たぬきのためふんば

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アメリカ映画ベスト100制覇への道:その28 アラビアのロレンス

ログライン:知識は豊富だが軍人としては有能ではないロレンスは、諜報活動の一環としてアラビア半島に派遣されるが、アラブの独立に貢献する。

 

 『アラビアのロレンス』は1962年公開の映画。監督はデヴィッド・リーンアカデミー賞は7冠。

 『アラビアのロレンス』は、イギリス人のロレンスとアラブ人たちの友情がストーリーの軸になっている。

 友情(恋愛を含む。)が主題になるときは大なり小なり異文化交流が描かれることになる。価値観や境遇の違う者たちが友情を結ぶからこそ、そこに面白みが生まれるからだ。

 異文化交流に摩擦は付き物だ。人間は他人の尺度で物事を測ることは難しい。価値観の違いは衝突を生む。ファーストインプレッションが最悪というのは恋愛漫画ではありがちだが、あれは必然の結果なのだ。『アラビアのロレンス』も、ロレンスの案内人がアリ(後にロレンスが最も深い友情を結ぶアラブ人)に殺されてしまうという「最悪の出会い」が用意されている。

 そして、トラブルが発生して、共に行動するうちに友情が生まれていく……というのが王道だが、『アラビアのロレンス』でもこれは踏襲されている。

 

 ただ、『アラビアのロレンス』において重要なポイントは、ロレンスが友情を結ぶ相手は、個人を超えた組織だということだ。個人と個人の友情に比べて、個人と組織の結びつきは複雑で流動的なものとなる。たとえば、『ソフィーの選択』は、スティンゴがソフィー&ネイサンのカップルと友情を築く話だったが、ソフィーとネイサンの特別な関係性がスティンゴとの友情を深める障害となっていた。理論上はあれ以上に複雑な関係性になるわけだし、組織の規模が大きくなるだけ関係は打算的になっていく。

 ロレンスは、アラブ人が自身の国家を持てるか否かというところに頭を突っ込んでいくわけだから、なおさらロレンスとアラブ人たちの関係はロレンス自身の行動のせいで揺らいで行くことになる。

 しかも、アラブ人アラブ人と言っているが、この概念には求心力があまりない。(ここでは)アラビア半島に住むアラビア語を操る人々を一括りにしてアラブ人と呼んでいるだけの話で、その実態は多くの部族の寄せ集めに過ぎない。なんちゃら連盟やらなんちゃら連合みたいなもので、統一された国家よりもさらに複雑な組織だ。

 要するに、ロレンスがどんだけ頑張ったところで、ロレンスとアラブ人は真の友人関係になることはできない。それでも、仮初めであっても、そこに友情はたしかにあったのだ。ここがこの映画の真の主題になる。

 

 『アラビアのロレンス』は美しい映画だ。雄大な砂漠の景色。青空に輝く灼熱の太陽。ラクダに乗る人々。これらのすべてが、(欧米的文化から見ての)異文化っぽさと、現実の残酷さを物語っている。

 今なお解決されない複雑な中東情勢、そこで起こった戦争を題材にした『アラビアのロレンス』は、一対多の友情を描いた映画の究極形と言っても過言ではなかろう。