタールである。偉そうに「ファム・ファタールである」とか書いたが、正直ファム・ファタールがなんなのかよく分かっていない。男を破滅させる悪女のことだと考えているけど、詳しいことはWikipediaを読んでいただきたい。

ファム・ファタール - Wikipedia

 ウォルター・ネフが保険の営業に顧客の屋敷を訪ねると、バスタオルを巻いただけの美人な奥様が出迎えてくれて……という具合である。

 言うまでもなく二人は不倫関係に陥る。奥様と家の主人の関係は冷え切っているのだ。二人が結ばれるためには、旦那との関係を断ち切らなければならない。それでいて、経済的に困りたくはない。だから保険金殺人に手を染める。ありがちな話だ。

 ただし、当初、ネフは即座に奥様の企みを見抜き、一時は別れる。だが、一度好きになったらそう簡単には離れられないものである。好きな女が間違ったことをしようとしているのならば、「救わなければ!」と思ってしまうのが男の性だ。こうしてネフはズルズルと闇に引きずり込まれてしまうわけである。ここの描き方が上手い。

 忘れてはならないのは、保険金殺人がなぜおぞましいのかだ。それは「金のために」「家族を」殺すからだった。ところが、ネフの目線から見ると、この事件は「女のために」「他人を」殺したに過ぎない。したがって、この物語のおぞましさを担うのは、保険金の受取人である、この美人で淫らな奥様なのである。彼女こそが「金のために」「家族を」殺すのである。

 しかも、動機として不倫関係が選ばれているのは、それが人間の三大欲求である性欲に関わるものだからというだけにはとどまらない。「家族を殺す」と「新しい家族を作る」が対になっているのだ。保険金殺人の動機としてこれ以上に適切なものはなさそうに思える。

複数犯だから生まれるドラマ

 犯人が二人いることで、物語に複雑性がもたらされる。犯人VS名探偵という一対一の対立構造ではないのだ。犯人VS犯人の構図もあるし、片方のストーリーラインとは別のストーリーラインが存在する。

 ネフは計画の実行後、これまた美人な娘を監視するために一緒にすごすことになる。二人は次第に仲良くなり、ネフは奥様の恐ろしい秘密を知ることになる。

 また、保険金殺人ではフーダニット(誰が犯人か?を重視する物語)は成り立ちにくい。保険金の受取人が犯人である可能性が極めて高いからだ。奥様は容易に容疑者として浮上するが、ネフはそうではない。名探偵キーズの調査が進んでいくにつれ、容疑者として第三の男の名前が上がる。

 こうして物語は収束していき、終わりを告げる。

ファム・ファタールの対となる存在

 娘はファム・ファタールの対となる存在だ。美しいが、悪女ではない。純真無垢といってもいい。

 この役割は非常に重要だ。『深夜の告白』はネフが罪を自白するところから始まる。物語の焦点が「なぜウォルター・ネフは保険金殺人をするに至ったのか?」にあることは上に書いたとおりだが、実はもう一つの謎がある。「なぜウォルター・ネフは自白をするに至ったのか?」だ。

 エッチな奥様がネフの欲望を表しているとすれば、美しい娘はネフの良心を表している。『深夜の告白』が「深夜の告白」たる所以は、この娘にある。

動かない車

 些末な話になってくるが、倒叙物には絶対に欠かせないシーンが存在する。それが計画実行中のトラブルだ。この映画では動かない車がそれに当たる。計画を実行して、後は帰るだけ……なのだが、車が動かない。これがないと犯行の場面はただ機械のように計画を遂行するだけになって面白くない。

 ただし、このトラブルは一過性のものにすぎない。計画は完璧に遂行される必要がある。完璧に遂行された(ように思える)犯行が見破られてこそ名探偵の腕が光るからだ。

『深夜の告白』は完璧すぎる

 保険金殺人というモチーフはミステリーの題材として実に魅惑的だ。ところが、保険金殺人をモチーフにしたときの最適解は『深夜の告白』がすでに結論を出してしまっている。そうとしか思えないのである。

 保険金殺人をモチーフにミステリー小説を書くとすれば、『深夜の告白』の二番煎じとなるか、『深夜の告白』より劣った作品となるかしかありえないのではないか。『深夜の告白』に並ぶ、あるいは超える作品を作るには、もう一本、物語の軸になるような何かを持ってこないと無理なのではないか。

 『深夜の告白』はある種の絶望さえ感じさせるほどに圧倒的な名作だった。