たぬきのためふんば

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アメリカ映画ベスト100制覇への道:その54 ディア・ハンター

 結婚式の翌日にベトナム戦争へ出征する。

 

 『ディア・ハンター』は1978年の映画。監督はマイケル・チミノ。脚本はデリック・ウォッシュバーン。主演はロバート・デ・ニーロ、助演にクリストファー・ウォーケンメリル・ストリープ

 

 この映画は大きく分けると、以下の三部構成になっている。

  1. 結婚式
  2. ベトナム戦争
  3. 戦争で変わってしまった日常

 この映画は3時間の大作である。最初のパートに費やされる時間は1時間。通常の映画であれば半分にも及ぶ長時間、このシークエンスでは何も面白いことが起こらない。ただただ結婚披露宴を楽しむ人物たちが描かれる。

 これは、これまでの53作品にはなかったことだ。戦争によって日常が変わってしまうことを表現したかったのだとしても、ベトナム戦争によって人生が変わるなんてのは当たり前のことで、わざわざ描写しなくても容易に脳内補完が可能である。そんなものを長々と描写する必要はない。だから、普通の映画は序盤できっかけとなる事件が起こる。

 この映画で最もインパクトが強いのは中盤だろうから、この映画を戦争映画として捉えたくなる人はたぶん多いと思う。しかし、その戦争描写がいかなものかといえば、およそ戦争のリアルを描いているとは言い難い。なんせベトナム人が捕虜にロシアンルーレットをさせてフィーバーしているのである。それどころか、戦場から離れて、北ベトナム軍がサイゴンに侵入しようかというまさにその時になってもロシアンルーレットに興じている連中がいる始末である。展開に無理があるし、これを戦争映画の括りで語ることには疑問符を付けざるを得ない。

 わざわざ違和感のあるものを映しているのだから、この映画が本当にやりたかったことはむしろその点にこそあると考えるべきだろう。

 つまり、『ディア・ハンター』は、戦争と無縁のつまらない日常を描いた日常系映画なのである。『ディア・ハンター』の延長線上に『けいおん!』がある。『けいおん!』で日常が最も尊く輝くのはいつだったか? それは卒業が間近に迫っている時期である。日常が死に直面した時、日常は美しく光る。

 したがって、ガチで日常系をやるならば、死を描かなければならない。そして、『ディア・ハンター』は、最も強烈に死を意識させるものとして、戦争とロシアンルーレットを持ってきたのである。ロシアンルーレットは成功してもなにも良いことがない。ただ死なないだけである。生きているという当たり前のことを報酬とするのがロシアンルーレットだ。

 日常の死が訪れるタイミングは、戦争や卒業に限らない。不治の病にかかることもあるし、恋人との別れもある。どんな死を使うかで描けるものは変わってくる。

 戦争を扱う場合には、それが人為的で政治的で社会的な現象である以上、批判的な視点が交じらざるを得ない。「卒業しても仲間だから」とか「あいつは私の心に生きている」とか「あんたとのことは良い思い出だったわ」とか、そんな感じのキラキラ変換ができない。現代の戦争は社会を不可逆的に変えてしまう。ロシアンルーレットで当たりを引いた人も外れを引いた人も、誰もが以前のままではいられない。ロシアンルーレットの空砲には見えない弾が込められていた。