たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

アメリカ映画ベスト100制覇への道:その93 ショーシャンクの空に

 無実のエリート銀行員が収監されちゃったんですよ~。

 

 『ショーシャンクの空に』は1994年の映画。監督・脚本はフランク・ダラボン。主演はティム・ロビンスモーガン・フリーマン

 

 人間にとって重要な価値の一つに、自由がある。

 自由についての映画を描こうと思ったら、極端な話、2パターンしかない気がしないでもない。

 前者には『カッコーの巣の上で』『時計じかけのオレンジ』『サリヴァンの旅』『羊たちの沈黙』、後者には『俺たちに明日はない』『イージー・ライダー』などがある。

 『ショーシャンクの空に』は前者の作品だ。

 監獄ものの宿命として、主人公は脱獄を目指すことになる。物語におけるゴールはおそらくいくつかのパターンしか存在しないが、そのうちの一つに脱出がある。脱獄は脱出の最も分かりやすい形だ。

 ところが、『ショーシャンクの空に』は脱獄に向けた活動がほとんど描かれない。主人公のアンディは裏でひっそりと脱獄を進めていくのだ。これが終盤で明らかにされるのが面白ポイントの一つだが、逆に言えば終盤までは脱獄を目指す面白さがない。その代わりに、アンディはいくつかの精神的な自由を獲得していき、それが周囲の囚人たちにポジティブな影響を与えていくのが中盤までの見どころとなっている。

 時間経過が速いのも『ショーシャンクの空に』の特徴。普通なら投獄された直後から脱出を画策し、まもなく成功(又は失敗)するものだが、『ショーシャンクの空に』は20年後にようやく脱出が成る。(どうでもいいけど、冷静に考えると、20年もの間、同じ人間が同じ刑務所の所長を務めていたのか……。この映画はフィクションです。)

 これだけの時間を過ごすと、住めば都というやつで刑務所ですらホームの感じがしてきそうだ。というわけで、『ショーシャンクの空に』は束縛されることの気楽さ、自由の怖さも描いている。これは私達の人生にも重なる。会社で働くのがしんどいと思いつつ、雇用されている方が楽だと多くの人が思っている。この映画が多くの人を魅了する理由の一つかもしれない。

 考えてみると、『怒りの葡萄』のどこまで行っても地獄が待っている感に比べると、『ショーシャンクの空に』の監獄さえ出れば楽園(ジワタネホ)が待っているという感覚は実に楽観的だ。もう少し良い言い方をすると、希望がある。『怒りの葡萄』は閉じない領域展開、伏魔御厨子みたいな感じで絶望感がすごい。

 いや、実のところ『ショーシャンクの空に』だって、『怒りの葡萄』と同じなのだ。ジワタネホも含めて、外の世界は楽園ではない。レッドが仮釈放を許可されたのは、彼が罪から逃れることはできないことを認めたからだ。人の心の中には監獄がある。良くも悪くも、真の自由というものは存在しない。

 そんな残酷な世界で、かろうじて自由を得るために必要なのが希望なのだ。監獄からの脱出は視覚的に分かりやすい象徴でしかなくて、アンディとレッドにとっての真の脱出は、希望を抱くことそれ自体だったのだ。

*1:国家が作ったものや、刑事犯を収容する場所に限らない。