たぬきのためふんば

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アメリカ映画ベスト100制覇への道:その88 ロッキー

 底辺ボクサーがタイトルマッチに挑むチャンスを与えられる。

 

 『ロッキー』は1976年の映画。監督はジョン・G・アヴィルドセン。脚本・主演はシルヴェスター・スタローンアカデミー賞は作品賞・監督賞・編集賞を受賞。

 

 『ロッキー』はザ・スポーツ映画だ。

 スポーツはそれ自体がエンターテイメントだ。人間たちが頂点を巡って争い合う。オリンピックが古代ギリシャに起源を持つことから考えても、この面白さは原始的なもののようだ。

 スポーツの面白さには二つの軸がある。一つはプレーそのものの質。もう一つは観客の選手に対する思い入れの強さだ。もちろん他にもお楽しみ要素は加えられる余地はあるが(たとえばエッチなチアリーダーが踊っているとか)、それらはあくまでも添え物にすぎない。

 超人はエンターテイメントの基本中の基本だ。常人にはできないことをやれる人間を眺めるのは、なぜか分からないが面白い。映画においても、超人を主人公にしたものは少なくない。

 スポーツ選手はみんな超人だ。普通の人間だと時速100kmで野球のボールを投げられたら良いほうだが、プロ野球の世界では時速100kmはスローボールだ。当然、スポーツ中継はテレビの主要コンテンツの一角を占めている。

 ゆえに、現代の映画とスポーツの相性はあまり良くない。役者はどんなに頑張ってもプロスポーツ選手を超えられないし、どれだけ映像技術を駆使したってリアルな映像の説得力には敵わない。もちろん、リアルにこだわらなければ『少林サッカー』みたいな傑作を生みだすこともできるわけだが、そうなるともはやスポーツ映画というよりはギャグ映画になってくる。

 となると、スポーツ映画は、スポーツのもう一つの軸である「観客の選手に対する思い入れ」の方で勝負するほかない。

 ところが、である。こちらの面でも、映画はリアルなスポーツを超えられないかもしれない。なんたって平均2時間前後しか語る時間を与えられない映画に対して、リアルは数年、数十年の時間をファンと共にするのだ。しかも、それぞれの責任において多様な人生を歩んできた選手が無数にいて、ファンはその中からお気に入りを自由に選ぶことができる。多額の製作費をかけて多くの観客に刺さるキャラクターを狙って生み出さなければならない映画は不利な立場に立たされている。

 

 では、スポーツ映画の勝ち筋はどこに存在するのか? 私が考えるに、二つの道がある。

  • 現実にはかなり珍しいシチュエーションを作り出す。
  • ドキュメンタリーでは撮れないプライベートに迫る。

 これだ。

 『ロッキー』はこの両方をやっている。ちなみに『レイジング・ブル』は後者一本勝負だ。

 しがないボクサーが世界チャンピオンに挑んで判定までもつれこむというシチュエーションは、まさに映画ならでは。ただし、『ロッキー』はモハメド・アリVSチャック・ウェプナーにインスパイアされているので、現実にありえない話ではない。ありえない話ではなく、ありうるけど極めて珍しいぐらいのリアリティがちょうどいいのかもしれない。だからか、ロッキーはチャンピオンに勝てない。

 では、しがないボクサー、ロッキーはどんな人物なのか。才能はあるもののそこそこの選手止まり。ボクシングだけでは生計が成り立たないから、借金取りの仕事をしている。心優しいロッキーはこの仕事をクソだと思っている。さらに、この仕事のせいでコーチからめちゃくちゃ嫌われている。

 ロッキーは、クズみたいな友人ポーリーの妹である地味メガネ=エイドリアンのことが好き。エイドリアンの気を引くために毎日ジョークを考えて、彼女が勤めるペットショップに通い詰めている。家にはそのペットショップで買った亀と熱帯魚がいて、ロッキーはペットたちを大切に育てている。

 ロッキーはポーリーのはからいでエイドリアンとデートに繰り出す。異常にガードが堅いエイドリアンであるが、日頃のアプローチの賜物か、ロッキーは無事にエイドリアンと結ばれる。

 ロッキーが偶然得たチャンスに、コーチは手のひらを返すし、ポーリーはロッキーを使って金を稼ごうとする。ロッキーにそのことを指摘されたポーリーはバットを振り回して逆ギレするが、エイドリアンが兄に対してキレ返す。この事件の後、ロッキーは「12Rの間、立ち続けて、自分がゴロツキではないことを証明すること」を自分にとっての勝利だと定義する。バカにされてきた奴が偉い奴に一矢報いてやろうという気概を持つこと。ロッキーが本当に掴まねばならないものはこれなのだ。

 上に書いたどれも密着ドキュメンタリーでは撮れない。出世の兆しのない選手に密着取材はしないし、偶然できたとしてもあまりに赤裸々なプライベートは公開しないのが普通だからだ。

 ロッキーはトレーニングを経てチャンピオンに挑むことによって観客の心を掴むのではない。現実の人間なら絶対に表に出さないような恥ずかしい人生をさらけ出すことによって観客の心を掴んでいるのだ。

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