たぬきのためふんば

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アメリカ映画ベスト100制覇への道:その33 戦場にかける橋

 ルール無用の日本軍がクワイ河にかける橋を建設するため、規則に厳格なイギリス人捕虜に動員をかける。

 

 『戦場にかける橋』は1957年の映画。監督はデヴィッド・リーン、主演はウィリアム・ホールデンアレック・ギネスで、助演に早川雪洲アカデミー賞は7部門を制覇。ちなみに、米英合作映画である。

 

 『アラビアのロレンス』と同じく、大自然の中の戦争における異文化交流が描かれている。こちらの舞台はタイの熱帯雨林だ。異文化が最初は衝突するも行動を同じくするうちに親交を深めていくという構図は変わらないし、個と個の関係が組織によって歪められてしまうという構図も同じだ。

 しかし、異文化交流の様相はだいぶ異なる。『アラビアのロレンス』はアラブ人の直面している戦争にイギリス人が介入するものだった。イギリス人とアラブ人の間に対立構造は(明確には)存在しなかった。しかも、イギリス人とアラブ人の交流が図られるのは、変わり者のロレンスの気質によるものだった。

 しかし、『戦場にかける橋』は、イギリス人VS日本人という対立構造の中で、両者が歩み寄るというものだ。しかも、支配される者VS支配する者という上下の力関係がある。

 この中において、いかにして異文化交流がなされるか?

 シンプルに考えれば、やはり「変わり者の日本人がいて、他の日本人と違って彼だけが白人にも優しく接してくれる……」みたいな筋書きが考えられる。

 ところが、この映画において日本人の代表者として描かれる斉藤大佐は決して心優しき指導者などではない。むしろその正反対で、捕虜収容所を苛烈な方法で支配する悪人として描かれているし、映画が進むに連れて彼が改心していくのかというと微妙なところだ。

 ではいったいどうやって? その答えがビッグプロジェクトだ。

 横暴に振る舞う斉藤大佐は、悲しき中間管理職に過ぎない。彼に課せられたのは、戦略上重要な橋の建設プロジェクト。このプロジェクトが失敗すれば、彼は自死せねばならないが、軍から与えられたのは厳しい期限乏しい人材である。労働力を有効に活用せねばならないが、斉藤大佐はその方法を知らない。彼に残された選択肢はパワハラしかなかった。う~ん、他人事に思えない。

 ところが、ここにやってきたのが法令違反を決して許さないニコルソン大佐率いるイギリス人捕虜であった。斉藤大佐が、将校も労働に従事するよう命じると、「それは条例違反である」とニコルソン大佐は従わない。斉藤大佐は彼に罰を与えるのだが、ニコルソン大佐は一向に屈服しない。理不尽な斉藤大佐に反感を覚えた他の捕虜たちも、労働を巧みにサボることで反抗するのであった。

 遅々として進まないプロジェクト。迫る期限。斉藤大佐は鞭だけではなく、飴で釣ってみたり、あの手この手で頑張るが、イギリス人捕虜の士気は上がる兆しを見せない。

 ついに斉藤大佐が折れる。プロジェクトの指揮をニコルソン大佐に委ねることを決定するのであった……。

 ニコルソン大佐はこのビッグプロジェクトを成功させるため、様々な改革を行う。まず彼はチームに目標を与えた。日本軍が驚くような立派な橋を建てて、あっと言わせるのだ。計画の策定はインドで橋の建設を行った実績のある部下に担当させる。適材適所の人材配置だ。また、別の労働に従事している日本兵も動員して、イギリス人捕虜と競わせるように仕向ける。今流に言えばゲーミフィケーションというやつか。

 なぜイギリス軍のニコルソン大佐が日本軍を助けるような真似をするのか。斉藤大佐に対する負けん気か、それとも規則に対する忠実さか、それとも情熱を持って取り組める仕事こそが地獄のような戦場で見つけた唯一の希望だったからか……。

 「マンガでわかる」系のビジネス書的な面白さがここにある。ニコルソン大佐がいかにしてプロジェクトを成功させるのかをもっと詳しく描写したら完全にそれである。

 『戦場にかける橋』は戦争映画に見せかけた、ブラック中小企業を外資系コンサルが救うお仕事映画だったのだ。

 

 さて、ビッグプロジェクトを成功させろ系の映画では、それを邪魔する奴らが付き物だ。

 舞台設定からいって、この橋の建設を邪魔する奴らは必然的にイギリス軍となる。そして、当然のことながら、彼らは単純な敵として描けない。

 そういうわけで、映画の序盤で捕虜収容所から逃げ出すアメリカ人のシアーズ中佐が、中盤から主人公となる。我が身大事のシアーズ中佐は諸事情あって渋々イギリス軍の作戦に駆り出される。ここで一見ホワイトなイギリス軍のブラックな一面が垣間見える。所詮ここは戦場なのだ。

 パラシュート降下で仲間が死んだり、ヒルに血を吸われたり、日本兵と戦闘になったり、色々な障害を乗り越えながら、シアーズ中佐たちは橋にたどり着く。

 

 いったい、観客はニコルソン大佐たちとシアーズ中佐たちのどちらを応援すればよいのだろうか? 正義と正義のぶつかり合い、というか、どこにも正義がないというか。『戦場にかける橋』はやっぱり戦争映画だった。(私はニコルソン大佐を応援していた。)

 巨大建築物の創造という非戦争映画的な要素と、破壊工作という戦争映画的要素の衝突。この鮮やかなメタ対立構造が、戦争の虚しさを一層引き立てている。


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