小児精神科医が救おうとした少年は霊感の持ち主だった。
『シックス・センス』は1999年の映画。監督・脚本はM・ナイト・シャマラン。主演はブルース・ウィリスとハーレイ・ジョエル・オスメント。
なぜ幽霊を見られるのか?
幽霊系のホラー映画において大事なポイントは、「主人公はなぜ幽霊を見ることができるのか?」にある。普通の人は幽霊なんて見たことがないし、見えるわけがない。
よくあるパターンは、「呪われたから」。『呪怨』とか『リング』とか『呪詛』とか。場所が呪われているパターンもこれに含めてよいだろう。
もう一つのパターンは、「霊視の才能があるから」。小野不由美の『悪霊』シリーズあたりがたぶんこれに当たる。
どちらを選ぶのかによって、物語のテイストはだいぶ変わるはずだ。前者の場合は実質的に『ジョーズ』と同じ形式だが、後者の場合はおそらく探偵映画やスーパーヒーローものに近づいていく。霊視の才能がある人は、その才能を活かして人々を救うのだ。
『シックス・センス』は後者だ。ただし、才能の持ち主はその才能に苦しめられている。これは、一人の少年が自分の才能に気付くまでの物語なのだ。
あらすじ
主人公マルコムは小児精神科医。かつて面倒を見た少年ヴィンセントが大人になって自分と心中しようとした事件があり、前にも増して、苦しむ子供を救うことに執着している。そのせいで妻との関係も悪化している。
彼の前に現れる一人の少年コール。マルコムはコールと対話を重ね、彼の秘密を教えてもらう。コールには幽霊が見えるというのだ。
ここから観客は、コールの目に映る世界を見ることになる。家にも学校にも死者がいる。まるでお化け屋敷のような日常。そんなことを誰かに理解してもらえるはずもなく、コールは親を含む周囲から不気味がられる。このおぞましい世界に少年はたった一人で耐えてきたのだ。
精神病だと思い信じていなかったマルコムだが、ヴィンセントも同じ現象に苦しんでいたことを悟り、コールにアドバイスを贈る。「(幽霊の言葉を)聞いてやるんだ」
勇気を振り絞ってコールは幽霊との対話を試みる。その結果、コールはとある家族を救うことになる。
コールは霊だけでなく、母親ともコミュニケーションを取ってみることにする。自分には霊が見えることを伝えるのだ。コールは母親と和解する。
そんなコールを見習って、マルコムは妻とのコミュニケーションを試みる。二人の間の誤解は解け、マルコム自身も救われることになる。
自分の見たいものだけを見る人々
要するに、最初は自分の特性に悩まされていた少年が、パートナーのサポートを得て、その特性が才能であることに気付く。パートナーもまた、その経験をきっかけにして救われる。という普遍的な王道のストーリーだ。
だが、そこで終わらないのが『シックス・センス』の名作たる所以だ。
『シックス・センス』の幽霊には一つの特徴が与えられている。それは「幽霊は自分の見たいものだけを見る」というもの。実は、これは生きている人間の特徴を誇張したものにすぎない。誰だって自分の見たいものだけを見ている。人の苦しみの大半は、自分の見方を変えられないことに起因する。
コールも、マルコムも、他の人々も、自分の見たいものだけを見て、それが真実だと思いこんでいる。だけど、自分の見方が一面的だったことに気付きさえすれば、違った世界が見えてくる。他者(幽霊を含む)とのコミュニケーションは気付きのきっかけになる。霊視能力が才能であることが分かったように。
当然、観客だって、見たいものだけを見ている。
『シックス・センス』は、コール、マルコム、そして観客に新しい視点を与える映画なのだ。