たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

オススメのタブレット1選

 大学生の頃、イタリア旅行をした。初めての海外旅行だった。

 それまで、イタリアという国に対して好意を抱いたことはなかった。

 なんせ国名がださい。「リア」は良いとして、「イタ」がださい。板っぽい。イタリア料理と言えばスパゲッティなもんだから、なんだか妙に長細くて頼りないイメージがイタリアにはあった。

 そのうえ、世界史を学んでも、イタリアという国名になってから良いイメージは特にない。強いて言えば、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がかっこいいとかそのくらいである。

 しかし、イタリアはローマ帝国の中心地だった場所だ。実際に訪れてみると、ローマの遺跡に圧倒される日々だった。

 代表格はなんといってもコロッセオだろう。

By  Pushpasree25; - Own work;, CC BY-SA 4.0, Link

 この建造物はとにかく巨大だ。横浜スタジアムよりでかいと言っても過言ではない。ハマスタの照明塔の高さは43.2メートル*1だが、コロッセオの高さは48メートル。ハマスタの収容人数は35,384人であるが、コロッセオの収容人数は4万人以上。圧巻である。

 これがいつ建てられたのかというと、西暦80年着工、90年に完成したそうである*2。2000年前だ。ローマ帝国恐るべし。

 

 同じ年、九州を訪ねた。その際に、吉野ケ里遺跡に寄った。

 吉野ヶ里遺跡弥生時代最大の遺跡である*3。だいたい紀元後1世紀くらいから大規模集落として成立し始めたらしい。つまり、コロッセオと同じくらいか、だいぶ新しい集落だというわけである。

 では、そこに何があるかといえば……なんにもないのである。

吉野ヶ里遺跡復元倉と市.JPG

小池隆, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons

 なんにもないなんでもない建物の連続です♪*4

 たぶん日本史を愛する人にとってはとっても価値のある遺跡に違いないのだろうが、素人目に見ると、しょぼいと言わざるを得ない。そのへんのアスレチックにありそうなレベルの建物が偉そうに鎮座している。こ、これが、SAGA……。いや、違う。これが当時の日本だったのだ……。はるか西でハマスタを10年で建てていた時期に、日本では「んしょ、んしょ!」とみんなで汗かきアスレチックを作って「やったー!すごいすごい!」と喜んでいたのだ。悲しすぎる。たぶん当時の日本人は、ローマ人の目にちいかわたちのように映ったに違いない。

 

 話は変わって、現存する世界最古の文書は5000年前のシュメール文明で作られたものらしい。そこには「29086 大麦 37ヶ月 クシム」と書かれている。これはおそらく「大麦29086(単位は分からない)を37ヶ月の間に受領した」という意味の文章であり、クシムというのはこの文書を書いた者の役職か名前だと思われる*5

 文書の起源は帳簿であり、行政文書であった。歴史に初めて名を残した(残している)のは一介の行政官だったというわけである。当然のことながら文字はここから生まれたわけで、あなたが大好きなロマンチックな本も大元を辿れば退屈な行政文書にその起源があるのだ。

 

 しかし、これは世界の話である。日本ではどうだったのだろうか?

 「日本最古の文字」で検索すると、志賀島から出土した、あの「漢委奴国王」の金印が日本で発見されている最古の文字資料だと出てくる*6。この金印が作られたのはおそらく紀元後1世紀頃の話だそうな。

 

 しょ……しょぼっ!

 

 イラクで文書が作られた3000年後にようやく文字がもたらされた日本。しかも、その文字といえば、中国で作られたものだし、なんならこの金印だってほぼ確実にメイド・イン・チャイナである。

 メイド・イン・ジャパンな文字資料となると、さらに時代が進んで、5,6世紀頃になってようやく人物画像鏡などが現れるのだとか。プラトンがあの素晴らしき著作を残したのは紀元前5世紀頃の話である。時代遅れにもほどがある。

 もちろん、これはあくまで現代にまで残ったものの記録でしかないから、実際には日本人が独自の文字を使って遥か前に文書を作成していた可能性も0ではないだろう。『サピエンス全史』にも「石器時代は、より正確には『木器時代』と呼ぶべきだろう」と書いてある。木は石より朽ちやすく、現代まで残りにくいのだ。「朽」という漢字もそれを物語っている。日本人がそういう朽ちやすいものに文字を書き付けていたことは考えうる。それに、少なくとも中国と海を越えた交流があったことはたしかなわけで、これにはなかなかの技術力が必要なはずだ。ついでにいえば、そもそも文字を発明した文明はそんなに多くない。たいていの文明はよそから文字を借りている。『銃・病原菌・鉄』にそう書いてあった。文字が借り物であることは全く恥じることではない(恥じる人もいないと思うが)。

 また、当時の日本が後進国だったかもしれないことをもって、日本のことをどうこう言うつもりは毛頭ない。そこからGDP世界第二位までのし上がったとは凄まじいスピードの進歩であるとも言えるし、それも含めて先進国だ後進国だなどというのはどうでもいいことだとも言える。

 いずれにせよ、おかげさまで日本の歴史は闇だらけだ。プラトンが国家について語っていた頃に、日本人が何を考えて生きていたのか知るすべは今のところ存在しない。たぶん。

 

 というわけで、あなたが本当に残したい言葉は石板や粘土板に刻み込むべきである。紙は燃えると焼失してしまうが、粘土板は火災でむしろ強固になる。線文字Bが解読されたのは、クノッソス宮殿が火事にあったおかげで大量の粘土板が残ったからだ。板っぽいからイタリアはダサいとか書いたが、板は偉大である。

 5000年後の未来に、あなたはどんな言葉を残したいだろうか?

 そんなに気負わず考えなくていい。まずは友人や恋人や家族の誕生日に粘土板(タブレット)を送ることから始めてみてはいかがだろうか。

 

 それにしても……wikimedia commonsの画像を初めて引用してみたが、難しすぎる。キャプションの付け方はこれでいいのか。たかがこれだけのことにヒイヒイ言っているとは、我ながら吉野ヶ里遺跡のことをしょぼいとか言えた立場ではない。