たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

アメリカ映画ベスト100制覇への道:その29 サリヴァンの旅

 苦労を知らない売れっ子映画監督が、社会派映画を撮るため、苦労を味わう旅に出る。

 

 『サリヴァンの旅』は1941年の映画。

 監督・脚本はプレストン・スタージェスウィキペディアによると、プレストン・スタージェスは(『サンセット大通り』に登場していた)セシル・B・デミルに並ぶパラマウントの二枚看板だったのだとか。

導入

 煙を吹きながら警笛を鳴らし走る列車。屋根の上で格闘する二人の男。一方の男がピストルを撃つが、もう一人の男は倒れず立ち向かっていく。共に海に落ちる二人。「The END」の文字が浮かぶ。

 こんなシーンから映画は始まる。この映画は主人公のサリヴァンが撮った映画で、「資本家と労働者の闘争を象徴している」らしい。が、プロデューサー(?)に誰がこんなものを見るのかと酷評される。サリヴァンが得意とするのは娯楽的なコメディー映画であって、苦労を知らない彼に説教臭い映画は向いていないというのだ。

 そういうわけで、主人公は苦労を知るために、ボロをまとって、ほとんどお金を持たない旅に出ようとするーー。

映画の冒頭には死の臭いを漂わせる

 ここで注目したいのは、初っ端から観客の注意を惹き付けるシーンを持ってくる技だ。映画ではよく使われる手法だ。たとえば、『グッドフェローズ』は死体運びから、『市民ケーン』はケーンの死から、『サンセット大通り』はプールに浮かぶ死体から物語が始まる。死の臭いは観客の関心を誘うのにうってつけのようだ。

 とはいえ、物語のどこかしらに死の臭いがあるとは限らない。あったとしても隠しておきたいこともある。ここで『サリヴァンの旅』は劇中劇を使うことにしたようだ。ただ刺激的なだけではなくて、主人公の旅の動機に繋げているから無駄がない。

 しかも、あらかじめバラしてしまうと、「先に虚構を見せる」は『サリヴァンの旅』の全体構造でもある。冒頭に劇中劇を持ってきたのは、実はこの後の展開を暗示している。『サリヴァンの旅』は入れ子構造になっているのだ。

水に落ちるは古今東西に通用するギャグ?

 ストーリーに戻る。

 売れっ子映画監督のサリヴァンが危険な旅に出ることを、周囲は許さない。万が一に備え靴の中には身分証明書を忍ばせ、映画関係者たちがトレーラーで随行してくる。

 サリヴァンヒッチハイクをして関係者を撒くことにする。ここで激しめのカーチェイスが繰り広げられる。シェフの頭が車の屋根を突き破るなど、かなりのギャグタッチだ。どうやら『サリヴァンの旅』はコメディーのようだ。

 こうしてサリヴァンの真の一人旅がようやく始まったわけだが、なんやかんやあって、サリヴァンは意図せずハリウッドに戻ってきてしまう。

 そこで夢に破れた美しい女優の卵と出会う。サリヴァンは浮浪者のふりをしながら彼女を田舎に送る手助けをしようとする。

 ーーここで私はこう思った。

(はいきた。『ローマの休日』パターン。これは身分を偽った男が女と旅をする中で恋に落ち、最終的に身分を明かして大団円を迎えるやつ~! 苦労知らずのおぼっちゃんが苦労人の美女と出会うことで、本当の苦労を知ることになるってわけか!)

 ところがである。サリヴァンは早々に正体をバラしてしまうし、なんなら家に彼女を招待してしまう。プール付きの大豪邸。この時代、どうやらプールが豪邸の象徴だったのかもしれない。『フィラデルフィア物語』と『サンセット大通り』でもプールが象徴的に描かれていた。

 このプールにサリヴァンと美女と執事たちが次々と落ちるコミカルな場面が挿入された後で、再び執事たちの助けを得ながらサリヴァンの貧乏旅行が始まる。

 それはともかく、どうやら「水に落ちる」は古今東西で通用するギャグらしい! これから「押すなよ!押すなよ!」を見たら、「グローバルスタンダードの笑いだぁ!」と思ってしまいそうだ。

怒りの葡萄』っぽい旅

 この映画は90分映画だが、この時点で45分。すでに二分の一が過ぎている。『ローマの休日』パターンではなかったものの、辛酸をなめるのに相応しい仲間と出会ったのだから、ようやく真の旅が始まるに違いない。

 実際、二人は列車に無賃乗車し、干し草の中でくしゃみをしながら、眠りにつくことになる。列車を降りて、カフェで朝食を摂ろうとするが、わずかに持っていた10セントがなくなっていることに気付く。ここでカフェの主人が、貧しい二人に無料でドーナツとコーヒーを提供してくれる怒りの葡萄でも似たようなシーンを見た。パロディーだろうか、それともこの時代には定番のシーンだったのだろうか。貧しい他人に手を差し伸べる優しさに胸を打たれる場面だが、同じく感動したサリヴァンは、カフェの主人に100ドルを贈るよう手配する。

 サリヴァンは劣悪な環境で寝たせいで体調を崩したので、3日間の休養をとってから再び旅を始める。貧しい人々の中に混じって生活する二人。

 靴を盗まれたりしながらも、無事、二人の旅は終わる。サリヴァンは感謝の金配りをすることにする。サリヴァン自らホームレスたちに5ドル札を手渡していくのだ。SNSがない時代に前澤友作が生まれていたらこんなんだったかもしれない。

ミスディレクション

 さて、ここまでで60分だ。おそらくこの金配りでなにかもうひと悶着ありそうな雰囲気がある。

 それにしてもだ。ずっと違和感が漂っている。どうも描写が薄っぺらいのだ。サリヴァンが味わう苦難にしても、サリヴァンと美女(そう、彼女には役名がない!)の関係性にしても。ほぼダイジェストである。ずっと、いざとなれば仲間が助けてくれる保険付きの旅をしているだけ。これが苦労を知るための旅? 美女にいたっては、サリヴァンには金目当ての結婚相手がいて離婚させてもくれないので、これ以上の関係にはなれないという。

 う~ん、このラブコメ、いったいどうやって展開していくのだろうか??? というか、これがアメリカ映画ベスト100に入る名作? まあ、『ロード・オブ・ザ・リング』もあまり面白くなかったけど……。

 そう感じた時にはすでにプレストン・スタージェスの術中にはまっている。ここまでは、観客の注意を意図的に別の方向に向けさせるミスディレクション。これがあるから最後の30分の感動が深くなる(たぶん)。上で述べたように「先に虚構を見せる」が『サリヴァンの旅』の全体構造だ。そう、ここまでの旅は偽物。ここから本当の「サリヴァンの旅」が始まる。

 ついでにいえば、冒頭ではシリアスからコメディへの転換がなされていたが、ここではコメディからシリアスへの転換がなされる。つまり術式順転・蒼と術式反転・赫がミックスされたので『サリヴァンの旅』は虚式「茈」といえそうだ!!!

出プリズン記

 お金配りをするサリヴァン。お金を受け取った貧民の一人がサリヴァンの後をつけていく。人目に付かないところに入ったところで、強烈な一撃がサリヴァンを襲う。サリヴァンは倒れ、犯人はお金を奪い逃走する。ところが犯人は哀れにも列車に轢かれ死んでしまう。

 翌日、サリヴァンと連絡が付かなくなり心配する映画関係者たちのもとへ、一報が入る。身元不明の死体の靴からサリヴァン身分証明書が発見されたのだ! 悲嘆に暮れる人々。

 シーンが切り替わり、サリヴァンが貨物列車の中で目覚める。彼は生きていたのだ。サリヴァンは旅に出る時、万が一に備えて身分証明書を靴に忍ばせていた。そして靴は盗まれていた。サリヴァンの靴を盗んだのもあの強盗だったわけだ。

 頭の怪我が痛み、朦朧とする意識の中で、なぜ自分がここにいるかも分からないままに降りるサリヴァン。鉄道の警備員が彼を見つけ、浮浪者が貨物列車に侵入したと思い込み、サリヴァンを殴りつける。カッとしたサリヴァンは石を掴み、警備員の頭を打ち付けるーー。

 頭に靄がかかったような状態のまま裁判にかけられたサリヴァンは、自分が誰かも思い出せないうちに、強制労働6年の刑を言い渡される。

 待ち受けていたのは理不尽な看守が支配する刑務所*1だった。記憶を取り戻したサリヴァンは抑圧的な看守の意に沿う対応ができず、虐げられる。サリヴァンはここで本当の苦難を味わうことになる。

 服従し、与えられた恵みに感謝しなければならない屈辱の日々。そんな中、映画鑑賞会が開かれる。黒人が集う教会に招かれる囚人たち。

 ここでの演出は出エジプト記が意識されている。『怒りの葡萄』も出エジプト記がモデルになっていた。「苦難=出エジプト記」の法則があるようだ。貧しいことが苦しみなのではない。他者(あるいは社会)に抑圧されることこそが苦しみなのだ。そういう意味では、サリヴァンは最初から苦難の中にいたといえるかもしれない。彼は周囲の過保護に支配され、一人旅すらままならなかったのだから。

 ミッキーの映画を観る囚人たち。スラップスティックなコメディに大爆笑が巻き起こる。そのうちにサリヴァンは久々に笑っている自分に気づく。

 後日、6年もこうして捕まっているわけにはいかないとサリヴァンは考える。外にいる人々に自分が生きていることを知らせるにはどうすればよいだろう? 看守に嫌われているので手紙は出せない。新聞の一面に写真が載るのがいい。新聞の一面に載る人とは? そして閃く。変死したとされるサリヴァンを殺したのは自分だと自白することにしたのだ。報道を見た関係者一同は驚く。サリヴァン殺しの犯人として映っているまさにその人こそサリヴァンだったのだから!

 こうして無事にサリヴァンはハリウッドに帰ることができた。その頃には妻は再婚していたから、無事に離婚でき、美女と結婚を果たすこともできた。サリヴァンは笑いを必要としている人々がいることを知り、彼らのための映画を撮ることを決める。つまり、彼の得意とする大衆向けコメディーだ。

散逸的な物語が一点に収束していく快楽

 というわけで、『サリヴァンの旅』は、「サリヴァンの死」を境にガラッと空気感が変わる。それだけではない。身分証明書の伏線も、サリヴァンが旅から帰還する手段も、サリヴァンが美女と結ばれることも、サリヴァンが本当に大事なことを見つけることも、すべて「サリヴァンの死」に結びついている

 「いったい何が描かれようとしているのか?」そんな疑問をすべて解決する、「サリヴァンの死」というたった一つの鍵。バラバラの物語がたった一点に収束していく心地よさがここにある。

 この快感を生み出すために、あえてストーリーの軸をぶれさせていた最初の60分。ただ散逸的に話を展開するのではなく、「カーチェイス」や「美女との出会い」などを用いて楽しませることで、観客の意識を別のところに向けさせる。ただ、完全に騙しきってしまうと観客が付いてこれないから、少しばかり違和感を紛れ込ませておく。観客にほどほどの油断が生まれたところに、どシリアスな展開を打ち込む! 完全にノックアウトである。

 ここまで巧みな構成の映画にはめったにお目にかかれない。それに思い付いたとして誰にでもできることではない。ダミーの60分間できちんと観客を楽しませられる自信がなければ、こんな映画は怖くて撮れないだろう。恐るべし、プレストン・スタージェス

 

サリヴァンの旅(字幕版)

サリヴァンの旅(字幕版)

  • ジョエル・マクリー
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 イメージが表示されるのでAmazonのリンクを貼ったけど、実際にはU-NEXTで見た。名作映画を見たければU-NEXTが圧倒的に充実している。

*1:あまり監獄っぽくないので刑務所ではないかもしれないが、刑務所的な場所であることはたぶん間違いない。