たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

『マイ・フェア・レディ』と『プリティ・ウーマン』について

 『キューティ・ブロンド』と間違えて『プリティ・ウーマン』を観た。『マイ・フェア・レディ』と間違えて『ティファニーで朝食を』を観た。

 

 それはともかく、『プリティ・ウーマン』と『マイ・フェア・レディ』について語っていきたい。

 この二つの映画はどちらも、富める男が貧しい女性を援助して成り上がらせるというのがストーリーの骨格になっている。

 これらの物語の原形は『シンデレラ』である。社会的地位の低い女性が変身をして、そのポテンシャルを発揮するというところが肝だ。『シンデレラ』では魔法の力で変身を果たしたが、『マイ・フェア・レディ』や『プリティ・ウーマン』では現実的な方法で変身しちゃおうというのがミソである。発想としては、死んだ恋人の復活を現実的な方法でやり遂げた『めまい』と同じだ。

 『プリティ・ウーマン』に関して言えば、そのまんま、金持ちがドレスを着せてくれて周囲からの目も本人の自意識も変わるという手法を取っている。

 『マイ・フェア・レディ』についてもドレスで着飾る要素はあるのだが、メインの変身の手法は発音の矯正だ。映画の冒頭で現れた謎の男が、「まともな英語の発音ができればお前でもまともな仕事に就けるだろうに!」と嫌な感じの歌を歌うところからスタートする。男は音声学の教授なのだが、ヒロインは彼に師事することにする。漠然とした閉塞感を打ち砕く意外な道(ランチェスター戦略において注力すべき領域)を指し示した点と、努力と根性でどうにかできる点が面白い。

 さらに、魔法には時間制限がある点も『シンデレラ』にならっている。

 『プリティ・ウーマン』は2週間の間だけ金持ちの恋人として振る舞うという契約が締結される。言うまでもなく、2週間後には本当の恋に落ちている。

 『マイ・フェア・レディ』も女王が列席するパーティで低い身分の女とバレないことが目標として設定される。これまた言うまでもなく、パーティが終わる頃には女と教授は恋に落ちてしまっているという寸法である。

 

 現代日本版のリアルおとぎ話を考えてみよう。

 「アンチエイジングケアを極めた結果、友達がみんな死んじゃったけど私は元気です」みたいな。

 あるいは、「精子提供を受けて体外受精した卵子代理母に子供を産んでもらったら超人が生まれたので、ピットブルと雉とゴリラを調教して外国に攻め込みます」みたいな。

 ……というのは物語の本質を理解せず、ただ要素を置き換えただけの悪い例です。

 もっと、たとえば一寸法師なら、「劣った(とみなされる)身体的特徴を持つ者が優れた身体的特徴を持つ者に、その身体的特徴を使って勝利する話」ぐらいにまで抽象化しなければならない。あれ? そうか。一寸法師は『フォレスト・ガンプ』の原作だったのか。

 ちなみに『ドラゴン桜』は日本版『マイ・フェア・レディ』です。

 

 個人的には、『マイ・フェア・レディ』の方が好きだし名作だと思うのだが、ちょっと長すぎると思わなくはない。

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