たぬきのためふんば

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アメリカ映画ベスト100制覇への道:その84 サイコ

 会社の金を横領したら会う人会う人に怪しまれる!

 

 『サイコ』は1960年の映画。監督はアルフレッド・ヒッチコック、脚本はジョセフ・ステファノ。主演はアンソニー・パーキンスジャネット・リー

 

 『サイコ』といえば有名なのがシャワーシーンだし、このシーンのためにこの映画は存在する。そのわりには、そこに至るまでの道のりが長い。

 『サイコ』のストーリーは前半と後半に大きく分けることができる。そのどちらも性質としては倒叙ミステリーに近いもので、罪を犯した人間を中心とするサスペンスが映画の魅力になっている。

 

 前半は会社の金を横領した女の物語だ。

 罪を犯すには三つの要件を満たす必要がある。動機、手段、機会である。人はなんらかの理由がなければ罪を犯すことはない(動機)。目的が存在したとしても、その目的を安全に達成するための手段を持っていなければ犯罪に着手することはできない(手段)。仮に手段を有していたとしても、たいていの手段は常に完全犯罪を保証するものではなく、絶好の機会を要求するものなのである(機会)。

 この物語の第一の主人公であるマリオン・クレインには恋人と結婚するためには金が必要という動機があった。そんな彼女の目の前に会社から大金を預かるという絶好の機会が訪れる。

 本来であれば、マリオンはここで巧みに策を弄し、バレずに横領する手段を考えなければならないわけだが、そんなことをできるほどの頭脳も時間も彼女は持っていない。にもかかわらず、彼女は横領に着手してしまう。鱗滝さんも「判断が早い!」と唸ってしまうほどのスピード感である。レザ・エブラヒム・ソクハンダンでもここまで即断即決はできないだろうという速度で彼女は大金を持ち逃げする。

 完全犯罪とするための手段が欠けた逃走劇は必然的にサスペンスに満ちたものになる。マリオンは偶然会った警察官にめちゃくちゃ怪しまれるし、中古車屋にすら開口一番「トラブルはゴメンですぜ!」と言われる始末。

 それでもなんとか逮捕まではされず、モーテルに泊まることにしたマリオン。そこで彼女は柔和な印象の若旦那ノーマン・ベイツと対話をし、翌朝には帰ろうと心変わりをする。

 構造的に見れば、ノーマン・ベイツはすべてを承知しているホストで、わりとよくあるパターンの人物像でありストーリー展開でもある。「家出をした少女を泊めてくれた家の主人は、彼女が家出少女だと実は承知していて、それとなく彼女を家に帰そうと誘導する……」みたいな感じのやつ。

 ただし、マリオンはノーマン・ベイツと話して(おそらく)「こいつみたいになったらヤバい」と思って帰ることにした点で少し変わっている。沼にハマりきったノーマンを見て、自分も沼にハマりつつあることに気付いたのだ……。

 ともあれ、彼女は自らの過ちを認めることに決めた。この瞬間、彼女の物語は映画の中で存在意義を失い、終わりを告げるのである。

 

 ここで来るのが例のシャワーシーンだ。

 例のBGMと共に交互に映される包丁とマリオン。倒れ際に掴んだカーテンが弾け落ちたのを最後に、辺りに響くのはシャワーが発する水の音だけ。排水溝は流れ出る血を感情もなく吸い込み続ける。動かない*1マリオンの目が大きく映され、彼女自身がそうした無機質な物体の一つになったことを観客は知る*2

 マリオンを刺す腕の動きがなんとも機械的で安っぽさを感じるが(あえてそうしたのかもしれないけれども)、その点を除けば、このシーンの叙情性は今なお傑出している。

 

 このシーンを境に物語の主人公は交代する。観客はノーマン・ベイツとその母親がいかにして逮捕されるかを眺めることになる。

 彼らの殺人もまた突発的なものであり、いつ犯行がバレるとも知れないサスペンスに満ちている。ただし、前半とは違い、後半には謎がある。殺人を犯したであろうノーマンの母親とはいったいどのような人物なのか?という謎だ。

 まあそんなもんは事情通や公的機関ならすぐに分かるわけだが、ここで効いてくるのが前半である。マリオンの恋人と妹は、マリオンの罪を隠したいため警察に頼ることはできない。そこで、私立探偵という、殺されるために用意されたキャラクターが登場する。彼がマリオンの恋人たちにノーマンの母親が鍵であることを伝え、彼らが真相を明らかにする。その真相というのが衝撃的な事実で……!という筋書きだ。

 

 この衝撃を生み出すポイントは、マリオンとノーマンの動機の違いだ。マリオンの動機はだ。映画における最も典型的で最も強力な動機。ここでいう金には、財宝や権力、それらを奪われないために敵を排除することも含まれる。

 対して、ノーマンの動機は痴情のもつれである。これもおそらくは金に次いで典型的な動機だ。が、ノーマンのそれは普通とはちょっと違う。通常ならば、犯罪者と被害者、その両者となんらかの関係を持つ第三者がいて、痴情はもつれる。『サイコ』にはその第三者が存在しない(ノーマンは犯罪に着手した時点でマリオンに恋人がいることを知らない)。三者が存在しないのに痴情がもつれるとはこれいかに。本来ならばありえないことが起こる。ここに映画の面白さが生まれるのである。

*1:本当に動いていないかどうかには議論の余地がある。

*2:死体は有機体ですが、みたいなツッコミは受け付けない。