たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

2013年に読みたかった『2016年の週刊文春』

 前回、『フェルマーの最終定理』や『暗号解読』のサイモン・シンがなぜ面白い本を書けるのかについて考えた。その秘訣は三つだった。

  • 歴史を描いている
  • 人を描いている
  • 難題を描いている

 これが奥義であるという確信を私はさらに深めるに至った。

 『2016年の週刊文春』には文藝春秋社の100年近くに及ぶ歴史が描かれている。

 月刊『文藝春秋』は1923年1月に発行された。発起人があの菊池寛であることは有名な話だが、これは菊池寛が作家としてだけでなく編集者としても一流であったことを示している。とはいえ、経営者としての適性もあったかといえばそうではなく、文藝春秋社の経営を実質的に担っていたのが佐佐木茂索(ささきもさく)だった。第二次世界大戦を境に菊池寛文藝春秋から手を引くが、佐佐木茂索池島信平らの後押しを受けて文藝春秋を率い続けた。

 1959年4月、佐佐木茂索は社内の反対を押し切って『週刊文春』を創刊する。三年前に創刊された『週刊新潮』の成功を受けてのものだった。当時、週刊誌は新聞社が発行するものであった。新聞社は全国に記者を配置し、連日連夜各家庭に新聞を届ける流通網がある。出版社にはその全てがなかった。それにも関わらず、天才・斎藤十一率いる『週刊新潮』はすべての障害をクリアした。新潮にできて文藝春秋にできないわけがない。『週刊文春』はこうして始まった。

 才能ある編集者たちの努力で成功を収めていく『週刊文春』であるが、その栄光がピークに達したのは花田紀凱(はなだかずよし)編集長時代だ。花田は編集長になって最初の半年で平均実売部数を前期より4万部以上伸ばした。1988年下半期の557,332部は『週刊新潮』を上回る数字だった。創刊三十年にして初めてのことだった。

 その後も快進撃は続き、1991年上半期の実売部数は668,469部。『週刊新潮』に15万部以上の大差をつけていた。下半期には683,529部を記録し、ついに総合週刊誌のトップに立つ。1993年上半期には766,897部にまで到達。

 しかし、皇室関係の記事が批判を受けるようになり、花田紀凱は1994年4月に『週刊文春』を去ることになる。異動先は『マルコポーロ』だった。花田は『マルコポーロ』を3万部から12万部まで伸ばすが、1995年1月、あのマルコポーロ事件が起きる。社長が辞任に追い込まれる大事件をきっかけに花田は閑職に追いやられ、翌年、文藝春秋を去ることを決める。

 それから『週刊文春』はジリジリと部数を下げていくことになる。バブル崩壊リーマンショック、インターネットやスマホの台頭が追い打ちをかけた。2010年以降、部数が50万部を超えることはなくなっていた。新谷学が『週刊文春』の編集長になるのは、そんな2012年のことだった。

 新谷は徹底したスクープ主義を貫いた。予算の減少や訴訟リスクの増加の中で『週刊ポスト』や『週刊現代』はすでにスクープ競争から下りていた。新谷は『週刊文春デジタル』を始めるなど、デジタルシフトも推し進めた。

 新谷の『週刊文春』はスクープを連発したが、部数の減少は止まらなかった。2015年の部数は416,890部。40万部を割るのは時間の問題だった。10月、新谷学は社長から3ヶ月間の休養を言い渡されることになる。

 休養が明けてからは凄かった。新年一発目はゲス&ベッキー。間髪入れずに甘利明の贈収賄。宮崎謙介不倫、元少年A直撃、ショーンK、舛添要一公費濫用、内田茂黒歴史SMAP解散のきっかけとなったインタビュー……。これだけのスクープを報じながら、訴訟になることはなかった。それだけ物証を揃えていたし、取材対象の言い分も掲載していたということだ。2016年は『週刊文春』の年だった。

 成功はいつまでも続かない。2017年には売上はまた減少した。しかし、2016年で「スクープといえば『週刊文春』」というブランドは確立した。デジタルシフトが加速し、デジタルは新しい収益源となりつつある。

 来年、創立100周年を迎える文藝春秋は今、転換期に立っている。

 

 『2016年の文藝春秋』には文藝春秋の歴史が書かれている。それはたくさんの個性あふれる才人たちによって紡がれた物語である。そこには出版不況の中で雑誌社がいかに戦うべきか?という難題が内包されている。それはジャーナリズムとはどうあるべきか?という問いでもある。記者クラブの閉鎖性、取材対象との癒着、記者の匿名性などはしばしば議論される話題であるが、文藝春秋のあり方はここに一つの答えを出している。

 さらに面白いのは、一民間企業の歴史にすぎないにも関わらず、それが社会史でもある点だ。AppleAmazonといった大企業の歴史ももちろん世界中の人に大きな影響を与えているわけだが、文藝春秋の歴史は日本人の記憶と強く結びついている。

 やはり2016年は格別だった。私が『週刊文春』を初めて買ったのもこの年で、甘利明の不祥事に関するレポートに感動したことを覚えている。誰も知らない権力者の悪事を暴き出す。確かな物証を添えて。真のスクープとはこういうものだと思った。世間では、スクープそのものだけでなく、『週刊文春』がなぜこれほどスクープを連発できるのかということさえもが話題の的だった。

 

 ブロガーにとっては勉強になることも多い。

 おそらくほぼ全てのブロガーがぶち当たる問題がネタ切れだろう。週刊誌にとっても、この点は課題だ。週に一回、440円で数十万人に販売する雑誌を休みなく作り続けるのだからプレッシャーはブロガーの比ではない。数百人の社員の生活がかかっているのだからなおさらだ。ネタを生み出し続けるために必要なこととはいったい何なのだろうか? 答えはシンプル。人に会うこと。文藝春秋の社長にもなった田中健五の言葉は印象的だ。

お前のアタマなんかたいしたことない。貧弱な頭蓋骨が一個しか入ってない。外に出て一〇人優秀な人、新しい人に会えば、素晴らしい頭蓋骨が一〇個増えることになる。これをやらないと編集者は生きられないよ。

 社交性皆無の私にとっては聞くのも恐ろしい言葉である。

 プランとは何かについても書かれている。プランとは、タイトルであり、優れた疑問だと書かれている。この疑問に答えを出すのもやはり人、つまり取材対象だ。編集者は人間関係が全てなのだ。

 花田紀凱タイトルを付ける時に重要なこととして次の五つを挙げている。

  • 覚えやすいこと
  • 個性的なこと
  • 簡潔なこと
  • 他と容易に区別できること
  • 声に出して読んで響きがいいこと

 さらに体言止め(「〇〇の真相」や「〇〇の内訳」)は動きが出ないのでダメだそうだ。

 文章についても勉強になる話がある。著者は週刊誌記事の文章に求められる要件を次のように述べている。

  • 一瞬で読者を引き込むインパクトのある書き出し
  • 基礎知識がない読者を容易に理解に導く考え抜かれた構成
  • 簡潔で明快、リズミカルで物語性のある文体

 著者も『週刊文春』の編集者であったので、『2016年の週刊文春』もまさにこの文章によって書かれている。

 この本にはほとんど事実しか書かれていない。著者の考えは全体の1%にも満たないだろうし、やたら修飾された文は皆無である。『2016年の週刊文春』というタイトルにも関わらず、80%近くまで読み進めないと2016年にたどり着かない。

 だが私は読んでいて不満を覚えることは一瞬としてなかった。圧倒的に面白いからだ。1ページとして退屈な部分がない。素材の良さもあるのだろう。文藝春秋にはどれだけ面白い人間が集まっているのかと憧れを抱かずにはいられない。

 何を隠そう、私も学生時代に文藝春秋の面接を受けたことがある。グーグルマップで確認したが、場所はおそらく紀尾井町文藝春秋西館の地下。2013年のこと。事前に月刊『文藝春秋』を読んで挑んだが、なんの手応えもなく終わった。いつもどおりのことであった。付け焼き刃の準備で面接に堪えない用意をするのがダメ就活生の特徴である。

 当時の私はアニメが好きだったが、アニメ業界はブラックなのでアニメの原作になりうる出版社を志望していた。不純な動機であるが、文藝春秋を受けるに当たっては的はずれな動機でさえあったかもしれない。『2016年の週刊文春』を読めば、文藝春秋は出版より雑誌の会社だということが分かる。私は漫画雑誌以外の雑誌に何の興味も持っていなかったから(ほとんどの出版社は雑誌を重視しているにも関わらず!)、危うく採用されていたら大変なことになっていたかもしれない(杞憂)。

 ここから分かるように私は実績も企業研究も考えも全てが甘々のダメダメ就活生だったわけだが、当然、出版業界以外の面接にもことごとく落ちた。出版社は人気に対して門が狭い。数千人の志望者に対して採用されるのはわずか数人というのが相場だ。状況は今も変わらないらしい。私が出版社の面接を通過できるはずもなかった。

 自業自得だが、就活は私にとってトラウマとなった。文藝春秋もそのトラウマの一角を成している。しかし、『2016年の文藝春秋』を読んでいたら、就活生の特権を使って文藝春秋の敷居をまたげたことは良い思い出にも感じられてきた。ホテルニューオータニで筆記試験を受けたのも文藝春秋の採用試験だった気がする。あれも良い思い出だ。また、本書に登場する魅力的な編集者たちに憧れを抱く反面、多忙な週刊誌の編集者は(能力適性はもちろん)性格的にも自分には向いていないし、採用されなくて良かったと思わされる。そういうわけで『2016年の週刊文春』は私のトラウマを解消する薬にもなってくれた気がする。

 だいぶ話が逸れた。

 『2016年の週刊文春』は非常に面白い本だった。週刊誌編集者の凄みをこの本自体が体現している。これからしばらく教科書として『週刊文春』を読んでみようかと思う。本当なら9年前、文藝春秋の面接を受ける前にやるべきだったことだが、今からでも遅くはないに違いない。