たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

『江戸川乱歩傑作選』

 『江戸川乱歩傑作選』を読みました。

江戸川乱歩は面白い

 今回、初めて江戸川乱歩を読んだのですが、普通に面白くてびっくりしました。見事にエンターテイメントなのです。

なぜ人は江戸川乱歩を読まないのか

 江戸川乱歩といえば、日本のミステリ小説のパイオニア的存在です。名探偵明智小五郎怪人二十面相の生みの親であり、江戸川コナンの名前の由来でもあります。大物作家ですね。

 とはいえ、なかなか手に取る気にもならない人も多いのではないでしょうか。

 江戸川乱歩は大正から昭和の前半にかけて活躍した作家です(この本に収録されているのも大正時代に書かれた短編です)。わざわざこんな古いミステリ小説を読むくらいなら現代の小説を読むよと考える人も多いでしょう。東野圭吾綾辻行人を読みますわと。なぜなら、小説というものは時代とともに進化しているはずで、古いということはそれだけ稚拙であるに違いないのだから。

 それにも関わらず、人が古い小説を読むのは、それが自身の読書家像の醸成に寄与するからとか、名作と名高いからとかそういった動機によるものがほとんどだと思います。三島由紀夫を読めばなんだか偉くなった感じがするので、やたら難しくても代表作の『金閣寺』を頑張って読むのです。

 しかし、そういった動機で古い小説を読む人は江戸川乱歩を手に取らないでしょう。なぜなら江戸川乱歩は教科書や国語便覧にも載らないような作家であり、有名な割にはあまりネームバリューがないからです。「好きな作家は三島由紀夫です」と言えば、三島由紀夫を読んだことのない人でも「こいつやるな」となりますが、「好きな作家は江戸川乱歩です」と言っても「江戸川乱歩……ズッコケ三人組……ではないよな?」となります。

新しさと面白さは比例しない

 ここでミステリ小説から離れてアニメについて考えていただきたい。

 あなたはスタジオジブリの作品が好きでしょうか? 『天空の城ラピュタ』、『となりのトトロ』、『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』といった作品が好きでしょうか? もしそうであれば、あるジャンルの黎明期の作家をバカにするのはおかしなことであることに気付くでしょう。

 日本で初めて本格的なTVアニメが放映されたのは『鉄腕アトム』の1963年のこと。宮崎駿東映動画(今の東映アニメーション)に入社したのも1963年。つまり宮崎駿はテレビアニメの黎明期から活躍する古き人なのであります。では宮崎駿のアニメを古臭くてつまらない作品だと切って捨てる人がいるでしょうか? いや、いない。宮崎駿作品が色褪せることなく今なお燦然と輝いていることは日本人であれば誰もが承知のことです

 作画まわりのテクノロジーやビジネスモデルが進化し続けているアニメでさえそうなのだから、ましてテクノロジー的な進化がほとんどない小説というジャンルにおいて、いつ作られたかとその面白さは必ずしも比例しないのです。

ペンネームから溢れ出るセンス

 注目していただきたいのが江戸川乱歩ペンネームです。

 エドガー・アラン・ポーをもじったものであるというのは有名な話ですが、冷静に考えるとセンスが良すぎます。あなたはコナン・ドイルアガサ・クリスティーをここまでしっくりくる日本名に落とし込むことができるでしょうか?

 そして、これほど良い感じのペンネームの小説家が日本に他にいるでしょうか? ミステリー小説の生みの親の名前を使って、日本のミステリー界の大家となる。名は体を表すとはまさにこのことです。(そういうペンネームで私が思い浮かぶのは西尾維新くらいです。前から読んでも後ろから読んでも180°回転させてもNISIOISINになる。このギミック自体が彼の作風を表しているなと個人的には感じます。)

江戸川乱歩は色褪せない

 要するに、江戸川乱歩の作品は今なお色褪せないということが言いたいのです。

 ちなみに、古い小説は読みづらいことを恐れている方もいるかもしれませんが、私は読みづらさを感じませんでした。

江戸川乱歩の特徴

 この傑作選を読んで、私が感じた江戸川乱歩の特徴は以下のとおりです。

  • 多様性
  • 変態
  • どんでん返しを好む
  • 読者参加型ではない

 典型的なミステリ小説は「事件が起こり、探偵が犯人を探し、トリックを暴く」という構成になっていると思います。しかし、江戸川乱歩はその形式にこだわらず、多様な作品を書いています。海外ではすでにミステリ小説が多く作られていたとはいっても、やはり探偵小説の黎明期です。まだそれほど型が確立していなくて、それゆえに色々な形を試していたのか? それとも新規開拓者の冒険心が色々な形式にチャレンジさせたのか? ともかく江戸川乱歩の作品は多様性に富んでいます

 そんな江戸川乱歩作品に共通して言えるものがあるとするなら、変態性の追求ということが言えるかもしれません。江戸川乱歩先生、様々な変態を作品に登場させてきます。さながら『ゴールデンカムイ』のごとく。その変態性の裏には、必ずといっていいくらい人生への退屈ということへの言及がなされるのもポイントかもしれません。

 江戸川乱歩自身の性癖は何かといえば、どうも読者の予想を裏切りたくてたまらないようです。ここは普通にオチをつけてもよいのでは?というところでも一捻り入れてきます。乱歩にとっては物語が落ち着くべきところに落ち着くのは退屈なことなのかもしれません。

 一つ注意点があります。今やたいがいのミステリー小説は読者への挑戦状になっているのではないかと思いますが、この傑作選に出てくる小説はそうはなっていないものが多いです。江戸川乱歩と知恵比べをするつもりで読むと期待外れに終わるかもしれません。

収録作品

 ここから具体的な中身について見ていきます。

二銭銅貨

〈怪盗がある会社で大金を盗むが、警察の賢明にして懸命な努力によって逮捕されてしまう。しかし、肝心の金のありかは自白しない。そんな事件の数日後、とある貧乏学生があることに気付いて……という話。〉

 江戸川乱歩のデビュー作。デビュー作なのに傑作ってのが天才クリエイターあるあるですね。大正12年の『夜に駆ける』です。

 30P足らずの中に、怪盗の逮捕劇&盗んだ金の在り処を探すという二つの物語があって密度が濃い。この作品にもどんでん返しが待っていて、それが「なんでそんなことをする?」というある種の変態的なもので、江戸川乱歩らしさが詰まっています。

 事件の解決のために暗号を解くのですが、この暗号の作りが実に面白いです。

二廢人

〈とある宿で齋藤氏と井原氏という二人の男が出会う。二人は初対面であるにも関わらず、井原氏は齋藤氏と話していると妙に懐かしさを覚えて、誰にも話したことのない昔話を語りだす。それは夢遊病に苛まれ、ついには眠っている間に人を殺してしまった話だった。〉

 この話はエモいです。あまりに善良すぎる男と罪と後悔。罪を犯して二十年以上経ってからの告白ってのがエモい。

 夢遊病で人を殺してしまうというのは実際にある話です。『睡眠こそ最強の解決策である』にたしか書いてあったから間違いありません。それだけにありえそうな話でドキドキしてしまいます。

D坂の殺人事件

〈私がD坂にある喫茶店でコーヒーを飲みながら窓の向こうにある古本屋を眺めていると一つの違和感を覚えた。店番をしていた古本屋の女房が奥に引っ込んだまま一向に出てこないのである。偶然一緒になった明智小五郎と共に古本屋に向かうと、女房が死んでいたのだった。〉

 名探偵・明智小五郎のデビュー作です。ここにきてようやく密室事件を名探偵が解決するというフォーマットが登場します。そして早速、名探偵自身が疑われるというパターンにたどり着いていたりもします。

 この小説が書かれた頃には日本家屋で密室殺人を書くのは難しいと言われていたそうです。我々にとっては見慣れたフォーマットですが、当時にしてみれば世間の定説を打破した斬新な作品だったのですね。

心理試験

苦学生である蕗屋清一郎は、友人の下宿先の大家である老婆が大金を植木鉢に隠していることを知る。蕗屋は綿密な計画を立て、老婆を殺害し、金を奪うことに成功する。ある事実から蕗屋を疑うに至った裁判官は、彼を心理テストにかけることにする。〉

 明智小五郎シリーズ二作目。

 あらすじからも明らかですが、元ネタはドストエフスキーの『罪と罰』のようです。従ってDEATH NOTE』を読んでいるかのようなドキドキを味わえます。

 『D坂の殺人事件』でもそうだったのですが、この話は心理学が物語上で重要な役割を果たします。創作の種は学術的な知識の中に潜んでいるようです。

赤い部屋

〈ある秘密のクラブにT氏が加入した。新人は最初の会で会員たちの退屈を紛らわす話を披露するのが習わしだった。その場で、T氏はこれまで自分が99人もの人間を葬ってきた完全犯罪について語りだすのであった。〉

 完全犯罪を試みて失敗した話の次に来るのが、完全犯罪に成功してきた男の話。それはいうなれば未必の故意(これやると人が死ぬかもしれないなーと思うことをわざとやること)による殺人です。その故意すらも完璧に隠して行うものだから、なるほどたしかにこれは完全犯罪だと納得してしまいます。それだけに恐ろしくて面白い。

 この話のオチは正直、そんなにひねる必要があるのだろうかと思いました。ただ、Wikipediaによると、江戸川乱歩としてはリアリズムを追求した結果の必然的なラストだったようです。

屋根裏の散歩者

〈郷田三郎は人生の何事にも面白みを感じられずに生きていた。新築の宿に泊った郷田は、屋根裏に侵入するルートを見つける。屋根裏を徘徊する楽しみを得た郷田だが、ついには完全犯罪の誘惑に取り憑かれてしまう。〉

 これまでは退屈しのぎに誰にもバレないように人を殺す変態たちを描いてきた江戸川乱歩先生ですが、ここらへんから殺人以外の変態要素をぶち込み始めるようになります(『D坂』で片鱗を見せてはいましたが)。

 他人の生活を覗きたいという欲望は誰しも多かれ少なかれ持っているのではないでしょうか。そうでなければ芸能人をストーキングすることを生業としている週刊誌が生き残れるはずがありません。そういう誰にでもある欲望を突き詰めると『屋根裏の散歩者』になります。

 ちなみに、この小説の面白さは変態性だけでなく、カメラの位置が通常と異なるという点にもあります。普通の小説ではカメラは登場人物目線、アイレベルになります。しかし、この小説ではその登場人物が屋根裏にいるから、カメラが俯瞰になるという珍しさもあるのです。

人間椅子

〈作家である佳子のもとに一通の原稿が届く。そこには椅子職人の罪の告白が書かれていた。〉

 これもタイトルどおりの話で、『屋根裏の散歩者』に連なる変態シリーズですね。郷田三郎は殺人を犯すまではただ眺めるだけでしたが、今度は触っちゃいます。

 ここらへんからミステリーではなくなっていきます。『屋根裏の散歩者』の手前あたりで、だんだんとミステリーのアイデアが尽きて苦しむようになっていったからのようです。

鏡地獄

 鏡が好きすぎる男が球体の鏡に閉じ込められて狂っちゃう話。

 そんだけの話なんですが、鏡でできた球の中に入るってどんな感じなんだろう?と好奇心が刺激されて面白いです。

 ちなみに、こんな感じのようです。正方形の鏡がめっちゃ幻想的。


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 マイケル・ジャクソンはこの小説を読んで『Man in the mirror』という名曲を作ったようです(大嘘)。『Man in the mirror』は世界を変えるにはまず自分を見つめよう、自分から変わろうという人間中心主義の権化のような歌ですが、江戸川乱歩は人間中心主義の先には地獄が待っていると看破していたのかもしれません。

芋虫

 戦争で四肢と聴覚と声を失った夫の世話をする妻の話。

 四肢のない人を芋虫呼ばわりするとか、今では絶対に書けない作品だなという感じがします。じゃあ当時はOKだったかというと、反軍国主義的に受け取られかねない内容だったためにやっぱりアウトだったようです。

 まあグロテスクな話なんですが、芋虫のようになっても性処理の道具として妻が愛してくれるのに絵空事ではない救いを感じたりもしました。変態には変態の良さがある。

まとめ

 というわけで、『江戸川乱歩傑作選』でした。

 色々なミステリー小説を読みたい、変態チックな話を読みたい、面白い短編集を読みたい……そんな人にはぜひおすすめです。一話あたり30ページほどなのでかなり気軽に読めますよ。