たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

アメリカ映画ベスト100制覇への道:その65 モダン・タイムス

 過労で正気を失いクビになった労働者が美しいホームレスのために職を求める。

 

 『モダン・タイムス』は1936年の映画。監督、脚本、製作、主演、そして音楽までチャールズ・チャップリン


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 羊の群れにオーバーラップして工場に通勤する労働者たちが映される。
 ベルトコンベアーで作業をしているチャップリンたちに、経営者がスピードを上げろと指示を出す。僅かな時間でネジを締めなければならなくなったチャップリンには虫を払う暇もなく自ずとミスも出てくる。交代したチャップリンが更衣室で寛いでいると、壁に経営者の顔が現れて、「仕事をしろ」と怒鳴りつける。(ビッグブラザーを想起させるが、『1984』は1949年刊行。)
 経営者のもとに食事自動化マシーンの営業が来て、彼はチャップリンでその性能を試そうとする。食事という最も人間的な行為にさえ、企業の論理による効率化と機械化の波が押し寄せてくるのだ。
 そんな工場で働いているうちに、チャップリンは仕事を離れても仕事のことが頭から離れず、目の前にある出っ張ったものがすべてボルトに見えるようになってしまう。
 完全に狂ってしまったチャップリンは入院させられ会社を辞めることになる。
 退院したチャップリンがとぼとぼ街を歩いていると、目の前で車から旗が落ちる。旗を拾って車を追いかけていると、ちょうど後ろからデモの列がやってくる。そこに警察がやってきて、デモの主導者と勘違いされたチャップリンは、刑務所にぶち込まれてしまう。

 

 この工場のシークエンスを見て、他人事だと感じる労働者は幸せだ。
 働き方改革などと言われだしたのはつい最近の話で、今でもサービス残業パワハラは珍しくない。

 ルール違反がなくたって、一日のうち8時間を労働に充てるとなると、理想の睡眠時間8時間として自由時間は8時間しか残らない。実際には通勤と昼休みで3時間は消費されてしまうし、朝の1時間は通勤の準備に使うとすると、自由な時間はたったの4時間。家に帰れば、夕飯の支度、食事、皿洗い、風呂、歯磨き……といった仕事が待っている。日々のタスクをこなすだけで一日が終わる。いったいなんのために生きているのか?

 こうなってくると食事の時間さえもったいなく感じて、時短料理やコンビニの惣菜を買ったりする。それで問題が解決すればよいが、実際には、そういった食事ばかり摂っていると健康に支障をきたすなんてことも言われたりして、新たな問題を生み出しているだけではないかという気もする。食事自動化マシーンが表現していたものは、より巧みに、より悪質な形で、実現してしまっているのかもしれない。

 家畜になぞらえられる労働者。羊は家畜として、人間にとって価値ある生物となるよう進化を促されてきた。資本主義社会においては、人間もまた企業にとって価値ある者以外は淘汰される運命にあるのかもしれない。
 刑務所から出所をすることになってしまったチャップリンが「(刑務所にいると)幸せです」と訴える姿には身につまされるものがある。

 

 そうは言っても働かないわけにはいかない。
 働かなければ、親を失った少女のように哀れな暮らしをすることになる。
 盗みで日々の糧を得る彼女に出会ったチャップリンは、家のある暮らしを求めて、再び職を探す。

 スーパーの宿直をしたり、工場に戻ったり、何度もトライするがそのたびに逮捕されてしまうチャップリン

 ついに少女が歌と踊りの才能を見出されてカフェで職を得る。彼女のコネでチャップリンもウェイターに採用される。が、やはり上手くいかない。

 彼に与えられたラストチャンスは歌だ。歌詞を覚えられないおじさんのために少女が歌詞を袖に書いてくれる(優しい)。にもかかわらず、チャップリンは踊っている間に袖をすっ飛ばしてしまう。少女は「歌詞を気にせずとにかく歌って!」と声援を送る。

 意を決して、チャップリンはでたらめな言葉で歌う。会場中に笑いが巻き起こる。

 人間の持つ創造性の発揮。そこから生まれる人々の笑顔。工場にないものの全てがここにある。


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 結局、二人は警察に追われてまたも職を失ってしまう。

 挫ける少女に、それでもチャップリンは前を向いて行こう!と少女を励ます。その言葉を聞いた少女はガッツポーズを取って、再び奮起する。

 先の見えない長い道を、二人は一緒に歩いていく。

 

 マルクス兄弟の『オペラは踊る』を経た後だと、チャップリンの作家性が見えてくる気がする。自分が今まで見てきたチャップリンの映画は、状況設定自体はわりと悲惨だ。『黄金狂時代』は特に分かりやすい。喜劇王チャップリンは悲劇的なものを完全な喜劇に変えてしまうので、観客は陰惨さを感じない。しかし、それでも染み出してくる悲しみがそこにはあって、これがチャップリン独特のペーソスを生み出している。