たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

『和解』日記はエンターテイメントになる

 『和解』を読みました。

 小説の神様志賀直哉の作品です。表紙のおじいさんも志賀直哉です。

 この小説は1917年に発表された作品です。第一次世界大戦の頃ですから、かなり古い作品です。ですが、『雪国』と違って初見から読みやすかったですね。

 なお、『雪国』と比較しているのは単純にこれの前に読んだのが『雪国』だからです。

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 父親と喧嘩をしている主人公が、子の死や祖母の病気などを経て、父親と仲直りをするに至る話。エンターテインメントとして分かりやすいです。

 主人公の第一子が出生後まもなく病で死ぬわけですが、その描写が結末が分かっているにも関わらずドキドキハラハラさせるんですよね。いやむしろ結末が分かっているからこそ、生きようとする赤子に命の尊さを感じたりもします。

 そういった事件がきっかけでますます関係が悪化したりもするわけですが、主人公が小説を書いたりしているうちになんとなく父親と和解しようという気持ちになってくる。祖母がちょっとした病気で死の臭いを漂わせはじめることでそれに拍車がかかる(結局、祖母は元気になる)。

 そして思い切って父親に会い、気持ちを伝えると、父親もそれに応えてくれる。そして大団円を迎える。ここもさっぱりとしていて清々しいです。

 そんなわけで『雪国』とは対極にあると言ってもいい作品でした。主人公の努力は徒労に終わらないし、子の死や出産といった生々しい描写がでてきます。ついでにいうと『雪国』は十年以上かけてできあがった作品であるのに対し、『和解』は筆が進んで半月程度で書けてしまったのだとか。

 かといって粗い作品というわけでもなく、父と子との関係をベースに、主人公と子の関係や主人公と祖母との関係がそれに重なって機能している気がします。巧みな小説だなあと感心しながら読みました。

 ……が、実はこの小説、作者自身の実体験をベースにして書かれたものなんですね。ベースというか、そのまま? 志賀直哉自身が父と不和で、『和解』以前にもそれを題材にした作品を何点か発表していたようです。それがようやく父と仲直りできて、その喜びでバーっと書き上げたという。作中に登場する人物もたぶん全員が実在の人物で、Mは武者小路実篤のことだそうです。

 そうなると「これは小説なのか……?」という気分にもなってきますが、逆に考えれば、実は我々の人生も切り取り方や文章力次第で、何篇もの優れた小説になりうるのかもしれません。

 たまにブログに思い出話を書きたくなるときがあります。そんな時は「こんなん誰も興味ないよなー」なんて気持ちで書いてはいけないのかもしれません。「俺は志賀直哉になる!」というくらいの気持ちをもって臨めばモチベーションも上がりそうです。