たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

アメリカ映画ベスト100制覇への道:その58 プラトーン

 ベトナム戦争に従軍する小隊の中で仲間割れが起こる。

 

 『プラトーン』は1986年の映画。監督・脚本はオリバー・ストーン。主演はチャーリー・シーンアカデミー賞は4部門受賞。

 プラトーンとは小隊を意味する言葉で、より英語の発音に近い表記をするならプラトゥーンと書くべきだろう。『スプラトゥーン』の「プラトゥーン」はここから来ている。

 

 ベトナム戦争を描いた作品だが、『ディア・ハンター』とは真逆の作品だ。物語の舞台は戦場のみ。しかも、ここに表現されている戦場は非常にリアルに感じられる。主人公の体に集る蚊やアリを見ているとこちらの体まで痒くなってくる。映像の説得力がすごい。

 この映画が描いているのは、一兵卒の目から見た戦場だ。その結果、物語の焦点は敵ではなく、仲間に当てられることになった。敵は遠くにいる間に殺すものであり、白兵戦に突入したとしても心の交流をしている暇などない。主人公の視線が注がれるのはもっぱら仲間たちなのだ。敵であるはずの北ベトナム軍はアメリカ軍に疑心暗鬼をもたらす重要な役割を担っているものの、明確なキャラクター性は持たず、背景に埋没している。

 主人公クリスの所属する小隊には二人のリーダーがいる。一人は冷徹なバーンズ、もうひとりは規律を重んじるエリアスだ。(小隊長は別にいるが、リーダーシップがなく、お飾りと化している。)

 ジャングルの戦いで仲間を殺された小隊は、とある村にたどり着く。村人の中に敵と通じている者がいると確信したバーンズは、民間人殺しを敢行する。これを許せないエリアスはバーンズを軍法会議にかけようとし、二人の対立は決定的なものとなる。バーンズは戦闘のどさくさに紛れてエリアスを暗殺する。それに勘づいたクリスは、やはり戦闘のどさくさに紛れてバーンズを暗殺し復讐を遂げる。

 要するに、戦争映画であるにも関わらず、仲間割れがメインで描かれているのである。

 

 それを見て私がどう思ったのかと言うと、「これってどこの会社でも起こりうることだよな」である。

 トップがお飾りと化すのは、日本においては摂関政治以来(いやもっと前から?)の伝統だ。

 我が身を守るためにルール違反を犯すこともまた、おなじみの現象だ。極端な例を挙げれば、利益のために顧客の車を破壊したり街路樹を枯らしたりしたビッグモーターはまさにバーンズ的企業と言える。そこまで明確なルール違反はせずとも、弁当の底をちょっと上げるみたいなズルをしたり、残業代を払わなかったりみたいなことはかなり多くの会社で行っているはずだ。

 バーンズは手段が殺人だから狂人に見えるが、目的だけ見れば生存本能に根ざしているだけ、あやふやな利益のために働く我々よりもよっぽどまともと言えなくもない。もちろん手段は非常に重要だ。だが、逆に言えば、戦場と日常の差なんて、ミッションに殺人が含まれるか否かしかないのではないか?

 

 ごくたまに「戦争が起きて全てがめちゃくちゃになってしまえばいいのに」と思うことがある。実際に戦争が起きたら喜べるはずもないことは分かっているし、戦争に賛成するつもりは毛頭ない。だが、全てをリセットしたい気持ちが心のどこかにある。穏やかな日常がいつでも穏やかなわけじゃない。

 『プラトーン』の終盤で、圧倒的な兵力差の戦闘に突入し、味方が次々に死んでいく。悲しい気持ちになるべきなのに、どこか痛快さがある。

 リアルな戦場を描いた『プラトーン』の方が、穏やかな日常を描いた『ディア・ハンター』よりもよほど日常に近いような気がする。そして、だからこそ戦争の悲惨さが伝わってくる。実に奇妙な現象だ。


www.youtube.com