『東大リベンジャーズ』を読んだ。
『東京卍リベンジャーズ』ではない。『東大リベンジャーズ』である。
タイトルでお分かりのとおり、『東京卍リベンジャーズ』のパロディー漫画だ。
主人公の井丁道武は東大卒のフリーター。ある日、テレビを見ていると、東大時代の唯一の思い出である早瀬ユウキが結婚したことを知る。結婚相手が慶応卒の商社マンであることにショックを受ける*1道武。放心状態で道を歩いていると、暴走自転車に轢かれ絶命する。本家よろしく、道武は東大に入学したての頃にタイムリープしてしまう。早瀬が慶応卒と結婚する未来を変えるため、道武は人生をやり直すことを決意する――!!
という話である。
まずは、私が作中で大好きなシーンの一つを紹介しよう。第2巻の冒頭、道武はマッくんこと万堂敦(言うまでもなく本家のあっくんに相当するキャラ)に呼び出される。お互い地方公立高校で番はってた(成績トップだった)こともあり意気投合する二人は、次のような会話を繰り広げる。
マッくんと道武が東大と東大生である自分たちを褒め称える場面の数々はこの漫画の醍醐味の一つだ。
が、ここで注目したいのはそこではない。「ハハ 合ってんのかよその計算」のコマである。このコマはこの漫画を象徴する一コマだと言っていい。
「ハハ 合ってんのかよその計算」は全く意味のない台詞である。東大生の頭脳は日本の上位1%に入るとマッくんが主張するが、道武はこれに完全に同意している。道武はマッくんにエビデンスを求めているわけでもないし、世間体を気にして本音を隠すつもりもない。根拠が曖昧だろうが、「オレは、オレたちは、秀才だ。なぜなら東大生だから」と信じているのである。だから、道武のこのツッコミは二人にとってまるで無意味な発言である。
もちろんメタ的に見れば、このコマは2つの重要な機能を持っている。緊張と緩和の緊張を生み出す機能と、読者にツッコまれる前に作中でツッコミを入れておくことで読みやすくする機能だ。このコマがあるから、この会話がギャグ漫画として成立するのである。つまり、まるで無意味な発言こそがこのシーンにおかしみをもたらしているわけだ。
そう、この漫画の面白さの中核は無意味さなのだ。
そもそも、このページ全体が無意味の塊である。文系なのに地方国立の医学部に受かるくらいセンター試験の点が良かったことをいつまでも誇っているのは(一部の)東大生だけだし、東大生の優秀さを確認し合うことには何の生産性もない。
さらに言えば、この漫画の方向性自体が無意味だ。道武は早瀬を慶応卒と結ばれる未来から救おうとしているが、早瀬がそれを望んでいるわけではない。道武は東大についての知識だけはあるが、学生時代からまるで成長していないし、おかげで未来を好転させることができない。今のところ、人生をやり直す意味がどこにも見いだせない。
この意味がないことの面白さと東大というモチーフの相性は最高だ。なぜなら、東大とは無意味の権化だからだ。高学歴の肩書が欲しいなら慶応に入ればいい。日本国民の大半にとって慶応か東大かというのは大した差ではない。にも関わらず、受験のハードルは圧倒的に東大のほうが高い。まず、受験科目数が違う。東大は5教科7科目*2勉強する必要があるのに対し、慶応は2科目しか勉強しないでいい。しかも、競争相手のレベルがまるで違う。慶応のほうが断然コスパが良い。学費を抑えたいのであれば、別の国公立を受ければいい。
にも関わらず、なぜ東大生は東大を受験するのか。東大という肩書が欲しいからである。そこに意味はない。少なくとも社会的には。東大生とは、無意味なことに意味を見出し、無駄に努力し、そのおかげでますます無意味なものに固執してしまう人間の集まりなのである。ナンセンスギャグにこれほどうってつけの存在は他にいない。(これはあくまで『東大リベンジャーズ』的世界観に基づいた場合の話である。現実には高い志を持って東大に入る人もいるはずだし、研究環境も東大と慶応では段違いのはずだ。)
類、センター試験の点数、偏差値、出身高校……そんなものにいつまでもこだわることに意味はない。東大生にとって大切な青春の1ページであったとしても、そんなことは世間にとってはどうでもいいことだ。意味のないことにこだわる奴はバカにされるのが世の常だ。
だが、意味のないことにこだわる奴らは面白い。『東大リベンジャーズ』はそれを教えてくれる。意味や生産性を求める人生に疲れた時は『東大リベンジャーズ』を読んでみるのはいかがだろうか。