たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

なぜ日本全国に名刹が存在するのか? 『お寺の日本地図』

 『お寺の日本地図』を読んだ。

 お寺なんて興味ありません。という人も多いかもしれない。修学旅行で京都や奈良に行ったけど、「古いね~(古いからなんやねん)」くらいしか感想が浮かばなかった人が大多数だろう

 そういう人は寺を宗教施設だと考えているのではないだろうか? 仏教の信仰のために作られた施設だから、無宗教の私には関係ありません……と。

 もしそうだとしたら、その考えは改める必要がある。

 寺は宗教施設ではない。いや、宗教施設ではあるけれども、宗教施設を超えた存在なのだ。寺は建設された当時、東京スカイツリーや新国立競技場のような大規模施設だった。そこには電波塔やら競技場という施設本来の目的を超えたエンターテインメント性や国家の威信を感じさせるものであることが求められる。(たぶん。)

 大規模施設を作るには膨大な資金がいる。では、その資金はどこにあったのか。今なら莫大な富を持つ民間企業が存在するが、昔はそう多くはなかった。となれば、だいたいの大寺院は権力者が建てるほかない。(たぶん。)

 権力者といえば、朝廷、豪族、幕府、武将などなどが考えられるが、いずれにせよ政権があった都市(奈良、京都、鎌倉、東京)には立派な寺院が多くなる。

 ここまでは私が勝手に想像していることだが、たぶんそう大きく間違ってはいないだろうと思う。

 

 だが、そうなると一つの疑問が浮かび上がる。都以外には大寺院は存在しなかったのだろうか?ということである。

 そこで、この本の登場である。

 本書は各都道府県につき一つの名刹を紹介することをコンセプトにしている。当然、その中の大半は、政権のあった都市以外に建てられたものである。

 一体、誰がなんのために北海道や鹿児島に立派な寺を建てるだろうのか? この本を読めば、馬が最速の乗り物だった時代でも、人の移動範囲はけっこう広かったことが分かる。

 そして、この本はそれぞれの名刹がどのような歴史を持っているのかを丁寧に説明してくれているのが大きな魅力の一つだ。

 

 政治権力をバックに繁栄した寺院は、権力の趨勢の影響を受けざるを得なかったことがこの本を読むと分かる。だいたいの寺は焼き討ちにあっているといっても過言ではない。特に、廃仏毀釈運動の影響はいたるところに顔を出してくる。廃仏毀釈運動が最も激しかった鹿児島県や宮崎県では寺がかなり少ないんだそうな。寺は墓地の管理事務所の側面があったから、それがなくなった宮崎県には広大な公営墓地が多いらしい。

 我々は今、寺と神社は別物として捉えている。違う宗教の施設なんだから別物で当たり前でしょと思うかもしれない。キリスト教の教会とイスラム教のモスクは普通に考えると一体になりえないと思うかもしれない。それは廃仏毀釈運動の影響である。それまでは神仏習合で寺と神社がほぼ一体化していた例も少なくなかった。君たちは「神宮寺勇太カッコいい!」「神宮寺力カッコいい!」と普段から言っているかもしれないが、神宮寺とは神社の中にあった寺のことだ。昔は神社の中に寺があるのは普通のことだったのである。

 

 大寺院は建設するのにも金がかかるが、維持にも金がかかる。では、その維持費の源泉はなんだったのだろうか? スポンサー? お布施? 葬儀代? もちろんそういうのもあったが、今では考えられないものもある。それは地代だ。かつて大寺院は広大な敷地を有し、多くの小作人を抱えていた。年貢収入が寺院の富の源泉となっていたのだ。権力によって建てられた寺院は、それ自体が権力と化していったのだろう。これが戦後の農地解放により奪われてしまう。大寺院であればあるほど、政治とは無縁ではいられない。

 一方で、民衆の力で維持された大寺院もある。それが善光寺だ。善光寺の画期的なビジネスモデルは出開帳だ。善光寺には日本に初めてもたらされた仏像があるとされていて、これのおかげで善光寺は独特の地位を築いている。この仏像は絶対秘仏とされているので、この身代わりに前立本尊というものが作られているのだが、これを7年に一度、御開帳している。善光寺はたびたびの火災で本堂が焼失してしまい、この再建費用をなんとか工面しなければならなくなった。そこで善光寺が開発したのが、前立本尊を地方に出張させて全国から布施を得るという手法である。今の善光寺が存在するのはこの出開帳のおかげなのだ。いうなればモバイル本尊によるクラウドファンディングで再生した稀有な寺が善光寺なのである

 

 ここまで様々ある寺をいっしょくたに寺と一括りにしてきたが、仏教勢力も一枚岩ではない真言宗天台宗や浄土宗や臨済宗や……たくさんの宗派が仏教にある。寺の分布から各宗派の勢力図が見えてくる。そこには偶然の作用もあれば、各宗派がかつて取った生存戦略の成果もある。

 たとえば、偉い坊さんとの縁が深い土地シリーズがある。

 北陸三県(富山、石川、福井)は浄土真宗系寺院が多いそうだ。これは親鸞流罪となった先が越後であったことや、中興の祖である蓮如が越前に道場を開き布教に注力したことなどが要因なのだとか。加賀の一向一揆は有名だが、それにはこういう経緯があったのである。

 ちなみに、一向宗一向一揆で有名だが、それだけに権力者からすれば疎ましく、特に薩摩ではキリスト教と同じく迫害の対象であったそうな。その反発心から、廃仏毀釈で鹿児島から寺が一掃されてできた空白地帯に浄土真宗が入り込むことになり、現在の鹿児島では浄土真宗が多数派になっている。

 浄土真宗以外だと、日蓮の活動拠点であった千葉と山梨では日蓮宗の寺院が多かったり、空海の出身地である香川には善通寺市善通寺真言宗)があったりする。日光に東照宮があるのも、延暦寺の初期のお偉いさんである円仁の出身地であることに由来しているとかいないとか。現代でも、ニトリの店舗は北海道に最も多い。これはニトリが北海道発の企業だからだ(たぶん)。今も昔も地縁が大事なのは変わらないのである。

 日本で一番寺院が多いのは曹洞宗なのだが、その分布は東日本のとりわけ東北や北海道に多い。これは曹洞宗が開創された当時、新興勢力であったため、他派の影響力が比較的弱い土地に狙いを定めたことによるものであるそうな。つまり、曹洞宗はブルー・オーシャン戦略でトップを取ったのである!

 

 端的に言えば、寺には日本の歴史が詰まっている

 日本に古くからある施設といえば、他に神社や城があるが、城は現存するものがほとんどない。しかし、寺はコンビニや歯医者よりも多い。日本の歴史を体感するのに寺以上に最適なものはない。

 これは「寺は古いのが良いね!」という話では全くない。もしそうであれば、東大寺の大仏が創建当時の姿でないことは残念至極な話としてしか捉えられなくなる。そうではないのだ。東大寺の大仏はツギハギであるからこそ(・∀・)イイ!!のだ。そのツギハギにこそ歴史を感じられるからだ。(ちなみに、この本で最も著者の筆がノッていると思われるのは愛知の日泰寺のパートだが、この寺は明治時代に建てられている。長いだけが歴史でもない。)

 そして「寺はパワースポットみたいで良いね!」という話でも全くない。寺はただの宗教施設ではない。権力を巡る様々な思惑が絡み合ってできた構造物である。とはいえ、民衆の心の拠り所であったからこそ、今も多くの寺が存在している。

 スピリチュアルでもあり、ポリティカルでもあり、ビジネスでもあり、グローバリズムでもあり、ポピュリズムでもあり……究極の大規模複合施設が寺なのである

 

 というわけで『お寺の日本地図』は寺院に関する見方をガラっと変えてくれる本だ。寺院に関連する必須トピックの多くをカバーしているものと思われる。お寺好きな人もそうでない人も、ぜひ読んでほしい。そして、地元や旅行先候補の章だけを抽出するのではなく、ぜひ通読してほしい一冊だ。