たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

『すずめの戸締まり』は感想を書くのが難しいです。

 新海誠監督最新作の『すずめの戸締まり』を見た。

 面白かった。面白かったのだが、何が面白かったかを言うのがなかなか難しい。『君の名は。』のようなドライブ感は乏しいし、RADWIMPSの音楽の印象も薄い。かといって面白くなかったかといえば、そうではない。全体的にコミカルで満足感は大きかった。が、コミカルなだけの映画だったのだろうか? そんなことはないだろう。そんなことはないはずなのだが……言葉が出てこない。

 というわけで、『すずめの戸締まり』を腑に落とすために思いつくままに書き綴っていきたい。

 

 あらすじはこうだ。

 男と女が出会う。男は椅子になる。男は自分を椅子にした猫を追う。女はそれについていく。道すがら、二人は様々な人に出会う。東京で椅子は石になってしまう。女は自分の過去に椅子を取り戻す鍵があると考え、宮城に向かう。女は男を救う。同時に、女は過去の自分に出会い、慰める。

 

 この物語は、大きく2つのストーリーに分けることができる。

 核になるのは、東日本大震災で被災した主人公・鈴芽が部分的に忘れていた過去を思い出し、当時の自分を慰める物語だ。これをストーリー1と呼ぼう。

 しかし、ストーリー1は、終盤になるまでほとんど姿を現さない。この映画をエンターテインメント映画たらしめているのは、鈴芽が草太と出会い、草太を救うまでの物語だ。これをストーリー2と呼ぼう。

 話の筋としては、ストーリー2を走らせた結果、たまたまストーリー1にたどり着くという構造になっている。物語のテーマとなるのはストーリー1の方であるが、映画の大部分はストーリー2で構成されている。ストーリー2とストーリー1の繋がりは必ずしも明白ではない。

 この構造が感想の述べがたさを生み出しているように感じる。

 これはいちごのショートケーキに似ている。人々がいちごのショートケーキを食べる理由といえば、いちごを食べるためであるが、いちごのショートケーキの大半を構成しているのはショートケーキなのである。「いちご……美味しかった……けど……それならいちごのパックを買って食べればよかったのでは……」という難しさがショートケーキにもある。美味しいいちごのショートケーキはいちごもショートケーキも美味しく、なおかつ相乗効果によりお互いがお互いを引き立て合うものである。

 

 そこで重要になってくるのが、ストーリー2はテーマを描くことに寄与しているのかいないのかという点だ。ストーリー2をどのように受け止めるべきなのだろうか。

 おそらくオーソドックスな見方は、ストーリー2を地震から人知れず人々を救うヒーローの物語と捉えるものだろう。この見方によるとストーリー1とストーリー2はほとんど分断されているといってもいい。

 だが、人助けは話をエンターテインメントとして成立させるための要素でしかないと考えたらどうだろう。肝心なのは、地震から人々を救うことではなく、忘れられた場所に思いを致すことだとしたらどうだろう。

 この見方によれば、草太は人知れず人々を救うヒーローではなく、廃校や廃遊園地などでかつてそこにあった人々の賑わいに思いを致すことを己の使命としている男となる。もちろん、彼(ら)に救われた命は数知れないだろうが、あの世界にもやっぱり大地震はあるのだ。

 このように考えると、ストーリー2はストーリー1と完全にリンクするようになる。つまり、ストーリー2もテーマと密接に関わっていることが分かってくる。

 鈴芽たちは宮崎から始まり、愛媛、神戸、東京、宮城と移動していく。観客は伊予灘地震阪神淡路大震災関東大震災東日本大震災(によって傷ついて街)へと思いを馳せつつも、復興した街を見る。いくつもの場所を悼みながら、最終的にストーリー1で自分自身を悼む。もはやストーリー1、ストーリー2などと2つの筋を分けて考える必要すらなくなる。

 

 ふむ。なんだか『すずめの戸締まり』をようやく理解できてきたかもしれない。

 私はこの映画を見て、鈴芽が私を慰めてくれたように感じた。仕事が嫌で退職することばかり考えている自分だが、それは長い人生の1頁でしかない。未来の私は今よりもっと良い人生を送っているはず。そう思わせてくれるのが『すずめの戸締まり』だ。