たぬきのためふんば

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アメリカ映画ベスト100制覇への道:その95 プライベート・ライアン

 一人の兵士を帰還させるために8人のチームが敵地へと送られる。

 

 『プライベート・ライアン』は1998年の映画。監督はスティーブン・スピルバーグ、脚本はロバート・ロダット。主演はトム・ハンクスアカデミー賞は監督賞・編集賞・撮影賞・音響賞・音響編集賞を受賞。

 

 『プライベート・ライアン』は、基本的には『キートンの大列車追跡』と同じく、お姫様を助けるために敵地へ飛び込む式のストーリーだ。

 一般的なスーパーマリオ的ストーリーに比べると、いくつかの特徴がある。一つ目は、お姫様役(ライアン二等兵)が屈強な男であること。彼は仲間を差し置いて自分だけ帰還することを拒否する。二つ目は、お姫様を救うマリオ役(ミラー大尉たち)にお姫様を救う動機が存在しないこと。彼らはただ命令されたからライアン二等兵を救いに行くだけで、自分たちの命が軽んじられているような任務に納得がいっていない。だが、はっきり言って、そこは重要ではない。そんなもんはこの映画のエンターテイメント性を隠すためのオブラートでしかないのだ!(と言ったら過言か?)

 結局のところ、この映画において最も重要なのは敵地に飛び込むことの面白さなのである。そこを徹底的に追究したのが『プライベート・ライアン』だ。

 普通、敵地に単身乗り込む場合、正面突破はできないから主人公は機知によって状況を打開する。『オズの魔法使』『アフリカの女王』や『椿三十郎』などなど。あるいは超人的な力によって多数の敵を打倒する場合もある。『キートンの大列車追跡』『許されざる者』『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』などだ。

 ところが、『プライベート・ライアン』にそれはない。たしかにミラー大尉は優秀だが、彼の能力ではどうにもならない状況が用意されている。ミラーたちにできるのは、命を賭した泥臭い戦いだけなのだ。

 ノルマンディー上陸作戦では連合軍がドイツ軍の砦を攻略する様子が描かれる。「こんなん絶対にどうやったって攻略できないじゃん……」と思わされるほど、兵士が死にまくる。すごいのが、ただたくさん死ぬだけじゃないところ。殺し方のヴァリエーションが豊富すぎる。作戦開始の直後に何人も死に、水中にいるのに銃弾に貫かれて死に、陸上に上がれば、腸がでろっと出ている奴もいるし、腕を探している奴もいる。ヘルメットで助かって奇跡に浸っていたら死に、さっきまで伝令していた奴が死に……。フレンチのフルコースのように多彩な死に様。長尺だが全く飽きが来ない。戦死の宝石箱や~。

 この血みどろの戦場をミラー大尉は駆け抜ける。ガムを使ってナイフに貼った鏡で敵の居場所を確認し、どこに部下を走らせるのがベストか判断して決断する。成功すれば良いが、失敗する確率もかなり高いであろう。それでも躊躇はしない。している時間なんてない。泥臭い。ていうか血生臭い。

 全体が3時間弱あるとはいえ、このシーンに30分弱を費やしているのだ。この冒頭、すなわち敵地への突入を疑似体験することそれ自体が『プライベート・ライアン』という映画にとっていかに重要かが分かる。

 敵地に飛び込んでおいて、誰も犠牲にならずに帰還するなんてのはファンタジーだ。というかせっかくの敵地という設定が活かしきれていない。敵地に飛び込むことの真の旨味を引き出すには、味方を大量に死なせることが必須要素になる。でも、それをやるのは普通の映画では難しい。インディ・ジョーンズに同じことをやらせようと思っても絶対にできない。インディ・ジョーンズは一人しかいないから、殺すわけにはいかない。でも殺さないとご都合主義感が出て、一気に泥臭さは後退する。死ぬための脇役を用意してもそれは変わらない。戦争映画じゃないとこれはできない。

(余談も余談だが、『呪術廻戦』は主要キャラを容赦なく切り捨てることによって血生臭さを獲得している、稀有な少年ジャンプ作品だと思う。)

 『ジョーズ』や『インディ・ジョーンズ』シリーズなどの卓越したエンターテイメント映画を撮ってきた監督が、エンターテイメントとして戦争映画を撮った結果、圧倒的なリアルっぽさで戦争の恐ろしさを伝える傑作が生まれた。お姫様救出ストーリーの究極形がここにある。