「面白くなさそうだ」と感じたら、それはチャンスだ。
あなたの知らない世界が待っているから。
英雄はこの世界に存在する。
あなたの知らないところで戦い続けている。
殊に暗号を巡る物語は舞台裏で起こっているから。
というわけで、『暗号解読』を読みました。
この本は暗号の歴史を書いたもので、暗号に関する一定の知識を得ることができます。
こんなこと言われたら、「暗号について学びたいなー」と思わないかぎり普通は手に取らないし、「暗号について学びたいなー」と思う人はかなり少ないと思います。
が、これは誰もが読むべき本だと私は主張したい。
なぜならば、圧倒的に面白いから!!
あなたは『鬼滅の刃』が好きですか?
もしそうだとしたらきっと、それはそこに出てくる登場人物たちが紡ぐ物語に心惹かれるからでしょう。鬼と命がけで戦う鬼殺隊の姿に、煉獄さんを始めとした死んでいった者たちの思いを受け継いで戦う炭治郎たちの姿に胸を打たれるからでしょう。炭治郎が知恵を使って屈強な鬼たちに挑むのも醍醐味かもしれません。
それはフィクションの世界にだけあるものではないのです。現実の世界でも同じような物語は繰り広げられているのです。
そんな物語を描いているのが、そう、『暗号解読』なのです!
ここに描かれているのは暗号という鬼と戦う暗号解読者たちの物語。あるいは暗号解読者という鬼と戦う暗号作成者たちの物語ということもできます。
わたしの戦闘力は400,000,000,000,000,000,000,000,000です
戦闘力……たったの5か……ゴミめ……
わたしの戦闘力は530000です。ですがもちろんフルパワーであなたと戦うつもりはありませんからご心配なく……
鬼滅ベースでいくと見せかけておいて、『ドラゴンボール』の名言を持ち出すのですが、戦闘力が数値化されると少年の心は沸き立つものです。『幽遊白書』でも妖力が数値化されていました。
暗号の強さも同じように数値化することができます。鍵の候補がどれだけあるかを調べればよいのです。シンプルな換字式暗号であるカエサル暗号の戦闘力を25だとすると、より複雑な単アルファベット換字式暗号の戦闘力は26の階乗、数値にすると400,000,000,000,000,000,000,000,000になります。日本語では400𥝱(じょ)と言いますが、これは4兆の1兆倍です。
詳細は以下の記事で書いているので省きます。
weatheredwithyou.hatenablog.com
この単アルファベット換字式暗号がラスボスかと思ったら大間違い。これは序盤のボスです。『ドラゴンボール』でいえばピッコロ大魔王。『鬼滅の刃』でいえば、累(那田蜘蛛山のあいつ)くらいなもんです。
カエサルを雑魚扱いするあたり中二病感がありますが、中二病ですら気が引ける数字を持ち出しちゃう。それが暗号ワールド。
この後に出てくるヴィジュネル暗号やエニグマは、この単アルファベット換字式暗号を何乗もしたくらいの戦闘力を誇ります。
ヒエログリフの解読者に俺はなる!!
無惨様も泣いて逃げ出す超強力な鬼たちと戦うのが暗号解読者たち。言うまでもなく天才揃いです。コンピューターの生みの親とされるチャールズ・バベッジ、バベッジの理論をさらに進めたアラン・チューリング、番外編の主人公はあのフーリエにエジプト土産を見せられロゼッタ・ストーンの解読者になることを決めたシャンポリオン。他にも数々の天才が暗号解読に挑んでいきます。
いかにして彼らは戦闘力400𥝱を優に超える敵を倒すのか? 『ジョジョの奇妙な冒険』をも凌ぐ知恵比べがそこにはある!
天才作家サイモン・シン
私はこの本を読んでサイモン・シンは本当に天才だと思いました。『フェルマーの最終定理』といい、なんで難しい問題をこんなに分かりやすく、なによりこんなに面白く書けるのかと感動します。
サイモン・シンのように本を書く秘訣について考えていきたいと思います。
歴史を描く
サイモン・シンは歴史を描きます。『フェルマーの最終定理』もいきなり「フェルマーの最終定理とは……」と説明を始めるのではなく、それよりはるか前のピタゴラス教団の話をスタートラインとしています。
遠回りなようですが、これには2つの効果がありそうです。
一つは、話をドラマチックに演出する効果です。たとえば『SLAM DUNK』を「桜木花道がバスケのインターハイ二回戦を突破する話です」と紹介したら、これは猛烈につまらなそうです。説明が間違っているわけではありません。でも、やはり「桜木花道はもともと不良で赤木晴子に惚れてバスケを始めたんだ~」とか、「三井は天才シューターだったんだけど怪我で腐っちゃって~」とかいったような結論に至るまでの道筋が『SLAM DUNK』の面白さを構成しているわけです。物事の成り行きを説明することは歴史を語ることであり、そこにはドラマがあります。
もう一つは、ステップアップの効果です。難しい問題も、始まりは簡単な問題だったりします。フェルマーの最終定理は理解できなくても、ピタゴラスの定理は誰もが学校で習うし、証明までできる人も少なからずいます。エニグマの仕組みが難しく思えても、カエサル暗号は誰でも理解できるくらい単純だし、なんならクイズかなんかで一度くらいは目にしたことがあってもおかしくありません。だから歴史の最初の方の話は、読者にとってハードルが低く、理解がしやすいです。読者はここで成功体験を積みます。「よし、難しそうな話題が理解できたぞ!」と。著者は歴史の時計を少し進めて、もう少しだけ難しい話題を説明します。前提知識はすでに説明してあるので、読者はわりあい簡単に理解できます。こうして読者に新しい成功体験が生まれます。これを繰り返していくと、あら不思議。いつの間にか高度な問題も理解できるようになっているか、少なくとも理解しようという気になっています。まるでゲーム感覚で難しい本を読むことができるというわけです。
名ブロガー骨しゃぶりさんも下の動画(1:06:30~)「そこに至る歴史を紹介したら、たいていのものはすごく感じる説」について述べています。
弱点は話が長くなることでしょうか。話が長くなる分、読者を強く惹きつける努力も求められそうです。
人を描く
サイモン・シンは人を描きます。難しい問題そのものを論ずるのではなく、それに取り組んだ人々について語るのです。
問題は無機質ですが、人間には血が通っています。「ヒエログリフに解決した人がいるという話を聞いて、シャンポリオンは卒倒した」なんてエピソードはヒエログリフ解読について知るうえでなんの意味もありませんが、こういう人間味あふれる話に人は惹きつけられます。
フィクションでも、人間(擬人化された動物や物を含む)が登場しない話というのはまず存在しないのではないでしょうか?
難題を描く
サイモン・シンは難題を描きます。フェルマーの最終定理は400年証明されませんでしたし、暗号も1990年代にようやく一つの終着点にたどり着いた分野です。
難題に取り組むのは天才たちです。超人です。言い換えれば英雄です。人間は英雄譚を好むものです。難題を巡る人々の歴史を書くことは、英雄譚を書くことと同義なのです。人類最高の叡智を持った、実在した英雄の物語が面白くないわけがありません。
一方で、難題は難題であるがゆえに、常人には容易に理解できないものです。これを分かりやすく説明するというのはこれまた難題です。この難題の前に敗れ去る著者は多く、最初から挑む気のない著者も少なくありません。人々は理由なく「難しいもの=退屈なもの」と考えているわけではないのです。
説明能力に恵まれたライターにとって、このジャンルは財宝がたくさん眠っているブルーオーシャンなのかもしれません。
というわけで、『暗号解読』超オススメです。
『フェルマーの最終定理』も究極的に面白いぞ!