たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

アメリカ映画ベスト100制覇への道:その66 有頂天時代

 結婚のために大金を稼ごうと上京した男が美女と出会う。

 

 『有頂天時代』は1936年の映画。監督はジョージ・スティーヴンス。脚本はハワード・リンゼイアラン・スコット。主演はフレッド・アステアジンジャー・ロジャース

 アカデミー賞は歌曲賞を受賞。

フレッド・アステアのダンスを最高の形で提供する方法とは?

 フレッド・アステアは大スターだ。ただの映画俳優ではない。世界一のダンサーだ(少なくともここではそういうことにしておく)。フレッド・アステアを抜きにしてミュージカル映画を語れないし、タップダンスを語ることもできない(たぶん)。

 映画公開当時、フレッド・アステアは37歳。本作で映画出演は7作目。おそらく、アステアの絶頂期だっただろう。

 したがって、この映画は、フレッド・アステアのダンスを見せるための映画であったはずだ。つまり、制作陣には次の問いが投げられたのである。

「世界一のダンサーの踊りを最高の形で見せるにはどうすればよいか?」

 この問いに対する答えの一つが、『有頂天時代』で示されている。

 それは次のようなものだ。

「踊らせない」

 いや、もちろん一切ダンスを踊らせないわけではない。大事なのは、そこらへんの普通にダンスが上手いだけのやつにはできなくて、フレッド・アステアならばできることとはなんなのか?を考えることだ。

能ある鷹は爪を隠す

 まず、この映画では28分までアステアを踊らせない。

 ただ踊らせないだけじゃない。ダンス教室に通わせてしまう。さらに、アステアは下心のためにわざと無能を演じる。誤解もあり、ヒロインはアステアのことをメタメタになじる。

 ここで観客はこう思うことになる。

「世界一のダンサーをヘボ扱いするなんて……」

 これがあるから、ついに踊るとなったときのワクワク感がすごい。


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 これは他のダンサーにはできないことだ。

 そもそも、観客に「主人公は凄腕のダンサーだ」という共通認識がなければならない。まだ主人公を踊らせていないのにだ。まあこの点は、セリフで示唆するなり、観客に対しても主人公の実力は秘密にしておくなりすればいいじゃないという考え方もあるかもしれない。ただ、絶対に外せないのは、実力を発揮した主人公のダンスが文句なしに抜群のものでなくてはならないということだ。見せられたのが、そこそこ上手なダンサーによるそこそこ上手なダンスだった場合、観客は反応に困る。「その程度の実力なら隠すな!」と言いたくなるかもしれない。

 この演出はフレッド・アステアにだけ許されるものなのである。というのは極論だが、フレッド・アステアだからこそ、この演出の効果を最大限に引き出すことができるのである。

 もちろん映画的にごまかしがきくものならフレッド・アステア以外を起用してもこの演出はできる。たとえば、「優男かと思ったら凄腕のガンマンだった」みたいな。同じジョージ・スティーヴンス監督の『シェーン』パターンである。ジョージ・スティーヴンスは能ある鷹は爪を隠すフェチだったのかもしれない。

しばらく踊らせる

 ひとたび明るみになった実力は出し惜しみする意味がない。というわけで、ここからしばらくは普通に踊る。

 アステアのダンスを見ると、地球の重力が半分になったような感じがする。

 素人の私はプロダンサーのダンスを見ると、とりあえず「キレがすごいなー」と思うのだが、フレッド・アステアのダンスにはキレを感じない。身体に力が入っている感じが全くしなくて、「すごい速さで動いてる!」「ビシッと止めた!」と思わせないのだ。当然頑張ってる感も皆無。息をするのと同じくらい当たり前に踊る。流麗という言葉がよく似合う。


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 そんなフレッド・アステアの足を引っ張ってると思わせないジンジャー・ロジャースもすごい。

 ……みたいな感想を抱きながら、素朴に二人のダンスを楽しむパートである。

流星は燃え尽きる時に輝く

 もう一つの踊らせないポイントは、終盤にある。

 アステアは婚約者の父に結婚を認めてもらうため、大金を稼ぎに都会に行く。そこでロジャースと出会ったアステアは恋に落ちてしまう。もはやアステアの課題は、いかに大金を稼がないか?になっている。

 そんなとき、婚約者が二人の前に現れる。修羅場を迎えて、ロジャースはアステアに別れを告げる。

 そこで、アステアは彼女にこう言うのだ。

「僕は君とだけ踊る。だからもう二度と踊らない」

 世界一のダンサーにこのセリフを言わせるとは。

 こんなん大谷翔平に「僕は君とだけバッテリーを組む。だからもう二度と投げない」って言われてるようなもんじゃん。ときめかないわけがない。(それでもヒロインは彼の元を去るのだが。)

 そう、失って初めて分かる大切さがある。宝物が最も価値があるように思えるのは、それが失われた時だ。

 世界一のダンサーに、世界一のダンサーのまま、ダンスをやめさせる。

 これこそ、アステアの才能が最もきらめく瞬間なのである。


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