たぬきのためふんば

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アメリカ映画ベスト100制覇への道:その31 裏窓

 世界を転々とするカメラマンが片脚を骨折し、部屋の裏窓から景色を眺めることに静養中の楽しみを見出す。

 

 『裏窓』は1954年の映画。監督はアルフレッド・ヒッチコック。主演はジェームズ・スチュアートグレース・ケリーアカデミー賞では4部門を受賞。

 

 『裏窓』の最大の特徴はなんといっても、タイトルのとおり、ほぼ裏窓から見た景色のみでストーリーが進行することだ。裏窓とは家の裏側にある窓のことだが、主人公の家の窓からは中庭を挟んで向かいにあるマンションの裏窓が一望できる。裏窓を通して、住人たちの世間には見せないであろう裏の顔を主人公は(そして我々は)覗くことができる。このギミックを使うことで、我々の出歯亀欲を満たしてくれるだけでなく、映画とはいかなるものかを表現することができる*1

 面白い試みだが、重大な欠点がある。場面転換を生み出せないことだ。この欠点を補うためには、かなり練られた話の筋が必要になる。

 以下では、脚本家の思考を辿ってみたい。

 

 裏窓ギミックを成り立たせるための大切な要件がある。主人公が移動できないことだ。というわけで、主人公は脚を骨折している。骨折だから全治二ヶ月くらいだろう。残り一週間でギプスが取れるくらいの時期から始めるのが良さそうだ(出歯亀の楽しみに目覚める過程は描く価値に乏しい)。

 なぜ主人公は脚を折ったのだろうか? この疑問に答えるには、いったん別の疑問に答えなければならない。現段階ではあまりにも可能性が多すぎるからだ。階段を踏み外したのかもしれないし、暴漢に襲われたのかもしれない。

 先に考えるべきは、この物語に相応しい人物とはどのような人物であろうか?ということだ。裏窓という視覚装置を通して他人の生活を覗き見るのに適した人物といえば……カメラマンである。

 これで先程の疑問に答えられるようになる。主人公はカメラマンの仕事をしている最中に怪我をしたのだ。たとえば、カーレースの撮影中に、スーパーカーが飛び出してきて巻き込まれたとか……。そう、彼の部屋には、カメラに向かって飛んでくるスーパーカーの写真が置いてあるのだ。被写体が撮影者に牙を剥く瞬間……これは物語のクライマックスを暗示するものとなる。それにセリフでは語らせない。観客は断片的な情報から主人公のバックグラウンドを推測する。これと同じことを主人公にもさせるのだ。もちろん、主人公が推測するのは……殺人事件の真相だ。

 お膳立てはある程度整った。次に裏窓からどんな景色が見えるのか考える。まず、初っ端に観客の注目を集められる人物が必要だ。観客が興味を持つものといえば、死……これはまだ早すぎる。金……これは主人公の近くに置きたい。お色気……これだ。向かいのマンションの住人の一人は下着姿の美女にしよう。それにもう一つ、アツアツカップルも用意しておこう。

 肝心なのが、殺人事件だ。殺人事件が発生し、主人公は裏窓から見た景色を材料に彼にしかできない推理を展開する……違う。何かが足りない。

 「裏窓から裏窓を覗く」という行為は、映画のメタファーだ。現場にいる警官とは別の次元の推理をしなければならない。……となると「犯人を推理する」こと自体が間違っている。主人公は事件が起こったことを推理するのだ。

 事件は裏窓を通して見えるだけだから、シンプルな方がいい。部屋には二人。倦怠期の夫婦がいい。夫婦喧嘩を見せることで、観客に事件の発生を予感させるのだ。

 どうして主人公は殺人事件が発生したことに気づくのだろう? 夫婦の一人がある日を境に消えるのだ。だが、人が部屋から消える理由などいくらでもある。殺しがあった疑いを強めるには、失踪する人物は自由に動けない人物である必要がある。妻は寝たきりなのに忽然と消えるのだ。

 主人公は殺害現場を目撃するわけではない。あくまで断片的な材料から推測するだけだ。本当に事件があったのか最後まで分からない方が面白い。ということは、犯行当時、裏窓は閉じられていなければならない。その理由よりも前に、平常時に近所の裏窓がすべて開かれている理由が必要だ。冬に窓は開かない。季節は夏。猛暑なのだ。猛暑にあって窓が閉じられる理由といえば、雨、それも物音をかき消す豪雨だ。この豪雨の中、何度も家を出入りする夫を主人公は目撃する。かなり不自然だ。ここから主人公は疑いを持ち始める。もちろん始めはちょっとした疑念でしかない。しかし、一度疑いを持つと、犯罪と結びつくものが次々に見つかるのだ。包丁、のこぎり、妻の所持品の不自然な扱い、浴室の清掃……。主人公は確信を深めていく。主人公だけじゃない。最初は眉をひそめていた周囲の人物も、だんだんと感化されていくのだ。

 どれも犯罪を裏付けるものではない。クライマックスの手前で、主人公の推理は警察から完全否定される。だが、その直後、主人公に事件の発生を確信させる何かが起こる。第二の事件だ。第一の事件がバラバラ殺人だから(大人の遺体がひっそりと消失するのだからバラバラ殺人のはずだ)、断片がどこかに隠されている。それを見つけた人物が殺害されるのだ。死体を隠すにはまず土の中だ。中庭に死体の一部が埋められている。それを見つける人物は……犬だ。

 ここでいったん別の住人について考えよう。犬を飼っている人物が必要であることが分かった。それにもう一つ、主人公が妄想に囚われていることを暗示する人物がいるといい。観客に迷いを生じさせる役割だ。その人物は、彼自身が妄想に囚われている。遠目に覗くだけなのに妄想に囚われていることが分かるには……まるで透明人間がいるかのように振る舞う人間。孤独なオールドミスなどがいいかもしれない。最終的に彼女には現実の恋人を見つけてほしい。もう一人、孤独な男性を用意しよう。映画を彩る音楽を奏でる人物がいい。しがない作曲家だ。彼女が自殺をしようとする時、彼の曲で思いとどまるのだ。この映画は群像劇でもある。

 閑話休題

 犬が殺されて、主人公は殺人が行われていたことを確信する。庭に何が隠されているかを探しにいくのだ。が、彼は動けない。自由に動ける助手が必要だ(それに探偵には助手が付いているものだ)。ここには美女を配置しよう。それも金の香りが漂うゴージャスな美女だ*2。大金を稼ぐ女性、しかもそれが視覚的に分かりやすい職業といえば、モデルだ。

 主人公は動けないのだから、関係はすでに構築されていなければならない。二人は恋人関係にある。二人の関係性には動きがあったほうがいい。「恋人→破局」か「恋人→夫婦」か……。彼女が助手であるためには(それもクライマックスで働いてほしい)、後者の方がよさそうだ。だとすれば……物語の始まりでは、主人公は恋人が完璧すぎて、各地を転々とする自分とは合わないと感じている。だが物語を通して二人は冒険を共に経験する。主人公は恋人が冒険できる女性であることを知り、結婚の可能性が開かれる……これだ。

 恋人はモデルだからカメラに撮られることを生業としている。ファインダーを覗く主人公との間には、見る者と見られる者という断絶がある。事件の中で、二人は互いにこの断絶を飛び越えることを経験をし、二人の間の断絶が控えめにいって浅くなるわけだ。そう考えれば、二人の関係は、映画に華を添えるためテーマと無関係に並行して語られるトピックではなく、事件とシンクロしてこの映画のテーマを深掘りする要素となる! か……完璧ではないか……!!

 そう、だから、犯行を確信した主人公たちは、部屋を出て容疑者に対してアクションを取る。安全圏である裏窓のこちら側にいた恋人は、あちら側に行くことで危険に見舞われる。ついにサスペンスが発生する。ここからは一気に畳み掛ける。恋人の危機をきっかけに主人公の存在が容疑者に気付かれる。裏窓のこちら側に容疑者がやってくる。容疑者は主人公を襲う。ここで初めて、観客は殺人事件があったことを確信する。と同時に、観客は殺人者が自分を襲う恐怖を主人公とともに味わうことになるのだ。場面転換がない静の映画がここで一気に動き出す。この落差! 場面転換ができないという制約は欠点かと思われたが、ここに来て強力な武器と化す! ……いや、まだ足りない。主人公も裏窓を超えねばならない! 犯人は主人公を裏窓から外に押し出すのだ!!

 

 こんな感じだろうか。実際にはこれほど順序立てて考えていないとは思うし、上に書いたことは要所要所で様々な発想の飛躍がある。だが、観客を楽しませるための強固なロジックが『裏窓』の基盤にあることは間違いない。

 ヒッチコックの映画は『サイコ』を見たことがあるが、個人的には断然『裏窓』の方が好きだ。サイコスリラーの傑作は『サイコ』以降もたくさん作られたが、『裏窓』みたいな映画はたぶんそんなにないから今見ても目新しさがある。

*1:解説サイトを見たらそう書いてあった

*2:グレース・ケリーよりもこの役に相応しい女優がいようか。いや、いない。