『サピエンス全史』を読みました。
以前にも書きましたが、5Pに1回は目から鱗が落ちます。とてつもなく面白い本です。最初から最後まで、読む者の想像力を刺激し続けてやみません。
どんなことが書いてあるかは説明しません。すでに至る所で解説されているだろうし、細部が面白いのに要約したものを読んで分かった気になることは損だと思うからです。
ここでは『サピエンス全史』を読んで、私がどんな妄想を展開したのか、その一部を書いてみたいと思います。ただの妄想なのでなんの参考にもならないですし、専門知識がある方からすれば鼻で笑うような内容かもしれませんが、こういうこと考えるのって楽しいよねというアレです。
- 問題設定:どのような戦略が種の繁栄を導くのか?
- 種の数はどのような構造により決定されるのか?
- 種が繁栄するために取りうる戦略
- キャパシティという壁
- 限界を打ち破る農業という営み
- フェーズが変わる
- 子供を産む意味とは?
- まとめ
問題設定:どのような戦略が種の繁栄を導くのか?
『サピエンス全史』に書かれていることのいくつかはポーターの競争戦略にも繋がりそうな気がします。
たとえば、西洋は長い期間をかけて世界征服に必要な神話を構築していたので、東洋がそれを採用するのにはとても時間がかかり、その間に征服されてしまったこと。これは継続性の面で西洋が優れていたと考えられます。西洋の社会システムを構築するまでには血塗られた歴史がありますし、東洋がそれの模倣をすることにリスクもありましたから、これは強力なトレードオフにもなります。
これは腰を据えて考えてみたら、ポーター的にサピエンス全史を説明できるのではないか? そう考えました。
そこでぶち当たったのが、競争戦略における利益を何に置き換えればよいのだろうという問題です。
試しに、利益を種の繁栄に置き換えてみればどうだろう?
これが妄想の出発点です。ここからは、ポーターからも西洋からも離れます(ファイブフォース分析が難しかったため)。原始時代にさかのぼって考えます。
種の数はどのような構造により決定されるのか?
種の繁栄とは、つまりその種が増えるか減るかという問題です。そこで、以下のような数式を立ててみます。
種の増加数=出生数-死亡数
たとえば、今年100万人の赤ん坊が生まれて、50万人が死ねば、人口は50万人増えます。これを毎年続けていけば、人口はどんどん増え続けるので、繁栄しています。逆に、100万人が生まれて、10億人が死ねば、人類は9.9億人以上も人口を減らします。これはおよそ繁栄しているとはいえず、衰退している状態になります。
各項目についてさらに深堀りしていきます。
出生数を決定する要因
まず、出生数については次の通りの数式を考えることができます。
出生数=母体の数×出産一回あたりに生む子の数×出産の回数
※母体の数=人口/2
出生は非常にシンプルです。生物が生まれる要因は、母による出産以外にありません。人間の場合はだいたい一度に一人しか産めません。しかし、出産を何回もすることで一人の母親から何人もの子供が生まれます。
人間であれば、男性と女性は半々です(そうでない生物はいるかもしれません)。したがって、母体の数は人口の半分に相当します。人口が2倍になると、出生数も2倍になります。
本当は、(いまのところ)あらゆる生物はいずれ死ぬので、出生数=死亡数になります。ですから、上の計算式には、一年あたりといった期間を区切る言葉を付け加えなくてはならないはずです。そうか人口が増えるということは死を先送りにしているということなのか~?とか思ったりもしますが、なんだかややこしい感じがしてくるので時間の区切りについては考えないことにします。精密な計算をするわけではないので問題ないと思います。
死亡数を決定する要因
次に、死亡数はざっくりと次のように考えてみます
死亡数=病死件数+殺人件数+餓死件数
これをさらに分析すると以下のようになります。
- 殺人件数=敵の数×敵一頭あたり殺人率
- 餓死件数=(全人類の生存に必要な食料の量-採取できる食料の量)/一人が生存するのに必要な食料の量
=(一人が生存するのに必要な食料の量×人口-採取できる食料の量)/一人が生存するのに必要な食料の量
=人口-採取できる食料の量/一人が生存するのに必要な食料の量
病死についてはよくわからないのでとりあえず無視します。
種が繁栄するために取りうる戦略
以上から種の繁栄を目指すにあたっては次の戦略がありうることになります。
- 一度に産む子の数を増やす。
- 出産の回数を増やす。
- 敵の数を減らす。
- 敵の殺人率を減らす。
- 採取できる食料の量を増やす。
- 一人が生存するのに必要な食料の量を減らす。
ひとつひとつ見ていきます。
一度に生む子の数を増やす
この戦略を取っている最も分かりやすい例が魚です。魚は一般的に哺乳類に比べて一回あたりに産む卵の量が多いです。特にマンボウは3億個もの卵を産むとか(一度に産むわけではないという話もあるようです)。これだけ産むのはそれだけ死ぬからです。
この戦略については人類は採用しませんでした。というか、哺乳類は基本的にこの戦略は取れないものと思われます。哺乳類は読んで字のごとく、子が母の乳を吸って育ちます。同時に育てられる子供の数の上限は母の乳房の数である程度決まりそうです。回転率を高めれば、少ない乳房でも多くの子供に哺乳させることは可能でしょう。しかし、そうなると今度はそれだけの数の子供を養えるだけの栄養を母がいかに獲得するのか?とか色々な問題が生じます。
哺乳類のように少数の子しか産まない生物は陸では珍しくありませんが、海ではたぶん少数派です。陸と海のどういった違いが要因なのでしょうか? それともそれぞれに差があるという認識が間違っているのでしょうか? 考えると面白そうですが、ここでは脇に置いておきましょう。
出産する回数を増やす
これを採用している生物は寡聞にして知りません。カマキリなどは一回の交尾でオスを殺したりします。サケなど、産卵すると間もなく死ぬ生物もいたりします。どんな生物でも出産(あるいは交尾)は命がけなイメージ。鶏は毎日卵を産みますが、産もうと思えば毎日有精卵を産むことができるのでしょうか?
人類にとっても出産は難事業だったに違いありません。人類は早産です。赤子は長期間、貧弱な状態で過ごします。その間、母が守る必要があります。たくさんの子供を抱えていては面倒をみることが困難になります。だから出産の回数は、少なくとも人口増加の起爆剤となるほどには稼げない。そんな気がしますが、人類は寿命が長いから回数は多くできる方かもしれません。
敵の数を減らす・敵の殺人率を減らす
3つ目と4つ目はまとめて考えます。
要するに、攻撃力と防御力を高め、誰も敵わない高みを目指す戦略です。分かりやすいのが、ライオンなどの肉食獣や象などの巨大な草食獣です。強靭な筋力を持ち、高い攻撃力を備える彼らを狙うのはリスクが高いです。彼らを襲う敵は少ないはず。亀やアルマジロ、ハリネズミのように防御力特化型もいます。
人類はこの戦略を上手いこと成功させたものと考えられます。しかし、その具体的な道筋はかなり特殊です。
人類は直立二足歩行をしたり脳を大きくしたりすることにしました。直立することで、視点を高くすることができるし、道具を使えるようにもなります。脳が大きくなれば、頭も良くなって上手に狩りができるようになるかもしれません。
しかし、この二つにはデメリットもあります。直立二足歩行は人類に肩こり、腰痛、早産化という代償をもたらしました。脳の肥大化は必要な食料の量を増やしましたし、筋力の減少にもつながりました。
メリットがデメリットを上回るものなのかどうか? ライオンのような強力な爪と牙を備えるという分かりやすい作戦に比べると、大きなリスクを伴う賭けだったはずです。結果的に、人類は賭けに勝ちました。上手いこと火を操れるようになり(火はそれ自体武器になるし、エネルギーを大量に消費する腸を短くすることも可能にした)、独特の言語を生み出し大規模な組織を形成できるようになりました。
強力な戦闘力を得た人類は、敵となりうる動物を狩りまくります。絶滅に至らしめることもしばしばです。こうして、死亡率を減少させることに成功しました。
採取できる食事の量を増やす
人類はこの戦略も採用しました。強くなり狩れる獲物が増えるだけ、採取できる食事の量は増えます。火を使えるようになったことで、生では食べられなかったものも食べられるようになりましたし、食事に必要な時間を減らすこともできました。
人類以外だとキリンあたりがこの戦略を取っている例でしょうか。
一人が生存するのに必要な食料の量を減らす
人類はこの戦略を取ったとも言えるし、逆を行ったとも言えそうです。大きな脳みそは大きなエネルギーを消費します。つまり、必要な食料の量は多くなります。一方で、火を使うことで人類は腸を短くすることに成功したから、そういう面ではエネルギー消費量は減ったのかもしれません。
キャパシティという壁
仮に、人類は死亡率を減少させることで、人口の増加に成功したとします。
上に挙げた人口の増減を決める諸要因は(病気を除けば)短期間では変化しないはずです。急に全人類的に不妊に陥ったり、人類を抹殺しまくる怪獣が現れたりもしません。
だから、
出生数>死亡数
の状態に一度なると、人口は増加の一途を辿ります。減少に転じる理由がないからです。
唯一の例外が、以下の式です。
餓死件数=人口-採取できる食料の量/一人が生存するのに必要な食料の量
これは、人口が増えるほど餓死件数が増えることを示しています。採取できる食料の量は、捕食対象の数次第だから、貪欲に捕食していくことでどんどん減っていくはずです。これによりどこかの時点で、出生数=死亡数となり人口の成長は止まる……という筋書きになりそうです。
限界を打ち破る農業という営み
そのリミッターを解除したのが農業です。
捕食対象の数が人口の限界を決めるならば、捕食対象が増えればよい。捕食対象である種の繁栄を人類が手伝えばよいことに、人類は気付いたのです。共存共栄こそが人類繁栄の鍵だったのですねえ。
牛、豚、鶏、羊、麦、稲……こういった生物はある意味、人類に寄生することで繁栄を果たしたと言えます。ただし、これはあくまで全体の数の話であって、個々の人間や動物にとって幸せかどうかは全く別の話です。人類による壮大過ぎる余計なおせっかいとも言えそうです。
これより後は、農業の発展とともに人口が増えていきます。今は飽食の時代です。もはや人口増加に限界はないのかもしれません。
近代以降は、ここまで無視してきた病死についても克服されてきていて、ますます人口増加が加速してもおかしくなさそうです。
フェーズが変わる
しかし、『FACTFULNESS』によると、人口増加にはいずれ限界が来るそうです。人口減少に転じた日本に住む者にとって、それは納得のいく予想です。
なぜなのでしょうか?
これまでは下のように考えてきました。
種の増加数=(母体の数×出産一回あたりに生む子の数×出産の回数)-(病死件数+殺人件数+餓死件数)
死亡数を増加させる要因は特にないので、人口減少の原因は明らかに出生数の減少にあります。
出産一回あたりに生む子の数はおそらく増えていないし、母体の数は減少に転じるまで増え続けていたはずなので、女性が一生のうちに子供を生む回数が減っているのです。要するに出生率の低下です。
当たり前ですね。この計算式からはこれしか分かりません。
そこで、これまでマクロ的に考えていたのを、ミクロ的に考えてみることにします。人類全体ではなく、各家庭に注目するのです。
すると、次のようなことが言えるはずです。
女性が一生のうちに生む子の数≦(世帯収入-子供以外の家族に要する支出)/子供一人あたりに要する支出
「親が養える分だけしか子は産めませんよ」という、当たり前のことがここには書かれています。
かつてはこの式は使えませんでした。なぜなら、生んだ子供のうち何人が生き延びるか定かではなかったからです。生んだ子供が生き続けるという前提で計算はできなかったのです。それに子供は労働の担い手でもありました。もしかしたら、家計のキャパシティを超える子供を産んでも、地域コミュニティが援助してくれたかもしれませんし、最悪、子供を捨てればよかったのです。
しかし、今は違います。子供は高確率で大人になるし、核家族化が進み地域コミュニティも崩壊しつつあります。子供を遺棄したら罪に問われる可能性があります。産みすぎた責任は負わなければならないし、産みすぎないように計画することができるのです。各家庭で上手に家計を管理するのが現代の常識です。一方で、子供を収入源にすることは難しくなっています。
ともかく、女性が生む子の数を増やすには以下の道筋があります。
- 世帯収入を増やす
- 子供以外の家族に要する支出を減らす
- 子供一人あたりに要する支出を減らす
単純なようですが、これはなかなかに難題です。現代の様々な事情がこれを難しくしています。
教育の重要性が叫ばれる昨今、多くの親は子供の教育にお金をかけたいと思うものではないでしょうか。医療費や教育の無償化が進んではいるものの、それで余ったお金を振り分ける先はいくらでもあります。習い事を一個増やしてもいいし、塾に行かせることもできます。あるいは思い出づくりのために大きな車を買ったり、旅行に行ったりするかもしれません。
家族の収入を増やす点に関してはさらに厄介で、子供を産めばそれだけ子供の世話に時間をかけねばならず、これが収入減に繋がるリスクがあります。その心配がなくても、職場との調整など金銭的コスト以外の様々なコストが増大することは必至です。根本的な問題として、日本人の年収が横ばいあるいは減少傾向にあるというのもあります。
子供以外の家族に要する支出を減らすのは一見良さそうですが、限界がありますし、消費の減少は経済の停滞に繋がり収入の減少に帰着します。それをさせじと企業も消費を促す広告を打ちます。やはりこれも複雑な問題を孕んでいます。
政府も児童手当などの施策は打っているものの出生率がめざましく上昇するというところにまでは至っていないようです。この問題の難しさを物語っています。
子供を産む意味とは?
もう一つ、考えなければいけないことがあります。経済的要因だけが少子化の原因なのでしょうか? そもそも子供を作る余裕のある人が作らない選択をすることが増えているような気もします。
かつて子供は労働力だったし、家督を継がせるとかそういう役割もあったかもしれません。避妊の技術も乏しかっただろうから、カップルが発生すれば自ずと子供ができてしまった可能性もありそうです。
しかし、現代においては、子供に労働させることは禁じられています。家族が崩壊しつつあるから、子孫を残すことを己の使命だと考える人も減っていそうです。避妊技術も発達しているから、性的欲求と子作りを分離することもできます。
現代人には子供を作るか作らないか選択する自由があります。そして、子供を持つことに競合する楽しみが沢山あります。いま「子供を持つ意味とは?」が問われているのかもしれません。
種の繁栄≠個人の幸せ
種の繁栄と個人の幸せは繋がっていません。
牛は家畜になることでその数を何十倍、何百倍にも増やすことに成功しましたが、野生で伸び伸び暮らし天寿を全うする牛と生後数ヶ月で殺されることが確定している家畜の牛のどちらが幸せなのか?
同じことが人間にも言えます。狩猟採集民は栄養バランスが良く短い労働時間で十分健康的な生活を送れていたのに対し、農耕民は栄養バランスに偏りが生じ労働に長い時間を費やさねばならず、ヘルニアなどの多くの疾患にも見舞われました。狩猟採集民は小麦が不作でも小麦以外のものを食べればよいのに対し、農耕民は小麦が不作になると飢饉に見舞われます。
「種の繁栄=個人の幸せ」ではないという矛盾が、ここに来て少子化という形で表出したのかもしれません。
子育てという商品
子育てには大きなコストがかかります。↓のサイトによると、日本での子育てには0歳~22歳までのトータルで2683万~4022万くらいかかるのが相場のようです。
実際には様々な補助がありますからもう少し低くなるでしょうが、それでも莫大な金額です。それに時間もかなり費やさねばなりません(これはコストではないという見方も可能です)。ついでにいえば、子育ての前提となる結婚に至るまでにも安くないコストがかかります。
なのになぜ人は子供を作るのか? そこに大きな喜びがあることを期待しているからです。
なんらかの価値を期待して代償を支払うという意味においては、子育ては家を買ったり車を買ったり、音楽を聞いたり映画を見たりすることと同じです。
ということは、子育てはそういった他の様々な消費と競合すると考えられそうです。
子育ての代替品はいくらでもある
子育てが子育てをする人に与える価値とはいったい何なのでしょうか? 色々ありそうです。
- 自分が成長できる
- 子供の成長を見守れる
- 子供は可愛い
- 子育ては楽しい
しかし、これらの価値は他のことで代替可能です。成長の実感は勉強なりゲームなりで得られます。成長を見守る喜びは、観葉植物を育てたりすることでも得られます。猫や犬も可愛いです。子育て以外の趣味に没頭することも楽しいことです。YouTubeやTikTokで子供を撮影した動画があるでしょうから、それで疑似体験することも可能です。
そして、これらの代替物は子育てより圧倒的に低いコストで済ませることができます。
子育ての価値とは?
こんなことを書いていると人間性が疑われそうです。ここまで読んで、「君ねえ、子育ての喜びってのは何物にも代えがたいんだよ!」「子育てを他の消費と比べるなんてどうかしてるぜ!」と言いたくなった方もいるに違いありません。
もしかしたら、その「何物にも代えがたい喜び」が共有されていないことが問題なのかもしれません。
今、政府は子育てのコストを下げよう下げようと必死に頑張っています。これは子育ての価格を下げて競争力を高めようという努力です。今までりんごを一個千円で売ってたけど、一個百円の美味しいパイナップルにお客さんを奪われているからりんごの値段を百円に近づけていこう。そういうのと同じ試みです。
しかし、戦略はそれだけではないはずです。一個百円の美味しいパイナップルがあろうが、顧客に我々のりんごは千円の価値があると感じさせれば良いのです。新しい価値を付加するやり方もあるし、ストーリーテリングでなんとかできる場合もあるかもしれません。Apple製品は高価格ですが、それを実現できるのはAppleのブランド戦略の賜物でしょう。少子化対策の施策として、この方向性のものは目にしたことがない気がします。
経済的に無理であれば子育てはできませんから、子育てのコストを下げることは必須だと思います。一方で、コストを下げろという圧力が、まだ子供のいない人に対して子育ての価値を低く見せてしまっている可能性はあります。「子育てをしているとこんな辛いことがあるからなんとかしてほしい」という声が、「子育ては辛い」というイメージを植え付けていくのです。このネガティブイメージを払拭する逆方向の施策もまた必要なのではないか……。
いま私たちに求められているのは、人類の繁栄と個人の幸せを結びつける神話なのかもしれません。
まとめ
というわけで、妄想に一区切りつきました。
消費主義社会、資本主義社会、家族と地域コミュニティの崩壊などなどが少子化に繋がっているという話だったりするので、想定外に『サピエンス全史』に書かれていることとリンクする中身になりました。この世界の基本原理みたいなところを鋭くえぐり出した本なので、当然といえば当然なのかもしれません。
これからもことあるごとに「あ! これ『サピエンス全史』に書いてあったやつだ!」となりそうです。まだ読んでいない方はぜひチャレンジしてみてください。