たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

ワリエワのドーピング問題のまとめ&感想

今週のお題「冬のスポーツ」

 

 現在、北京オリンピックが開幕中です。

 羽生結弦が4回転半に挑戦したり、平野歩夢が疑惑の判定を食らいながらも金メダルを獲得したり、ショーン・ホワイトが引退したり、ロコ・ソラーレが決勝に進出したり、様々なニュースが生まれています。

 

 終盤で最も話題になっているニュースの一つがフィギュアスケートの女子シングルです。

 話題の中心にいるのは、15歳の少女。その名もカミラ・ワリエワ

 4回転ジャンプとトリプルアクセルを武器に、世界最高得点を3回も更新し、現在も記録を保持している。シニアに来てから負けたことがないという圧倒的な金メダル候補。

 しかし、フリーの演技は精彩を欠き、4位に。まだあどけなさの残る少女が世界中の非難を浴び、コーチに叱責され、さめざめと泣く姿は非常に印象に残りました。

状況のまとめ

 ニュースになっているのは知っていたけどスルーしていた、試合を見て初めて何があったのか興味が湧いた、という人も多いのではないでしょうか。私はそうです。

 ところが、後から時間軸を遡ってニュースを追うのは意外と難しかったりします。グーグル先生は最新のニュースしか教えてくれません。ニュースサイトも「これまでのニュースは見てきてるよね?」という態度で報道するのが常です。日々新しいニュースが登場するのだからいちいちこれまでの経緯をまとめてらんないというのは理解できますが、困ったものです。

 どうしたものか? 私は一つのことに気づきました。ググるのではなく、特定のニュースサイトの中で検索すれば、遡りやすいのでは?と。(ちなみに、Wikipediaを見るのも一つの手です。)

 そこでNHKニュースを利用してみることにしてみました。なんか信頼できそうだし、五輪用のページを立ち上げていて上手いことフィギュアスケートだけの記事がまとまっていたからです。

 その成果を以下にまとめます。

ドーピングの発覚

 彼女が大会中に最初にニュースになったのは2月7日。団体戦に出場したワリエワは順当に4回転サルコウトーループを決め、オリンピックで4回転ジャンプを成功させた初めての女子選手となりました。金メダル獲得に大きく貢献します。

www3.nhk.or.jp

 次にニュースとして登場したのが2月11日。ドーピング問題で団体戦のメダル授与式が行われなかったという情報があった中で、正式に発表されたのがこの日のようです。

 2021年12月のロシアの大会でワリエワに行った検査の結果、禁止薬物であるトリメタジジンについて陽性反応が出たというものです。これが発覚したのが2月8日。

 検査結果を発表したのはITA(国際テスト機関)。ロシアアンチドーピング機構(RUSADA)はこれを受けて、ワリエワの資格を一時的な資格停止処分を行ったが、ワリエワ陣営は抗議。処分は解除されます。

 処分が解除されたことに対し、IOCはCAS(スポーツ仲裁裁判所)に不服申立をすることになりました。

ワリエワのドーピング疑いでITAが声明 “禁止薬物の陽性反応” | フィギュアスケート | NHKニュース

 2月12日。CASはIOCとWADA(世界アンチドーピング機構)からの不服申立を受理したと発表。ちなみに、本来であればWADAが単独で担当する案件のようで、IOCがここに加わっているのは問題の迅速な解決のためのようです。

www3.nhk.or.jp 

www3.nhk.or.jp

 その後、ワリエワが練習したとか、IOCが年齢に配慮した対応の必要性について言及するなどのニュースがあります。

CASの裁定:出場は継続される

 CASの結論が出たのが2月14日。出場継続は妥当だということになりました。

 その理由として、

  • 16歳以下は要保護者にあたり、証拠の基準や制裁が低く定められていること
  • 検査は12月に行われたものであること
  • 順位を後から取り消すことはできるが、出場機会を後から認めることはできないこと

が挙げられているようです。

 これに対して、WADAは処分の解除は規程に合致しないことを改めて指摘。USOPC(アメリカオリンピックパラリンピック委員会)のCEOが失望を表明。IOCは、決定されたのは出場の可否に過ぎず、問題の結論はまだ出ていないとして、ワリエワが3位以上に入賞すれば授与式は行わないことを発表しました。

www3.nhk.or.jp

ワリエワ “祖父の薬” 混入の可能性主張 CASが裁定文書公開 | フィギュアスケート | NHKニュース

IOCはワリエワの成績は暫定的なものとして扱う

 2月16日。IOCはワリエワの成績は暫定的なものとして扱うと明言し、ワリエワが3位以上に入った場合に4位の選手にメダルを与える余地を残しました。

 また、ニューヨーク・タイムズは禁止ではない薬物が2種類検出されたことを報道しました。USADAの幹部は、持久力の向上や疲労軽減を目的にしているものと見られるとコメントしたようです。ワリエワ陣営は、ワリエワの祖父の薬が混入した、トリメタジジン以外の2種類については事前に申告済みであることを主張しているそうな。

IOC ワリエワの成績は“暫定的”フィギュア女子シングル | フィギュアスケート | NHKニュース

 ここまでの流れがまとまっているのが以下の記事。

フィギュア ワリエワ 【詳しく】なぜ出場継続? メダルは… | フィギュアスケート | NHKニュース

ロシア側の主張

 ロシア側はどうかといえば、やはり反発。以下のように主張しているようです。

ドーピング規程は、オリンピックの期間中にドーピング違反の疑いがあった場合にのみ、結果の再検討が行われると表現されている。

フィギュア ワリエワの順位「暫定的なもの」 ROC「強く反対」 | フィギュアスケート | NHKニュース

競技の結果

 結果は前述のとおり、ワリエワは実力を発揮できず4位に。優勝はROCのアンナ・シェルバコワ、2位はやはりROCのアレクサンドラ・トゥルソワ、3位は日本の坂本花織でした。

 涙にくれる15歳は今や悲劇のヒロインとなり、世間の批判の矛先は名伯楽エテリ・トゥトベリーゼに移っています。演技後のワリエワを叱責する姿がカメラに映っていたようで、批判の的になっています。

www.j-cast.com

 銀メダルに輝いたトゥルソワがブチギレていたのも話題になっていますね。(金メダルを獲得したのに影が薄いシェルバコワよ……。)

ドーピング規程について

 ロシア側の主張(オリンピック期間中にドーピング違反の疑いがあった場合のみ結果の再検討が行われる)には一理あるのでしょうか? これを確かめるにはドーピング規程を読んでみるのが一番です。ググると、以下のサイトが見つかりました。

世界アンチ・ドーピング規程|日本アンチ・ドーピング機構 | Japan Anti-Doping Agency (JADA)

 とりあえず気になるのがドーピングの要件です。アンチドーピング規則違反は第2条に規定されています。今回の件に関連しそうな部分を簡単にまとめると以下のような感じです。次のいずれかに該当すればドーピング認定されるっぽいです。

  • 検体に禁止物質等が存在すること
  • 禁止物質等を使用すること(故意等を証明する必要も、効果が出る必要もない)

 これを見る限り、現状では、ワリエワがドーピングしていないという主張は無理筋な気がします。

 ロシアの主張はおそらく第9条に基づくものです。

個人スポーツにおける競技会(時)検査に関してアンチ・ドーピング規則違反があった場合には、当該競技会において得られた個人の成績は、自動的に失効し、その結果として、当該競技会において獲得されたメダル、得点、及び褒賞の剥奪を含む措置が課される。

 たしかに、成績が失効するのはあくまでその競技会に限られるように見えます。

 が、おそらくIOC等、ロシア以外の関係者が問題にしているのは資格が停止されるか否かにあるものと思われます。資格停止中の競技成績は無効になります。10.10にはこうあります。

第 9 条に基づき、検体が陽性となった競技会における成績が自動的に失効することに加えて、陽性検体が採取された日(競技会(時)であるか競技会外であるかは問わない。)から、又はその他のアンチ・ドーピング規則違反の発生の日から、暫定的資格停止又は資格停止期間の開始日までに獲得された競技者のすべての競技成績は、公平性の観点から別途要請される場合を除き、失効するものとし、その結果として、メダル、得点、及び褒賞の剥奪を含む措置が課される。

 規程を流し読みした感じでは、問題の焦点は「再検査で陽性が出るか否か」になる気がします。もしそれで陽性と出れば、故意でなかろうが、ワリエワは2年~4年の間、競技会に出場できないっぽい印象です。

 ですが、以下のサイトによると、

ワリエワは現在16歳未満のため、WADAの規定では「要保護者」に当たる。

この立場だと処分が軽減される可能性があり、通常4年間の資格停止が、警告もしくは最長でも2年間の資格停止にとどまることが考えられる。

だそうです。私の検索能力では、禁止物質が発見された場合に関して要保護者なら免責されるとする文言は見つからなかったのですが、たぶん記事が正しいのでしょう。ワリエワたんのことを考えるとそうであってほしい……。

www.afpbb.com

私見

 ここからは私の感想を垂れ流します。

ロシアの選手はみんなドーピングしているか?

 今回、ロシア勢は異次元の演技を披露しました。優勝したシェルバコワは4回転フリップを2回、しかも綺麗に決めています。銀メダルのトゥルソワは4回転トーループサルコウ、フリップ、ルッツを成功させています。ワリエワも本来はトーループサルコウを跳び、トリプルアクセルもできる選手です。

 これは一昔前の男子よりはるかに難しいジャンプ構成です。エヴァン・ライサチェクは4回転を飛ばずにバンクーバーオリンピックの金メダルを取りました。私はトゥルソワの演技を見て鳥肌が立ちました。

 当然、他国はこのレベルについていけません。ロシア女子だけが異様なスピードで進化しているのを見ると、「どうせトゥルソワも……」と思いたくなる気持ちは分かります。

 ただ、これだけ注目されている状況でドーピングして臨むか?というのは大いに疑問です。リスクが高すぎるので、少なくとも今大会に関してはドーピングはしていないんじゃないかと思います。

 ワリエワの検体から検出された物質も持久力を向上させるもののようです。ということは、その効果はあくまで「4回転ジャンプを跳んでも疲れない」ことであって、「跳べない4回転ジャンプを跳べるようにする」ことではなさそう。つまり、彼女たちは地力で4回転ジャンプを跳んでいるはず。

 「いやいやロシアは検出されないドーピングの方法を開発したんだ」という説も考えられますが、ワリエワが陽性になった理由を説明できないので可能性は低そうです。

 たしかにロシアにドーピング文化がある可能性は否定し難いものがありますが、それを以て全員がいつでもドーピングしていると断ずるのは乱暴です。それがありならプルシェンコヤグディンもドーピンガーだったのか?と。直接的な根拠がないのなら、私は素晴らしい演技をした(してきた)選手たちを信じます。(できればワリエワの疑惑も偽陽性であってほしいものです……。)

エテリコーチは極悪非道か?

 上述のとおり、ワリエワを叱責したことで、エテリ・トゥトベリーゼコーチに非難が集まっています。

 ワリエワが単独でドーピングに及んだとは考えづらいことからコーチに疑惑の目が向けられるのは分かります。しかも、このコーチ、今回の三人に加え、メドベージェワ、ザギトワリプニツカヤを育てたメダル請負人。その成績の裏にドーピングあり、というのはこのコーチを認めたくない人にとっては実に魅力的なストーリーです。もし真実であれば、このコーチは鬼に違いなく、傷ついているワリエワを責めたこともその非情性が現れたケースと言えるでしょう。

 一方で、世界のトップに何人もの選手を送り込むというのは、普通の人間には計り知れない領域です。彼女の目にはワリエワが勝負を捨てたことが分かって、どれだけ可哀想でもそれを許してはならないと判断した、というのもありうる話です。

 燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。とかく超一流の世界というのは常人には理解できないものです。当事者の認識やドーピング問題の責任の所在が分からない現状において、部外者が彼女を断罪していいのか?という疑問は感じます。(ドーピングにエテリが関わっていない可能性がどの程度あるかは微妙なところですが……。)

 仮に彼女が真っ黒だったとしても卓越した何かがなければ結果は出せていないはずで、彼女から学べることはないのかを考えた方が、傍観者でしかいられない我々にとっては有意義なのかなあと考えたりもします。

ロシアの選手より日本の選手の方が良い?

 ツイッターやヤフコメを見ていると、「ロシアの選手はジャンプを跳ぶことに関しては抜きん出ているが、感動するのは日本の選手の演技だ」みたいな感じの意見が散見されました。

 これに関しては特に本当にそうだろうか?というのを強く主張したい。

 絶対にとてつもないバイアスがかかっていると思うのです。だってロシア勢がドーピング問題で揺れている中で、日本人が日本人を称えているのですから。

  • ロシア=悪=醜
  • 日本=悪ではない=正義=美

という図式を脳内で作り上げ、その尺度に基づいて評価をすることは容易に想像できます。

 しかも、日本には浅田真央という表彰台の常連がいて、彼女の引退以来、メダルは遠ざかる一方だったわけです。対して、ロシアは一時期の衰退が嘘のように躍進を遂げていた。これに関するルサンチマンが「日本のほうが感動する」説を生み出した可能性もあります。

 そもそも感動的度という尺度自体が人によって違う、曖昧なものです。

 そのような曖昧かつ確実に歪んでいる尺度でスポーツを語らないでほしい。弱者の強者に対する嫉妬が感じられてめちゃくちゃダサい。なにより、ロシアの選手の努力を否定しないでほしい

 私は最終グループしか見ていませんが、ワリエワの演技が一番美しいと感じました(ジャンプがボロボロでも!)。ただ、私は天邪鬼だし美女に弱いので、これもバイアスがかかっている可能性があります。ですが、坂本選手を否定しようとは思いません。彼女もスケーティングが良かったし、銅メダルにふさわしい演技だったと思います。

 まあ「ロシアの選手と日本の選手、どちらが幸せか?」という問であれば、日本の選手なんだろうなあ……とは私も思いますがね。

フィギュアスケートはジャンプだけの競技じゃない?

 上の論点とかなり近いですが、「最近のフィギュアスケートはジャンプ偏重だ。フィギュアスケートはジャンプだけの競技じゃないでしょうが!」みたいな意見もあります。

 これに関しても「お前は4回転ジャンプを跳びまくるのが日本勢だったとしても同じことが言えるんだな?」と言いたい。

 これについてはかなり前から似たようなことが言われています。現在の採点方式になったトリノ五輪の頃から「フィギュアスケートから美しさがなくなった」みたいなことを言う輩がいました。

 旧採点方式がどういうのかといえば、ざっくりいえば現在のスノーボードハーフパイプみたいな感じです。平野歩夢選手が謎の低得点を付けられて、採点方法に疑問の声が上がっているのは記憶に新しいところです。

 結局、万人が認める採点方法なんてものはありえないのです。4回転ジャンプの点数を下げれば、確実に「難しいジャンプの価値をもっと認めろ」という声が上がります。

 で、もし大切なのはジャンプじゃないと思うなら、アイスダンスを見ればいいんですわ。二人組じゃなくてシングルが見たいんじゃーというなら、プロのアイスショーを見ればいいんです。

ロシアの選手に幸あれ

 私が本当に思ったのは、ロシアの選手は素晴らしいということです。

 シェルバコワは美。美の化身。美しすぎる。祖父が物理学者、父親が地質学者で母親が結晶学者というインテリの家系に生まれた彼女。気品を結晶化させてみたらシェルバコワが生まれた可能性も否定できない。

 トゥルソワは誰よりもフィギュアスケートの地平を切り開いている。4回転を5個も跳んだのに金メダルが取れなくて泣き喚いたみたいだけど、その気の強さこそ何より素晴らしい。

 ワリエワの圧倒的幸薄感。世界中の大人に「俺が守護らねばならぬ」と思わせる儚さがある。誰かに似てると思ったら、日向坂46の上村ひなのだ。輪郭と表情(ハの字眉毛)が似ている気がする。ワリエワにも大喜利に挑戦して欲しい。

 要するに、彼女たちは人類の宝です。彼女たちには笑っていて欲しい。彼女たちの涙は幸せのために流されるものであって欲しい。決して十字架を背負わされて流れるものであってはならないのです。

 彼女たちにとって何が幸せなのか。これは簡単に結論を出していい問題ではないと思います。私たちの理想や妄想を押し付けてはならない。かといって、見守るだけでもいけない。非常に難しい問題です。

 オリンピックは人間の業を顕在化させる催しです。

 ロシアの選手に幸あれ。とりあえず私は彼女たちの声に耳を傾けていきたいと思います。

『ラ・ラ・ランド』で学ぶハリウッド脚本術

I'm a phoenix rising from the ashes.

(俺は灰から蘇る不死鳥だ)

 

 今日は『ハリウッド脚本術』と『LA LA LAND』について書きます。

ラ・ラ・ランド(字幕版)

『ハリウッド脚本術』とは

 『ハリウッド脚本術』は、タイトルどおり、ハリウッド映画脚本の書き方の指南書です。物語作りを志す人にとっては、おそらく定番の一冊。

 ハリウッド映画は世界で一番金になる物語ですから、ウケる物語を作るための教科書ということでこの本が紹介されることが多い気がします。

 よって、「就職なんかしないでラノベでも書いて楽して稼ぎてえ~!」という欲望を持っている就活中の大学生が読んだりします。かつての私です。欲望は露と散ります。

二つの欠点

 この本は定番の一冊でありながら、重大な欠点を抱えています。それが以下の二つ。

  • 翻訳の質が悪い
  • 具体例が古い
翻訳の質が悪い

 実際に読んでみると分かるのですが、『ハリウッド脚本術』はかなり難解です。

 大学生の頃の私は「やはり芸術の道は険しいものだなあ……」と考えながら読んだのでしょうが、今なら分かる。この本は翻訳の質がかなり悪い。

 この本を読むと、普段読んでいる本の翻訳がいかに優れているか分かるので、足るを知るきっかけとして最高の教材かもしれません。

具体例が古い

 もう一つ、これはいたしかたないのですが、具体例として挙げられている映画が古いです。初版が2001年ですから。

 古典的な名作をたくさん見ている人ならともかく、そうでない人は具体例が挙げられる度に「へ~そういう映画なんだ~」という感想だけ抱き、あまりピンとこない可能性が高いものと思われます。

 ここにはピンとこない以外の問題がもう一つあります。「果たして今の映画にも同じことが言えるのか?」という問に答えられないことです。それでは本への信頼感も揺らいでしまいます。

『ハリウッド脚本術』の骨子

 というわけで、ここではまず『ハリウッド脚本術』のエッセンスを要約してみます。その後、『ラ・ラ・ランド』に、ハリウッド脚本術理論が当てはまるのか検証していきます。

ドラマとは秩序を与えられた葛藤である

 著者は、最も原始的なドラマはスポーツであるといいます。たとえば、「井上尚弥とノニト・ドネアのどちらが最強なのか?」というのはボクシングファンを興奮させる問題です。

 ただ、井上尚弥とノニト・ドネアはどちらも最高のボクサーであると同時に、どちらも清々しいスポーツマンシップの持ち主です。どちらが勝ったとしても、我々はその結果に納得するに違いありません。

 この戦いを一味違うものにする方法は、正義VS悪の構図にすることです。井上尚弥ほど強くはないけど井上尚弥よりはるかに世間を騒がせたボクサーがかつて日本にいました。そう、亀田興毅です。

 亀田興毅はトラッシュトークで大いに世間の注目を集めました。スポーツマンシップの対極を行く亀田家の言動は批判の的になり、それゆえに、みんなが亀田興毅が負けるところを見たくなるのです。

 当時、亀田興毅がいかに世間を騒がせたのか? その証拠が下のリンクの先にあります。

プロボクシング高世帯視聴率番組 | スポーツ | プロボクシング | 過去の視聴率 | 週間高世帯視聴率番組10

 2009年の亀田VS内藤の試合は平均視聴率43.1%。2006年の亀田VSランダエタは平均視聴率42.4%。この時代、私の記憶ではすでにテレビの視聴率低下が叫ばれていた頃です。この記録がいかに驚異的かが分かるでしょう。

 亀田興毅の存在は「正義VS悪」という構図が人々の心を大きく動かすことの証左です。

 物語の場合、必ずしも正義と悪の戦いである必要はありません。価値観と価値観の対立構造ありさえすればよいのです。夢VS現実とか愛VS金とか。これを葛藤と言います。

 映画のような作り物の場合、この葛藤を描くために不要なものは一切描く必要がありません。これが「秩序を与えられた」の意味です。

三幕構成

 「何を描けばいいのか?」の答えが秩序を与えられた葛藤です。

 次の問題は「どのように描くのか?」です。これの答えが三幕構成です。

  1. 始まり=観客に問題を提示する
  2. 中盤=観客の期待を高める
  3. 結末=問題の解決

 映画はこれでできているというのです。上手い文章の構成についてPREP法とかSDS法とかがありますが、根本的にはあれと同じです。

 冒頭で観客の注意を引きます。ここで、この映画は何について語るのか(=登場人物は何をしなければならないのか)を示します。登場人物たちが何をやっているのかが最後まで分からなかった……という映画がたまにありますが、それは始まりで致命的な失敗を犯しているということでしょう。

 中盤では登場人物が問題解決のために奔走します。たいていの場合、ここで障害にぶち当たり、それがドラマを盛り上げます。

 結末ではついに問題が解決されます。観客が勝ってほしいと思う価値観が勝利をおさめ、主人公の目の前には新しい世界が広がることになります。

構成要素

 何をどのように描けばいいのかがわかりました。しかし、まだまだ漠然としていますので、もう少し具体的に映画がどのような要素で構成されるのかを紹介します。

  1. バック・ストーリー
  2. 内的な欲求
  3. キッカケとなる事件
  4. 外的な目的
  5. 準備
  6. 対立
  7. 自分をハッキリと示すこと
  8. オブセッション
  9. 闘争
  10. 解決

 映画は一人の人生を丸ごと描くものではなく、その一部を切り取ったものです。必然的に切り落とされてしまう時間軸が発生します。これが「バック・ストーリー」。

 上で説明したとおり、ドラマとは価値観と価値観の対立です。ここで勝利をおさめるのは、観客が勝ってほしいと思う方の価値観です。分かりやすくするため、観客が勝ってほしいと思う方の価値観を「良い精神」とここでは書きます。

 主人公はストーリーを通して、良い精神を獲得することになります。逆に言うと、ストーリーの開始時点で、主人公には良い精神が欠けているのです。それを描くことが「内的な欲求」の意味です。

 上で、正義VS悪の例として亀田興毅を挙げました。亀田興毅VS内藤大助の試合は、人々の心のなかではアンチスポーツマンシップVSスポーツマンシップの戦いであったと思われます(説明の都合上、かなり単純化しています)。しかし、亀田と内藤はお互いの精神を戦わせてバトルしたわけではありません。ディベートして、対戦相手にメンチを切るのが良いか悪いかを決したわけでもありません。ボクシングで戦ったのです。

 同じことが映画でも成り立ちます。主人公は何らかの価値観を巡って奔走するけれども、それは心の中の話にすぎません。観客を惹きつけるのはもっと目に見えて分かる問題です。「キッカケとなる事件」が起きて主人公が問題に直面し、その問題を解決するための「外的な目的」が設定されます。

 ビジネスに置き換えると、外的な目的=KPIと言えるかもしれません。「事業が上手く行っているか」というのは直接に測定することはできないので、顧客満足度などの測定可能な指標を使ったりします。物語でも「人生上手くいっている度」は測定不可能なので、役者を目指している主人公なら役者になれそう具合をKPIとして置くわけです。

 目標を達成するために主人公は「準備」をします。トレーニングをするかもしれないし、仲間を集めるかもしれません。

 準備にも関わらず困難にぶち当たります。この困難は「対立」する人物によってもたらされます。

 困難に打ちのめされた結果、主人公は本当の自分と向き合います。その結果、行動がそれまでと変わります。これが「自分をハッキリと示すこと」です。

 主人公はそれまで以上に真剣に、背水の陣で問題と向き合います(「オブセッション」)。死闘の後に、価値観の戦いの勝敗が決します(「闘争」)。良い価値観が勝利したことで、主人公はストーリーの開始時点とは別人のようになり新しい人生を歩むことになります(「解決」)。

登場人物について

 以上に書いたストーリーの構成要素はすべて登場人物を介して描かれます。

 脚本家が描く以上、登場人物は脚本家の分身でしかありえません。したがって、登場人物は作るというよりも、自分の心の中から探すものになります。自分の中にある何かを誇張したりすることで、登場人物は自分ではない一人の人間として浮かび上がってきます。

 登場人物がどんな人物かは、何よりもその人が「どんな選択をするか」によって決まります。登場人物には自意識があります。自分はどんな人間であるか? あるいは、どんな人間でありたいのか? それに従って、その人なりに最も合理的な(=コストのかからない)選択をします。

 ところが、ある事情によって葛藤が生まれ、通常ならしそうもない選択をする。こうなると選択は劇的なものになります。

ラ・ラ・ランド

 『ハリウッド脚本術』の内容が分かったところで、『ラ・ラ・ランド』に当てはまるのかを見ていきます。

 なぜ『ラ・ラ・ランド』なのか。私が大好きな映画だからです。マイベストムービーと言っても過言ではありません。『セッション』(Whiplash)と『ラ・ラ・ランド』で一二を争っています。

始まり

 まず冒頭を飾るのが、ロサンゼルスの高速道路で繰り広げられる群舞。このシーンは「この映画はミュージカルですよ」と観客に対して高らかに宣言しています。ちなみに私は初見の時、早くもここで心を奪われました。

 続いて、ミアがセブに出会うまでが描かれます。ここでは、映画女優になりたいという夢と、それとは程遠い現実が描かれます。

 時間が遡って、視点がセブに移ります。まず姉との対話があり、この中でセブのバック・ストーリーがわずかに語られます。と同時に、この映画における対立軸がほのめかされます。夢VS現実です。夢を追うセブには金がなく、現実を見さえすればセブは富も恋人も得ることができそうです。そんな現実の誘惑には目もくれないのがセブというキャラクターで、これが端的に表れるのがレストランのシーンです。

 金のためフレッチャーに従うか、自意識を守るために自分の好きな曲を弾くのか。この二択を迫られたセブは葛藤の中で後者を選択します。この映画で最初の劇的な選択であり、セブのキャラクターを見事に浮かび上がらせています。

 謎のパーティーで再びミアとセブは出会います。先だっての姉との会話の中で、ジャズが好きじゃない女性はセブにとってアウトオブ眼中であることが描かれていました。ミアはセブのバンドに『I ran』をリクエストしますが、これはセブにとって屈辱的な曲でした。逆に、セブはセブでレストランでミアを無視したり、ここでもミアに突っかかったりしています。つまりお互いに理想の恋人像とはかけ離れた存在だったはず。二人は自意識を保つために皮肉を言い合いますが、それにも関わらず惹かれ合っていきます。ここにもうっすらと葛藤があります。

 後日、ミアの店をセブが訪れ、語り合う二人。ここでミアがなぜ女優を目指すのか(バック・ストーリー)が語られます。バック・ストーリーは必要最低限な分だけ書けというのが『ハリウッド脚本術』の教えなのですが、ここで語られることはすべて伏線になっています。セブがミアの実家に行く時や最後のオーディションで機能します。伏線にならないことは語らせていないわけです。

 それを聞いたセブは、ミアに自分で脚本を書くことを提案します。ここで外的な目的が設定されました。自分で脚本を書いて女優になる。これがミアの目標になります。セブとミアの出会いはキッカケとなる事件だったわけです。

 ”I hate Jazz"と言うミアに対してセブがジャズについて熱く語ります。ここではセブには「ジャズ・バーを持つ」という外的な目的があることが示されます。

 セブにはキッカケとなる事件がありません。ミアに関しても「女優になる」が外的な目的だと考えるとキッカケとなる事件がないとも言えます。

中盤

 ミアがオーディションの一次選考に通るという奇跡が起き、これを口実にセブはミアとの次のデートをセッティングします。

 ところが、ミアという女は実にバカでして、その日は恋人グレッグとディナーの約束があることをすっかり忘れていたのです。

 セブとの約束をすっぽかして、グレッグとその兄と豪華なレストランで食事をするミア。しかし、スピーカーからセブが弾いていた曲が聞こえてきます。金持ちの今彼か、売れないミュージシャンか? この二択を迫られたミアは後者を選びます。葛藤を伴った劇的な選択です。(グレッグからしたらひでえ話だよ。)

 セブと付き合うこととなったミアはさっそく脚本を書き始めます。「準備」ですね。

 浮かれた二人に、現実という敵が牙をむきます。

 セブはミアが母親と電話をしているところを聞いてしまいます。売れないミュージシャンと付き合っていることを心配しているであろう母親に対して、ミアがセブを弁護しているのです。

 このままではいかんと思ったセブは、旧友であるキースのもとへ行きます。キースは古き良きジャズを捨て、売れる音楽を選んだ男。かつてのセブであれば、絶対に頼ったりはしませんでしたが、ミアと出会ったことでセブは自分の生き方を曲げます。

 こうして対立が訪れます。現実に魂を売ったセブVS夢を追い続けるミアです。

 さらに、ミアの一人芝居当日、職場から向かおうとしたセブは雑誌の撮影があることを告げられます。失念していたのです。またダブルブッキングかよ!とツッコみたくなりますが、「また」であることが極めて重要です。グレッグとセブの間で揺れたミアとの対比になっているわけです。あの時、ミアはセブを選びましたが、セブはミアを選びません。撮影を優先するのです。社会人としては当たり前なのでスルーしてしまいがちですが、セブは「仕事を選ぶ」という劇的な選択を行っていたのです。

 舞台を終えたミアは裏で酷評されているのを耳にしてしまいます。絶望したミアはセブをどついて田舎に帰ります。ミアは夢や情熱を追いたいという内的な欲求と今まで以上に真剣に向き合うことになります。

 セブのもとに一本の電話。ミアの一人芝居を見て気に入り、ミアにオーディションを受けてほしいという内容。ミアを迎えに行くセブ。しかし、もう傷つきたくない、これでダメだったら二度と立ち直れないとミアは拒否します。激論を交わした末、セブは明朝に家の前にいるように言い残して去ります。

 翌朝、ミアはセブの前に現れます。もう一度だけ、オーディションを受けることを決めたのです。これは自分をハッキリと示すことであり、オブセッションでもあります。

終盤

 オーディションでは「何でもいいから話をして」という無茶振りをされます。おそらく、これまでのオーディションで一番しんどい課題です。ミアは自分が女優を目指すきっかけになった叔母の話をします。実家の子供部屋に一度帰ったからこそ、それができたのかもしれません。ともかく、この場面は闘争に当たります。

 そしてラスト、解決です。5年経って、有名女優となったミアはセブではない男と結婚して子供も設けています。ミアは偶然、セブの店に立ち寄ります。セブとミアはお互いに気付きますが、言葉は交わしません。セブが奏でるピアノの音色は二人の間にありえたかもしれない人生を夢想させます。が、ミアはセブに声をかけることもなく、店を去ります。最後、二人は視線を交わし、頷きあって別れるのです。これが最後の劇的な選択です。

ラ・ラ・ランド』には二つの軸がある

 というわけで、『ラ・ラ・ランド』もおおむねハリウッド脚本術に則っていそうです。強いて言えば、夢を追い求める心や目的を最初から持っている点が変則的です。(ここを深堀りすると、この物語には第三の主人公がいて、それは夢を失いつつあるロサンゼルスであると考えることができなくはないかも。)

 映画の劇的な場面には常に葛藤がありました。その葛藤は、金にならず理解もされない夢を選ぶのか、金になり皆に理解される現実を選ぶのか、この両者の対立でした。

 ここまでは間違いないのですが、それだけではない何かを『ラ・ラ・ランド』には感じます。

 そこで、『ラ・ラ・ランド』がダブル主人公であることに注目してみたいと思います。

 上では、主としてミアを主人公として捉えていました。が、実は同じ夢VS現実でも、ミアとセブではそこに込められる意味合いに若干の異なりがありそうです。

 ミアの場合、夢を追うことは自尊心を著しく傷付けることで、現実を選ぶことは安寧に至る道でした。

 セブの場合、夢を追うことは金にならないことで、現実を選ぶことはミアを養えるようになる道です。セブにとって夢VS現実は夢VS金で、それは要するに夢VSミアであり、夢VS愛なのです。セブは一時、愛を選び夢を捨てようとしますが、一人芝居後のミアとの別れにより再び夢を追います。

 セブの視点からすると、ミアに振られることでどん底を味わい(対立)、改めてミアの夢を応援しに行き(自分をハッキリと示すこと)、ミアと別れることを選ぶくらい本気で夢を叶えることを選びます(オブセッション)。そして、夢が実現してバーを開きます(解決)。ミアがバーを訪れて立ち上がる、あの幻想、ミアと結ばれるけれど自分はバーを開けない人生。実に魅惑的な幻想。それでも、ミアと結ばれないけれどバーを開けたこの人生を笑顔で肯定する(闘争)。

 という構成になっているのではないでしょうか。こうやって考えると、『セッション』と同じく闘争で終わらせているのですね。

 二人の人物についての一本のストーリーを見せながらも、ドラマチックなポイントがそれぞれで違う。この重層性が『ラ・ラ・ランド』の面白さの秘訣かもしれませんね。

 

 ブログを始めてから初めて『ラ・ラ・ランド』を見たのですが、前にもまして胸に響きました。

 というわけで、復活してほしいものは私の心の中にある情熱の炎です。

 

今週のお題「復活してほしいもの」

きっとアニヲタにもなれないお前たちに告げる

 学園のカウンセリングルームにて。

「私、最近アニメにハマってるんです。『鬼滅の刃』、『呪術廻戦』、『東京リベンジャーズ』……最近流行りのアニメはすべて見ています」

「深く……もっと深く……」

「この間、ツイッタークソリプを食らったんです。そいつは私のことを『ニワカ女、お前はアニメのことを何も分かっていない』って馬鹿にしたんです。それ以来、ニワカという言葉が棘のように刺さって抜けないんです。私はニワカなんでしょうか? ニワカではいけないのでしょうか!?」

「分かりました。あなたは世界を革命するしかないでしょう。あなたの見るアニメは用意してあります」

カウンセラーが少女にブルーレイディスクボックスを手渡す。

「これは……」

「神アニメ。百万人のヲタクの胸に刻み込まれた、神聖なアニメです。アニメの沼は世界の果てへと続いています」

テレビに映し出された映像を見て、少女は目を見開く。

「もう抜け出せないよ。これが君の新たな心臓、新たな命だ。世界の果てに咲き誇る『少女革命ウテナ』、君に!」

「ああああああああああ!!!!」

 

卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでいく。

我らは雛、卵は世界だ。

世界の殻を破らねば、我らは生まれずに死んでいく。

世界の殻を破壊せよ。

 

 

というわけで、今日は見るアニメに迷ったら『少女革命ウテナ』を見ようというお話です。

なぜならば、少女革命ウテナ』を見ることで、様々な道があなたの前に広がることになるからです。

少女革命ウテナ』を作り上げた天才たちを通して、ウテナを見ると次に見るべきアニメがどう決まるのかについて語ります。


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OPも( ・∀・)イイ!!

幾原邦彦ルート

まず、アニメの質において決定的に重要な役割を果たすのが監督です。

少女革命ウテナ』の監督は幾原邦彦。通称イクニです。

聞いたことがない?

いや、あなたは知っているはずです。

忘れているだけで。

この幾原邦彦監督、あの美少女戦士セーラームーンRを手がけています。

セーラームーン』がどんな作品か、説明する必要はないでしょう。

日本人であれば誰もが知る名作です。

これは幾原邦彦監督の監督デビュー作でもあります。

この事実だけでも幾原邦彦の天才っぷりがうかがい知れますね。

というわけで、『少女革命ウテナ』を見たら、次に見るべきは美少女戦士セーラームーンです。

(※なぜか12話が表示されてますが、プライムビデオのセーラームーンのページに飛びます。以下同じ現象が続く。)

セーラームーンを見たことがない人はプリキュアみたいなものと思っているかもしれませんが、全く違います。

セーラームーンのほうがより大人向けです。

そんじょそこらの深夜アニメよりもはるかにドラマチックな展開が待っています。

美少女戦士セーラームーン』(無印)は最終回で主人公たちが全員死にます。

美少女戦士全滅エンドです。

子供向けアニメでそれはファンキーすぎる。富野アニメかよ。

とはいっても転生する(記憶は失われる)ので、ギリギリのラインは踏みとどまっています。

美少女戦士セーラームーンS

セーラームーンシリーズは傑作揃いですが、特に注目していただきたいのが3作目の美少女戦士セーラームーンSです。

この作品の何がヤバいかというと、百合界のカリスマが登場します。

短髪イケメンのセーラーウラヌス

長髪美女のセーラーネプチューン

この二人のカップルです。

ちょっと匂わせる程度ではなく、ガッツリ百合です。

土曜のゴールデンタイム、平均視聴率10%超の国民的アニメで堂々たる百合を描く。

時代の先を行き過ぎているぞ、セーラームーン

さらにヤバいのが、庵野秀明が関わっています。

新世紀エヴァンゲリオン』と『シン・ゴジラ』で今や世間的認知度も高いあの天才、庵野秀明が関わっているのです。

カリスマのバンクシーン(変身シーンや必殺技の何回も繰り返して使われる一連のカット)を担当しています。

めちゃくちゃカッコいい!

庵野秀明セーラームーンシリーズに関わったのは作品が彼の心に響いたからです。

新世紀エヴァンゲリオン』の葛城ミサト月野うさぎセーラームーン)と同じ声優で同じ前髪なのは偶然ではありません。

ここらへん深堀りすると色々なエピソードがありますが、割愛します。

輪るピングドラム

幾原邦彦監督は『少女革命ウテナ』以降、長い休養に入ります。

10年以上の時を経て、2011年、ついに復帰。

発表した作品が『輪るピングドラム』です。

幾原邦彦らしい謎めいたストーリーと演出で、放送当時話題になった作品です。

魅せるバンクシーンを作る手腕と、美麗な画作りは全く衰えておらず、ぜひ見ておきたい作品です。

佐藤順一ルート

セーラームーンシリーズで幾原邦彦が監督を務めたのは2作目の『美少女戦士セーラームーンR』からです。

美少女戦士セーラームーン』は違う監督が務めています。

その監督こそ佐藤順一です。

この佐藤順一監督もヤバイやつです。

彼のヤバさはそのヒットメーカーぶりにあります。

彼が携わった作品を見ていきましょう。

有名作品目白押しです。

私と同年代の人間であれば、彼の関わった作品を一つとして聞いたことすらない人は少数派のはず。

その才能は早くから認められていて、名門・東映アニメーションにおいて最年少監督デビューの記録を持っています。

少女革命ウテナ』でも超重要な回で絵コンテを担当しています。

セーラームーンでは最初のシリーズが一番好き!」という方は佐藤順一監督作品をさらっていくのがおすすめです。

上に挙げた作品以外だと、カレイドスターたまゆらが個人的にはオススメですね。

カレイドスター』は日本人の少女がアメリカのサーカス団に加入し究極の高みを目指す話。イイハナシダナー要素と胸アツ要素を兼ね備えている。

榎戸洋司ルート

少女革命ウテナ』のシリーズ構成(脚本のリーダー的な存在)を担当しているのが榎戸洋司氏です。

少女革命ウテナ』っぽさのかなりの部分を占めているのが榎戸洋司成分です。

ウテナっぽさを求めるなら榎戸洋司作品を当たるのが一番です。

初めて名前を聞いた?

いや、そんなことはないはずです。

なぜなら、彼は『新世紀エヴァンゲリオン』にも関わっています。

テレビにも関わっているし、映画版でもしっかりと脚本に名を連ねています。

幾原邦彦監督とは高校時代からの知人であり、その縁で脚本家デビューしたという経緯があります。

よってセーラームーンシリーズにもSから関わっています。

私が特にオススメしたいのは

名作揃いです。

セーラームーンシリーズで個人的に一番好きなのがこのSuperS。ちびうさとペガサスの恋が切ない。って、冷静に考えると百合に続いてケモナー要素ぶちこんでる!

桜蘭高校ホスト部』は全体としてあっけらかんとしたコメディーだが、要所でウテナみを感じさせる。

「スタドラ」といえば『スタンドバイミードラえもん』ではなく『STAR DRIVER輝きのタクト』。これを見たあなたは作画オタクの道へ踏み出すことになるかもしれない。

五十嵐卓哉ルート

セーラームーン佐藤順一から幾原邦彦に引き継がれたあと、彼からさらに別の男の手に渡ります。

その男の名こそ、五十嵐卓哉

セーラームーンシリーズを託されるイコールそれだけ信頼が厚い証拠です。

彼はおジャ魔女どれみシリーズでも佐藤順一監督の後を継いでいます。

榎戸洋司氏は『少女革命ウテナ』以降、五十嵐監督と組むことが多く、上に挙げた『桜蘭高校ホスト部』と『STAR DRIVER輝きのタクト』は五十嵐監督作品です。

榎戸洋司作品を追えば、五十嵐卓哉作品を追うことになるでしょう。

逆もまた然り。

鋼の錬金術師FULLMETAL ALCHEMIST』のOP2がイガタク演出なのですが、中村豊氏の作画もあいまって超絶にかっこいい。

細田守ルート

少女革命ウテナ』を語る上で欠かせないのが細田守の存在です。

少女革命ウテナ』の中でもとりわけ素晴らしい回は、だいたい細田守演出によるものです(クレジット上は橋本カツヨという名義を使っています)。

アニメの演出なんて意識したことがない、という人もいるかもしれませんが、そういう人こそ『少女革命ウテナ』を見るべきでしょう。

演出によって作品の質は全く変わります。

当時の細田守監督は才能がほとばしっています。

細田守を語る上でも『少女革命ウテナ』は欠かせないといって過言ではありません。

「わたし細田守監督の映画が好きなんだよねー」

と言っている女子がいたら、

ウテナで一番好きなのはどの話!?」

と突っ込んでみましょう。

「わたし化粧品はプロクター・アンド・ギャンブル派なんだよね」

と言われたら、そいつはモグリです。

それはさておき、細田守作品は有名なので逐一作品名も挙げませんが、マイナーどころで見ておきたいのは『ぼくらのウォーゲーム』ですね。

この短時間でこれだけのドラマを詰め込めるのかと驚愕します。島根県民には特にオススメしたい。

庵野秀明ルート

上に挙げたように、『美少女戦士セーラームーンS』に参加している庵野秀明監督。

ウラヌスとネプチューンのバンクにシビレたら庵野秀明ルートに進みましょう。

彼の代表作と言えば新世紀エヴァンゲリオンです。

見ていないならまず見とけといいたい。

面白い面白くない以前に一般教養なので。

庵野秀明監督はエヴァで病むので寡作です。

エヴァ以外だとふしぎの海のナディア彼氏彼女の事情のみ。

ふしぎの海のナディア』はたしか第21話がめちゃくちゃ熱かった。

カレカノ』は主人公たちがくっつくまでがめちゃくちゃ好きだった。

庵野作品に魅了されたのならぜひ履修しておきたいところです。

鶴巻和哉ルート&今石洋之ルート

その二つを見終えたら、旧ガイナックス系のクリエイターを追うのがよいでしょう。

特にオススメなのが、

古き良きガイナックスっぽさという点では庵野作品と通底するものがあるはず。

脚本が榎戸洋司なのでウテナみもあるフリクリthe pillowsの曲がめっちゃいいんだ。

アニメ史上最高に熱いアニメ、それが『天元突破グレンラガン』。お前が信じるお前を信じろ!

天元突破グレンラガン』のチームだけあってこれまた熱い。第一話が特に。

まとめ

というわけで、『少女革命ウテナ』を見ると、このように数珠つなぎのように次に見るべきアニメが見えてきます。

あなたの心に迷いがあるのなら、まずは『少女革命ウテナ』を見るとよいでしょう。

迷いがなくても見るとよいでしょう。

もっと沼にハマりたければWEBアニメスタイルあたりを見るのがオススメ。

というかウテナを見れば必然的にアニメスタイルにたどり着きます。

 

上にはとりあえずアマゾンプライムのリンクを貼りましたが、ラインナップが貧弱すぎてほとんど無料で見られません。

アニメを見るならdアニメストアバンダイチャンネルが良さそうですね~。

Netflixはオリジナルアニメを制作するのもいいが古典(?)をもっと充実させてくれ。

ちなみに『少女革命ウテナ』の一話は2022/1/30現在YouTubeでも見られます。


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鬼と人間、双方生きる道はないのか?

今週のお題「鬼」

 

心のやさしい鬼のうちです。

どなたでもおいでください。

おいしいお菓子がございます。

お茶も沸かしてございます。

 

むかしむかし、人間と仲良くしたい心の優しい赤鬼がいました。

赤鬼は家の前に看板を立て、人間をお茶に誘いましたが誰も近寄ろうとしません。

悲しむ赤鬼を見て、青鬼が一計を案じます。

「俺が人間の村で暴れまわるから、お前は俺を退治しろ。青鬼をやっつけた強い優しい赤鬼だ。人間たちはお前を好きになってくれる。友達にだってなってくれるよ」

「青鬼くんをやっつけるなんて、そんなことできないよ」

「友達が欲しいなら俺の言うとおりにするんだ」

赤鬼は断ろうとしますが、青鬼に押し切られてしまいます。

かくして赤鬼は人間の友達になることに成功します。

が、作戦決行の日を境に、青鬼は姿をくらませました。

赤鬼は青鬼の家を訪ねることにしました。

青鬼の家には手紙があるだけでした。

「赤鬼くん、君は人間と仲良くしてください。僕と付き合っていたら、君まで悪い鬼だと思われてしまうでしょう。僕は旅に出ます。君のことは忘れません。幸せを願っています。」

赤鬼はその手紙を読んで、いつまでもいつまでも泣き続けるのでした。

 

鬼といえば、『泣いた赤鬼』です。

あらすじを読んだだけで涙がこぼれそうになる傑作。

今日は『泣いた赤鬼』について、考察していきたいと思います。

ちなみに、私の手元には本がないので、以下の動画を参考にしました。


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矛盾がドラマを産む

物語において、矛盾が重要だという話は以前に書きました。

weatheredwithyou.hatenablog.com

『泣いた赤鬼』も矛盾に満ちた作品です。

まず、人間と仲良くなりたい赤鬼という存在が矛盾を孕んでいます。

その解決策が自作自演というのも矛盾。

人間と仲良くなりたいのに、悪い青鬼と一緒にいたいと思うことも矛盾。

なにより、赤鬼を幸せにするためにやったことが赤鬼を不幸にさせるのも矛盾です。

物語はこれらの矛盾すべてが解決する方向に動いていくわけではありません。

「鬼なのに人間と仲良くなりたい」という最初の問題だけをエンジンとしてストーリーは進みます。

その他の矛盾については見ないふりをしたままクライマックスが訪れます。

青鬼の手紙ですべての矛盾が一挙に明るみに出て噴出するのです。

ここに『泣いた赤鬼』の強烈なカタルシスがあります。

鬼はどうすればよかったのか?

これらの矛盾はいかにすれば解消されたのか?

つまり、この物語はどうすればハッピーエンドを迎えられたのか?

考察してみたいと思います。

物語の分岐点は3つあります。

  1. 鬼の作戦
  2. 作戦後の処置
  3. 青鬼の手紙

後ろから見ていきます。

青鬼の手紙を改める

「この物語がなぜ悲しいのか?」という問いをたててみましょう。

その答えを「最後に赤鬼が泣くことになったから」ということにしてみます。

であれば、問題は青鬼の手紙にあります。

赤鬼を泣かせたのは、明らかに青鬼の手紙だからです。

青鬼は嫉妬の鬼だった説

青鬼が置き手紙などしなければ、こんな悲しい結末にはならなかったのではないでしょうか?

青鬼が黙って去っていれば、赤鬼は不審に思いながらもいつか青鬼のことを忘れたかもしれません。

ここから穿った見方をすると、青鬼は赤鬼を泣かせるために置き手紙をしたのではないか?という疑問が湧きます。

青鬼は赤鬼が人間の方ばかりを見ていることに嫉妬をし、それで赤鬼に自分のことを忘れられないようにしたのではないか。

赤鬼に恩を売り、罪悪感さえ持たせ、それなのに罪滅ぼしをさせる機会を与えない。

これが青鬼の真の作戦だったという考え方もあります。

「青鬼はとんでもないものを盗んでいきました。赤鬼の心です」

いわばカリオストロの城作戦といえます。

青鬼はリスク回避を試みたに過ぎない説

もし仮に、青鬼が純粋に赤鬼のことを思っていたとしたらどうでしょうか?

赤鬼は心の優しい鬼です。

突然、友人が姿を消したら、しかも自分がボコり倒した後に姿を消したら、探しに行くのではないでしょうか。

現に青鬼の家を訪ねているのですから。

そこでなんの手がかりも見つからなければ、せっかく仲良くなった人間との生活を捨てて、青鬼を探す旅に出るかもしれません。

少なくとも、青鬼はその可能性を考えます。

したがって、そのルートを潰すために青鬼は手紙を残したのです。

手紙を残したからといって、赤鬼が青鬼を探しに行かないともかぎりません。

本当なら、青鬼は赤鬼に対してすら悪い奴を演じた方が、赤鬼が人里を離れるリスクをより下げられたはずです。

作戦が終わったにも関わらず人を襲うとか、赤鬼をボコるとか。

それができなかったのは、青鬼にとって赤鬼との友情だけは犠牲にできないものだったということでしょうか。

いずれにせよ、青鬼は手紙を残さざるを得なかったようです

別れの理由をでっちあげればよかったのではないか?

赤鬼が泣いた理由は三つあります。

  1. 青鬼との永遠の別れが明らかになったから。
  2. 青鬼の深い友情に感動した。
  3. 赤鬼自身が犯した罪を後悔した。

1が変えられない結論であり、2は3を引き立てる機能を持っていることを考えると、3が重要です。

赤鬼の罪とは、これまた三つです。

  1. 青鬼の提案に同意してしまったこと
  2. 青鬼を殴り倒したこと
  3. 人間と仲良くなりたいと望んでしまったこと

上2つに関しては青鬼が考えたことですからさておくとして、問題は最後の「人間と仲良くなりたいと望んでしまったこと」です。

青鬼は「赤鬼が人間と仲良くなるために自分は去る」と書きました。

これが赤鬼に罪の意識を植え付け、苦しめるのです。

ですから、青鬼は赤鬼を悲しませるつもりがなかったのであれば、たとえば以下のように書くべきでした。

「赤鬼くん。人間と友達になれてよかったね。唐突ですが、僕は旅に出ます。目的地はハリウッドです。かねてより夢だったムービースターを目指すことにしました。いつか日本に上陸するような大作映画の主演を張るから、その時は人間たちと一緒に見てください。『こいつは俺の親友なんだぞ』と自慢するあなたの姿が目に浮かびます。あなたのことは忘れません。パワー」*1

作戦後の振る舞いを改める

ここで改めて「この物語がなぜ悲しいのか?」という問いについて考えてみます

先程までは赤鬼が泣きさえしなければよいという前提で問題解決を試みましたが、これが間違っている可能性は高いです。

「赤鬼と青鬼が永遠に別れることになったから」

これが答えではないでしょうか。

乃木坂46においては組織を離脱することを「卒業」と称します。

そこには人生の新たなステージへ踏み出すというポジティブな響きがあります。

しかし、卒業ライブでメンバーは涙します。

乃木坂46のメンバーとして過ごした日々を尊く感じ、その尊い日常から永遠にお別れすることになるからです。

別れにどれほどポジティブな意味を持たせようが、別れたくないのが本音なのです。

赤鬼と青鬼が別れないようにする手立てはなかったのでしょうか?

一つの解は「赤鬼と青鬼が交流しているところを人間に見られさえしなければよい」というものです。

しかし、これは非現実的です。

様々な有名人の不倫報道がされる昨今、秘密を隠し通すのが困難であることは周知のとおりです。

現代の疎な人間関係でさえそうなのですから、昔の密な人間関係の中ではなおさらです。

もう一つの解は「マッチポンプだったことをバラす」というものです。

「青鬼=悪者」だから、赤鬼は青鬼と接触できない。

ならば「青鬼=悪者」という図式を取り払えばよい。

すべて自作自演だったことをばらしてしまえば、青鬼の悪行は本心から出たものではないことが明らかになります。

しかし、これには大きなリスクがあります。

人間と接触するために人間を騙したわけですから。

それを知った人間が「やはり鬼は悪い奴らだ」と赤鬼を追放する可能性の方がはるかに高い。

それ以外の方法だと以下のような道があります。

  • 青鬼に贖罪をさせる
  • 赤鬼が村の支配者となる

いずれにせよ赤鬼の望む形になりそうにはありません。

青鬼が人を襲ったという事実がある以上、赤鬼と青鬼が別れず、なおかつ人間と交流を続けることは極めて困難です。

作戦自体を改める

やはり問題の根源は青鬼の考えた作戦にありそうです。

青鬼が悪者にならず、なおかつ目的を確実に達成する道はなかったのでしょうか?

赤鬼の作戦の何がまずかったのか

青鬼の作戦について考える前に、赤鬼の作戦を見直してみましょう。

赤鬼の作戦の要点はこうです。

  • 人間の方から赤鬼のもとを訪れるのを待つ
  • 人間の警戒を解かせるために、己が優しい鬼であることを説明する
  • 茶と菓子を使って人間どもをおびき寄せる

この作戦には以下の問題点があるように見えます。

  1. 自らを優しいと主張することに無理がある
  2. 家に呼ぶのはハードルが高すぎる

まず、自分で自分を褒めること自体があまり良くありません。

「お客様は神様なんだよ」とのたまう客がいたらドン引きするでしょう。

いかに「私はこの店に数億円の金を落としている」と根拠を挙げて論理的に証明しようが、疑いの目は晴らせません。

自分で自分を褒める行為自体がリスキーです。

女に嫌われる男の特徴ランキングでも「自慢話ばかりしている」は頻出です。

happymail.co.jp

では、赤鬼は他人に自分を褒めさせるべきだったかというと、それは不可能です。

赤鬼は人間との接点がないわけですから、自分を褒めてくれる他人など用意できません。

接点がない。これが課題です。

そこに関しては赤鬼も承知をしていて、ゆえに家に看板を立てたのです。

しかし、この家というやつが厄介です。

家は外界から隔絶された空間です。

校長室ですら入っていくのには勇気がいります。

鬼の家となればなおさらです。

命を賭けたつもりで鬼の家に入って、そこで得られるものが茶と菓子だけ。

誰も鬼の家を訪ねないのは当たり前です。

では赤鬼が外に出ればよいのかというと、人間は赤鬼の姿を見るだけで恐怖におののいてしまうわけなのでそう簡単な話ではありません。

全身に刺青を施している人が上半身裸になってコミュニケーションを取ろうとしても、刺青に偏見を持つ人と信頼関係を築くのは困難です。

青鬼の作戦の革新性

赤鬼は八方塞がりの状況にあると言えそうです。

こうして考えると、青鬼の作戦は画期的です。以下のポイントが重要です。

  1. 人間にはない赤鬼の価値に着目した
  2. 赤鬼の価値の需要が高まる状況を演出した

赤鬼が人間を恐れさせる存在であるということは、赤鬼は人間と同じことをしても人間と接点を持つことはできないということです。

なぜならば、コミュニケーションをとることで得られるものが、人間と赤鬼とで等しいのであれば、よりリスクが低い人間とコミュニケーションをとった方がいいに決まっているからです。

虎を飼うことが猫を飼うのと等価値であるなら、わざわざ死を覚悟して虎を飼う必要はないのです。

したがって、赤鬼は人間にはない特徴ある価値提案をしなければなりません。

青鬼は赤鬼にあって人にないものは筋力だと考えました。

この筋力の価値を究極にまで高めるために、青鬼は赤鬼の筋力がないと解決できない問題を自ら創出することにしたのです。

そこまでしなくてもよいではないかと思うかもしれません。

ブルドーザーのない社会よりブルドーザーのある社会のほうが便利なのは明らかじゃないかと。

ならば、地道な活動を続けていけば、いつかきっと日の目を見ると。

そう信じられるのは私たちが科学の支配する資本主義社会で暮らしているからです。

より大きな力は社会を発展させ、私たちはよりよい人生を歩めるようになると信じているからです。

しかし、昔はそうではありませんでした。

近代に入るまで、世界はずっと低成長を続けてきたのです。

そのため、人々は将来が今より良くなるとは信じられず、むしろ今より悪くなるかせいぜい今と同程度だろうと考えていたのです*2

そのような社会で、人々は鬼の恐ろしさを乗り越えて鬼の価値に気づくでしょうか?

否。

日常の問題について、人間は自分で解決策を見つけ出しているものです。

畑を耕す労働の苦しみは、道具を作り、家畜を使うことで軽減できています。

それでそれなりに満足しているわけで、リスクを犯してまで人知を超えた力に頼る必要などないのです。

我々だって、病気や事故の危険性が声高に喧伝されなければ、生命保険に入る必要を感じることはないでしょう。

そのため、青鬼は「赤鬼助けてキャンペーン」を打たざるを得なかったのです。

どの顧客を対象とするのか?

以上を考えると、やはり青鬼のような犠牲者を生み出さない限り、赤鬼が人間と仲良くなることは不可能だったようにも思われます。

しかし、青鬼の作戦はいい線をいっていました。

特徴ある価値提案に鍵があるのは間違いなさそうです。

ここで一度、基本に立ち返ってみましょう。

特徴ある価値提案をするためには何を考えなければならないのか?

それは以下の問に答えることです。

  1. どのニーズを満たすのか?
  2. どの顧客を対象とするのか?
  3. 市場のニーズは満たされていないのか、過剰に満たされているのか?

青鬼は問1について考え、答えを出しました。

人間の「もっと強大な力が欲しい」というニーズを満たせる可能性が赤鬼にはあると考え、青鬼が村を襲うことで赤鬼にプレミア価格を付けることに成功したのです。

しかし、その結末は悲劇的なものでした。

そこで、問2について考えてみます。

なぜ鬼は人間たちに受け入れられないのか?

それは鬼が人間たちに恐怖を与える存在だからです。

では、なぜ人間たちは鬼に恐怖するのでしょうか?

鬼の姿が人間とは違うものだからとか、鬼が強大な力を持っているからとか、色々と考えられますが、要するに「鬼とは怖いものだから」という信念を人生のどこかで植え付けられたからです。

おとぎ話の中に出てくる鬼に恐怖したのかもしれないし、親がしつけをする時に鬼の恐ろしさを利用して言うことを聞かせたのかもしれません。

いずれにせよ、鬼への恐怖心は先天的なものではなく後天的に養われたものであるという仮説を立てることができます。

ということは、教育を受ける前の赤子であれば、相対的に低コストで鬼と接点を持てるはずです。

人間が鬼と交流するには大きな恐怖を乗り越えなければならない。

ゆえに、そのコストに見合うだけの報酬を鬼は用意しなければならない。

その代償が、青鬼と赤鬼の永遠の別れでした。

しかし、赤子は鬼と交流するために恐怖心を克服しなくてよいのであれば?

鬼もプレミアムな報酬を用意する必要はありません。

ただ人間と同じようにコミュニケーションをとればよいだけになります。

青鬼と赤鬼は別れなくて済むのです。

赤鬼は捨て子を保護する活動をすればよかった

したがって、子供をターゲットにすることに活路を見出すことができそうです。

子供、それも捨て子が狙い目です。

親がいる子供は親が会わせてくれないでしょうし、だからといってさらってしまえばもはや優しい鬼とは言えませんから。

江戸時代には捨て子は禁じられ、保護する仕組みもあったようです。記録に残っている限りでは、鳥取藩で年に一件あるかないかという頻度のようです。

第105回県史だより/とりネット/鳥取県公式サイト

ちなみに、生類憐れみの令は捨て子も保護の対象としていたようです。

徳川綱吉に対する見方が少し変わりますね。

これを考えると、捨て子を拾うことも許されるか怪しいところです。

ですが、おそらく当時は記録に残らない捨て子もいたことでしょう。

捨て子の中には2歳以上の子供もいたようです。

このくらいの年齢になると、母乳がなくても育てることができそうです(子育てに詳しくないので確信はありませんが)。

無論、捨て子を育てるのはそう簡単なことではないでしょう。

しかし、青鬼と離れ離れになることに比べれば、どんな困難も乗り越えられるはず。

捨て子を拾い、擬似的な親子関係を築き、それがいつしか大きな村になって、子どもたちを窓口として外の人間にも鬼が受け入れられる未来がありえたかもしれません。

あぁ、赤鬼がセグメンテーションを知ってさえいれば!

東京ゴッドファーザーズ』を見よう

というわけで、『泣いた赤鬼』が泣かなくて済んだかもしれない可能性について考えてきました。

私が『泣いた赤鬼』を知ったきっかけは、アニメーション史上に残る名作東京ゴッドファーザーズでした。

奇しくも、この映画、捨て子を拾った3人のホームレスが社会との繋がりを取り戻すお話になっています。

これは偶然か。それとも必然か。

現代版『泣いた赤鬼』というわけではないけれども、本当に面白いので見たことのない方はぜひ見て欲しい!

Netflixで見られるよ!

ウル〇〇ズ ← ◯に入る文字を答えよ

今週のお題「現時点での今年の漢字

 

 いや、これはもう一択でしょう。

 これにつきます。

 試みに、今年のニュースを振り返ってみませう。

コロナウイルス再拡大

 やはり一番大きなニュースはこれでしょうか。コロナヴァイルスが、おそらくはオミクロン株により、感染を広げています。多くの国民がワクチンを2回接種済みであるにも関わらず過去最大の新規感染者数を記録しました。虎に翼とはまさにこのことでしょうか。

フンガトンガ・フンガハアパイ噴火

 いやいや、こちらが今年一番のニュースかもしれません。

 日本でも夜中に突然、津波警報が響きました。地震が起きたわけでもないのになぜ? その答えはまさかの、夕方に報じられていたトンガの火山噴火! 8,000km弱も離れた遠くの出来事が日本に1mを超える津波を起こすなんて! 気象庁でさえ驚いた大事件。その破壊力、まさに猛虎のごとしです。

株式市場下落

 アメリカでも日本でも株式市場がなかなかに下落してきております。やはりこれまでの株式市場は張子の虎だったのか? 投資家は虎視眈々とチャンスを伺う必要がありそうです。

WinWinWiiin再開

 個人的には小さいながらこれもニュースかなぁと思います。知らない人のために簡単に説明すると、宮迫博之中田敦彦オリエンタルラジオ)のダブルMCが今話題のYouTuberをゲストに呼んでその人の紹介をするという内容の番組です。YouTube上の番組ですが、テレビを意識した豪華な作りになっている点が特徴です。


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 今回は山本圭壱極楽とんぼ)をMCに据えて、ゲストが宮迫というイレギュラーな構成だったのですが面白かったです。普段は短い時間で動画を作っている中田のあっちゃんですが、長い時間をかけるとやはりクオリティが上がりますね。

 話題になっているのが、これのPart4です。渋谷に焼肉屋をオープンしようとしている真っ最中の宮迫博之氏。詳しくは私も知らないのですが、色んな所で「悪徳コンサルに搾取される宮迫」というコンテンツが良くも悪くも話題になっていまして、その実情に中田敦彦が迫っています。

 視聴者のニーズとチャンネルのビジョンを大事にしている中田敦彦VS見せかけの再生回数に囚われて視聴者を騙してきた宮迫博之(とその仲間たち)という構図になっていて、なかなか勉強になる気がする動画です。「宮迫が堕ちていく様」を見たい視聴者を寄せ付けることが『宮迫ですッ!』にとって良いことなのかどうか? 本当に焼肉屋の広告収入が月額280万円の収入を生み出すのか? このまま突き進むことは虎を野に放つだけではないのか? 実に興味深いですね。

ウルトラズ、デビュー!

 そして、直近の大ニュースといえば、ウルトラズのデビューですね。ホンコン・チュニジア作曲、トースター松林作詞になる『あいがあう』のMVが公開され、各種サービスで配信されています。


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食事中には見ないほうがいいかもしれません。


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 これが良い曲なんだなあ。めっちゃ良い曲なんだなあ。歌詞が良いんですよ。

こんなにも見るものがたくさんあるのにさ

目が合うってステキじゃない?

目が合うってロマンじゃない?

目が合うってキセキじゃない?

 これって真理じゃないですか?

 私たちの視界のうちに人間の顔が占める割合ってごくわずかでしかないんですよ。目に見えている景色全体の面積を100とした時、そのうち他人の目が占める面積って基本的に1にも満たないと思うんですよね。

 だとすると、私が誰かの目を見る確率は1/100以下になります。相手が私を見る確率も同様に1/100以下です。したがって、目が合う確率は1/10000以下なんですよ。

 もちろん我々は無作為に見るものを選んでいるわけではありませんので、この確率論は成り立ちません。しかし、本当の奇跡はそこにあるんです。私があの人を見ることを選んだから、同じタイミングであの人が私を見ることを選んだから、だから目が合う。これってとってもステキでとってもロマンチックなことだと、私はこの歌を聞いて思いました。

 目が合うってほとんどの人にとって日常のことです。それでいて、たまにときめいたりもします。そういうありふれたちっちゃいことの奇跡に気付かせてくれるから、この歌は響くんです。世界の見方を変えてくれます。

 言うまでもなく、私はデジタル音源を購入しました。昨日今日と通勤中にローテーションしています。『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』も読みたくなりますね。

 

 ここには書かなかった暗いニュースもありました。この世には悪いこともあれば良いこともあります。虎にも災いをもたらす悪いイメージがあれば、勇猛果敢な良いイメージもあります。

 どちらの虎を取るのか。ウルトラズのMVを見るのか。すべて私たち次第です。

『サピエンス全史』を読んだので少子化問題について考えてみた

 『サピエンス全史』を読みました。

 以前にも書きましたが、5Pに1回は目から鱗が落ちます。とてつもなく面白い本です。最初から最後まで、読む者の想像力を刺激し続けてやみません。

 どんなことが書いてあるかは説明しません。すでに至る所で解説されているだろうし、細部が面白いのに要約したものを読んで分かった気になることは損だと思うからです。

 ここでは『サピエンス全史』を読んで、私がどんな妄想を展開したのか、その一部を書いてみたいと思います。ただの妄想なのでなんの参考にもならないですし、専門知識がある方からすれば鼻で笑うような内容かもしれませんが、こういうこと考えるのって楽しいよねというアレです。

問題設定:どのような戦略が種の繁栄を導くのか?

 『サピエンス全史』に書かれていることのいくつかはポーターの競争戦略にも繋がりそうな気がします。

 たとえば、西洋は長い期間をかけて世界征服に必要な神話を構築していたので、東洋がそれを採用するのにはとても時間がかかり、その間に征服されてしまったこと。これは継続性の面で西洋が優れていたと考えられます。西洋の社会システムを構築するまでには血塗られた歴史がありますし、東洋がそれの模倣をすることにリスクもありましたから、これは強力なトレードオフにもなります。

 これは腰を据えて考えてみたら、ポーター的にサピエンス全史を説明できるのではないか? そう考えました。

 そこでぶち当たったのが、競争戦略における利益を何に置き換えればよいのだろうという問題です。

 試しに、利益を種の繁栄に置き換えてみればどうだろう?

 これが妄想の出発点です。ここからは、ポーターからも西洋からも離れます(ファイブフォース分析が難しかったため)。原始時代にさかのぼって考えます。

種の数はどのような構造により決定されるのか?

 種の繁栄とは、つまりその種が増えるか減るかという問題です。そこで、以下のような数式を立ててみます。

種の増加数=出生数-死亡数

 たとえば、今年100万人の赤ん坊が生まれて、50万人が死ねば、人口は50万人増えます。これを毎年続けていけば、人口はどんどん増え続けるので、繁栄しています。逆に、100万人が生まれて、10億人が死ねば、人類は9.9億人以上も人口を減らします。これはおよそ繁栄しているとはいえず、衰退している状態になります。

 各項目についてさらに深堀りしていきます。

出生数を決定する要因

 まず、出生数については次の通りの数式を考えることができます。

出生数=母体の数×出産一回あたりに生む子の数×出産の回数

※母体の数=人口/2

 出生は非常にシンプルです。生物が生まれる要因は、母による出産以外にありません。人間の場合はだいたい一度に一人しか産めません。しかし、出産を何回もすることで一人の母親から何人もの子供が生まれます。

 人間であれば、男性と女性は半々です(そうでない生物はいるかもしれません)。したがって、母体の数は人口の半分に相当します。人口が2倍になると、出生数も2倍になります。

 本当は、(いまのところ)あらゆる生物はいずれ死ぬので、出生数=死亡数になります。ですから、上の計算式には、一年あたりといった期間を区切る言葉を付け加えなくてはならないはずです。そうか人口が増えるということは死を先送りにしているということなのか~?とか思ったりもしますが、なんだかややこしい感じがしてくるので時間の区切りについては考えないことにします。精密な計算をするわけではないので問題ないと思います。

死亡数を決定する要因

 次に、死亡数はざっくりと次のように考えてみます

死亡数=病死件数+殺人件数+餓死件数

 これをさらに分析すると以下のようになります。

  • 殺人件数=敵の数×敵一頭あたり殺人率
  • 餓死件数=(全人類の生存に必要な食料の量-採取できる食料の量)/一人が生存するのに必要な食料の量
    =(一人が生存するのに必要な食料の量×人口-採取できる食料の量)/一人が生存するのに必要な食料の量
    =人口-採取できる食料の量/一人が生存するのに必要な食料の量

 病死についてはよくわからないのでとりあえず無視します。

種が繁栄するために取りうる戦略

 以上から種の繁栄を目指すにあたっては次の戦略がありうることになります。

  • 一度に産む子の数を増やす。
  • 出産の回数を増やす。
  • 敵の数を減らす。
  • 敵の殺人率を減らす。
  • 採取できる食料の量を増やす。
  • 一人が生存するのに必要な食料の量を減らす。

 ひとつひとつ見ていきます。

一度に生む子の数を増やす

 この戦略を取っている最も分かりやすい例が魚です。魚は一般的に哺乳類に比べて一回あたりに産む卵の量が多いです。特にマンボウは3億個もの卵を産むとか(一度に産むわけではないという話もあるようです)。これだけ産むのはそれだけ死ぬからです。

 この戦略については人類は採用しませんでした。というか、哺乳類は基本的にこの戦略は取れないものと思われます。哺乳類は読んで字のごとく、子が母の乳を吸って育ちます。同時に育てられる子供の数の上限は母の乳房の数である程度決まりそうです。回転率を高めれば、少ない乳房でも多くの子供に哺乳させることは可能でしょう。しかし、そうなると今度はそれだけの数の子供を養えるだけの栄養を母がいかに獲得するのか?とか色々な問題が生じます。

 哺乳類のように少数の子しか産まない生物は陸では珍しくありませんが、海ではたぶん少数派です。陸と海のどういった違いが要因なのでしょうか? それともそれぞれに差があるという認識が間違っているのでしょうか? 考えると面白そうですが、ここでは脇に置いておきましょう。

出産する回数を増やす

 これを採用している生物は寡聞にして知りません。カマキリなどは一回の交尾でオスを殺したりします。サケなど、産卵すると間もなく死ぬ生物もいたりします。どんな生物でも出産(あるいは交尾)は命がけなイメージ。鶏は毎日卵を産みますが、産もうと思えば毎日有精卵を産むことができるのでしょうか?

 人類にとっても出産は難事業だったに違いありません。人類は早産です。赤子は長期間、貧弱な状態で過ごします。その間、母が守る必要があります。たくさんの子供を抱えていては面倒をみることが困難になります。だから出産の回数は、少なくとも人口増加の起爆剤となるほどには稼げない。そんな気がしますが、人類は寿命が長いから回数は多くできる方かもしれません。

敵の数を減らす・敵の殺人率を減らす

 3つ目と4つ目はまとめて考えます。

 要するに、攻撃力と防御力を高め、誰も敵わない高みを目指す戦略です。分かりやすいのが、ライオンなどの肉食獣や象などの巨大な草食獣です。強靭な筋力を持ち、高い攻撃力を備える彼らを狙うのはリスクが高いです。彼らを襲う敵は少ないはず。亀やアルマジロハリネズミのように防御力特化型もいます。

 人類はこの戦略を上手いこと成功させたものと考えられます。しかし、その具体的な道筋はかなり特殊です。

 人類は直立二足歩行をしたり脳を大きくしたりすることにしました。直立することで、視点を高くすることができるし、道具を使えるようにもなります。脳が大きくなれば、頭も良くなって上手に狩りができるようになるかもしれません。

 しかし、この二つにはデメリットもあります。直立二足歩行は人類に肩こり、腰痛、早産化という代償をもたらしました。脳の肥大化は必要な食料の量を増やしましたし、筋力の減少にもつながりました。

 メリットがデメリットを上回るものなのかどうか? ライオンのような強力な爪と牙を備えるという分かりやすい作戦に比べると、大きなリスクを伴う賭けだったはずです。結果的に、人類は賭けに勝ちました。上手いこと火を操れるようになり(火はそれ自体武器になるし、エネルギーを大量に消費する腸を短くすることも可能にした)、独特の言語を生み出し大規模な組織を形成できるようになりました。

 強力な戦闘力を得た人類は、敵となりうる動物を狩りまくります。絶滅に至らしめることもしばしばです。こうして、死亡率を減少させることに成功しました。

採取できる食事の量を増やす

 人類はこの戦略も採用しました。強くなり狩れる獲物が増えるだけ、採取できる食事の量は増えます。火を使えるようになったことで、生では食べられなかったものも食べられるようになりましたし、食事に必要な時間を減らすこともできました。

 人類以外だとキリンあたりがこの戦略を取っている例でしょうか。

一人が生存するのに必要な食料の量を減らす

 人類はこの戦略を取ったとも言えるし、逆を行ったとも言えそうです。大きな脳みそは大きなエネルギーを消費します。つまり、必要な食料の量は多くなります。一方で、火を使うことで人類は腸を短くすることに成功したから、そういう面ではエネルギー消費量は減ったのかもしれません。

キャパシティという壁

 仮に、人類は死亡率を減少させることで、人口の増加に成功したとします。

 上に挙げた人口の増減を決める諸要因は(病気を除けば)短期間では変化しないはずです。急に全人類的に不妊に陥ったり、人類を抹殺しまくる怪獣が現れたりもしません。

 だから、

出生数>死亡数

 の状態に一度なると、人口は増加の一途を辿ります。減少に転じる理由がないからです。

 唯一の例外が、以下の式です。

餓死件数=人口-採取できる食料の量/一人が生存するのに必要な食料の量

 これは、人口が増えるほど餓死件数が増えることを示しています。採取できる食料の量は、捕食対象の数次第だから、貪欲に捕食していくことでどんどん減っていくはずです。これによりどこかの時点で、出生数=死亡数となり人口の成長は止まる……という筋書きになりそうです。

限界を打ち破る農業という営み

 そのリミッターを解除したのが農業です。

 捕食対象の数が人口の限界を決めるならば、捕食対象が増えればよい。捕食対象である種の繁栄を人類が手伝えばよいことに、人類は気付いたのです。共存共栄こそが人類繁栄の鍵だったのですねえ。

 牛、豚、鶏、羊、麦、稲……こういった生物はある意味、人類に寄生することで繁栄を果たしたと言えます。ただし、これはあくまで全体の数の話であって、個々の人間や動物にとって幸せかどうかは全く別の話です。人類による壮大過ぎる余計なおせっかいとも言えそうです。

 これより後は、農業の発展とともに人口が増えていきます。今は飽食の時代です。もはや人口増加に限界はないのかもしれません。

 近代以降は、ここまで無視してきた病死についても克服されてきていて、ますます人口増加が加速してもおかしくなさそうです。

フェーズが変わる

 しかし、『FACTFULNESS』によると、人口増加にはいずれ限界が来るそうです。人口減少に転じた日本に住む者にとって、それは納得のいく予想です。

 なぜなのでしょうか?

 これまでは下のように考えてきました。

種の増加数=(母体の数×出産一回あたりに生む子の数×出産の回数)-(病死件数+殺人件数+餓死件数)

 死亡数を増加させる要因は特にないので、人口減少の原因は明らかに出生数の減少にあります。

 出産一回あたりに生む子の数はおそらく増えていないし、母体の数は減少に転じるまで増え続けていたはずなので、女性が一生のうちに子供を生む回数が減っているのです。要するに出生率の低下です。

 当たり前ですね。この計算式からはこれしか分かりません。

 そこで、これまでマクロ的に考えていたのを、ミクロ的に考えてみることにします。人類全体ではなく、各家庭に注目するのです。

 すると、次のようなことが言えるはずです。

女性が一生のうちに生む子の数≦(世帯収入-子供以外の家族に要する支出)/子供一人あたりに要する支出

 「親が養える分だけしか子は産めませんよ」という、当たり前のことがここには書かれています。

 かつてはこの式は使えませんでした。なぜなら、生んだ子供のうち何人が生き延びるか定かではなかったからです。生んだ子供が生き続けるという前提で計算はできなかったのです。それに子供は労働の担い手でもありました。もしかしたら、家計のキャパシティを超える子供を産んでも、地域コミュニティが援助してくれたかもしれませんし、最悪、子供を捨てればよかったのです。

 しかし、今は違います。子供は高確率で大人になるし、核家族化が進み地域コミュニティも崩壊しつつあります。子供を遺棄したら罪に問われる可能性があります。産みすぎた責任は負わなければならないし、産みすぎないように計画することができるのです。各家庭で上手に家計を管理するのが現代の常識です。一方で、子供を収入源にすることは難しくなっています。

 ともかく、女性が生む子の数を増やすには以下の道筋があります。

  1. 世帯収入を増やす
  2. 子供以外の家族に要する支出を減らす
  3. 子供一人あたりに要する支出を減らす

 単純なようですが、これはなかなかに難題です。現代の様々な事情がこれを難しくしています。

 教育の重要性が叫ばれる昨今、多くの親は子供の教育にお金をかけたいと思うものではないでしょうか。医療費や教育の無償化が進んではいるものの、それで余ったお金を振り分ける先はいくらでもあります。習い事を一個増やしてもいいし、塾に行かせることもできます。あるいは思い出づくりのために大きな車を買ったり、旅行に行ったりするかもしれません。

 家族の収入を増やす点に関してはさらに厄介で、子供を産めばそれだけ子供の世話に時間をかけねばならず、これが収入減に繋がるリスクがあります。その心配がなくても、職場との調整など金銭的コスト以外の様々なコストが増大することは必至です。根本的な問題として、日本人の年収が横ばいあるいは減少傾向にあるというのもあります。

 子供以外の家族に要する支出を減らすのは一見良さそうですが、限界がありますし、消費の減少は経済の停滞に繋がり収入の減少に帰着します。それをさせじと企業も消費を促す広告を打ちます。やはりこれも複雑な問題を孕んでいます。

 政府も児童手当などの施策は打っているものの出生率がめざましく上昇するというところにまでは至っていないようです。この問題の難しさを物語っています。

子供を産む意味とは?

 もう一つ、考えなければいけないことがあります。経済的要因だけが少子化の原因なのでしょうか? そもそも子供を作る余裕のある人が作らない選択をすることが増えているような気もします。

 かつて子供は労働力だったし、家督を継がせるとかそういう役割もあったかもしれません。避妊の技術も乏しかっただろうから、カップルが発生すれば自ずと子供ができてしまった可能性もありそうです。

 しかし、現代においては、子供に労働させることは禁じられています。家族が崩壊しつつあるから、子孫を残すことを己の使命だと考える人も減っていそうです。避妊技術も発達しているから、性的欲求と子作りを分離することもできます。

 現代人には子供を作るか作らないか選択する自由があります。そして、子供を持つことに競合する楽しみが沢山あります。いま「子供を持つ意味とは?」が問われているのかもしれません。

種の繁栄≠個人の幸せ

 種の繁栄と個人の幸せは繋がっていません。

 牛は家畜になることでその数を何十倍、何百倍にも増やすことに成功しましたが、野生で伸び伸び暮らし天寿を全うする牛と生後数ヶ月で殺されることが確定している家畜の牛のどちらが幸せなのか?

 同じことが人間にも言えます。狩猟採集民は栄養バランスが良く短い労働時間で十分健康的な生活を送れていたのに対し、農耕民は栄養バランスに偏りが生じ労働に長い時間を費やさねばならず、ヘルニアなどの多くの疾患にも見舞われました。狩猟採集民は小麦が不作でも小麦以外のものを食べればよいのに対し、農耕民は小麦が不作になると飢饉に見舞われます。

 「種の繁栄=個人の幸せ」ではないという矛盾が、ここに来て少子化という形で表出したのかもしれません。

子育てという商品

 子育てには大きなコストがかかります。↓のサイトによると、日本での子育てには0歳~22歳までのトータルで2683万~4022万くらいかかるのが相場のようです。

www.smbc-card.com

 実際には様々な補助がありますからもう少し低くなるでしょうが、それでも莫大な金額です。それに時間もかなり費やさねばなりません(これはコストではないという見方も可能です)。ついでにいえば、子育ての前提となる結婚に至るまでにも安くないコストがかかります。

 なのになぜ人は子供を作るのか? そこに大きな喜びがあることを期待しているからです。

 なんらかの価値を期待して代償を支払うという意味においては、子育ては家を買ったり車を買ったり、音楽を聞いたり映画を見たりすることと同じです。

 ということは、子育てはそういった他の様々な消費と競合すると考えられそうです。

子育ての代替品はいくらでもある

 子育てが子育てをする人に与える価値とはいったい何なのでしょうか? 色々ありそうです。

  • 自分が成長できる
  • 子供の成長を見守れる
  • 子供は可愛い
  • 子育ては楽しい

 しかし、これらの価値は他のことで代替可能です。成長の実感は勉強なりゲームなりで得られます。成長を見守る喜びは、観葉植物を育てたりすることでも得られます。猫や犬も可愛いです。子育て以外の趣味に没頭することも楽しいことです。YouTubeTikTokで子供を撮影した動画があるでしょうから、それで疑似体験することも可能です。

 そして、これらの代替物は子育てより圧倒的に低いコストで済ませることができます。

子育ての価値とは?

 こんなことを書いていると人間性が疑われそうです。ここまで読んで、「君ねえ、子育ての喜びってのは何物にも代えがたいんだよ!」「子育てを他の消費と比べるなんてどうかしてるぜ!」と言いたくなった方もいるに違いありません。

 もしかしたら、その「何物にも代えがたい喜び」が共有されていないことが問題なのかもしれません。

 今、政府は子育てのコストを下げよう下げようと必死に頑張っています。これは子育ての価格を下げて競争力を高めようという努力です。今までりんごを一個千円で売ってたけど、一個百円の美味しいパイナップルにお客さんを奪われているからりんごの値段を百円に近づけていこう。そういうのと同じ試みです。

 しかし、戦略はそれだけではないはずです。一個百円の美味しいパイナップルがあろうが、顧客に我々のりんごは千円の価値があると感じさせれば良いのです。新しい価値を付加するやり方もあるし、ストーリーテリングでなんとかできる場合もあるかもしれません。Apple製品は高価格ですが、それを実現できるのはAppleのブランド戦略の賜物でしょう。少子化対策の施策として、この方向性のものは目にしたことがない気がします。

 経済的に無理であれば子育てはできませんから、子育てのコストを下げることは必須だと思います。一方で、コストを下げろという圧力が、まだ子供のいない人に対して子育ての価値を低く見せてしまっている可能性はあります。「子育てをしているとこんな辛いことがあるからなんとかしてほしい」という声が、「子育ては辛い」というイメージを植え付けていくのです。このネガティブイメージを払拭する逆方向の施策もまた必要なのではないか……。

 いま私たちに求められているのは、人類の繁栄と個人の幸せを結びつける神話なのかもしれません。

まとめ

 というわけで、妄想に一区切りつきました。

 消費主義社会、資本主義社会、家族と地域コミュニティの崩壊などなどが少子化に繋がっているという話だったりするので、想定外に『サピエンス全史』に書かれていることとリンクする中身になりました。この世界の基本原理みたいなところを鋭くえぐり出した本なので、当然といえば当然なのかもしれません。

 これからもことあるごとに「あ! これ『サピエンス全史』に書いてあったやつだ!」となりそうです。まだ読んでいない方はぜひチャレンジしてみてください。

楽天ひかりを開通させるまでの道のり

 インターネット回線を楽天ひかりに切り替えたので、そこに至るまでの道のりを書いていきたいと思います。

 これは一人の情弱がふらふらと様々なサービスの間をふらついてきた記録であり、体系的な知識を提供するものではありません。聞かれても知識がないので答えられません。

 以上のことをご了承いただければ、この記事は以下のような方の参考になるかもしれません。

  • 光回線は手続きが面倒くさそうだと思っている。
  • 楽天ひかりに申し込んだけど、設定で困っている。
  • Broad WiMAXの契約を検討している。
  • J:COMの契約を検討している。

J:COM時代

 まずは楽天ひかりに申し込む前の状況について書いていきたいと思う。

 時は一人暮らしを始めた時に遡る。もう4、5年ぐらい前の話である。

 当初、私は評判のよかったnuro光と契約する気まんまんでいた。しかし、引っ越して間もない頃にJ:COMがテレビ関係の点検だかなんだかで自宅を訪れることになった。私の記憶では不動産の管理会社からそのようなものがあるという話が事前にあったような気がする。

 果たして、この点検、本当に点検だったのか? 点検自体は一瞬で終わり、即座に営業が開始された。J:COMのインターネット回線と契約しないかというような話である。言うまでもなく気乗りはしなかったが、光回線の契約は面倒そうだというイメージがあったので、面倒事をこの場で済ませられるならありか?という邪心が働いた。隣にいた父の「契約してもいいんじゃない」という気のない返事も後押しした。

 契約に至ったものの、騙し討ちのようなやり方で営業をかけられた(と感じた)ことでJ:COMに対する印象はずっと悪いままだった。

 結果的に、J:COMの回線自体はそう悪いものではなかった。ネットゲームに興じない私のライフスタイルからすれば、速度は十分だったし、月額も高くなかった。若人向けのプランで契約できたからである。

 ただ、不満だったのは、回線が不安定だったことだ。月に何回か、一分ほどインターネットにつながらないことがあった。これが理由で、隙あらば回線を切り替えたいと考えて生きていたように思う。

Broad WiMAX時代

さらば愛しきJ:COM

 去年、J:COMから手紙が届いた。

「プランが切り替わるぞ」

 契約から数年の時が経ち、もはやヤング向けのプランではいられないということになった。これによりインターネット回線の支払い料金が跳ね上がることになる。それまでたしか月3千円台で抑えられていたものが、月5500円ぐらいになるという話だった気がする。

 こうなるともはやJ:COMとの関係を続ける必要はない。さっさとオサラバしてしまうに限る。

ソフトバンクAirを求めて……

 しかし、光回線は思ったよりも高かった。それにやはり光回線と契約を結ぼうと思ったら不動産屋に事前に工事の可否を確認しなければならないらしいのが心理的ハードルとなった。

 そこで、ソフトバンクAirに目を付けた。ソフトバンクAirならば、コンセントに差すだけで利用できる。不動産屋と無駄なやり取りをする必要もない。

 というわけで、ソフトバンクAirについて調べた。が、自分の居住地域で利用できるか定かでないので、確認の問い合わせをすることにした。モバレコかどこか、ソフトバンク本社ではなく、下請けの業者のHPで手続きをおこなった。そちらの方が安かったからだ。

Broad WiMAXの契約をすることになる

 後日、電話が鳴った。出ると、ソフトバンクAirの範囲外であることが告げられた。代わりにBroad WiMAXの契約を勧められた。

 Broad WiMAXもまた、ソフトバンクAirと同じくホームルーターの類である。価格と速度を確認し、特に問題はなさそうであった。なにより、もはや最善のサービスを探すことに疲れていた。私は体力がないのである。そういうわけで、その電話で契約をした。

BroadWiMAX2+ 定額ギガ放題プランS(3年)の感想

 感想であるが、これは家用の回線ではないと思った。

 三日間で通信量が10GBを超えると翌日に速度制限がかかる。10GBというとなかなか大きい数字に思えるが、休日に家で一日ゴロゴロしていると簡単に超えてしまう数字であることが分かった。

 だから土日でギガを消費しまくった後の月曜、火曜の夜は速度がかなり遅くなる。あらゆるホームページ、アプリで一つ一つの挙動に数秒はかかる。はてなブログに至っては、開くのに数十秒かかる。そんな状況でも意外とYouTubeは問題なく見られたりする。

 ついでにいうと、Kindleは2.4GHz帯にしかつながらない。普段5GHzを利用している場合、Kindleをネットにつなげようとすると、いちいち設定を切り替えなければならない場面があった。設定画面を見ると、両方の帯域を同時に使える風で、当然それを選択しているのだが、なぜかそうなる謎。

 そのようなわけでフラストレーションは溜まる一方だった。使用開始してすぐに、切り替えたいと思うようになった。

 とはいえである。Broad WiMAXはなんたって安い。平日の夜にインターネットが猛烈に遅くなるからなんだというのだろう。断捨離だ断捨離。と思う自分もいた。

楽天ひかりと契約する

楽天からはがきが届く

 私は昨年の5月ぐらいから楽天モバイルと契約している。だからだろう、昨年12月に楽天からはがきが届いた。

 それを見ると、楽天モバイル契約者であれば、楽天ひかりが一年間無料で利用できるというのである!!

 これは実に魅力的な提案だ。『予想どおりに不合理』でも無料のパワーはすごいものがあるということが書かれていた。私は見事に無料の魔力に狂わされることになる。

不動産屋に行く

 無料の力は、それまで私が光回線を避けていた「不動産屋に電話したくねえ~」という気持ちを軽々と飛び越えた。

 はがきが届いた次の休日、私は不動産屋に向かっていた。火災警報器が電池切れになっていたので交換を申し出に行くことにした。そのついでに(いや本当はこちらが本題だったのだが)私は聞いた。

楽天ひかりに申し込みたいと思っているのですが支障は特にないでしょうか。」

 たしかこのような感じで切り出した。

「建物に穴とかを開けなければ我々は気にしません。まずはそこを確認していただければ。」

 たしかこのような返答があった。

「じゃあ、もし穴を開けるとかってなったら、またご相談ということですかね。」

「いやぁ……そうなったら諦めていただくことになると思います。」

 たしかこのようなやり取りがあった。

 私は帰途についた。

 内心では腸が煮えくり返る思いであった。丁寧な対応だったが、つれない返事だと感じたのだ。そもそも穴を開ける必要があるか、私には分からない。不動産屋なら情報を持っているのではないのか? 少なくとも、私はそれを期待していた。これは私のワガママだろうか。そうかもしれない。いずれにせよ、ここで得た怒りの感情がさらに私を突き動かすことになる。

楽天ひかりに申し込むことにする

 帰宅後、私は楽天ひかりに申し込むことにした。

 無論、不動産屋が言っていたような、建物に穴を開ける工事はない可能性が高いことは事前に確認していた。

 下のリンク先にこのような記述がある。

光コンセントが建物内にある場合、無派遣工事(お伺いしない工事)で開通できるケースがあります。

network.mobile.rakuten.co.jp

 私の部屋にはVDSLモジュラージャックがあった。「開通できるケースがある」ということは開通できないケースもあるということだが、その可能性を考えることはもうやめた。不動産屋に対する怒りが私を突き動かしていた。

楽天からの電話

 後日、楽天から電話がかかってきた。そこで様々な事項を確認したが、やはり無派遣工事でいくこととなった。無派遣工事ならば建物に触れるようなことはないことも確認した。

 無派遣工事は無派遣なのである。誰も来なければ建物に傷を付けられようはずもない。すでに建物に繋がっている回線に電気やら光やらを通すようにするくらいの意味合いであろう。工事という言葉を使うことが果たして適切なのかも疑問なくらいあっさりとしたものなのだ。

 この電話で把握すべきことは以下の点くらいであろう。

  • 工事日(=開通日)
  • それまでに書類とモデムが届くこと
  • Wi-Fiを利用する場合、ルーターは自分で購入する必要があること

ルーターを購入する

 楽天ひかりではルーターを別途、買わなければならない。対応ルーターは以下のページに記載されている。

network.mobile.rakuten.co.jp

 が、選択肢が多くてどれを選べばいいか分からない。メーカーのサイトを見てもなんの参考にもならないのはもはやご愛嬌である。

 結局、おすすめのルーターをグーグル先生に尋ねることになる。

 比較的新し目のサイトをチェックした一人暮らしの私は、なんとなく下の商品が良さそうに感じたのでこれにすることにした。今となっては理由も思い出せないくらい本当になんとなくなので、なんの参考にもならないが、とりあえず今のところ不満はない(使用して3日目)。

item.rakuten.co.jp

モデムが届く

 モデムが届く。モデムというのは↓こんな感じのやつである。

v30slim.com

 これを光コンセントに繋ぐ。そしてルーターにも繋ぐ。

 後は、開通日を待つだけである。

開通

 開通日が訪れると、インターネットが使えるようになる。

 が、最初は簡単な設定を行わなければならない。その手続について書いていく。

 補足として、私の場合はバッファロールーターを使っているので、他のメーカーのルーターを使うときには少し変わってくるかもしれない。また、私はPCを使って設定したので、スマホを使う場合また違った流れになるかもしれない。

PCからWi-Fiに接続する

 まずは普通にWi-Fiを選択して、パスワードを入れて接続する。

設定ページに入る

 Wi-Fiにつながると、自動的に設定ページに移行する。ここでWi-Fiルーターに同梱されているユーザー名とパスワードを入力する。

インターネット接続設定を行う

 無事にログインできると再び自動的にページ遷移する。

 ここでは楽天ひかりから事前に届いていた書類に書いてある情報を入力していく。厄介なのは、それっぽい書類が二つあることだ。私の場合は以下の書類がそれっぽいやつだった。

  • ご契約内容のお知らせ
  • 楽天ひかり アカウントのお知らせ

 使うのは「楽天ひかり アカウントのお知らせ」の方だ。

 入力する情報は以下の三つ。

  • 回線種類
  • 接続先ユーザー名
  • 接続先パスワード

 回線種類はたぶん「その他」を選べば良いと思う。自分はそうしたし、それで今のところ問題は起きていない。

 接続先ユーザー名には「楽天ひかり接続用ID」を入力する。「~@~.jp」といった感じのやつである。

 接続先パスワードには「接続用パスワード」を入力する。

 これで進めば完了である。

他の端末でも接続する

 以上の処理を済ませたら、あとは普通のWi-Fiと一緒である。接続したい端末でWi-Fi回線を選んでWi-Fiのパスワードを入力すればよい。

感想

 まだ使用して3日目であるが、今のところ特に異常はない。

 夜になると回線が激烈に遅くなる生活を送ってきた身としては、めちゃくちゃスピードが速く感じる。Kindleに自動接続されるのも感動だ。

 下の記事で紹介したVR SQUAREももう怖くない。櫻坂ちゃんをVRでも(今までよりは)高画質で堪能することができる。DMMの画質向上にも期待できそうだ。

weatheredwithyou.hatenablog.com

 おそらく、私はすでに光回線を使っている方からすれば当たり前のことに感動を覚えている。夜の街に繰り出せない国で生きてきた人が日本に来たらきっと同じような感動があるのだろう。

 これが一年間無料とは。素晴らしい、素晴らしすぎるぞ、楽天ひかり!

Broad WiMAXとの別れ……はお預け

 これで終わりではない。Broad WiMAXの解約をしなければならない。

 というわけで、link lifeというところに電話を入れた。電話を入れなければ解約できないというところが非常にムカつくところである。こういうやり方でスイッチングコストを高めて顧客を引き止めようとするのがクールジャパンだ。J:COMの時もそうだった。こんなのはお互いに気まずい思いをするだけで全く無意味な仕組みだと思う。顧客もオペレーターも、姑息な施策を打って仕事した気になっている奴らの被害者だ。

 それはともかく、オペレーターから言われたのは、もう少し安いプランに切り替えてから解約すると解約金が安くなるという話があった。今のままだと解約金が3万円かかるが、一旦安いプランに切り替えてから解約すれば2万円。切り替えの手数料が3千円程度あるが、それを込みでもオペレーターの勧めに従った方が安く済む。手間を考えれば、この電話で全てを終わらせてしまいたいが、5千円以上の差がつくとなると心が揺らぐ。今持っている端末の返還も不要らしいから、余計にかかる手間はもう一度電話をかけることぐらいのようだ。

 なんだか騙されているような気がするが、オペレーターの勧めに従うことにした。というわけで、現契約は今月で終了するが、新契約が来月に始まる。その解約を来月中に完了させれば、ようやく清算というわけだ。

まとめ:光回線の開通は思っているより簡単かもしれない

 以上です。

 この記事で私が本当に伝えたいことはただ一つ。光回線の開通を思いとどまっている、昔の私のような人に捧げたい。

 部屋に光コンセントがあるなら、光回線開通は思っているより楽にできるかもしれませんよ。