たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

乃木坂46『人は夢を二度見る』についてとりとめもなく語る。

 乃木坂46の最新シングルの表題曲『人は夢を二度見る』がめちゃくちゃ良いのでとりとめもなく語る。

 

 今作は乃木坂46にとって節目の作品だ。なぜなら、齋藤飛鳥秋元真夏鈴木絢音が卒業し、一期生、二期生のいない初めてのシングルになるからだ。三期生はもはや若手ではなく最年長世代になった。いずれ訪れる三期生の卒業に備えるならば、四期生が乃木坂の中心になっていかなければならない。五期生も次世代として控えに置いている場合ではなくなってくる。

 選抜メンバーの構成からもそのことがうかがえる。

三期生:山下美月、久保史緒里、梅澤美波与田祐希岩本蓮加(5/11)

四期生:賀喜遥香、遠藤さくら、田村真佑、筒井あやめ、金川紗耶、松尾美佑、早川聖来、弓木奈於、柴田柚菜、佐藤璃果(10/16)

五期生:井上和、菅原咲月、川﨑桜、一ノ瀬美空、五百城茉央(5/11)

 五期生は三期生と同じ割合で選抜されているし、充てられた枠は四期生が最多だ。(ちなみに、前作では五期生からの選抜はなかった。)

 一列目は、三期生から山下美月と久保史緒里(ダブルセンター)、四期生から二人。

 二列目は、三期生から二人、四期生から二人、五期生から三人。

 三列目は、三期生から一人、四期生から六人、五期生から二人。

 ここから一列目と二列目は各期のバランスを均等に取っていることがわかる。二列目で五期生だけひとり多いのは一列目にいないからだろう。

 過去のフォーメーションを振り返って見ると、これまでもバランスには配慮していたようだが、各期の人数などがだいたい均等になったことでそれがより明瞭になった形だ。

 

 前置きはこれくらいにして、さっそくMVを見ていきたい。


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MVを見ながら語る

0:00~

 部屋で死んだ目をしている山下美月(目がでかすぎる!)と、職員室で怒られている久保史緒里。二人が幽体離脱をするところから始まる。

 久保の背景には、進学相談室のポスターと学力強化月間の張り紙が見える。ここから推測するに久保は受験生なのだろう。教師に怒られている理由は、いい時期なのにいまだに進学先が定まらないのか、それとも成績が下がっているのか? いずれにせよ、進路に迷っているものと思われる。

 自室にいる山下は設定が分かりづらいが、机の上に教科書が積まれていることからやはりこちらも高校生だと推測される(さすがに23歳で中学生役は無理がある)。もし山下と久保が同じ時間軸にいるとするならば山下は不登校の可能性も浮上しそうだが、果たして?

0:42~

もし僕がある日急に

世界からいなくなったら

どこの誰が泣いてくれるか

考えたこと君もあるだろう

 いきなり秋元康節。

  • 一人称が僕。
  • 「僕」は孤独を感じている。
  • 自分の感覚を聴衆に押し付けてくる。

 『人は夢を二度見る』を何度も聴いて感じたのは、物語の主人公が明確に存在するのが秋元康の歌詞の特徴ではないか?ということだ。

 一般には、歌い手自身が自分の思いを歌うような形式で書かれた歌詞が多い気がする。歌手と歌詞の主人公が一体(未分化)なのだ。(特に統計的な論拠があるわけではない。)

 しかし、この曲の場合は、演劇のように「僕」という役が存在して、歌い手はその役を演じている。歌手と歌詞の主人公が分離しているのだ。それを強く感じるのが、もう少し後に出てくる、「僕」がまるで神の視点で物事を語るパートだ。(そして、印象に残っている秋元康の歌詞はだいたいこのパターンのような気がする。今まで考えたことがなかったので、気がするだけでそんなことはないかもしれない。)

そんなことくらいでしか

僕が生きてるその意味

わからなくなってしまった日々

目をさますことさえ面倒になった

 さまよう山下と久保の生霊。死んだ顔のまま踊ってみるが、すぐにやめてしまう。

 おそらくこの二人は踊ることが好きだったのだろう。だが、今では純粋な気持ちで踊ることを楽しめなくなっている。

 ちなみに、山下は路地、久保は廊下を歩いているところがポイントだ。

1:07~

幼い頃なりたかった

将来とか未来の自分

どこではぐれてしまったのか

鏡に映る知らない他人

 二人は謎の美少女(かっきーと遠藤)と出会う。彼女たちは何者なのか? ここでは妖精としておこう。妖精にいきなり手を握られ踊らされると一瞬青空の下に移動し……。

 上で路地と廊下を歩いているところがポイントと述べたが、その理由がこの場面だ。山下がかっきーと出会う前、カメラはまず路地裏を映している。久保と遠藤が出会う前も、カメラは本棚の間を通ってくる。道の左右が壁で塞がれているのだ。しかし、彼女たちが出会う時、両サイドには何もない。開けた世界が広がっている。社会に決められたレールの息苦しさ、そこから逸れた者の八方塞がり感から解放される瞬間がここには描かれているのだ。

 どうでもいいけど、歌詞の「将来とか未来の自分」の部分に無理矢理感がある。将来も未来も同じ意味じゃねえかっていう。「僕が生きてるその意味」(「その」は意味的に不要。)とかも含めて、この曲は曲が先にあってそこに詞を当てている可能性が高い。

1:25~

夢をもう一度見ないか

叶うわけがないと諦めた

あの日の何かを

 異世界に転移する二人。踊り狂う美少女の集団が階段を降りてくる。自分の服も変わっている。いったい何が!?

 ここは山下の演技力が光る。戸惑う表情が良い! そして、ここで「NOGIZAKA46」のロゴが大きく映る。「人は夢を二度見る」ではなく「NOGIZAKA46」。このMVはまさに新生乃木坂46を描いているのだという意気込みを感じる。

 ここからサビだが、歌詞的にも大きな転換点を迎える。語り手が不明確になるのだ。いったいこれは誰が語っているのか? 「僕」が思索の末に至った境地を語っているのか、それとも第三者が語っているのか? 「鏡に映る知らない他人」とは、変わり果ててしまった自分ではなく、かつて夢を見ていた自分の幻影、あるいはそれすら超越した何かなのか?

 これこそまさに上で述べた「神の視点」パート。説教臭くも詩的で、独特の秋元康ワールドを形成している。

人はそうだれだって

みんな過去に持ってたはず

大人になってやりたかったこと

 呆然とする二人。かっきーと遠藤に誘われて踊ってみる。

 映像的には再び通路のような場所になっているのだが、ここではエスカレーターで、上昇の機運みたいなものが感じられる。

1:56~

ああ夢は二度見るもの

若さは熱しやすく冷めやすく

目移りするだけで

 まだまだアンニュイな表情の二人。大空の下へ。

 「冷めやすく」の久保ちゃんが美しい。大理石の彫刻みたい。

 山下の立ち姿も美しい。風に服がはためいているのも、薄い雲が縦方向に伸びているのも良い。完璧なカット。これを撮るためにいったいどれだけ粘ったのだろうか?

とても大切なもの

見失ってしまうけれど

それでも人は夢を二度見る

 不意に踊りをやめて逃げ出す二人。現実世界へ戻る。

 久保と山下はここで夢から覚める。ここまでは一度目の夢だったというわけだ。次から二度目の夢が描かれることになる。

2:42~

だけどたしかに今ここで

僕はこうして生きている

勘違いした遠回りや

道に何度も迷ってきたけど

十年後の自分とか

想像なんてできなかった

十年前の僕からは

今の自分がどう見えるか

 一瞬、幽体離脱から戻るも、またさまよう。妖精たち(山下は賀喜、与田、梅澤、田村、川﨑。久保は遠藤、筒井、井上、菅原)が追いかけてきて、再び踊りだす。

 この歩きながらのダンスめっちゃ好き。

 歌詞としては、ここは一番と対になっている。

僕が生きているその意味わからなくなってしまった日々

→僕はこうして生きている

幼い頃なりたかった将来とか未来の自分

→10年後の自分とか想像なんてできなかった

 生きている意味なんて分からなくても、数々の失敗を経ながら今もこうして生きている自分をポジティブに捉えられるようになっている。10年後の未来を想像するのではなく、10年前の自分に恥ずかしくないような今を生きてみないか?という話かもしれない(そうじゃないかもしれない)。

3:15~

誰も夢から覚めるけど

せめてその続きを見ようって寝返り打つよね

目をそっとまたつむり

楽しかった物語を

一生懸命思い出すんだ

 現実世界でも歌い出す山下。そしてついに笑顔が。

 私には、この場面が乃木坂46を象徴しているように思えるわけです。乃木坂ちゃんたちが楽しそうに歌って踊ってクルクルしているのを見て、ファンたちは笑顔になる。その時の楽しい気持ちこそが夢のかけらにほかならない。つまり我々は乃木坂ちゃんたちを通して自分の心の中にある幸福と夢の手がかりを見ているんだっていう。

 そして歌詞の方に目を向ければ、ここからのアナロジー連発が素晴らしい! 夢の話だから睡眠の話とかけるのはどストレートなのだが、二度寝と比べるのは意外と見たことがない(気がする)。しかしこれがハマりにハマっている。「夢なんて儚いものなのに追い求めてなんになるんですか?」「いやあなた良い夢を見たら二度寝しますよね。その時間こそが幸せでしょ?」っていう。

 「夢を見よう」って言うとなんだか仰々しいけれども、「二度寝するようなものだよ」と言われるとそんな構えるようなものではない、当たり前のことなんだと思えてくる。

3:44~

ああ夢は一度じゃないよ

ベッドの中で二度寝するように

また見てみればいい

きっとあの頃のように

いつの間にかワクワクして

叶えるために

夢を見られる

 青空からの劇場(正しくは能楽堂)でワチャワチャ。

 たぶん、ここから二度寝が始まっているのだ。青空のシーンが何を意味しているのか解釈が難しいが、もしかしたらまどろみ(覚醒状態と睡眠状態の境目)を表現しているのかもしれない。

 二度寝しても、夢の続きを見るのは難しい。今度の夢は能楽堂。先のエスカレーターの夢とは全く違うが、これはこれでイイ!(≧∇≦)b……ということか?

 あるいは、観客席にいながら踊ることで、傍観者からプレーヤーへ移行しようとしている状態を表しているのかもしれない。

 カットは切り替わらないまま、メンバーだけが入れ替わっていく。地味な絵面になりがちな座りながらのダンスが華やかに映る。席が同じままメンバーが入れ替わるパターンから、メンバーごとに指定席があるもののメンバーが消えたり現れたりするパターンへ。例外として川﨑が席に座らずに画面の隅に映るカットがあるのだが、川﨑のいたずらっぽい魅力を見事に引き出しているなあと思うわけです。

4:24~

夢をもう一度見ないか

叶うわけがないと諦めた

あの日の何かを

 井上・菅原・川﨑のバストアップ→賀喜・遠藤のバストアップ→ホールで群舞。これまで衣装は統一されていたが、ここからはそれぞれ異なるものになる。

 もうここからは憂いも何もなく、ただひたすらメンバーが楽しそうに踊るだけなので、(たぶん)特に意味のない、可愛い顔を見せるためだけのカットが挟まれる。(と思ったけど、これは神の視点パートの語り手はこの妖精たちだということを表しているのかもしれない!)

人はそうだれだって

みんな過去に持ってたはず

大人になってやりたかったこと

 やりたかったことを指折り数えて、頭上で手を組む振り付けめっちゃ好き。組んだ両手は枕を表していて、この後顔の横に添えるのが二度寝を表しているものと推測する。

 ちなみに、ロケ地になっているMOA美術館は1982年に開館し、2016~2017年にかけリニューアルしたそうな。コンセプトは「古くからの素材や技法を現代にどう再構築して受け継いでいくか」ということだそうで、まさに乃木坂46という箱をどう再構築していくかを問われている今の彼女たちにふさわしい舞台と言えそうだ!

ああ夢は二度見るもの

若さは熱しやすく冷めやすく

目移りするだけで

 賀喜・遠藤→井上・菅原・川﨑→ホール

 井上和はシンプルに顔がめちゃくちゃ綺麗なんですが、ただ可愛いだけじゃねえ。表情作りが尋常でなく上手い。わずか4~5秒の短い時間の中で、歌詞に合わせて笑顔からわずかに憂いを帯びた上目遣い(可愛い)への表情の変化をグラデーションで見せている。ホールの天井には世界最大級の万華鏡が投影できるようなんですが、井上和こそまさに万華鏡。アイドルになるために生まれてきた存在といっても過言ではない。

 この次期センター候補の後輩に負けじと魅せてくれるのが松尾。腕を円形に回した後に首を振る振り付け(目移りを表現しているのであろう)なのだが、アイソレーション(?)が鮮やか。手の平の角度、カメラと首の動きが完全に調和して、得も言われぬ音楽的快感がある。また一人推しメンが増えてしまった。

とても大切なもの

見失ってしまうけれど

それでも人は夢を二度見る

今ならちゃんと夢を見られる

 最後に晴れやかな顔の山下と久保のカット。山下の表情も良いのですが、久保! 久保の表情操作がすごい。はじめは視線をそらしておいて、目を閉じると同時にこちらを見つめる……だけでは終わらず、ちょっと真顔気味になりつつ顎を上げる。なんだこれは。色気がすごい。薄暗いバーでこれをされたら落ちない男はいない。乃木坂に入った頃はまだ中3?だった久保ちゃんがこんな技を覚えるなんて……乃木坂46、なんて恐ろしいグループなんだ。しかも、この表情変化、ちゃんと一拍置いて行われている。久保史緒里は顔で音楽を奏でる。

 いやとにかくこのMV、久保ちゃんの魅力が爆発している。正直、私は久保ちゃんのことは特に好きでも嫌いでもなかったのだが、こんなにすげえやつだったのかという感想しかない。山下はもちろんデビュー時から変わらず逸材のままなのだが(ちなみに、久保は初センターだが、山下は『僕は僕を好きになる』でセンターを経験済み。)、最近の少しくたびれた感じがこの曲に合っている。

 音楽番組でパフォーマンスをしているときは、中央に陣取っているのが井上和なもんだから「これ実質センター井上だろ」と思っていたぐらいなのだが、MVを見れば見るほど、やはりセンターは久保と山下の二人なのだなと納得した。

 ここで歌詞に注目したい。「今ならちゃんと夢を見られる」なのだ。ただ「老いても夢を見たっていいじゃない」だけではない。「老いてから見る夢の方が本番ですよ!」とまで言っている。こんなの秋元康がノリで書いただけの綺麗事だと思うだろうか? しかし、これは理想論でもなんでもない。

 世の中で活躍している人を見ると、幼い頃からエリート教育を受けてきた人が多いように思えるかもしれない。能力の向上にはどれだけの時間をかけて努力したかが大切なのであって、したがって出遅れたら先行者には勝つことはできないと。しかし、それこそが幻想だ。

 ある研究によると、早めに専門を決めた人は大学卒業後しばらくは収入が高いものの、ゆっくり専門を決めた人はじきに遅れを取り戻すそうな。なぜなら、ゆっくり専門を決めた方が、自分に合った仕事を見つけられるからだ。スポーツの世界ですら、エリート選手ほどそのスポーツを専門にする年齢が遅いらしい。また、多岐にわたる知識や技能をミックスさせることでイノベーションは起こしやすくなる。詳細は下記の本を読んでいただきたい。

 『Dark Horse』は、標準化された道を行くよりも、自分がいま興味を持っていることに自分に合ったやり方で取り組んだ方が良いということを主張する本だ。事例は個人のエピソードを集めたもので、議論も抽象的かつ説得力に欠けるように感じたが、論理的には納得できるというのが私の感想。

 『RANGE』は、狭い領域に特化するよりもある程度広い領域の知識がある方が問題解決能力が高まるといった内容の本。まだ読んでいる最中だが、『Dark Horse』よりも論拠がしっかりしている気がする。

 これらを踏まえると、アイドルはまさに領域横断的な職業だ。歌うし、踊るし、演技をするし、コントもするかもしれない。伝統的な考え方(鍛錬の時間こそが能力を決めるという考え方)に従えば、歌は歌手、踊りはダンサー、演技は役者と、それを専門にやってきた人間の方が優れているはずだし、そうでなければいけない。アイドルとはなんとも中途半端な存在だ。乃木坂46がアーティストとして優れている要素があるとすれば、顔の可愛さぐらいだろう。少なくとも私はそう思っていたし、正直に言って彼女たちのことを舐めていた節がある。だが、もしかしたら、長い目で見れば実はアイドルにはとてつもない可能性があるのかもしれない。

 夢は何度でも見た方が良いことを歌っている『人は夢を二度見る』は、聴く者に重要な気付きを与えるだけでなく、アイドルのあり方そのものでもある。乃木坂46の新しい門出にこれほどふさわしい曲はない。

 

 MVだけでなくライブバージョンも見たければ、↓の21:55から見られる。


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 余談だが、私は『あさひなぐ』で乃木坂46を知った口で、5~6年前から乃木坂工事中を見続けているタイプのファンだ。といっても、乃木坂工事中以外のメディアにはあまり触れていないし、ライブは西野七瀬の卒コンを映画で見たくらいなものなのでファンと呼んでいいかは怪しい。

 それはともかく、当時はまだ三期生が新人だった頃で、私も多くのファンと同様、一期生に強い思い入れがあった。だから、一期生の主要メンバーが卒業し始めた頃には乃木坂の未来を不安に思ったものだが、『人は夢を二度見る』はむしろこれまで以上に希望に満ちていた。

 考えてみれば当たり前だが、「AKB48の公式ライバル」とかいう怪しい肩書のアイドルグループに入ろうと思う人間はそう多くないわけで、今の実績ある乃木坂46に入りたいと思う人間の方が多いし、そうなれば質の高い人材の数も増える。

 ちなみに、各期のオーディションの応募人数は以下のとおり。

一期生:38,934人

二期生:16,302人

三期生:48,986人

四期生:129,182人 ※ただし、これは坂道合同オーディション

五期生:87,852人

 実際、四期生も五期生もタレント揃いだ。特に四期生には私の推しメン筆頭である林瑠奈が裏に控えている(ミュージックステーションでは久保の代役でセンターに抜擢されたので評価が低いわけではないようだ)し、怪我で離脱中の掛橋沙耶香もいる。

 乃木坂46の強度はどんどん増している。『人は夢を二度見る』を見て、私はそれを確信した。これからの乃木坂46を追うのが楽しみで仕方がない。

 

 さらに余談。

 今回、初めて乃木坂のシングル(Type-A)を買ったのだが、Blu-ray画質の五期生(特に井上和ちゃん)美しすぎた。

乃木坂46公式サイト

 あともっと余談なんですが、iPhoneユーザーはミュージックからじゃなくてiTunes Storeからならダウンロード版を買えるって知ってた? わしゃ知らんかったよ。