たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

アメリカ映画ベスト100制覇への道:その79 イントレランス

 社会の風俗を正す矯風会が労働者階級の生活を正していく。

 

 『イントレランス』は1916年の映画。監督、脚本、製作はデヴィッド・ウォーク・グリフィス。

 

 この映画は次の4つの出来事に関するストーリーを並行的に映していく。

  • 現代に発生した冤罪事件
  • サンバルテルミの虐殺
  • キリストの磔刑
  • バビロニアの崩壊

 「なんだ群像劇か」と思うかもしれないが、一般的な群像劇は同じ時と場所を生きる人物たちを描くものだから、時代も場所も異なる物語を並行して描くというスタイルはなかなか珍しい。

 バラバラの物語を一本の映画にまとめあげているのは、一本のテーマ。不寛容(イントレランス)だ。

 それぞれのストーリーは比重が異なっていて、メインは間違いなく現代パートだ(それもそのはずでもともとはここだけで『母と法律』という作品を製作しようとしていたそうな)。矯風会なる品行方正な婦人たちが推進した法律によって、かえって治安が悪化する社会。その中でつましく暮らしていた夫婦が子を取り上げられ、挙句の果てに冤罪で死刑宣告を受ける。

 この物語に重ねて描かれるのがキリストの物語。矯風会はキリストを磔にしたパリサイ派とおんなじじゃ!とグリフィスは訴える。さらにダメ押しするように、カトリック(=不寛容によって死したキリストを崇める宗教)の不寛容によってユグノーが虐殺されるさまを描く。が、この二つのストーリーはあくまで添え物的な感じである。

 現代パートの次に厚みを持って描かれるのがバビロン編だ。新バビロニアの王子ベルシャザールによって奴隷の身分から解放された山ガールが、国家の存亡に関わる陰謀に気付き、ベルシャザールを救おうとする物語。このパートはセットやエキストラの数が壮大で、100年経った今なおもって圧巻としか言いようがない。(なお、『イントレランス』は興行的に失敗したため、この巨大セットは解体することもできず数年間廃墟として放置されたのだとか……。)

 ちなみに、このバビロン編の俯瞰ショット撮影のために足場を組んだことから、工事現場やライブ会場で仮説される足場のことを「イントレ」と呼ぶそうな。明日から披露していきたい雑学だ!

 この4つの物語を並行させることの真価が発揮されるのがクライマックス。冤罪を晴らすためのカーチェイス(『フレンチ・コネクション』式の汽車VS自動車である)、絞首刑のテスト、十字架を背負って歩くキリスト、ついに始まる虐殺、バビロンに迫るペルシャの大軍、馬車に乗って疾走する山ガール。これらが次々に映し出されるので、もう目が離せない。

 

 上記のとおり、この映画は1916年公開。当時はなんと第一次世界大戦の真っ最中。日本人にとってより身近なイベントを挙げると、日露戦争終結から11年しか経っていない。日本の民法が施行されたのは1898年で、そこから20年も経っていない……。そう考えると大昔としか思えないが、『イントレランス』を見るとそれほど昔のことでもないように感じる。この感覚は、ローマの遺構(特にコロッセオ)を見た時の感覚と近いかもしれない。一大叙事詩を描いた『イントレランス』だが、この映画自体が叙事詩の中に組み込まれつつある。

 この後、ハリウッドはヘイズ・コードという自主規制を始め、アメリカン・ニューシネマの時代に自主規制の殻を破っていくこととなる。まさに不寛容との戦いが映画の歴史と言っても過言ではないかもしれない。


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余談

 これまでアメリカ映画ベスト100を観てきた。今回で79作品目だが、このマラソンを始める前にすでに観ていた映画が21作品だった。

 つまり、この『イントレランス』でアメリカ映画ベスト100は制覇したということになる。そんなわけだから、今年の目標「アメリカ映画ベスト100を制覇する」はここに達成したということを宣言しておきたい。

 とはいえ、ブログ的に考えて「アメリカ映画ベスト100制覇への道」が「その79」で終わるのはなんとも気持ち悪い。だから視聴済みのものも再度視聴して記事にしていきたいとは思う。ただ、これから先はウイニングラン的な気分だということはここに記しておきたかったのである。