たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

『となりのハト 身近な生き物の知られざる世界』は、ありふれたものほど面白いものはないと気付かせてくれる一冊だ

 『となりのハト 身近な生き物の知られざる世界』を読んだ。

 ハトの生態を紹介する本だ。

 この時点で、「面白くなさそう!」と思っただろうか。あるいは「お金を払ってまで読みたいかと言えば微妙だな~」と思っただろうか。

 それはなぜだろう? その原因はきっと「ハトはありふれた存在である」という事実と、「ありふれた物事は面白くない」という思い込みにある。

 ありふれた物事には目新しさがない。ありがたみがない。いつもと同じような日常よりもサプライズのある日の方が素敵に思えるし、コンビニで買えるお菓子よりもパリに行かないと買えないお菓子の方が美味しそうだと誰もが思うだろう。ありふれた物事よりも、珍しい物事の方が貴重なのだ。

 だが、現実は逆だ。ありふれているということほど貴重なものはない。世の中、大企業よりも中小企業の方が圧倒的に多いのである。だから、日本中どこでも食べられるお菓子よりも、世界のどこかでしか食べられないお菓子の方が本当は圧倒的に多いのだ。

 生物界においても同じことが言える。現在の都市化された日本で、街中でよく見かける鳥がどれくらいいるだろうか? カラス、スズメ、ハト、トビ、ムクドリセキレイ、ツバメくらいではなかろうか。一方、日本に存在する鳥類はおよそ600種類らしい。つまり、都市化への適応力という観点から見れば、ハトは鳥類の上位1%くらいに入る剛の者なのである。(ここらへんは本に書いてあることではなく、私の勝手な妄想である。)ちなみに、我々に最も身近なドバト(カワラバト)は、中東あたりが原産で、世界中に分布しているというからなおさらだ。そう、我々がよく目にするアレは外来種なのである。

 そんなハトだから、特殊能力(特殊な性質)をいくつか持っている。たとえば、ハトは実はとてつもない飛行力の持ち主なのだそうだ。ツバメやハヤブサが速いイメージはあるが、ハトには全然そんなイメージはない。ちょっと意外だ。しかし、鳩胸という言葉があるように、ハトの胸筋は鳥類の中でも発達している方らしい。ハトを見かけたら、スズメやカラスと胸の大きさを比較してみよう。

 さらに、ハトは水を吸うことのできる極めて珍しい鳥なのである。水を吸うなんてのは、哺乳類である我々からすればこれができなければ生きられないくらいの基本スキルであるが、実は鳥は水を吸えない種が圧倒的に多いのだそうだ。カラスが水を飲もうと思ったら、嘴で水をすくって、上を向いて喉に流し込まないといけない。そんなんで不便じゃないのかと言いたくなるが、そもそも鳥類には水を飲む習慣がない。空を飛ぶ鳥類にとって大事なことは体重を軽くすることであり、水は重い。だから多くの鳥は水を飲まなくてもいいように進化してきた。にも関わらず、ハトが水を飲むのは、食べるものが違うからだ。ハトは豆を食べるが、豆は乾いている。豆ばかり食べていては水分が取れないし、水に漬けないと豆は固くて消化しづらい。

 そういったわけでハトは水を飲むわけだが、この食習慣がハトの子育てのあり方に大きく関わっている。人間の赤ちゃんと一緒で、豆は雛にとっては食しづらい。そこで、ハトは豆ではなく、親が排出するピジョンミルクを子どもに与える。鳥類なのにミルクで子育てするなんて!と思わせてくれるピジョンミルク……。素敵なネーミングではないか。ピジョンミルクで子育てするから、ハトはシーズンを問わず子どもを生み育てることが可能だ。逆に、一度に生む卵の数は二つほどが限度となる。年に一度やってきて何羽もぴぃぴぃ鳴いているツバメとは真逆の生態だ。

 ハトといえば、独特な首振り運動がある。あれもハトが豆を食べることと関係がある。ハト(というか鳥)は眼球が動かないので、普通に歩くと景色がよく見えなくなってしまう。落ちている豆を見つけるには、この問題を解決する必要がある。そしてハトはたった1つの冴えたやり方を見つけた。なるべく頭を動かさずに移動すればいいのだ。頭を動かすのは一瞬だけ。行きたい方向にサッと首を動かし、足が頭に追いつくまでの間、頭の位置はそこで固定する。こうすれば豆を探しながら移動できる! というわけで、ハトが地面を歩いている時は、餌を探している時なのだ。

 他にもハトの面白い性質は様々あるのだが、詳細は本書を読んでいただければと思う。読みながら、私はマイケル・ポーターの理論を思い出した。ハトの生態は特別に調整されたバリューチェーンそのものだ。他とは違うことをやっているからハトはありふれた鳥になれた。他との違いは一部分にとどまらず、ハトのライフサイクル全般に及ぶ。否、及ばざるをえない。生物学は経営学に通ず。ハトを学ぶことはアップルの経営について学ぶことに等しい……といったら過言か、はたまた矮小化か。

 ともかく、大事なことなのでもう一度繰り返す。ハトはありふれた鳥だが、ありふれているということは貴重なことなのだ。そこに面白いことがないわけがない。しかも、ありふれた生き物だけに、その魅力に気づくと世界の見方が変わる。ハシビロコウの魅力を知っても、上野動物園などの限られた動物園に行くか国外に出ない限り、ハシビロコウに出会うことはできない。日常はそれまでの日常のままであり続ける。しかし、ハトの魅力を知ったらどうだろうか? ハトに会いたいと思ったら、そこら辺を歩けば出会える。今まで見ていた退屈な景色が、一転して魅力的な鳥だらけの世界になる。ハトの魅力を知った後の日常は、それまでの日常とは変わったものになる。この本にはそういう力がある。

 

 ……と思って、外に出るたびにハトを探すのだが、意外と見つからない。私の生活圏はハトのあまりいないエリアだったようだ。知らなかった。

 ちなみに、ハトは英語でピジョン、またはダヴ。そう、ユニリーバのアレも名前の由来はハトだ。なるほどたしかにハトの絵が描いてある。ちょうどボディソープが切れたところだったので買ってしまった。