お転婆な修道女が厳格な家の家庭教師になります。
『サウンド・オブ・ミュージック』は1965年の映画。監督はロバート・ワイズ、脚本はアーネスト・レーマン。主演はジュリー・アンドリュースとクリストファー・プラマー。アカデミー賞は作品賞・監督賞・編集賞・音楽賞・録音賞を受賞。
この映画が実話に基づいていることを無視して書くと、『サウンド・オブ・ミュージック』は『白雪姫』である。
- 主人公のマリアは修道院から追放される。←白雪姫は城から追放される。
- マリアは七人の子どもたちに歌を教える。←白雪姫は七人の小人と暮らす。(ディズニー版では小人たちに文化的な生活を教える。)
- トラップ大佐の恋人に言われてマリアはトラップ大佐の家から去る。←白雪姫は意地悪な継母に毒殺される。
- 修道院の長の説得によりマリアはトラップ大佐の家に帰る。二人は幸せなキスをして終了。←白雪姫は王子様のキスによって蘇る。
物語はストーリーの構成要素さえ揃っていれば、必ずしも順番を揃える必要はないのだ。
そう考えると、『サウンド・オブ・ミュージック』のナチス関連の話は蛇足な気がしないでもない。とはいえ、序盤のトラップ大佐による抑圧的な家庭とナチスの支配する抑圧的な国家を重ねることで、一つの家庭のエピソードを政治的なメッセージを持つ大作に昇華させることに見事に成功していることは否定しようがない。むしろ『サウンド・オブ・ミュージック』は『白雪姫』の拡張可能性を示してみせたと言った方がよいかもしれない。
それはそれとして、これまでミュージカル映画といえば『有頂天時代』『オズの魔法使』『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディー』『雨に唄えば』『ウエスト・サイド物語』『キャバレー』を観てきた。
これらの作品では、たとえばフレッド・アステアやジーン・ケリーのダンスを見せるための手段として、歌や踊りが使われている。
しかし、『サウンド・オブ・ミュージック』は歌を歌う意味を改めて問うている。
ミュージカルはただ歌って踊ればいいわけではない。登場人物の感情を表現するために歌や踊りが存在する。ミュージカルにおいては感情の高まりを表現することが最も重要なのだ。
歌を教えることによって、感情を自由に発露する方法と楽しさをマリアが子どもたちに教える様子はミュージカルの真髄を表している。この映画の公開後に生まれた子どもたちはみな幼い頃にドレミの歌を教えられる。我々もまたマリアの教え子なのだ。そういう意味では、ミュージカル史上最も重要な作品だと言っても過言ではないのではなかろうか。