たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

『シェーン』で悪役を撃ちたいという原始的な欲求について学ぼう

今週のお題「投げたいもの・打ちたいもの」

アメリカ映画ベスト100制覇への道:その19 シェーン

 牧畜業者と農民との間にトラブルが発生しているワイオミングの開拓地に、優しい顔をした流れ者のガンマンがやってくる。

 『シェーン』は1953年の映画。アカデミー賞では撮影賞を受賞。監督はジョージ・スティーブンス、主演はアラン・ラッド。

 『真昼の決闘』と同じく西部劇だが、だいぶ毛色は違う。長年町で保安官を務めていたゲイリー・クーパー演じるケインが、町民たちの薄情さに接し、複雑な思いを抱きながら戦うのが『真昼の決闘』。旅の途中で出会ったスターレット一家と懇意になり、彼らの危機に立ち上がるのが『シェーン』。

 『シェーン』は典型的なヒーロー活劇だ。初期の『ONE PIECE』や『るろうに剣心』と同じタイプの作品と言っても過言ではない。ただし、週刊少年ジャンプではあくまでヒーローの視点から描かれるのに対し、『シェーン』では守られる側の視点から描かれるという差があり、そのことによって独特の哀愁が生まれている。『椿三十郎』も侍版『シェーン』といってよいだろう。

弱きを助け強きを挫くのは原始的な欲求

 バトルものにおけるクライマックスは、ヒーローが悪役を倒す場面だ。ここには人間の本能的な欲求を満たす要素が詰まっている。

 行動経済学などの知見によると、人間は不公平を嫌う傾向にあるらしい。最後通牒ゲームという実験がある。被験者Aに1万円*1が与えられて、被験者Bに対して分け与える額を提示することができる。被験者Bが合意すれば、両者はお金を受け取ることができる。被験者Bが拒否すると、両者ともにお金は受け取れない。この場合、合理的な人間であれば、被験者Bに対して提示する額は1円になるはずなのだが、実験してみるとどうもそのようにはいかないそうだ。……という話が最後通牒ゲームの謎』という本に書いてあった。とても分かりやすく、面白い本なので詳細はぜひこの本を読んでいただきたい。

 なぜそのような非合理的な行動を人間が取るのかと言えば、人間は不公平を嫌う傾向にあり、さらにはルールを破った人間に対してはコストを払ってでも罰したいと考えるようなのだ(実際はもう少し複雑なのだが)。これは文化によらず、人間であれば誰もが持つ原始的な欲求であるらしい。

悪者はルール違反を犯すべし

 主人公が罰を執行する者だとすると、悪者はルール違反を犯した者であれば、観客の原始的な欲求を刺激することができるということになる。

 物語の悪役はたいてい悪そうな雰囲気を醸し出しているものだが、それだけでは足りず、決定的なルール違反を犯さねばならない。ルールは観客が共有できていなければならないから、ルールを観客に明示しておくか、示すまでもないほど基本的なルールである必要があるだろう。

 ルール違反によって、悪役が他人から利益を奪い取る(不公平な状態を生み出す)のであるならばなおよい。それから人間は不公平であることそのものではなく、不公平にしてやろうという意図に反応するようなので、意図的なものであることは言うまでもなく大事だ。

 『シェーン』では、土地を巡って争いが起きている。悪役はスターレットたちを追い出すことで、開拓地を独り占めすることができる。争いがエスカレートしていった結果、殺人が行われ、スターレット家の主人が悪役に呼び出しを食らう。おそらくスターレットを待ち受けているのは騙し討ち……そこでシェーンが動くのである。

仲間とそうでない者を区別する

 人間には仲間を優先する傾向がある。内集団バイアスと呼ばれるものだ。

 人間には他者の痛みに共感する能力があるが、それは仲間に対してのみ発動する。それどころか、仲間ではない者の痛みには快感さえ覚えるのだとか。

 というわけで、観客をスカッとさせたいならば、仲間とそうでない者たち(つまり悪役)は明確に区別する必要がある。

 シェーンはスターレット家の家に泊まっているし、農民たちの秘密の会合に同席することも許されている。なんなら農民のグループと悪役である牧畜業者のグループは明確に分かれて行動している。物語が進むにつれて、シェーンはスターレット家の主人ジョーと友情を結び、子供のジョーイには尊敬され、ジョーの妻マリアンにはあわーい恋心を抱くようになっている(かもしれない)。友情、師弟愛、性愛の三色丼である。

 要するに、仲間とはとことん仲良くなり、敵とは仲良くならないことが大切なのだ。

ヒーローには憂いが付きものだ

 お膳立てが済んだところで、悪役は成敗される。

 清々しい気分で物語の終わりを迎えられそうだが、そうはならない。人間は罰を執行すると、ネガティブな感情を味わうらしい。あなたも他人に対して怒りをぶつけた後に、「ちょっと言い過ぎたかなぁ……」とか「なんであんなことしちゃったんだろう……」という気持ちに襲われたことがあるのではなかろうか。

 シェーンも同じである。悪を滅したその顔は浮かない。またしても人を殺めてしまったという無念、もうスターレット一家と一緒にはいられないという悲しみ……そういった思いが、シェーンからジョーイへ贈る言葉となって綴られていく。

 実は、人間が本当に求めているのは罰そのものではない。裏切り者の改心であり、被害者の救済なのだ。罰は不信を生み、報復を呼ぶ。罰よりも仲裁の方が好ましく、罰の執行者に対する社会的評価は必ずしも高くない。

(ちなみに、『シェーン』の場合、シェーンという異分子が争いを激化させた側面もある。)

 悪を滅ぼしたぜ! これで俺が大統領だ!となるほど人生は甘かないのである。

 実はヒーローのヒーローたる所以は、悪を挫くことではなく、人生の苦さを受け入れる点にあるのかもしれない

最後通牒ゲームの謎

 というわけで、『シェーン』は人間という生き物を実によく表現している作品だ。副読本として『最後通牒ゲームの謎』を読むことをおすすめしたい。

 また、上に書いたことのあえて逆を行くパターンもありうるかもしれない。たとえば、スカッとする勧善懲悪ではなく、戦いの痛みを描きたいのであれば、かつての仲間を敵とすることもあるだろう。誤解やなんやらが生む孤独の痛みを描きたいのであれば、意図せざる裏切りが罰せられる話を描いてもよさそうだ。

 『シェーン』という王道を理解していれば、邪道を行くこともできるのだ。

シェーン(字幕版)

シェーン(字幕版)

  • アラン・ラッド
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*1:ここでは例として1万円としているが、金額はいくらでもかまわない。金額の大きさが実験結果に影響を与えるようではあるが。