以前から思っていた。歌詞って似たもんばっかじゃねーか?と。私は歌詞で音楽を聴くことをしない派なので、あまり深く考えてこなかったが、不意に気になった。
そこで調べてみることにした。ヒットソングは何を歌っているのかを。利用したのはApple Musicにあるプレイリスト「平成ヒッツ」。計135曲10時間24分の歌詞をスプレッドシートに打ち込んだ。
そして分かったのはヒットソングには三種類しかないということだ。ほぼすべての歌は以下の3つのテーマに関するものだ。
- 好き(ラブソング)
- 好きだった(失恋ソング)
- 夢(応援ソング)
さらに、これらのテーマを伝えるための表現方法もほぼ共通している。説明していこう。
ラブソング
ラブソングは基本的に愛がどれほど大きいかを語っている。愛の大きさをいかにして語るか、その挑戦の歴史が世で歌われるラブソングの数々だ。
この歴史の中で頻出の技法は、数多くあるが、まず大きく二つに分類できる。
- 「あなた」について語る
- 「私」について語る
「あなた」について語る
愛について語るなら、愛の対象である「あなた」について語るのは当然のことだ。語るべきはただ一つ。「あなた」がいかに価値ある存在かということ。
そのたった一つのことを表現するために、次のようなレトリックが存在する。
- 効能
- 聖遺物
- 特殊能力
- 残像
- 無条件
- 比較
- 希少性
- 追究
- 表現不可能
効能
なにかの価値を伝える一番わかりやすい方法は、それがどれだけのメリットをもたらすかを語ることだろう。CMなどでも商品の機能を伝えるのは常套手段だ。
というわけで、「あなた」がいかなる効能を持っているかを語るのがラブソングの第一歩だ。
嫌なことがあった日も君に会うと全部フッ飛んじゃうよ
『Automatic』宇多田ヒカル
初めて一途になれたよ
聖遺物
聖人はあまりにもすごいので、聖人にまつわる物さえもすごいパワーを宿してしまう。「あなた」とて例外ではない。
アクセスしてみると 映るcomputer screenの中
チカチカしてる文字 (I don't know why)
手をあててみると I feel so warm
『Automatic』宇多田ヒカル
ただし、この手法はあまり使われない。
特殊能力
「あなた」はすごいので、他の人にはできない特殊能力を持っていることもある。
七回目のベルで 受話器を取った君
名前を言わなくても 声ですぐ分かってくれる
『Automatic』宇多田ヒカル
この手法もあまり使われない。
残像
「あなた」のパワーはすごいので、その影響はなかなか消えることがない。目を閉じても、そこにいなくても、「あなた」が見えてしまう。
瞳を閉じれば いつも君がいる
『BE MY BABY』吉川晃司
伝えきれぬ愛しさは
花になって 街に降って
どこにいても君を”ここ”に感じてる
『Love so sweet』SPIN
無条件
たいていのものの価値は、一定の条件のもとに発動する。極端な話、あらゆるものは「私が存在する限りにおいて」価値を持ちうるのだ。
だが、そうではないものが存在するとしたらどうだろうか。それは現実に存在するあらゆるものを超える価値があるといってよい。
君がすべてさ
『BE MY BABY』吉川晃司
となりで笑って いてくれるのならば
これ以上他に何も要らないよ
『fragile』持田香織
比較
効能を語ることと同じくらい基本的な手法として、比較が存在する。
一般的な形は次のようなものだろう。
目を閉じれば 億千の星 一番光るお前がいる
これを応用して、比較対象を下げることもある。その際に、比較対象としてなぜかよく登場するのが街だ。街の類語として人々や人混みなどもある。
せわしい街のカンジがいやだよ 君はいないから
だが、街以上に頻出なのが、「あなたに出会うまでの時間」や「あなたに会えない時間」。
ちょうど風のない海のように退屈な日々だった
思えば花も色褪せていたよ 君に会うまでは
出逢えたことから全ては始まった
(中略)
会えない夜は決まって 寂しさおそう
『fragile』持田香織
追究
価値あるものは追究したくなる。そのすべてを知りたいし、潜在している価値を引き出したいとも思う。ちょうど今の私のように。逆に、価値のないものを追究する人間はいないだろう。だから、追究したい欲望が生じることは「あなた」の価値を表すことになる。
たとえば どうにかして 君の中 ああ 入っていって
その瞳から僕をのぞいたら いろんなことちょっとはわかるかも
希少性
宝石がなぜ価値があるかといえば希少性があるからだ。希少性は物の価値を高める。というわけで、「あなた」の希少性を語ることも非常に多い。
僕らの出逢いがもし偶然ならば? 運命ならば?
君に巡り会えた それって『奇跡』
『キセキ』GReeeeN
あっというまに日が暮れて さよならの時が来る
この度はこんな私を選んでくれてどうもありがとう。
『トリセツ』西野カナ
表現不可能
さて、これまで8つの手法で「あなた」の価値を語ってきたが、翻って考えてみると、これは「あなた」の価値を伝えることは容易ではないことを意味する。それだけ愛は深遠なるものだということだ。
というわけで、それをそのまま言ってしまうという手法もよく存在する。
言葉が不器用すぎて 邪魔ばかりする
好きなのに伝わらない こんな想い切なくて
『fragile』持田香織
ああ アイラブユーの言葉じゃ
足りないからとキスして
「私」について語る
これまで述べてきたのは愛の対象について語る手法だが、逆に愛の主体、つまり「私」に比重を置いて語る手法も存在する。
一応述べておくと、「あなた」は「私」に影響を与えるので、「あなた」を語ることは「私」を語ることでもある。その逆もまた然り。なので、この分類は私の独断と偏見によるものである。
とはいえ、ある程度明確な分類の基準もある気がしている。というのも、ここで目指されるのは「あなたの価値」を訴えることではない。聞き手の共感を得ることにあるのだ。言い換えれば、恋愛あるある話といってもいいかもしれない。
具体的には以下の12種類がある。
- きっかけ
- 蓄積
- 衝動
- 暴走
- 不正直
- 不安
- 背伸び
- 提案
- 失敗の肯定
- 決意
- 許し
- 願望
きっかけ
まず恋の始まりについて語る。めったに使われない。
大親友の彼女の連れ おいしいパスタ作ったお前
家庭的な女がタイプの俺 一目惚れ
蓄積
二人で長い時間を過ごしてきたねと述べる。これはわりとある。
君のくれた日々が積み重なり 過ぎ去った日々2人歩いた『軌跡』
『キセキ』GReeeeN
衝動
「私」の衝動について語ることは最もメジャーな手法の一つだ。生じる衝動には様々なものがあるが、以下は頻出。具体的に言及しない場合も多い。
- 一緒に踊りたい
- 近づきたい
- 手を握りたい
- 抱きしめたい
- 口づけをしたい
- 一つになりたい
- 歌っちゃう
衝動を引き起こすのは「あなた」なのだから、これは「あなたの効能」なのでは?という気もするが、衝動が必ずしもポジティブな意味を持つとも限らないし、また、夏の海や夜の街などが衝動を掻き立てているパターンも多い。
YO! SAY,夏が 胸を刺激する
ナマ足 魅惑の マーメイド
暴走
衝動が行き過ぎると人は暴走する。時には相手に自分の願望を押し付けてしまうこともあるし、時には相手のすべてを分かった気になってしまうこともある。とにかく人と人がディープに付き合うからには傷つけ合わずにはいられない。それが恋愛なのだ。しらんけど。
愛しているのさ 狂おしいほど
『BE MY BABY』吉川晃司
ふたりでひとつになれちゃうことを
きもちいいと思ううちに
少しのズレも許せない
せこい人間になってたよ
ボーダーのTシャツの 裾からのぞくおヘソ
しかめ顔のママの背中 すり抜けてやって来た
不正直
照れくさかったり、関係を変えたくなかったりで、本当の気持ちを言えないことが往々にしてある。それが恋愛。しらんけど。
あいまいな態度が
まだ不安にさせるから
こんなにほれてることは
もう少し秘密にしておくよ
『Automatic』宇多田ヒカル
不安
「あなた」の価値があまりに高すぎると、失いたくなくて怖くなったりする。あるいは、自分がそれに見合うのかどうか不安を覚えることがある。付き合う前ならそもそも眼中に入っているのかなという不安もある。それが恋愛。しらんけど。
ROSIER 愛したキミには ROSIER 近づけない
ROSIER 抱きしめられない ROSIER 愛しすぎて
『ROSIER』LUNA SEA
君から見た僕はきっと ただの友達の友達
『高嶺の花子さん』清水依与吏
背伸び
「あなた」に見合う人間になるために、少し背伸びしてしまうこともある。
渋谷はちょっと苦手 初めての待ち合わせ
タイトなジーンズにねじ込む
わたしという戦うボディ
『VALENTI』康珍化
失敗の肯定
かように恋愛には様々な落とし穴がある。それを嘆くこともできるが、ポジティブに捉えることもできる。失敗は成功のもとだ。
二人の遠回りさえ 一片の人生
『HOWEVER』TAKURO
決意
そうした失敗の果てに、「あなた」を幸せにしてみせるという決意をする。これには改心が伴うことも多い。もちろん決意の種類はそれだけじゃなくて、「あなたを絶対にものにする」だとか色々ある。ともかく気概を見せることが重要だ。
抱きしめて 抱きしめて 離さない
戦闘の準備は ぬかりない 退がらない その手を離さない
『決戦は金曜日』吉田美和
許し
カップルの場合、決意の前提として、相手がリスタートを許してくれることが必要になる。だから、これまでの罪を赦してくれるように懇願することもたまにある。
また、逆の立場から、無情な相手に対してNoを突きつけられず許してしまうパターンもある。好きな人が他の人といちゃついているのを嫉妬深く睨んでいるような歌(『女々しくて』とか)もある種の許しかもしれない。
俺をゆるしてよ
そしてもう一度
『BE MY BABY』吉川晃司
提案
大好きな人とは一緒に素敵なことをしたいものだ。それを相手に提案するのは恋愛においては必ず現れる一幕。
手をつないだら 行ってみよう
燃えるような月の輝く丘に
願望
相手のことを好きだと、様々なことを願う。「君が僕のことを好きだと思っていればいいのになあ」とか。ときに願いは非現実的なものであったりもする。たとえば、「二人が永遠に一緒にいられたらいいのに」とか、さらに発展させて「生まれ変わってもまた結婚しよう」とか。
笑顔咲ク 君とつながってたい
『さくらんぼ』愛
なにかの手違いで
好きになってくれないかな
『HAPPY BIRTHDAY』清水依与吏
失恋ソング
失恋ソングは、恋愛ソングの裏だ。だから、構成要素はラブソングと同じ。ただ、それをネガティブに捉えたり、裏返して使えばいいだけ。
たとえば効能なら、「あなたがいるから笑顔になれる」の裏は「あなたがいなくなったから笑えなくなった」である。
残像だと、「あなたがいないときも、いつもあなたのことを思っている」なら、「あなたはもういないのに、いつもあなたのことを思ってしまう」とネガティブに捉える。これを発展させると、「過ぎてゆく季節に置き去りにされてしまう」みたいなフレーズが生まれる。ちなみに、こうしたフレーズでは、なぜか時間ではなく季節という単語が好まれる傾向にある。より叙情的だからだろうか。
無条件だと、「あなたさえいればいい」なら「僕にはもうなにもない」でいい。
比較だと、「あなたに出会うまで世界は灰色だった」は「あなたと別れてから世界は灰色になった」になる。
希少性だと、「あなたと出会えたのは奇跡」なら「こんな恋はもう二度とできない」になる。
追究だと、「あなたのことを分かりたい」なら「結局分からなかったね」か「お互い分かりすぎちゃったね」になる。
表現不可能だと、「この気持ち言葉にできない」なら「私の気持ち伝わらなかった」になる。
「私」について語る手法に関しては、そのまま使えばいいかもしれない。ただ結末が破滅に向かうだけ。
応援ソング
打って変わって、応援ソングでは恋愛を離れて夢について歌う。
まず前提として、夢とは叶えられたら嬉しいものであり、かつ、叶えるのが非常に困難なものだ。
したがって、応援ソングの歌詞は大きく「実現に関するもの」と「困難に関するもの」に二分できる。
実現に関するもの
夢の実現に関するものは、次の7つの手法が存在する。
- 行動
- ビジョン
- 原体験
- 衝動
- 実現可能性
- チャンス
- 仲間
行動
夢の実現に必要なのが行動だ。といっても歌の世界では具体的なことを述べる必要はない。「進め」「走り出そう」「扉を開けよう」「冒険しよう」などなどふわっとしたことを述べておけばOKだ。
追いかけて 遥かな夢を
『負けないで』坂井泉水
ビジョン
だがそもそもなんのために行動すればいいのか。そこで大事なのがビジョンになる。とはいえやはり歌の世界では具体的なビジョンは必要ない。「輝きたい」「優しい人になりたい」とかそんなもんでいい。あるいは、夢を語るという行為もある意味ではビジョンを描いていることになるだろう。
そしていつか 誰かを愛し
その人を守れる強さを
自分の力に変えて行けるように
『どんなときも。』槇原敬之
原体験
そのようなビジョンはどこから生まれたのか? おそらくなんらかの原体験がある。それを思い出すことが歌の世界では推奨されがちだ。
ちなみに、原体験とビジョンは必ずしもセットで運用する必要はない。原体験に触れれば、それはもうビジョンについて歌っているも同然だからだ。
あの頃の僕らはきっと全力で少年だった
衝動
そうした原体験に端を発する衝動が、夢を叶えるための原動力になる。衝動それ自体を歌ってもいいし、胸の奥底にある自分の衝動に耳を傾けろみたいなメッセージを発してもいい。
呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい
『いつも何度でも』木村弓
実現可能性
しかし、いくら衝動があっても、夢が実現する見込みがなければ二の足を踏んでしまうものだ。というわけで、応援ソングでは、可能性があることを訴える。
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける
『いつも何度でも』木村弓
チャンス
「実現する可能性はある? こんなに努力しているのに叶わないじゃないか!」という苦情が予想されるので、「今は運が向いていないだけ。いつかチャンスが転がり込んでくるよ」ということを歌う。
欲しいものは いつだって 不意に襲う偶然
仲間
夢を叶えるため、仲間の存在が支えてくれる場合もある。なんなら歌い手自身がその仲間である場合もある。
行くあてが 同じ仲間と 全ての嘘 脱ぎさる
困難に関するもの
夢の実現には大きな困難が伴う。ポジティブなことばかり言っていると非現実的な歌になってしまうので、厳しいことも述べる必要がある。
困難については次の8つの手法で歌われがちだ。
- 未知の領域
- 無知蒙昧
- 苦難
- 臥薪嘗胆
- 自分軸
- 孤独
- 比較
- 人生の短さ
未知の領域
夢が叶った先に何が待っているのか。それは未知の領域だ。それは恐怖を生み出すと同時に、胸を高鳴らせるものでもある。
その先に何があるのかは分からないけど
『There will be love there ー愛のある場所ー』川瀬智子
無知蒙昧
夢は未知の領域ゆえに、どうすればそこにたどり着けるのかも分からない。だから、人々は迷う。見当違いの場所を見ていることもあるだろうし、自分の実力不足を感じることもある。
地上にある星を誰も覚えていない
人は空ばかり見てる
つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう
苦難
人々は無知蒙昧ゆえにその行く先には苦難が待ち受けている。あらかじめそれを予言しておき覚悟を促す。
ただ予言するだけではなく、その苦難こそが夢に近づくために必要なのだと助言するパターンもかなり多い。
どんなときも どんなときも
迷い探し続ける日々が
答えになること 僕は知ってるから
『どんなときも。』槇原敬之
臥薪嘗胆
苦難に挫けたら夢は叶わない。だから応援ソングでは苦難に耐えるよう訴える。
消えたいくらい辛い気持ち
抱えていても
鏡の前 笑ってみる
まだ平気みたいだよ
『どんなときも。』槇原敬之
自分軸
苦難として想定されるものの一つに、妨害を試みる他者が存在する。そうした他者は珍しいものではなく、むしろ多いぐらいだ。となると、他者=世間=常識と考えることができる。夢を追うことは、社会の常識に背くことなのだ。(少なくとも歌の世界では。)
だから、応援ソングでは社会のルールを無視すること、自分本位になること、これをひっくるめて自分を軸として生きるよう歌われる。
どんなときも どんなときも
僕が僕らしくあるために
「好きなものは好き!」と
言える気持ち 抱きしめてたい
『どんなときも。』槇原敬之
孤独
社会のルールを無視したり、他人を傷つけたりしてでも夢に向かえば、孤独にならざるを得ない。夢を追うことは孤独になることなのだ。
風の中のすばる
砂の中の銀河
みんな何処へ行った 見送られることもなく
比較
では、もし自分軸を持たず、苦難に打ち負けたらどうなるのか? それを想像させて、そんなのは嫌ですよね?と説得する手法。それが比較だ。
あるいは、今の自分がそういう人生を歩んでいるパターンもある。これもまた夢を追う楽しさと対比させてるわけだから比較と言える。
”昔は良かったね”と
いつも口にしながら
生きていくのは
本当に嫌だから
『どんなときも。』槇原敬之
僕らの生まれてくるずっとずっと前にはもう
アポロ11号は月に行ったっていうのに
『アポロ』ハルイチ
人生の短さ
意外にもわりと少ないパターンとして、人生の短さを引き合いに出す手法もある。
生まれて死ぬまであっちゅー間
『ガッツだぜ!!』トータス松本
衝動という統一原理
ここまでは分かりやすく「ラブソング」「失恋ソング」「応援ソング」に分類して考えたが、これらには共通点がある。
ラブソングと失恋ソングは、恋愛が終わっているか否かの差しかないから構成要素が同じだ。では、応援ソングとラブソングはどうなのか。テーマが愛か夢かという違いは大きいように見える。だが、衝動という構成要素は同じだった。そして、応援ソングにおいて重要なことは、夢は叶えると嬉しいものであり、かつ、叶えるのは難しいものであるということだった。これは恋愛にも同じことが言えないだろうか。もてない人間にとって恋愛は夢になりうる。
結局のところ、恋愛ソングも失恋ソングも応援ソングも、衝動を掻き立てる何かについて語っている。恋愛ソングにおいてはそれが特定されていて、失恋ソングにおいてはそれが失われている。応援ソングにおいては、それがぼんやりしている。違いはそれだけだ。
さらに単純化していえば、それぞれの歌は見ている時間が違うにすぎない。過去を見ているのが失恋ソング、今を見ているのがラブソング、未来を見ているのが応援ソングというわけ。
ということは、一つの歌の中で異なるテーマを同時に歌うことも可能だ。たとえば、『きよしのズンドコ節』はテーマが変遷するし、『天体観測』は失恋ソングであると同時に応援ソングでもある。
理念型は鋳型ではなく座標である
上に書いたように、ほぼすべての歌はラブソング・失恋ソング・応援ソングのいずれかに分類できる。そこで使われている技法も、数は多いが、限られたものしかない。
一見意味が分からない歌も、これらの枠組みに当てはめて考えていくと、何が言いたいのかが見えてくるはずだ。たとえば『丸の内サディスティック』は応援ソング(夢について語っている歌)だと考えると、解説サイトを見なくてもおおよその言いたいことは分かってくる。ただムードのある言葉を羅列しているように見える、その裏には強固なロジックがある。
さらに、なんだかすごい歌が、他の歌とどう違うのか、何がすごいのかも見えてくる。たとえば松本隆作詞の『星間飛行』。「水面が揺らぐ 風の輪が広がる 触れ合った指先の 青い電流」は、「あなた」と出会って生じた衝動について語っている。その特徴は美しい情景、それも自然物を用いた情景にある。この歌は全パート語りたいくらいだが割愛して、その後、「濃紺の星空に 私たち花火みたい」というくだりが出てくる。ここもやはり自然物なのだが、注目したいのはその高低差。水面から始まり星空に帰結する。縦の空間の広がりが凄まじい。しかも、「濃紺の星空」という表現は、他の作詞家がよく用いる「街」、比較対象としての群衆に相当するものだと思われる。こうした自然物が描き出す情景の美しさが『星間飛行』の特徴の一つであることは間違いない。ついでにいえば、「私たち花火みたい」は、希少性の表現でもある。
もちろん、いずれにも当てはまらないような歌があるかもしれない。その場合には、無理に三類型のいずれかに押し込める必要はなくて、その歌はテーマに独自性があると評価すればよい。
ヒットソングに限ったことではない
結果的に、ヒットソングの歌詞は予想どおり、いや予想以上に、同じテーマについて語っていて、語り口さえも似たようなものばかりだった。
だが、だからこそ歌詞の多様性に驚かされる。上に書いたことはあくまで抽象的な枠組みにすぎず、それを具体的にどのような言葉で表現するかには無限の可能性がある。テンプレートみたいな歌詞で勝負する直球派のアーティストは少なくないが、それでも同じ歌詞の歌が二つ存在することはない。ひねりを利かせて独特の歌詞を生み出す技巧派が紡ぎ出す言葉は、歌詞の世界の奥深さを教えてくれる。
実は、歌の世界以外も、たとえば小説や漫画や映画も同じなのではないかという仮説が自分の中に芽生えている。あらゆる芸術作品は、ラブソングか失恋ソングか応援ソングのいずれかに分類できるのではないか。今後も探求を続けていきたい。(そう、この記事もまた歌に対するラブソングなのだ。)