たぬきのためふんば

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アメリカ映画ベスト100制覇への道:その49 アメリカン・グラフィティ

 高校を卒業したばかりの4人の男たちがそれぞれに特別な一夜を過ごす。

 

 『アメリカン・グラフィティ』は1972年の映画。監督はジョージ・ルーカス。脚本はジョージ・ルーカス、グロリア・カッツ、ウィラード・ハイク。製作はフランシス・フォード・コッポラゲイリー・カーツ。主演はリチャード・ドレイファス

青春群像劇

 『アメリカン・グラフィティ』の特徴は、まず4本のストーリーを並列に見せていく構成にあろう。一応は主人公であるカート、彼の妹と付き合っているスティーブ、スティーブから車をもらうテリー、そして走り屋として名を馳せるジョン。この4人がそれぞれの一夜を過ごす。一言で言えば青春群像劇。

それぞれのストーリー

 カートは東の大学に行くべきか否かで悩み、行かないことを選択しようとしている。旅立ちの日の前日、町中で偶然見かけた美女に骨抜きにされる。美女を探しているうちに、チンピラに絡まれて大変なことになってしまう。チンピラの仲間にされ、DJの助言を受け、美女と電話までこぎつけた結果、カートは大学進学を決意する。

 スティーブは東の大学に行こうとしている。スティーブにはローリーという可愛い彼女がいるから遠距離恋愛になってしまう。遠距離恋愛中、お互い誰とデートに行ったっていいことにしよう、と提案をした結果、ローリーと喧嘩になってしまう。ローリーが自動車事故に巻き込まれたことをきっかけに仲直りし、大学進学を取りやめる。

 テリーはスティーブのお下がりの車を見せつけるために街を徘徊する。奇跡的に美女デビーを引っ掛けることに成功するが、元カレに脅されるわ、金は盗まれるわ、車は盗まれるわ、嘔吐するわで散々な目にあう。一方で、ABCのC目前(?)までいくし、あるがままの彼自身をデビーは好きになってくれる。

 ジョンもナンパに成功するのだが、相手のキャロルは中学生ぐらいのお子様だった。見た目もそんなに好みじゃない。子供扱いされたくないキャロルとキャロルを早く降ろしたいジョンは喧嘩を繰り返す。策を弄してキャロルを無事に家に送り届けたジョンは、途中で喧嘩を売ってきたシボレー乗りのボブ・ファルファのもとへ向かう。ジョンはボブとのレースに勝利するが、スピードでは負けていたと悔しさをにじませる。

いかに構成するか

 シンプルに考えれば、2時間映画の中に4本のほぼ独立したストーリーがあるということは、それぞれのサイズは30分程度ということになる。なので一つ一つのエピソードの力は弱くなりがちである。逆に言えば、弱いストーリー(たとえば平凡な高校生の少しだけ特別な一夜とか)も集めれば、束ねれば長編映画になる可能性を秘めている。

 とはいっても、無関係な物語をただ連続して流すだけならば、短編映画のセット販売以上のものにはならない。組み合わせ方により、抱き合わせ販売以上のものを生み出せるかが群像劇の肝となる。

 それぞれのストーリーには長所と短所がある。たとえば、ジョンとスティーブのストーリーは序盤と終盤は華やかだが、中盤は単調だ。一方で、テリーとカートのストーリーは序盤は地味で、中盤から起伏が生まれ面白くなっていくものの、しっとりと終わる。あるいは、スティーブとテリーの物語には美女がいるが、ジョンとカートの物語は男臭い。

 そんな感じでそれぞれのストーリーの長所で他のストーリーの短所を補完しあえるかが一つの見所ではなかろうか。

 そして言うまでもなく、それぞれのストーリーはおおむね独立してはいるものの、一本のテーマに刺し貫かれてなくてはならない。カート、テリー、ジョン、スティーブはそれぞれに大人になることへの憧れと不安を抱いている。

 それでいて、それぞれのストーリーには対比もあるべきだ。別のストーリーと対比されることによって、それぞれのストーリーのカラーが明確になる。カートは憧れへ突き進むことを知る一方で、スティーブは足元の幸福の大切さに気付く。映画の始まりと終わりでスティーブとカートの立場が逆転する面白さもある。

 スティーブとカートのストーリーは正反対の展開を見せるが、どちらのストーリーにも人生の真実が含まれている。世界は多様だが、群像劇はその多様性をなるべく広く捉えようとする試みでもある。

 また、それぞれのストーリーは、同じ世界で起きている出来事なのだと観客が思えることも大事だ。そのために、4本のストーリーは一つの点から始まり、一つの点で終わるようにできている。すなわち、4人が集まっている場面から始まり、4人が集まっている場面で終わるのだ。途中でも、それぞれのストーリーが交わる点があるとなおよい。ここまでは基本といってもよいだろう。『我等の生涯の最良の年』でも同じ構成だった。

 ここにさらに一捻りを加えるテクニックが、4本の線を行き来する存在を用意することである。『アメリカン・グラフィティ』でそれを担っているのが、シボレー乗りのボブ・ファルファ(ハリソン・フォード)だ。これに相当する役割は『我等の生涯の最良の年』にはなかった気がする。

ノスタルジー映画

 最後の最後に、登場人物のその後の人生が字幕で書かれる。これがなんとも言えないノスタルジーを感じさせると同時に、『スタンド・バイ・ミー』を彷彿とさせる。そう、この映画、実は『スタンド・バイ・ミー』と同じく、誰にでもあった青春の景色を描いた系映画だったのだ。もしかしたら元祖かもしれない。

 正直、私の生きてきた人生とはあまりにも違いすぎて、私はノスタルジー微塵も感じることができなかったが……。(だって車は言うまでもなく女子も不良も、なんなら大学合格もなかった高校生活だったし。共通点があるとすれば、ビーチボーイズを聴いていたことくらいか。)

 『スタンド・バイ・ミー』は群像劇じゃないので構成は全く違う。ただし、要素単位で見ていくと共通点はやはり多い。季節は夏。懐メロ。4人の少年の構成は、賢いが将来に悩む主人公、主人公と対比される親友、不良、道化。起きるイベントは、ちょっとした冒険、きっと一生の思い出になる特別な瞬間、決闘、少年時代との別れ。

 これらの要素のどれかにノスタルジーの鍵が潜んでいる気がする。

アメリカン・グラフィティ (字幕版)

アメリカン・グラフィティ (字幕版)

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