たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

『エイリアン』と『ザ・フライ』と『リトル・ミス・サンシャイン』と『オデッセイ』と『天使にラブソングを』

 認識している限りでは初めてコロナにかかった。しんどかった……。

 日経新聞とにらめっこしながら、特に書くことも思いつかないので、観た映画について書こう。

 

 『エイリアン』は1979年の映画。監督はリドリー・スコット、脚本はダン・オバノン、主演はシガニー・ウィーバー

 『ザ・フライ』は1986年の映画。監督はデヴィッド・クローネンバーグ。主演はジェフ・ゴールドブラム

 『リトル・ミス・サンシャイン』は2006年の映画。監督はジョナサン・デイトンヴァレリー・ファリス、脚本はマイケル・アーント、主演はアビゲイル・ブレスリンなど。

 『オデッセイ』は2015年の映画。監督はリドリー・スコット、脚本はドリュー・ゴダード。主演はマット・デイモン

 『天使にラブソングを』は1992年の映画。監督はエミール・アルドリーノ、脚本はジョセフ・ハワード。主演はウーピー・ゴールドバーグ

 

 『エイリアン』は『ジョーズ』の宇宙人バージョン。

 肝心なのは、モンスターとのバトルが物語のクライマックスになる点。『ジョーズ』はサメとのバトルに持っていくまでに工夫を要したが、『エイリアン』では宇宙船という閉鎖空間にエイリアンが紛れ込んで否応なく戦うしかなくなる。

 このシチュエーションの差によって、バトルの様相はかなり異なる。『ジョーズ』では互角の戦いが繰り広げられたが、『エイリアン』で展開するのは一方的な虐殺である。

 そういうわけで『エイリアン』の方がホラー度が強い。グロいしキショい。

 

 『ザ・フライ』は、テレポーテーションの際に蝿と人間が融合してしまうというシチュエーションが謎に有名な作品。1958年の映画のリメイクである。

 これもモンスターが登場して最期にはバトルが発生する作品ではあるのだが、『エイリアン』とは全く異なる、重要な要素がある。変身だ。

 サメやエイリアンをぶっ殺すのにはなんの躊躇もいらないが、相手が元人間となると彼を殺すのには悲しみが生じる。それこそがこの作品の肝である。カフカの『変身』みたいなものである。

 そのため、ハエ男が生まれるまでのラブストーリーにまあまあの時間が費やされるのであるが……この作品は難しい。ハエ男のビジュアルがきしょすぎるため、融合以降はB級チックなホラーにしかならない。そうなると、前段のラブストーリーとの落差があまりに激しくなってしまってちぐはぐ感が拭えない。でもラブこそがこの映画の肝だから、そこの手を抜くことはできない。

 というわけで、この映画はB級映画になる宿命を背負って生まれてきたといっても過言ではないのではなかろうか? ただでさえそうなのに、ハエ男のセックスが激しすぎてヒロインが限界を迎えたりだとか、クズみたいな元カレが終盤ではヒロインをサポートして結果的に寝取った形になったりだとかで、ますますB級臭がする一本となっている。

 しかし、この映画の製作費は1500万ドル。『エイリアン』よりも高い。B級臭は製作費から生まれるのではない。エロとグロから生まれるのだ。

 

 打って変わって『リトル・ミス・サンシャイン』は平和なロードムービー

 この作品が生まれたきっかけは『ホーホケキョ となりの山田くん』だ。ささいな日常を描くことでも傑作を生み出せることを知ったマイケル・アーントが書いたのが本作。

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 この作品は、リトル・ミス・サンシャインという美少女コンテストへ出場する家族を描いたロードムービーだ。

 ロードムービーは孤独を描く映画だ。車に乗る人々は社会から隔絶されている。この映画に登場する家族の一人ひとりも、社会からなんらかの形で隔絶されている。父は出版社から企画を断られ、兄は色覚異常で憧れのパイロットにはなれないことが判明する。伯父は自殺未遂をしたばかりだし、祖父はヤク中だ(そして『怒りの葡萄』よろしく彼は死ぬ)。

 こうしたエピソードが積み重ねられた果てに、ついに美少女コンテストに出場するわけだが、そこで明らかになるのが圧倒的な実力差。末っ子の前に絶望が立ちふさがっていることを目にした家族はついに団結をする。いい話や。

 

 『オデッセイ』も孤独を描いた映画だが、やはり人類の団結を描いている。ポイントは家族のような小規模な団体の結束ではなく、人類規模の結束だという点だ。

 となると、似たテーマでも全く異なったアプローチが必要になってくる。人類規模の結束が必要になるのは、ビッグプロジェクト。それも宇宙プロジェクトということになろう。宇宙は閉鎖空間、孤独の世界でもあるから都合がいい。

 というわけで、火星に取り残された男の物語が生まれた。火星じゃなくて宇宙船でも良いのでは?という発想から生まれたのが『プロジェクト・ヘイル・メアリー』である。(知らんけど。)

 

 『天使にラブソングを』もある意味では閉鎖空間を描いている。修道院に繁華街で歌手をやっていた女が闖入する。異質な世界の住人たちが音楽によって繋がっていき、互いに変容していく。

 ここでウーピー・ゴールドバーグが修道女たちを殺しまくれば『エイリアン』が生まれる。異なる文化が衝突すれば、物語は生まれるのだ。

 ウーピー・ゴールドバーグが修道女たちを皆殺しにせずにすむのは、音楽があったからだ。さらに団結を深めるのがやはりビッグプロジェクトの存在である。

 個人的には、主人公たちが音楽を作り上げていく過程をもっと描いてほしかったなあという思いはある。面白かっただけに。