たぬきのためふんば

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アメリカ映画ベスト100制覇への道:その94 フォレスト・ガンプ/一期一会

 フォレスト・ガンプ知能指数が低いけど栄光の人生を駆け抜けます。

 

 『フォレスト・ガンプ/一期一会』は1994年の映画。監督はロバート・ゼメキス、脚本はエリック・ロス。主演はトム・ハンクスロビン・ライトアカデミー賞は作品賞・監督賞・脚色賞・主演男優賞・編集賞・視覚効果賞を受賞。

 

 知能指数が低い人物を主人公にするとき、物語の方向性は基本的には三つのパターンしかないのではないかと予想する。

  1. 知能以外の才能で成功する。
  2. 無垢であることによって成功する。
  3. 知的障害者というレッテルによる苦悩を描く。

 1番に相当する作品としては『レインマン』、2番に相当する作品だと(映画ではないけど)『イワンのばか』、3番に相当する作品だと『アイ・アム・サム』が思い浮かぶ。例外的な作品として、『アルジャーノンに花束を』のように知的障害者の変貌を描くSF小説も存在する(でもこれも結局は2の裏返しと考えることもできるような気がちょっとする)。

 『フォレスト・ガンプ』は一見すると1番のようであるが、2番の要素が強いかもしれない。『イワンのばか』ではイワンを困らせようとする悪魔や煩悩のせいで破滅する兄弟が登場するが、『フォレスト・ガンプ』にもフォレストの対比として破滅する人物が登場する。上司のダン中尉とヒロインのジェニーだ。

 そして、ダン中尉とジェニーはアメリカそのものの象徴なのであろう。『フォレスト・ガンプ』ではフォレストが生きた50年代~80年代のアメリカの象徴的な事件が描かれていて、二人ともそれらの事件に関わっている。二人だけではない。フォレストもまた、王になったイワンのように、何度も大統領に会ったり対中外交に参加したりする。

 ここで実在の人物を使っているところが『フォレスト・ガンプ』の最大の面白ポイントだ。ただし、実在の人物を揶揄するわけだから、大きなリスクもある。『フォレスト・ガンプ』は批判を浴びる理由の根本には、これがあるのではなかろうか。

 そして、愚かなジェニーは最後の最後にようやくフォレストを受け入れて、二人は結ばれる。……のであるが、愚かなジェニーをフォレストと結ばせるには、ジェニーに子供を産ませた上で死なすしかなかったようである。だが、そのおかげでなんだか良い感じの締めくくりになっている。

 実は、上に書いたことは主人公の知能が低いときに限った話ではない。物語の主人公の多くは大なり小なりフォレスト・ガンプと同じ要素を持っている。人よりも無垢であるか、煩悩を捨てることで成功に至る。「オレはバカだから分かんねえけどよお……」の究極形がフォレスト・ガンプなのである。