たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

アメリカ映画ベスト100制覇への道:その86 ゴッドファーザー

 ニューヨーク最大のマフィアを堅気の息子が受け継いだのは、ファミリーが危機に瀕している時だった。

 

 『ゴッドファーザー』は1972年の映画。監督・脚本はフランシス・フォード・コッポラ。脚本には原作者のマリオ・プーゾも参加。主演にマーロン・ブランドアル・パチーノアカデミー賞は作品賞、脚色賞、主演男優賞を受賞。

 

 ヤクザ映画はお仕事映画であると『グッドフェローズ』の時に書いた。

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 『グッドフェローズ』の主人公がサラリーマンだとすると、『ゴッドファーザー』の主人公は創業者一族だ。

 起業家の人生には、二つのドラマチックな転機がある。

 一つ目は、起業の時。これを描いた作品は多い。『ソーシャル・ネットワーク』『市民ケーン』『ウルフ・オブ・ウォールストリート』『ファウンダー』などなど。新しいビジネスを思い付く興奮と成り上がっていく楽しさ、栄光の裏に生じる影がこれらの作品の魅力だ。

 二つ目は、育てた会社が自分のものでなくなる時である。『ゴッドファーザー』はこの時期を描いている。これ系の作品は意外と少ない気がする。私に思い付くのは『天元突破グレンラガン』くらいか。

 会社が自分のものでなくなるプロセスは、大きく分けて三つのパターンがある。

  • 倒産する。
  • 他社に譲渡する。
  • 後継者に引き継ぐ。

 『ゴッドファーザー』は、これらのすべてを描いている。

 冒頭の結婚式では、コルレオーネファミリーが栄華を極めていることが描かれる。有名人も訪れる華やかな式典と、ドン・コルレオーネに持ちかけられる闇の相談の対比は鮮やか。このシーンの元ネタが黒澤明の『悪い奴ほどよく眠る』であることは有名な話だ。

 後日、麻薬の売人ソロッツォがドンにビジネスの話を持ちかける。ドラッグビジネスは、将来有望な新しいビジネスモデルだが、ドン・コルレオーネはこれを断る。コルレオーネファミリーの根幹(=権力者とのコネ)を揺るがす危険な事業だからだ。この会談の際に、二代目と目されているドンの息子ソニーがヘマをする。

 この日を境に、コルレオーネファミリーは抗争に巻き込まれ、ドンが銃撃される。倒産の危機がファミリーに訪れたわけだ。ファミリーが地位を守れるか否かは、後継者の肩にかかっている。

 後継者には2種類の人間がいる。無能か有能かだ。無能な後継者は、先代が築き上げたものを食いつぶす。ビジネスを理解したつもりになっているが、本当は何も理解していない。有能な後継者は、先代が築き上げたものを守り、時にはさらに飛躍させる。

 有能な後継者が見つかるプロセスは、一人の人物が己の才能に気付き開花させていくプロセスでもある。おそらくたいていの場合、その人物は自分が後継者になるとはおもっていない。(この点、『エースをねらえ』っぽさがある。)

 『ゴッドファーザー』はここでも両方を描いている。

 ドンが退いた後、後を継ぐのは長男のソニーだ。ソニーは言動の端々に無能さを漂わせ、ファミリーの没落を予感させる。

 ソニーがいるから、三男のマイケルは堅気をやらせてもらっている。ところが、入院しているドン・コルレオーネが暗殺されそうになっているのを察知し、機転を利かせて父を守る。さらに、ソロッツォと彼に協力する警官を暗殺することでファミリーをも窮地から救うのである。マイケルはマフィアとしての才能に気付き、また、それを周囲にも示すことになる。

 その後、ソニーが暗殺されてしまい、マイケルが後継者となることになる。ドン・コルレオーネが病死した後、内外の敵を粛清し、ラスベガスに拠点を移すことで、マイケルは無事に会社を受け継いだこと(それは彼が完全にマフィアの世界の住人になったことを意味する。)を観客に対して示すのだ。

 

 上にも書いたとおり、育てた会社が自分のものでなくなる過程を描いた映画はあまりない気がする。むしろ、我々は歴史の教科書やニュースでそれを目にすることの方が多い。(会社と国家や宗教は組織であるという点で同じだ。)『ゴッドファーザー』から格式の高さを感じる所以かもしれない。

 だが、一般人にとって事業承継はなかなか馴染みがないイベントだ。これは観客がドラマに入り込めない要素になりうる。が、『ゴッドファーザー』ではマフィアを家族経営の企業として描き、家族の物語という万人に親和性のあるストーリーに落とし込むことで課題をクリアしている。

 

 ところで、マフィアを主人公にするメリットはなんなのだろうか?

 歴史物に対する優位性としては、モダンな作りにできることがある。今風のおしゃれに仕上げられるし、歴史背景に関する知識がいらないから敷居も低い。ただし、日本のヤクザ映画に関しては、おしゃれにしづらいし、専門用語が口頭かつ方言で飛び交うのでむしろ敷居が高い気がする。

 では他の業態に対する優位性は何なのかといえば、それはもう銃で問題解決を図れることに他ならない。派手に、スピーディーに、物事を展開できる。たとえば、スティーブ・ジョブズの映画を撮るとして(実際にあるが)、ジョブズが社長の座を追われる場面は取締役会の決議という地味な画でドラマを展開させなければならないし、復帰したジョブズの成功を瞬間的に示すことは難しい。もしジョブズがマフィアだったなら、これらはジョブズが銃撃されたりビル・ゲイツを射殺したりすることで、ことの成り行きを観客に示すことができるのだっ! ついでに言えば、シンプルに、男の子は武器を手にして戦うのが好きなのである。(余談だが、『ゴッドファーザー』における重要パラメータ「危機察知能力の高さ」もたぶん男子に対する訴求力が高い。『もののけ姫』でアシタカがもののけ姫の襲来を誰よりも早く察知したり、『機動戦士ガンダム』でニュータイプがプレッシャーを感じたりするのはなぜか分からないが厨二病的にかなりポイントが高い。)また、他の組織では武器を持つことができないことから、一般社会から隔絶された異質な社会を作り上げることも容易だ。

 

 マフィア業界における事業承継を描いたこと。この一点だけでも、『ゴッドファーザー』が他の追随を許さない名作であることが説明できてしまう。恐るべし『ゴッドファーザー』。