たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

『シンドラーのリスト』 事務手続が人類を支配している

アメリカ映画ベスト100制覇への道:その26 シンドラーのリスト

 戦争に乗じて一儲けを企むドイツ人のオスカー・シンドラーは安いユダヤ人を使ってホーロー容器工場を開くーー。

 

 『シンドラーのリスト』は1993年の映画。監督はスティーブン・スピルバーグアカデミー賞では作品賞、監督賞、脚色賞、撮影賞、編集賞美術賞、作曲賞の7冠に輝く。

 

 杉原千畝と並べて語られがちなオスカー・シンドラーを描いたこの映画。小学生の頃から名前だけは知っていたがなかなか見る気が起きなかった。「どうせ重苦しくて説教臭くてお涙頂戴な映画なんでしょ?」そんなひねくれた先入観。しかも上映時間195分。3時間超えである。全く見ようと思わない。

 そんな私が想像するシンドラーの人物像は「ドイツに駐在していた善良な外交官でユダヤ人が出国するためのリストを作成した。ピアノが趣味で十八番はリストの曲である可能性もある。」だった。いやだって、杉原千畝が東洋のシンドラーなら、逆説的にシンドラーは西洋の杉原千畝ってことじゃん? 誰だって杉原千畝と似たような人だって思うじゃん? でも、外交官なら発行するのはビザなはずだから、リストがピンと来ないな……。もしかしてリストはクラシック音楽家のフランツ・リストのことかもしれないなって思うじゃん?

 そんなもんだから映画を見始めてすぐに衝撃が走る。

 シンドラーは善良でもなければ、外交官でもなかった。なんとシンドラーは戦争を利用して一儲けを企む死の商人だったのだ! 「ユダヤ人を救った英雄」とは真逆の人物像。皮肉が効いている。さすがスティーブン・スピルバーグ……。エンターテインメントってものをよく分かってやがる……!!

 そう、この映画の監督はスティーブン・スピルバーグなのだ。「どうせ重苦しくて説教臭くてお涙頂戴な映画なんでしょ?」だ? スピルバーグを舐めるな。私はそう言いたい。スピルバーグが観客を退屈にさせる映画を撮るわけがねえ。お前は『プライベート・ライアン』以上の戦争映画を観たことあるか? 195分は凡庸な監督が撮れば永遠のように感じられるだろうが、スピルバーグの手にかかれば一瞬だ。

定番のシチュエーション

「あちらのお客様からです」

 聞き馴染みのあるセリフ。そんなバーあるある的なシチュエーションから映画は始まる。定番のシチュエーションにはどれだけ使い倒されても色褪せない黄金の魅力が隠されている。

 レストランでSSの将校にボトルワインを贈る謎の男。洗練されたファッション、話す者を一瞬で惹き付ける話術。会食が始まり、会食は宴となる。物騒な話をする軍服の男たち。コンパニオンたちが華を添える。その中心に彼がいた。

 店内に入ってきた別の将校がすぐさまウェイターに尋ねる。

「あの男は誰だ?」

オスカー・シンドラー様です」

 素晴らしい。完璧な人物紹介。

 シンドラーユダヤ人会計士のイザック・シュターンに儲け話を持ち込む。ホーローで作った容器を軍に売れば大きく稼げるはずだが、原資がない。出資者を紹介してくれないか、という。

 儲け話は人の心を躍らせる。儲けを出すためのシンプルなロジック。内容に凝る必要はない。どうすれば儲けられるかなんて普通の人はあまり考えないから、ちょっとした着眼点だけでも十分なのだ。いやむしろ些細な事であればあるだけ、観客である我々の周囲にも儲け話の種が転がっているのではないかと夢を見せてくれるかもしれない。そして、構想を実現するために何が足りないのかを明らかにする。これだけのことで夢が現実に近づいた気がして興奮してしまう。

 シンドラーはシュターンの取次でユダヤ人投資家と密会をし、交渉の末に投資を取り付けることに成功する。取引にも人の心をくすぐる魔力がある。手持ちの札でいかに相手に望むカードを切らせるかという知恵比べでもあり、物に隠された価値を明らかにするプロセスでもある。『マルタの鷹』のクライマックスもサム・スペードと悪役との交渉が支えていたのを思い出す。

 このようにしてスピルバーグは観客の興味を引く金の話を隙間なく展開して3時間以上の間、注意を維持するのだ。

事務作業

 この映画のキーワードは「事務作業」をおいて他にない。

 虐殺は人間の狂気によっては行われない。ただ淡々と事務的に行われる。一人ひとりはただ決められた手続をこなすだけ。その手続は他の手続と連結し、鎖のように連なっていった結果、全体として大きな目的が達成されるようにデザインされている。多くの人々を一つの目的のために動かす技術。これがあってこそ大事業は成し遂げることができる。

 ここで大事なのが効率化を究極まで推し進めることだ。

 重要なのが分類だ。『シンドラーのリスト』では様々な分類が行われている。まずは人種。ユダヤ人か、ユダヤ人以外か。その他にも、男と女、健康なものとそうでないものの分類が行われる。

 分類されたものには、ひと目でそれと分かるようながあるといい。ユダヤ人はダビデの星が描かれた腕章を付けることを強制される。逆にナチスの党員にはハーケンクロイツの金でできたバッジが与えられる。使えるユダヤ人とそうでないユダヤ人を区別するための証明書もある。

 分類は区別のために行われる。賃金がいくらか、列車に乗せるか否か、殺すか生かすか……こうしたことはすべて分類に基づいて決定される。ドイツ人は風呂に入れるが、ユダヤ人は体を洗えないから臭くなる。悪臭に鼻を塞ぐドイツ人将校はユダヤ人への嫌悪を深めたに違いない。区別が区別を再生産する。

 分類されたものを一覧的に管理する場合にはリストを作成することが有効だ。数字を数え上げれば統計としても利用できてなお良い。その他には、専門用語も効率化の手段としては有用だ。

 これらのプロセスの中では、抽象化が行われている。一人の人間という膨大な情報体から、人種だとか、技能だとか、名前だとか、日給だとかいった、一つのパラメータだけを取り上げて、他のすべてを捨象する。こうして人間性は見失われていく。

 また、場面場面に応じて一から最適な手法を考えることは効率が悪いため、よく行う一連の作業工程はパッケージ化されて手続が定められていく。いったん手続になると、もはや効率化という本来の目的は忘れられ、手続を踏むこと自体が目的になっていく。人はこれを儀式と呼ぶ。生産性よりもユダヤ人を収容所に入れることが優先され、有益な提案をしたユダヤ人は射殺されるのである。

 逆説的だが、こうした人間性を切り捨てる技術には人の感情を動かす力があるようだ。たとえば、面接は人間を使える人間とそうでない人間に選別する手法の一つだが、コントでは定番のシチュエーションだし、映画やドラマでも劇的な場面になることが多い。他にも、ヒーローはヒーローである印を持ちがちだったり(最も代表的なのはハリー・ポッターか)、色々ある。たぶんあまりにも我々の生活に深く関わりすぎて、関心を持たずにはいられないのだろう。

逆手に取る

 シンドラーユダヤ人がポーランド人に比べて低い給料しか受け取れないことを聞く。不公平は人の感情をかき乱すものだが*1シンドラーの興味は労働力の価格にしかない。シンドラーユダヤ人を雇うことにする。なんの技術もないユダヤ人たちに、やるべきことを教えてひたすらやらせる。全てはシンドラーの金儲けのためでしかないのに、ユダヤ人たちは嬉々として働いてくれる。

 実業家であるシンドラーにとっても経済合理性が何より大切だ。事務的に人間を管理することは欠かせない。

 ところが、ユダヤ人たちはシンドラーに感謝を示すのである。シンドラーは仕事を与えてくれる。仕事があることでナチスからは有用な人間とみなされ殺されずにすむ。安い給与を与えただけのつもりが、知らないうちに命を与えていたのだ。

 工場の労働者を殺されたシンドラーはSSに対して激怒する。熟練工を失うことは経済的な損失だからだ。だが、シンドラーはすでに気づきつつあった。ユダヤ人たちは「価格の安い労働力」ではなく、人間であることに。

 次第にシンドラーユダヤ人たちを救おうとするようになるが、シンドラーはアンチ事務作業のスタンスを取るわけではない。むしろ事務手続を大いに利用するのである。賄賂が許されるかどうかはラベリング次第だし、ユダヤ人が殺されるかどうかもまたラベリング次第なのだ。シンドラーは再び工場を作り、そこで働かせるユダヤ人たちの名前をリストに記していく。こうして出来上がったのが「シンドラーのリスト」だ。

 この映画は徹頭徹尾、事務作業の映画なのだ。だからか、スピルバーグ自身もまた、この映画を事務作業的に撮る。笑えるほど、淡々と、ドライに撮る。色さえもない。それがかえって感情の動きを喚起する。『プライベート・ライアン』に通じるものがある。(実はウェットに撮る方が、クリエイターが表現したいもの以外を切り捨てていて情報量が少ないのかもしれないという気もする。)

シンドラーのリスト』で描かれていることは今の社会と変わらない

 たぶん遅くとも有史以来、人類は経済合理性という呪いに取り憑かれてきた。その呪いはとてつもないパワーを人類に与えてくれたし、ある面では人類にこの上ない幸福をもたらしてきた。一方で、時に人間よりも経済合理性が重視されるという本末転倒な事態も発生する。

 私達はたぶん人類史上最も経済合理性を極めた社会に生きている。生まれた瞬間から出生届が役所に提出され、学校に入ればテストで学力を測定され、その他の様々な指標で評価される。入学試験や就職面接で、使えるやつと使えないやつに分類されていく。学生たちは人生の大半をこれに備えるために費やしている。就職後は会社から与えられた仕事を淡々とこなす毎日がリタイアまで続くだけだ。それどころか、経済合理性はプライベートにまで侵食してきている。恋愛では今やマッチングアプリで左右に分類する手法が取られるようになってきている。趣味の映画を見る時に上映時間を気にしてしまう。

 もちろんそれ自体が悪いことではない。ホロコーストは目的に問題があったのであって、正しい目的に使えばシンドラーのようなこともできる。経済合理性と縁を切って生きていくことが難しいのであれば、経済合理性の追求がどのようなものであるか、つまり事務手続とはいかなるものかを知ることで道を踏み外さないようにするしかないのかもしれない。

 『シンドラーのリスト』は人類史上最大の悲劇の一つがどのようにして行われたかを描くことで、人類が何に支配されて生きているかを明るみにしている。