たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

アメリカ映画ベスト100制覇への道:その48 イージー・ライダー

 二人のヒッピーがバイクに乗ります。

 

 『イージー・ライダー』は1969年の映画。デニス・ホッパーが監督・脚本・主演、ピーター・フォンダが脚本・製作・主演。ジャック・ニコルソンも出演。

自由は罪

 『イージー・ライダー』もアメリカン・ニューシネマだし、ロードムービーアメリカン・ニューシネマとロードムービーの親和性は非常に高い。アメリカン・ニューシネマにおける破滅は、家ごと潰されることによるのではなく、帰るべき家がないことにより訪れるのである。

 ただし、『俺たちに明日はない』や『卒業』や『ワイルドバンチ』と違って、主人公たちは悪いことは何もしていない。ただ自由気ままに旅をしているだけである。ハーレー・ダビッドソンに乗って。しかし、やっぱり最後には二人とも死ぬ。(まあ、二人は麻薬の運び屋をやっているので重罪を犯してはいるのだが、彼らが死ぬのはそれとは何の関係もない。)

 じゃあ二人がなんで死ぬのかというと、長髪だからである。二人の主人公、キャプテン・アメリカとビリーはヒッピーなので髪が長い。髪が長いのは当時、男ウケが悪かったので二人は銃で撃たれて死ぬ。いやさすがのアメリカさんでもそこまで理不尽なことないだろ!?って思うのだが、アメリカ南部ではそういうことがあってもおかしくないような扱いをヒッピーは受けていたということであろう。自由であること自体が罪なのだ。この世界観は、今の時代を生きる我々にも容易に理解できる。

バイクは精神の自由を表現する乗り物

 中身らしい中身(ドラマチックなストーリーライン)があるかというと、大したものはない。アメリカの田舎の風景を映しているだけの時間が長い。それだけだと間が持たないので、良い感じの音楽を流している。ぼーんとぅびーわ~ぁぁぁ~ぁぃ

 さらに、『イージー・ライダー』で乗るのは自動車ではなく、オートバイだ。それも安い日本車ではなく、高いのに性能はそれほど良くないハーレー・ダビッドソン。

ハーレーダビッドソン - Wikipedia

 当時のハーレーの評価がそのようなものだったかはさておき、ともかくここに来てロードムービーの乗り物として初めて*1オートバイが現れた。

 一般的な乗用車は複数人が搭乗することを前提に作られている。だから自動車からは家族が連想される。対して、オートバイは基本的に一人乗りが前提だから、自動車よりも一匹狼の性格が強調される。さらに、荷物を積み込めたり、日差しや雨風からのガードが期待できたりする自動車に比べて、オートバイはわりと不便である。不便なオートバイをあえて選択するあたりに、趣味性ドライバーのこだわりが表れる。ここから転じて、自動車からは大人を感じるが、オートバイからは若さを感じる。80歳のおじいちゃんが車に乗っていると「早く免許返納して~!」と言いたくなるが、バイクに乗っていたら「若いな~!」と感心してしまうのはそこから来ている。なんててきとうなことをぶっこいておりますけれども、ともかくオートバイは一言でまとめれば精神の自由を表現するのにうってつけの乗り物なのだということはできないだろうか!?

 オートバイ、特にハーレー・ダビッドソンだからこそ醸し出される空気感。これをじっくりと映すMVのような映像。『イージー・ライダー』がコアなファンを得られた理由はそこにある(のかもしれない)。

 そして自由それ自体が罪であることを喝破し、それをバイクに乗せて表現したことにより『イージー・ライダー』はアメリカン・ニューシネマの代表作たりえたのではないか。

 全然関係ないが『仮面ライダー』が始まるのは1971年のこと。日本の暴走族の歴史も1950年代に始まるという。1960年代前後はバイクが熱くなり始めた時代だったのだ。

*1:アメリカ映画ベスト100の中で