『イカゲーム』を見ました。Netflixで世界を席巻しているドラマです。
かねてより、『愛の不時着』や『梨泰院クラス』などのヒット作を連発しているネトフリの韓国ドラマですが、アジアの枠を飛び出して欧米でもヒットしたのはこれが初っぽいですね。
内容は、スプラトゥーンを題材にしたもので~……ということはなく、ダメ人間のソン・ギフンが人生一発逆転をかけてデスゲームに参加するというものです。ジャンルを同じくするものとして『カイジ』などとの類似性が指摘されています。
私は『スタートアップ』を最後に韓国ドラマは見ないようにしていたのですが、これは見れました。というのは、一話で一時間を超え、ワンシーズンに15話以上はあるのが当たり前の韓国ドラマは見るのが非常にしんどいです。どんなに面白くても。というか、面白くなければ完走は不可能です(と感じるのは私だけでしょうか??)。しかし、この『イカゲーム』は一話が一時間以内かつ1シーズン9話というコンパクトさ! それでいて面白いのでサクサク見られる。全部これでやってくれ~!!と私は言いたい。最近はこうなのか?と思いましたが、『海街チャチャチャ』『彼女の私生活』はやはり従来の構成ですね。
しかし、なぜ『イカゲーム』がヒットしたのでしょうか? 上にも書いたとおり同じジャンルで『カイジ』という偉大な先人を輩出しているのが日本です。日本も『イカゲーム』のようなヒットを放てるのでしょうか?
それについて考えるのは難しいので、『カイジ』との違いについて考えてみたいと思います。
『カイジ』との決定的な違い
上にも書いたとおり、『イカゲーム』と『カイジ』は似ていると言われています。自堕落な主人公が、大金を得るために、金持ちの道楽である、過酷なゲームに招待され、参加する。少なくともこれだけの共通点があります。
しかし、『イカゲーム』と『カイジ』の間には決定的な違いがあります。
ゲーム性の拒否
『カイジ』の傑作ゲームといえば、やはり最初の限定ジャンケンではないかと思います。参加者が普通にじゃんけんするのでは運ゲーもとい運否天賦になってしまい面白くない。しかし、じゃんけんの手をカードにすることで、戦略が生まれゲームが格段に面白くなる。このゲームを思いついた時、作者はこう思ったはず・・!
「か・・完璧だっ・・・・!」
そして読者もこう思いました。
「面白い・・・・!
圧倒的に・・・・・・!」
『カイジ』のエスポワール編が完璧すぎたあまり、フォロワーたちは、ゲーム自体の面白さ、戦略を立てる面白さを追求していきます。『今際の国のアリス』や『LIAR GAME』などです。
しかし、これに異議を唱える男が一人。
「ん~~~~? 付いてこれますかねえ~~? 視聴者って・・・そんなに・・・?」
「あ・・・・?」
唐突に飛び出した発言の意味を飲み込めない『カイジ』の作者・福本伸行。黒服の一人が男を諌めます。
「ファン・ドンヒョク・・! バカ・・・・! お前何を・・!」
「かまわん・・! 何だ・・? 言ってみろ・・・・!」
福本に促されたファン・ドンヒョクは言います。
「いや・・。その・・。複雑なゲームの戦略を大衆が理解するのって・・・・かなり難しいっていうか・・・・無理っていうか・・・・インポッシブルっていうか・・・・」
広がる・・会議室にざわめきが・・・・!
「それにゲームより人間ドラマに興味があるって人もいますし・・・・大衆受けしないっていうか・・・・ニッチ・・・・?」
福本のアイデアを真っ向批判するドンヒョクに対して、カイジファンから怒号飛び交う・・!
しかし、福本はそれを制します。
「ドンヒョクの指摘はもっとも・・! 的を射ている・・・・・・・・!」
静まり返る第3会議室。
「だが・・・・
他人の意見にそこまで頭ごなしにケチをつけるのであれば当然・・・・
新たに示すべきだ・・・・!
代案・・!
それも・・・・
自分で指摘した問題をクリアしているような・・・・」
「ありますっ・・!
あるんですっ・・!
それが・・!
ひとつだけっ・・・・!」
そうしてファン・ドンヒョクによるプレゼンが開始されるのであった・・・。
というわけで『イカゲーム』はゲーム自体の面白さを放棄しています。なんせやるのはただのだるまさんがころんだや型抜きのようなシンプルなゲーム。戦略性など皆無といってよいのです。
デスゲームの根幹に批判を展開したファン・ドンヒョク氏。『イカゲーム』の監督&脚本である彼は一体どのような代案を示すのでしょうか?
小学生の遊び
「そもそも新しいアイデアとは・・・・イカにして生まれるのか・・・・・・・?」
パワーポイントに浮かび上がる文字。
既存のアイデアと
既存のアイデアの
融合
「ではそれを踏まえたうえで私はデスゲームという既存のアイデアに何を融合したのか・・・・?」
デスゲーム
+
小学生の遊び
「小学生の遊びです・・・・・・・・・!」
自信満々に言い放つドンヒョク。しかし、まだ全貌が見えない。
福本も含め皆・・グループ最年少ファン・ドンヒョクの「小学生の遊びデスゲーム」に大きな期待を抱く者などいなかった・・・・。
が・・・・
しかし・・・・!
ドンヒョクのプレゼンが進むにつれ・・・・
徐々に浮き彫りになっていく・・・・
(ざわ・・・・
ざわ・・・・)
「小学生の遊びデスゲーム」の・・・・圧倒的完成度・・・・!
小学生の遊びに一切手を加えずデスゲーム化することで生まれる無垢と残酷のコントラスト・・!
ゲーム性の放棄を・・
一見エンターテインメント性の放棄に見えて・・
その実非常にドラマチック・・・・!
様々な人間模様を内包した資本主義批判ドラマに昇華・・・・!
「しかも少女ロボットなどのアイコンを使えば・・
サムネイルだけで興味を引くことが可能・・・・!
まさに・・」
商業的 Commercially
&
悪魔的 Demoniac
「つまり顧客であるNetflixも・・・・」カチッ
大満足
「えー・・はい・・・・ということで・・・・私の説明は以上です・・・・!」
要するに、『イカゲーム』はあえてゲームの面白さを放棄することによって、人間ドラマにフォーカスすることに成功しています。それらの人間の中に冴えた頭脳の持ち主など一人もいません。主人公が生き延びるのは単純に運。他者の自己犠牲の上に築かれた成功です。彼は私達と同じ凡人。それゆえにのめり込める。我が事として。ドラマの中に。
そこにはあるのは資本主義社会の縮図です。富める勝者、貧する敗者。圧倒的大多数の社会の歯車たち。それらを分かつのはただひとえに、運。全員が共有するのは虚しさ。
『カイジ』にも箴言はあります。むしろ『カイジ』の方が多くの戒めを与えてくれます。利根川の言葉は社会の現実を突きつけ、「甘えを捨てろ。ぶち殺すぞ」と叱りつけてくれる。堕落しようとする我々凡人に活を入れてくれる。カイジはデスゲームにより覚醒する。ゲームの中だけだが、覚醒する。英雄譚の根底にあるのは、気持ち一つで人は変われるという信念。気持ちと知恵で状況を打開できるという、人間に対する圧倒的信頼。集団主義なようで実は個人主義的な日本人的感覚。が、カイジのような人間は圧倒的少数! 凡人は活を入れても変われない! 変えられない! 本当に変えなければならないのは、社会の仕組み! その方が響く。世界には!
っていう感じかもしれません。表面上もテーマも『カイジ』に似ていますが、向いている方向はまるで違うのが『イカゲーム』のような気がします。
個人的には『LIAR GAME』が一番好き
とはいえ、これはあくまで「『イカゲーム』と『カイジ』は別物である。『イカゲーム』は『カイジ』とは異なる方向性で極めて完成度が高い」という話にすぎません。両者の違いが世界的ヒットの成否を分けたのかは分かりません。
そもそも『カイジ』で世界的ヒットを狙おうなんて誰も考えたことがないでしょう。映画版の『カイジ 人生逆転ゲーム』が公開された2009年、Netflixは今ほど大きな勢力ではありませんでした。もしかしたら『カイジ』も今、Netflixオリジナルとして世界に配信されていたら、『イカゲーム』のようになれていたかもしれません。
実際、『今際の国のアリス』は日本のドラマとしては異例の大ヒットを記録したようです。*1「『今際の国のアリス』でそれなら『カイジ』であればもっと……!」と考えることは可能です。(可能性の話にしかなりませんが。)
個人的にはこういうデスゲーム系のやつでは『LIAR GAME』が一番好きです。「このゲームには必勝法がある」「ナオちゃんってほんとバカだよねええええ!」は声に出して言いたい日本語トップ100に入ります。音楽が中田ヤスタカってのも豪華。
日本にも面白いコンテンツがたくさんあるので、それらが日の目を見る時が来れば良いなあ。