たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

アメリカ映画ベスト100制覇への道:その38 北北西に進路を取れ

 広告代理店の社長がスパイに間違われ命を狙われる羽目になる。

 

 『北北西に進路を取れ』は1959年の作品。監督はおなじみアルフレッド・ヒッチコック。主演もおなじみケーリー・グラント。『赤ちゃん教育』の頃は34歳だった彼も、この時55歳。乾いた肌に刻まれた皺から良い味が滲み出ている。ベスト映画を見る時はなるべく古い作品から見るのが擬似的に感慨深い思いを味わえておすすめです。

 どうでもいいけど、ヒロインのケンドールは26歳の設定なのだが、正直「この顔で!?」とビビる。西欧人は大人っぽく見えるが……と調べると、当時のエヴァ・マリー・セイントはちゃんと35歳なので安心する。

 

 『北北西に進路を取れ』の最大の面白ポイントは、主人公が存在しない人間に間違われることだろう。

 人違いがきっかけでどうのこうのみたいな映画はわりとある気がする。具体例は『独裁者』くらいしか思い浮かばないけど。人違いのせいで散々な目にあったり、人違いで偶然に得た立場を利用したりするのが定番な気がする(なんせ具体例がほとんど思い浮かばないので気がするとしか言いようがない)。

 この映画でもその定番は踏襲しつつ、人違いの相手をいくら探しても全然見つからない。なんせその相手は架空の人物なのだから当然だ。

 

 この映画は空(くう)の映画だ。

 主人公は意図せず、実在しない空虚な人間、カプランという人物に中身を与えてしまう。主人公は中身のないものに中身を与えられる人間なのだ。いや、そもそも、この世の全てのものはそういうものなのだ。実体があるように見えるものも、それは私たちの認識の上に存在するにすぎず、本質は空虚なのだ。逆にいえば、どれほど空虚なものにも実体を見出すことはできる。色即是空、空即是色だ。(私は仏教の教えに精通しているわけではないので、ここで言っていることはなんとなくのノリにすぎない。)

 主人公が広告業に従事していることや、絵画のオークションの皮肉めいた描写などからも作り手が色即是空を明確に意識していることは推察できる。ヒロインのホテルの部屋に仏像が置いてあったのも偶然ではない。

 『北北西に進路を取れ』は箱の映画だということもできる。空っぽなものに実体を入れる役割を背負った主人公は、とにかくいろんな箱に入りまくる。住人のいない豪邸、自動車、ホテルの部屋、電話ボックス、列車、荷物入れ、服、飛行機、女体……。他にも、お金、絵画、空砲……様々な空っぽなものが小道具として活躍するのだ。

 つまり、『北北西に進路を取れ』は『裏窓』に引き続き、映画を描いた映画だといえる。虚構の世界をあたかも本当に存在するかのように見せるための技術こそ、映画だからだ。そして、そんな風にメタの視点から映画(虚構)を眺めることこそがスパイ映画の本質なのかもしれない。巻き込まれるソーンヒルを神の如き視点から眺める教授の存在は非常に重要だ。

 で、この視点からいくと『SPY✕FAMILY』はきっちりスパイ映画の基本に則った作品なのだなということも見えてくる。偽物の家族という箱に中身を与える物語。アーニャが人の心を読める超能力者という設定も、メタ的に漫画を眺めるため必然的に選ばれたものだったということがあながち言えないこともないかもしれない。