たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

『2001年宇宙の旅』は根源的恐怖を描いているのに癒やしで、退屈だからこそ素晴らしい。

アメリカ映画ベスト100制覇への道:その23 2001年宇宙の旅

 人類に知恵を授けたモノリスに再び出会った人類は、導かれるままに木星へ宇宙船を送り込むが、その道中、宇宙船を制御する人工知能HALが暴走を始めるーー。

 

 『2001年宇宙の旅』は1968年の映画。監督はスタンリー・キューブリックアカデミー賞は視覚効果賞を受賞。名監督として名高いスタンリー・キューブリックだが、意外にも(?)、キューブリック作品はこれ以外でアカデミー賞を取ったことがないようだ。

2001年宇宙の旅』も乗り物映画

 この映画は一種の旅行映画、ロードムービーといっても過言ではない。実際、この映画のかなりの部分が、宇宙旅行はどんなものかを表現することに費やされている。『アフリカの女王』や『キートンの大列車追跡』と同じく、乗り物が大きな役割を果たしている。

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 宇宙の旅で使う乗り物は当然、宇宙船だ。宇宙船(とそれが利用される環境)の特徴を考えると、以下のような要素が思いつく。

  • 外は空気がない。
  • 重力もない。
  • したがって、等速直線運動の世界である。
  • 外部とのコミュニケーションにはタイムラグが生じる。
  • ウラシマ効果も起こる。
  • 資源が有限。
  • 人類の叡智の結晶。
  • 周囲はフロンティアだらけ。

 ウラシマ効果を除けば、『2001年宇宙の旅』にもこれらの特徴は見事に反映されている。

 特に、宇宙船が人類の叡智の結晶であるという点は、この映画のテーマにも関わってくる部分だ。モノリスとの出会いによって知能を発達させた人類は、動物の骨を武器として使うことを学ぶ。最初はただの骨でしかなかった武器は、数百万年の時を経て、核兵器を備えている(らしい)宇宙船にまで進化する。

 そして人類は、彼らの究極の武器である、知能を開発することにまで成功する。それがHALだ。だが、知恵を手に入れた人類が(この映画で)最初にしたことは、武器を持たない人類を撲殺することだった。高い知能の危険性が示唆されたわけだが、やはり人類(ボーマン船長)とHALはバトルを繰り広げることになる。

 戦いを制したボーマン船長は、より高度な生命体と出会い、人類よりもさらに高次元の存在へと変化することになる。

 そういうわけで、『2001年宇宙の旅』もまた乗り物映画なのである。

仕事を奪われるという根源的恐怖

 この映画を見た人の大半がまず抱く感想は「わけがわからん」であろう。

 そもそも常人は寝落ちせずにラストまで見るのが困難とさえ言っていい。私は寝た。最近、歳のせいか日が出ている間はなかなか眠れないのだが、『2001年宇宙の旅』を見ている間はぐっすり眠れた。素晴らしい。『2001年宇宙の旅』は真の癒やし映画です。

 なんとか眠らずに見通せたとしても、やはりストーリーを理解するのは容易ではない。説明があまりにも少ないからだ。

 町山智浩氏の解説がYouTubeに上がっているので、「わけわからん映画をわけわからんままに見るのが好き!」という人以外はぜひ見てみよう。


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 実はストーリーはとてもシンプルだ。

  1. ほぼ猿の人類がモノリス(巨大な黒い石板)と出会い、武器を使い始める。
  2. 数百万年後、宇宙に進出した人類は月面で再びモノリスと出会う。モノリス木星に向けて信号を発する。
  3. 何も知らされぬまま木星へ送り込まれる宇宙飛行士たち。宇宙船を制御する人工知能HALはうっかり秘密をバラしそうになったため、乗組員たちを皆殺しにすることにする。バトルを制したボーマン船長は一人木星へ行く。
  4. 木星で未知の生命体に歓迎されたボーマン船長はモノリスに出会い、巨大な赤ちゃんになる。

 すごく分かりやすい。

 『2001年宇宙の旅』の原題は"2001: A Space Odyssey"。odysseyとは長い冒険の意だが、ホメロス叙事詩オデュッセイア』のことでもある。『オデュッセイア』はトロイア戦争で活躍した知将オデュッセウスが故郷に帰還するまでの10年間にわたる物語だ。まあ未読なんですけど。

 ともかく、この映画の最大の面白ポイントは、オデュッセウスが困難に出会い克服する場面、つまりボーマン船長がHALと対決する場面だろう。AIが人間と対立する構図は非常に人気で、『2001年宇宙の旅』以降も、これを題材にした映画は数多い。

 AIの研究が進んでいる現代においては、もはや物語の中の話ではなく、現実のものと化しつつある感もある。ビジネス書でも「AIに仕事を奪われる」は鉄板の話題らしい*1。たぶんあと何ヶ月かしたら、ChatGPTが敵として登場する映画が作られているに違いない。

 なぜ人間はAIを恐れるのか? その答えの一つであり、最も大きなものが、仕事を奪われる恐怖だろう。産業革命で機械が普及しだして、ラッダイト運動なるものも起きた頃から、人類が生み出したものが人類の仕事を奪うことを恐れ続けてきた。恐怖の対象は機械やAIに限らない。Amazonのせいで潰れる書店、インターネットのせいで売れないCD、Netflixに潰されたブロックバスター……。この手の話は枚挙にいとまがない。

 しかもHALが奪う仕事は人間を人間たらしめる知的営みであり、彼が支配する宇宙船の外は宇宙という寒さと窒息と闇の世界だ。

 この根源的恐怖を象徴的な形で物語の中に落とし込んだからこそ、『2001年宇宙の旅』は神話的映画になることに成功したのかもしれない

人間の限界を表現するための遠近法

 ストーリーが理解できれば『2001年宇宙の旅』は面白いのかというと、それは微妙なところだ。上で書いたストーリーラインがほぼ全てで、話の展開に乏しい。

 それにもかかわらず、いや、だからこそ、『2001年宇宙の旅』は名作なのだ。この映画、とにかく映像が美しい。音はなく、物体は力が加わらない限り加速も減速もしない、光と闇のコントラストの世界。そこにあるのは静謐さだ*2スタンリー・キューブリックは「宇宙」をこれでもかというくらいじっくり撮る。じっくり撮りすぎてストーリーの密度は犠牲にならざるをえない。それゆえに『2001年宇宙の旅』の映像は50年以上経った今でもまるで色褪せない。こうなってくると密度の薄いストーリーはむしろ余白に満ちているのだという気分にもなってくる。そう、まるで宇宙のようにね()。

 映像の美しさの秘密を完全に解明できるほどのスキルは私にはないので、ここでは一点透視図法について語りたい。一点透視図法とは、遠近法の一つで、奥に向かって映像が収束していくような構図のことをいう。キューブリック作品でどのように使われているかは下の動画が分かりやすい。


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 ここで遠近法について理解していきたい。理解したいと言いつつ、ここからは私が頭の中だけで考えたことを書いていく。先人の理論を調べたわけではない(ググってもなかなか見つからない)ので、間違った理解かもしれないが悪しからず。

 まず大切なことは、世界は三次元空間だが、人間の視界は二次元平面であるということだ。我々が見ている世界(我々の視界)は、実際に存在する三次元空間を大きなスクリーンに投影したものにすぎない。これを模式図で表すと下のような感じになる。

一点透視図法

 顔のマークは我々の目である。目の前にある赤い四角を見る時、我々は三次元空間にある赤い四角そのものを見ることはできず、二次元平面に投射したもの(目と四角上の点を結ぶ直線と上の水平線の交点の集合体。ここでは見やすいように端っこだけを線で結んでいる。)を見る。

 この赤い四角を少し遠ざけてみたものが青い四角だ。これがスクリーン上にどう映るかを示すのが青い線分だが、赤い線分と比較すると、小さく見えることがわかる。青い四角をさらに遠ざけるとさらに小さく見えて、究極的に遠ざければ我々の視界の中心である一点に収束していくことが分かる。

 その様子が見て取れるのが一点透視図法である。「見て取れる」というところがポイントで、この場合だと赤い四角と青い四角が同時に見れないといけない。つまり、赤い四角と青い四角の中身は空洞である必要がある。

 ついでなので、四角が空洞でないときに発生する遠近法の一つ、二点透視図法についても考える。わかりやすくするために、赤い四角の角度を少しずらしてみよう。

二点透視図法

 赤い線が目と赤い四角とスクリーンを結んでいる。今回の赤い四角には中身が詰まっているので、赤い線の間のエリアに赤い四角が見えることになる。

 もし仮に、赤い四角が右奥側にもう少し伸びるとどうなるだろうか。伸びた部分が青い四角である。青い四角の端っこは青い線とスクリーンの交わるところになる。これもやはり究極的に伸ばしていくと、ある一点に収束していく。

 問題はその一点がどこかということだが、それは赤い四角の右前側面と我々の視線が平行になるときの、視線とスクリーンが交わる点である。

 左側も同様にやったのがオレンジの四角と線だ。角度が浅い平面の方が、収束点が遠くになる。収束点が遠いということは収束の仕方がゆるくなる。ということで、我々の目はこの収束度合いによって遠近を判断している。

 このとき収束点が二つ現れるので、これを二点透視図法という。この収束点が、遠近法の世界で消失点と呼ばれるものだ。消失点が三点になれば三点透視図法になるが、考え方は変わらないはずである。

 より抽象的に言えば、目を原点とする座標軸を考えた時に、一つのパラメータしか変わらない点(というか線分)の遠近を測る時に用いるのが一点透視図法、二つ以上のパラメータが異なる点の遠近を測る時に用いるのが二点透視図法(つまり消失点の数は重要ではない)ということが言えそうだけどよくわからん。*3

 ともかく、遠近を測るために比較するものが同じ高さに、スクリーンに対して垂直に、なるべく多く(あるいは連続的に)並んでいるほど、一点透視図法は鮮明に浮かび上がる。そしてこの状況は自然界では稀だ。まず地面には基本的にでこぼこがあるので水平面がない。しかも全く同じ何かが整然と一列に並んでいるということもほとんどない。つまり、鮮明な一点透視図法は人工物に囲まれている時に現れるのがほとんどなのである。逆に言えば、一点透視図法は何者かの意図によって作られたもの(あるいは不自然なもの)に囚われているという感覚や閉塞感を生じさせる効果があるような気がする

 宇宙空間は広大だが、人間は生身で宇宙空間に飛び出すことはできない。広い宇宙に飛び出したつもりが、地球より遥かに狭い宇宙船に閉じこもっているのが現実だ。人間の限界がそこにある。シンメトリカルな一点透視図法はこの現実を強調する。スタンリー・キューブリックの好む画面構成が見事に物語の主題と噛み合ってこの名作が生まれた……のかもしれない。

余談

 この映画では2回、故郷の家族と電話をするシーンがある。一見すると、なんの意味があるのかよく分からないシーンだが、おそらくはこの二つのシーンが対比になっている。一つは月旅行だから地球とリアルタイムで通信ができる。一方で、もう一つは木星への旅なので、地球から遠すぎてリアルタイムでは話すことができない。視覚的には表現できない地球との距離を、このシーンが表現している。それによって木星旅行の孤独も演出しているのではなかろうか。

*1:『ビジネス書ベストセラーを100冊読んで分かった成功の黄金律』より

*2:眠たくなる原因はこれかもしれない

*3:特によくわからんのが三点透視図法。最初は異なるパラメータが三つなのが三点透視図法か?と思ったが、違いそう。二点透視図法は三点透視図法を簡便にしたものであって、脳みそは一点透視図法と三点透視図法しか使っていないような気がする??? いや、一点透視図法という考え方さえも脳みそ的にはいらないのかもしれない????