たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

感想がない人のための(読書)感想文の書き方講座

 『グレイマン』を見た。昨日7/22に全世界で配信が開始されたNetflixの映画である。

 感想を述べる。

 

 面白かった。アナ・デ・アルマスがきれいだった。お金がかかってそうだった。

 

 ……以上である。

 まいった。面白かったは面白かったが特に心に残るようなことがなくて書くことが何もない。

 そうして私は思い出した。私がまだ生徒の頃、読書感想文を書かされた時にどんな状況だったのかを。まさにこんな感じで、書くことが特に思い浮かばないのだ。好きな本を読んでその本が偶然にも非常に面白くて感想を誰かに伝えたい……そんな状況であれば読書感想文を書くのは容易だ。原稿用紙10枚分だって余裕で書ける。しかし、現実にはそんなことはありえない。何を読むのか指定される場合も多いし、自分で本を選ぶ場合でも読書習慣のない子どもが夏休みの間に読める本などせいぜい一冊が限界だ。読むことを強いられた本や何の基準もなくたまたま手に取っただけの本が心に響く確率など、壁に体当りしてすり抜ける確率よりも低い。

 そして今は夏休みである。間もなく、私と同じように感想を書くのに困り果てる小学生中学生高校生が蝿のように湧いて出てくるはずだ。人は蝿のことをいくら駆除しても消えない不快な虫だと思っているが、それは違う。蝿が家に現れるのは、蝿が育つ環境を人間が作っているからなのだ。同様に、生徒が読書感想文を書けないのにも相応の理由がある。だからといって、私に教育改革などできようはずもない。それでも、私にできるせめてものことはしたい。私は大人として、若き少年少女たちに模範を見せようと思うのである。

 私が原稿用紙3枚分以上のボリュームで『グレイマン』の感想を書くことができたら、きっと青少年たちも読書感想文を書ききれるに違いない。

Step1.読書感想文の書き方を学ぼう

 気持ちだけで読書感想文を書けるのであれば、誰も苦労しない。読書感想文の書き方を勉強するのが先決だ。

ベネッセに学ぶ読書感想文の書き方

benesse.jp

 まずはこちらのサイトで学ぶ。色々と書いてあるが、要するに

  1. どんな本を読んだか
  2. その本を読んでどんなことを感じたか
  3. 本を読んでみて考えた自分の意見

 これを書けばいいらしい。

 だが、「どんなことを感じたか」と言われても何も感じなかったから困っているのである。ましてや、自分の意見などあろうはずもない。

 こちらは指定された文字数を埋められるようにそれを書く方法を知りたいのである。

 次!

オモコロに学ぶ読書感想文の書き方

omocoro.jp

 こちらのサイトのポイントとしては

  • 感想は捏造するもの
  • 自分語りをしよう。
  • ズルはしないでちゃんと読書感想文に取り組もう。

 この3つに集約できそうだ。これはなかなか良いことが書いてある。自分の中に何もなくたっていいのかと思えば安心する。だが、少し抽象的で、このまま書き出すのは心もとない。

 もう一つ見ておこう。

読書猿に学ぶ読書感想文の書き方

readingmonkey.blog.fc2.com

 このサイトのポイントも3つにまとめてみよう。

  • 改心したことを書こう。
  • 改心の内容はフィクションでかまわない。
  • 読書前の自分と読書後の自分を比較しよう。

 というところだろうか。上2つは完全にさっきのサイトと同じだ。しかも、こっちのサイトは具体的な方法論を書いてくれている。大変ありがたい。

Step2.感想文を書いてみよう!

 早速、感想文を書いてみることにする。とりあえずベネッセの言うとおり、どんな本を読んだか(どんな映画を見たか)を書いてみる。

『グレイマン』とは

 『グレイマン』は、日本では2022/7/15に劇場で公開され、7/22からNetflixで全世界に向けて配信されている映画だ。*12009年に出版された同名小説を原作として、『アイアンマン』シリーズや『アベンジャーズ』シリーズで有名なルッソ兄弟が監督を務めた*2。主人公のシエラ・シックスは『ラ・ラ・ランド』でゴールデングローブ賞を受賞したライアン・ゴズリングが、ライバルのロイド・ハンセンはキャプテン・アメリカでおなじみのクリス・エヴァンスが演じる。製作費はNetflix史上最高額の2億ドルに及ぶ。

あらすじ

 父親を殺害し刑務所に収監されていた主人公のもとに、ドナルド・フィッツロイという男が現れる。フィッツロイはCIAの職員で、主人公をCIAお抱えの暗殺者グレイマンとして雇いたいと言う。主人公は快諾し、それ以来、シエラ・シックスと名乗るようになる。それから18年後、シエラ・シックスがバンコクでミッションを遂行することになる。ターゲットを殺すことに成功したシエラ・シックスであったが、殺害の直前、相手がシエラ・フォーであることを知る。シエラ・シックスと同じグレイマンだった男だ。シエラ・フォーは死に際にペンダントをシエラ・シックスに託す。それはCIA本部長のデニー・カーマイケルの秘密が隠されたデータチップだった。秘密を知ってしまったシエラ・シックスを始末するため、カーマイケルは冷酷非情な暗殺者ロイド・ハンセンを彼のもとに差し向けるのであった。

もう少し掘り下げてみる

 ルッソ兄弟が監督を務め、クリス・エヴァンスが助演を務めるということからしても分かるとおり、この映画はど派手なアクション映画である。映画の大部分がアクションシーンで構成されており、プラハの美しい街並みが暴走する列車や爆裂する重火器によってめちゃくちゃにされるシーンは特に必見である。

 製作費2億ドルということだが、これは現在のレートで270億円に上る金額である。縦横無尽なカメラの動きやCGの数々を見るとそれも納得だ。しかし、270億円とはいったいどれくらいの金額なのであろうか? 試みに、日本の歴代興行収入一覧を見てみよう。270億円の売上を記録した映画は『千と千尋の神隠し』と『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』のわずか二作品だけである。これは売上であって製作費ではない。もし日本で製作費270億円の映画を作ろうと思ったら、興行収入の最低ラインが『千と千尋の神隠し』なのだ。これは狙って達成できるわけがないから、『グレイマン』は日本では絶対に撮れない映画だといって全く過言ではない。一方、世界の製作費ランキングを見ると、『グレイマン』は同率の45位にすぎない。同順位には28作品が並ぶ。言うまでもないかもしれないが、上位に並ぶのはハリウッド映画ばかりだ。特にディズニー系列の作品が目立つ。もちろんハリウッドが赤字覚悟でこれほどの製作費をかけているはずがない。彼らは270億円投じても元手を取り返せると確信しているからこそ、それだけ投資するのである。たとえば、世界の製作費歴代1位は『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』であるが、その製作費は驚きの3億7850万ドルである。日本円に換算すれば400億円は優に超えてしまう。では興行収入はどうであったかというと、10億4571万3802ドルである。現在のレートで日本円に換算すれば、1350億円に及ぶ。これは『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』と『千と千尋の神隠し』と『君の名は。』と『もののけ姫』と『ハウルの動く城』の、日本における興行収入を足し合わせたものに匹敵する金額だ。なぜ『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』はこれほど儲かったのだろうか? 実は、『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』もアメリカとカナダの興行収入でいえば、2億4千ドル程度にすぎない。これは『鬼滅の刃』の国内興行収入よりも少ない額だ。つまり、自国における興行収入でいえば、日米で圧倒的な差があるわけではない(とはいえ、世界一売れた映画『アバター』は米加興行収入で7億6千万ドル超を記録しているので、やはりアメリカの方がマーケットは大きい)。日米の決定的な差は、国外での興行収入のあげ方にある。『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の国内興行収入は404.3億円だが、世界興行収入は570億円にしかならない。『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』は国内興行収入2.4億ドルに対し、世界興行収入は10.5億ドルだ。日本映画の売上はほとんどが国内での売上で占められているが、アメリカの映画はその逆なのである。そもそも、実は日本ほど映画製作に力を入れている国は珍しい。フランス、ドイツ、韓国、オーストラリア、イギリス、日本の中で、公開される映画の半数以上を自国製映画が占めるのはフランスと日本だけなのである*3。先に挙げた6カ国はどれも先進国だから、世界的に見れば映画産業が発展している方であるはずだ。そんな国でさえ、米国映画の方が見られている状況なのである。全世界に目を向ければ、映画=ハリウッド映画である国が大多数を占めていてもおかしくない。実際、EU全体での米国映画の市場シェア率は60%を超えるのだ*4。近年の日本では邦画のシェアが50%を超えていて、直近2年では洋画のシェアはわずか20%台にとどまっている*5。日本では映画館で自国製の映画を見るのは当たり前のことだが、これは世界の常識ではない。邦画が日本でしか見られないのは我々にとってなんら不思議ではないが、ハリウッド映画は世界中で見られることを前提に作られている。

 翻って、『グレイマン』を思い返してみると、私には特に深いメッセージ性のようなものを感じ取ることはできず、従って特段の印象も残らない映画であった。だが、以上の事実を踏まえたうえで考えると、このメッセージ性の乏しさこそが重要な意味を持ってくる。つまり、世界で戦う秘訣がそこに隠されている。

 この映画はヒーローと悪役と守るべき少女がいて、少女を守るためにヒーローが殴って殴られて爆破して爆破されてというシンプルな筋書きだ。英語を知らない人間が字幕なしで見てもなんとなく分かるに違いない。ノンバーバルな楽しさだけで構成された映画ということさえできそうだ。それゆえに万国でウケるのだ。もちろん配信2日目だから本当にヒットするかは分からないが、少なくともNetflixはウケると踏んでいる。

 ここから世界で生きるということ、ひいては他者と生きるとはどういうことかを考えることができる。一つは、バイオレンスのようなノンバーバルな楽しさは世界共通だということ。もう一つは、他人とのコミュニケーション、特に文化的に共通するものが乏しい他人とコミュニケーションを取るにあたっては、自分を押し付けないことが極めて重要だということだ。世界で理解されない映画を作ってなぜウケないのか?と文句を言っても始まらない。世界でウケるためには、世界でウケる映画がどんなものかを理解し、そこに合わせていく必要があるのだ。

 もしかしたら、これは世界を相手にするしないに関わらず大事なことかもしれない。友達と喧嘩をした時のことを思い返してみると、原因は互いの価値観の押し付け合いにあったような気がする。もし私が相手の価値観を尊重していれば、もう少しスムーズなコミュニケーションが取れて、喧嘩には至らなかったのかもしれない。ハリウッド映画を見習って、私も他者との差異を無理に埋めようとしないことを意識してみたいと思う。

補足

 「どんな映画を見たか」だけを書くつもりが、一つの感想文が書けてしまった。終盤は力尽きて雑な結論を雑に書いてしまっているが、読書感想文ならこんなもんでいいだろう。

 「これは感想文なのか?」と思うかもしれない。先生もそう思うかもしれない。大部分がハリウッド映画がどれだけ売れているかについて語っていて、肝心の『グレイマン』についてはほぼ語っていないからだ。はっきり言って、これを感想文だというのはペテンである。

 しかし、覚えておいてほしい。「あなたがどう思ったか」を求められるのは高校までであって、大学以降はファクトの収集の方がはるかに重要だということを。(この文章が大学で求められる水準を満たしているとは言っていない。)

 実際、映画評論家(というか町山智浩)のレビューを聞いてみると、「自分の思い」なんてものはほとんど語っていない。製作の背景やら何やらといったファクトの提示が大半を占めることが多いし、それが映画について新たな観点を提供してくれるのだ。

 事実を調べ上げていくなかで興味のある事柄が見つかることも多い(私はお金が大好きなので、ついつい製作費の話に目がくらんでしまった)。自分の中身という空っぽな器の中に何かないか探すよりも、話題探しとしてよっぽど効率的かもしれない。昔と違って、今はインターネットがあるからファクトの収集はかなりしやすい。Wikipedia情報だけでも書けることはけっこう多い。

 ファクトの収集と言われても、何から手を付ければいいか分からないかもしれない。個人的に大事だと思うのは、なるべく具体的に考えることだ。『グレイマン』でいえば、「主演はライアン・ゴズリング」と書いた時に、こんな風に自分に問いかけてみよう。「では、ライアン・ゴズリングはどんな役者だろうか?」。その疑問がファクトの収集の出発点となる。彼のキャリアから見て『グレイマン』はどのような意味を持つ映画なのか? 逆に『グレイマン』にとってライアン・ゴズリングを起用することはどのような意味を持つのか? この一つの問いを追究するだけで、立派な感想文ができあがるはずだ。面倒だが、ない感想をひねり出すよりは楽かもしれない。ライアン・ゴズリングよりクリス・エヴァンスが気になったらそっちを深掘りしていけばいい。

『グレイマン』を見てどんなことを感じたか

 すでに一個、感想文を書けてしまったが、『グレイマン』の感想にはなっていないし、映画と違って一冊の本では背景だけでこれだけ書くのは難しい。そこで今回は上の文章(「もう少し掘り下げてみる」)はなかったものとして、もう一つ感想文を書くことにする。

 『グレイマン』がどんな映画かを書いたら、お次はどんなことを感じたかを書けばいいらしい。

 ……なんも出てこね―!

 感想なんて捏造すればいいと言われてもなんのとっかかりも見いだせない。読書猿氏が提示してくれているのは下記の項目である。

  • 知識
  • 思考
  • 感情
  • 疑問
  • 行動
  • 記憶
  • 価値観

 これらについて視聴前後で変化がなかったかを探せばいいのだ。

 ……なんも出てこね―!!

 とにかく何か書いてみよう。物語の一番キーになるポイントについて書いてみる。

感想文

 シエラ・シックスはなぜ父親を殺したのだろうか。彼が言うには、父親はマッチョな自分に酔っていて、シエラ・シックスとその弟を鍛えようとした。そのやり方はかなり激しくて、シエラ・シックスには父が弟を殺しかねないように見えた。だから父を殺したというのだ。

 弟を救うためにシエラ・シックスは父殺しの罪を背負った。彼は弱い者の味方なのだ。だから、バンコクで無関係の子どもを巻き添えにしないためにシエラ・フォーを当初予定していたやり方で暗殺することを避けたし、フィッツロイの姪のためにロイドと戦う。

 その代償は大きい。父を殺したために投獄されるし、シエラ・フォーを遠距離射撃で暗殺できなかったためにカーマイケルから命を狙われ実際に何度も死にかけるし、フィッツロイの姪を助けるためにやはり何度も死にかける。

 にも関わらず、報いは少ない。父を殺したことに理解を示してくれたのはフィッツロイだけだったし、結局カーマイケルは失脚しなかったし、フィッツロイの姪を救えたからといってそれで彼が何かを得たわけでもない。シエラ・シックスは腕におそらくはシーシュポスの名を刻んでいる。シーシュポスはギリシア神話に登場する人物で、岩を山の頂上に運ぶ罰を神から与えられている。シーシュポスが頂上付近まで辿り着くと岩は転がり落ちてしまいシーシュポスは永遠にこの苦行を続けなければならない。まさにシーシュポスのような徒労に身をやつしているのがシエラ・シックスという男なのである。

 それでもシエラ・シックスは飄々と何食わぬ顔をしている。「フツーの木曜日さ」と言って。この台詞を最初に言うのはフィッツロイの姪であるクレアだ。心臓の病で病院に救急搬送され、無事に帰宅した後にシエラ・シックスに対してフツーの木曜日だと述べるのである。これは心臓病を患うクレアの悲哀を物語るシーンだが、シエラ・シックスが彼女の真似をするのは、クレアの強さを称えているようにも見える。

 私はそんなシエラ・シックスのことをカッコいいと思うのである。

補足

 な、なんとか書けた……。とりあえずええ感じのところについて詳しく述べようとしてみたのが功を奏した。

 実はここでも感想はほとんど書いていない。感想らしい感想は最後の一、二行だけ。その他は印象的だったシーンを起点にして、主人公はどういう人間なのかを示すストーリー上のポイントを羅列しているにすぎない。もちろん無秩序に羅列すると文章として成立しないので、ひとまとまりにできるものをグルーピングして整理する必要はある。この整理の仕方に自分の解釈が投影されてはいる。だが、書いていること自体はほとんどが映画の中で描かれた事実だ。

 というわけで、やはりここでもファクトの収集が大事になってくるということが言えそうだ。

自分の意見

 ここまで来たらあとはベネッセの言うところの「本を読んでみて考えた自分の意見」を書くのみ。読書猿氏の言うところの改心だ。

 「自己犠牲を厭わず弱き者の味方をするシエラ・シックスがカッコいい」という話まで書けたから、逆算して自分を貶めればよいのだ。

感想文

 私はシエラ・シックスのような生き方ができているだろうか。いじめっ子がいじめられっ子を蹴り飛ばしている時、先生がいじめを見てみぬふりをしている時、弱き者のために戦うことができているだろうか。人のために何かをしてあげる時、見返りを期待せずにいられているだろうか。否である。

 昨日の登校中のことだ。私が電車の中で座っていると、目の前にお爺さんがやってきた。私は立ち上がって、お爺さんに席を譲ろうと声を掛けた。しかし、お爺さんは言った。

「誰がジジイじゃ、ジジイはオマエじゃオンドレコラカスゥ!」

 車両中に響き渡る大音声であった。私は驚いて何も言えず、無言のままそっと隣の車両まで移動した。私はショックだった。せっかくの親切を無下にされて怒りさえ覚えた。

 だが、今なら分かる。親切心が報われると考えていたことが傲慢なのだと。もしかしたらお爺さんも、私の傲慢さを見透かしてあのような怒声を上げたのかもしれない。

 次からはお爺さんに怒鳴られても心の中でこう呟こう。

「フツーの木曜日さ」

まとめ

 ついに感想文ができあがった。捏造にまみれ拙い文章だが、大事なのは最低限の字数を満たすことである。

 「どんな映画を見たか(どんな本を読んだか)」以外の部分だけでも1276字あるから400字詰め原稿用紙で3枚オーバーだ。改行を考慮すればおそらく4枚目半ばまでいける。これならあらすじ等を含めれば5枚は容易に到達する。これ以上の量は読書感想文ではそう求められることはないだろう。

 なんとかひり出した。大変な作業だった。なぜ全国の小学生、中学生、高校生はこんな苦行に取り組まねばならないのだろうか? 私には分からない。ただ、この難題に取り組むあなたの偉大さを私は称えたい

 書いてみて思ったが、読書感想文において大事なのは、書くに値する事実の収集ではないだろうか? その事実は本の中から引っ張ってくるのでも、外から引っ張ってくるのでもいい。ともかく、それがないことには本当の感想も捏造された感想もこじつけた感想も書きようがない。書く取っ掛かりが見つからない時はWikipediaを読むか、ひたすら内容をまとめてみるのが良いかもしれない。

 それから、今の子どもも読書感想文を原稿用紙に手書きしているのか分からないが、もしそうであれば、ぜひぶっつけで紙に書くのではなく一度スマホなりPCなりで書いてみることをお勧めしたい。私の記憶が確かならば、手書きは一度書いたものを消すのが非常に面倒くさい。その点、スマホやPCでは編集が簡単で推敲もしやすい。どうせ書くなら推敲を重ねて納得できる文章を書き上げるほうが絶対に楽しい。

 最後に、読書感想文は苦行だと散々書いてきてなんだが、本当に面白い本に出会った時、あなたの心に湧き上がってきたものを書き散らすのは快感以外の何物でもない。また、意味の通る文章を書けるというのは実は高等スキルであって、誰にでもできることではない。読書感想文を書くことがあなたにとって、人生における大切な快楽に出会うきっかけとなり、特殊スキルを修得する機会となることを願うのみである。

*1:いつ公開されたかはわりと重要な情報だ。それが作られた時代背景を知る手がかりにもなるし、古き良き名作なのか、フレッシュで話題性のある作品なのかもそこから分かる。字数を埋めたいならなおのこと書いておいて損はない。

*2:誰が作ったかは最も大事な情報だ。内容を決めたのは制作者なのだから。制作者がどんな人物かを簡潔に物語ってくれるのが過去作だ。

*3:http://jc3.jp/wp/wp-content/uploads/2019/05/1_film_exhibition4.pdf

*4:https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Reports/02/2019/ffe48d4850c29467/201902rpfr.pdf

*5:過去興行収入上位作品 一般社団法人日本映画製作者連盟