たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

私がフィギュアスケートを見なくなった理由

今週のお題「冬のスポーツ」

 

 私は昔、フィギュアスケートが大好きだったんですが、今では全然見なくなってしまいました。

 今日は私がフィギュアスケートに出会ってから別れを告げるまでの思い出話をしたいと思います。

 「お前の思い出なんか興味ないわ」という方が99.9999%だと思いますが、私が書きたいので書きます。

 まあ、強いて言えば、フィギュアスケートの特性や、データからは見えないフィギュアスケートの歴史とかを知る手がかりになる可能性はゼロではないかもしれない。

2005年グランプリファイナル

 2005年12月。フィギュアスケートのグランプリファイナルが開かれようとしていました。

 この大会までフィギュアスケートをほとんど見たことのなかった私。そもそも2004年のアテネ五輪で卓球を見たのが、おそらくまともにスポーツ観戦をするようになった始まりだったと思います。ゆえに冬のスポーツ自体が私にとって存在しないに等しいものでした。

浅田真央という存在

 そんな私がなぜフィギュアスケートを見てみようという気になったかといえば、一つには、卓球にどっぷり浸かりだした余波でスポーツを愛する気持ちが私の中で芽生えていたことがあります。

 もう一つ、これが重要です。当時、浅田真央がかなり話題になっていました。この年は浅田真央のシニアデビューの年で、凄い選手が出てきたということで話題になっていました(たぶんデビュー前から浅田真央はある程度名が通っていたと思います)。

 というわけで、どんなもんか見てやろうと思ったわけです。浅田真央と同い年の私は自意識過剰で、フィギュアスケートを見るなんて恥ずかしいことだと感じていたので(『ToLOVEる』を読む感覚に近い)、「他に見る番組ないから見るかー」みたいなスタンスを家族の前で装っていたような記憶があります。

 フィギュアスケートを知らない人のために、大会について説明をしておきます。フィギュアスケートはシーズンになるとグランプリシリーズという六カ国で開かれる大会群が始まります。アメリカ、中国、日本、フランス、カナダ、ロシアだったかな? このうちの2大会に選手は参加することができます。その中で優れた成績を残した上位6名が出場できるのがグランプリファイナルになります。

 当時、世界最高の選手だったのがイリーナ・スルツカヤビールマンスピンがトレードマークのロシアの選手です。彼女と浅田真央が激突する、というのが大会の目玉だった気がします。

 結果は御存知の通り、浅田真央トリプルアクセルを決め、見事に優勝を飾りました。私はフリーの演技に感動して涙が出たことを覚えています。いったい何がよかったのかは定かではありません。チャイコフスキーの楽曲の素晴らしさ、15歳の天真爛漫さ、若き才能が台頭する歴史的瞬間に立ち会ったという予感、そういったいろんな要素が琴線に触れたのだと思います。

 浅田真央の優勝には日本人選手の快挙という以上の意味がありました。というのは、浅田真央は年齢制限のため翌年のトリノオリンピックに出場できなかったからです。グランプリファイナルで優勝したことで、こいつがオリンピックに出れば金メダル有力やんけ!世界最強の選手が出られないオリンピックでええんか!と。そんな感じの議論が連日連夜ワイドショーで繰り返されていた印象があります。

中野友加里という存在

 しかし、それだけだったら私は多くの日本人と同程度にフィギュアスケートを好きになるだけだったと思います。もしかしたら、そこにとどまっていたら、フィギュアスケートを見なくなることはなかったかもしれません。

 私はフィギュアスケートの沼にハマっていきます。私はこのテレビ放送で一目惚れしたのです。

 ショートプログラムが放送された日。私がテレビを付けたときにちょうど日本人選手が滑っていました。中野友加里選手です。ムーラン・ルージュの曲に乗って、黒いタイツスーツに身を包んだ彼女は、ミスらしいミスもなく滑り終えました。初めてフィギュアスケートを見たので、その滑りがよかったのかどうか、当時の私には分かりませんでした。でも、なんとなくいい感じの演技だということが分かりました。実況や解説もありますし、本人も充実の表情を浮かべていました。

 ところが、点数が出た瞬間です。中野選手の表情が曇りました。感触ほど点数が伸びなかったのです。インタビューも不満げな顔で受けていました。

 これに私のハートは撃ち抜かれました。嘘のつけない、気の強いこの女性はなんて魅力的なんだろうと思ったのです。

 ↓の記事で御自身でも「態度が大きい」とおっしゃっていますが、本当に態度が大きかった! でもそこが大好きだったのです。私は! Mなのだろうか。いや、たぶん同類なのだろうと思います。(この記事を読んで、社会人になってもあんな感じだったのかと、元ファンとしてはニヤニヤしてしまいました。)

news.yahoo.co.jp

 中野友加里選手も今となっては一昔前の選手なので解説しておきます。トレードマークはドーナツスピン。彼女も浅田真央と同じく山田満知子コーチに指導を受けており、トリプルアクセルを跳べる選手でした。トリプルアクセルの成功率は決して高いものではありませんでしたが、ジャンプ力には定評があったと思います。

 ただ、スパイラルシークエンスの時には頑張らないと笑顔になれなかったり、ジャンプが巻き足(ジャンプ中に脚が4の字のようになる)だったりと、色々と不器用な選手でもあったと記憶しています。それがけっこう足かせになっていたのですが、だからこそ応援のしがいがありました。

 どうでもいい話ですが、顔が蒼井優に似ているとかファンの間では言われていて、私は中野友加里経由で蒼井優の映画を漁っていた時期があります(今見るとそんなに似ていない気がする)。おかげで岩井俊二作品に出会えたりして、青春の良い思い出です。

2005年全日本選手権

 そしてクリスマス。この年の全日本選手権は、翌年のトリノオリンピックの代表を決める重要な大会でした。

 この時の有力選手が以下の6人。

 この大会がたしか凄くてな。全員がノーミスだったんじゃなかろうか。当時の私は最終グループのそれぞれが滑り終わるたびに感涙していたような気がします。

 安藤美姫だけが精彩を欠いていたような気がしなくもないが、そこはあやふやです。ちなみに、当時、浅田真央の次に、いやもしかしたらそれ以上に有名だったのが安藤美姫。なぜかというと、女子では初めて4回転ジャンプを跳んだ選手だったからです。しかも若くて背の高いギャル。当時のマスコミは今以上に俗だったので、「美人!オリンピックで4回転跳んで!」と囃し立てたものですわ。 

 結果は、村主・浅田・荒川の順だったようです。

 トリノオリンピックの代表は村主、荒川は確実。残り一人が誰になるかというところで安藤美姫が選ばれる。グランプリファイナルでも全日本でも中野友加里が上だったのになぜ!?みたいな、そんな不満をにわかスケートファンの私は抱いたりしていました。今にして思えば、明確な基準に基づいて安藤美姫に決まったのですが、当時の私はワガママで傲慢な15歳。中野友加里が代表になるべきだったのに!と憤っていました。

2006年トリノオリンピック

 そしてトリノオリンピック。(四大陸選手権の記憶はあまりないので飛ばします。織田信成がこの後何回も繰り返すことになる無効ジャンプを跳んでいた気がする。)

マスコミの無責任な煽り

 当時のマスコミは今以上に低俗でして、全体として「日本のメダルラッシュが期待できます!!」とかなり煽っていました。加藤条治は金!上村愛子も金!ハーフパイプはメダル独占!國母和宏は日本の恥!メロラップサイコー!みたいな。

 しかし、蓋を開けてみれば、大会終盤までメダル0!

 特にハーフパイプはマスコミが論拠にしていたワールドカップには有力な選手は出ていなくて、世界との実力の乖離が激しかった。おかげさまでショーン・ホワイトに出会えたからよかったけど!

最後の希望

 そんなわけで最後の希望がフィギュアスケートでした。

 結果はご存知のとおり、荒川静香が金メダル。上に書いたとおりイリーナ・スルツカヤが金メダル候補筆頭だったので、これはサプライズでした。世間はイナバウアーフィーバーに湧きました。

 私はこの大会のビデオを何回も繰り返し見ましたね。学校から帰る度にビデオを再生して(そう当時はビデオテープの時代だったのだ!)、姉から「また見てるの?」と呆れられていました。

 女子は荒川静香が良かったのは言うまでもなく、サーシャ・コーエン黒い瞳村主章枝ラフマニノフもめっちゃよかった。

 しかし、もっと良かったのが男子。私はここで初めてプルシェンコの演技を見たのですが、衝撃でした。4回転をこんなに軽く決めるなんて! ステップも凄い! 次元が違う! 金髪が綺麗! みたいな。エキシビジョンでも、フリーの曲を弾いているヴァイオリン奏者を連れてきて生演奏でものすごいステップを披露するエンターテイナーでしたね彼は。

 ステファン・ランビエールジョニー・ウィアー高橋大輔ジェフリー・バトルエヴァン・ライサチェクエマニュエル・サンデュブライアン・ジュベール……みなそれぞれに輝いていて、何度見ても飽きませんでしたし、何度見ても泣けた。

2006年世界ジュニア選手権

 この年は世界ジュニア選手権が要注目な年でした。ポイントは以下の二つ。

 トリプルアクセルを成功させていた浅田真央は4回転ジャンプへの挑戦を始めました。結果的に、それはジャンプの調子を狂わせるだけに終わりました。たしか。

 優勝したのがキム・ヨナ。余談ですが、たしか当時はキム・ヨンアキム・ユナと表記されていた気がします。

 グランプリファイナルを制した選手をジュニアの選手が倒すというのはなかなか衝撃的な出来事のはずですが、キム・ヨナの実力はスケートファンの間ではすでに知れ渡っていました。浅田真央が自滅すればキム・ヨナが勝って当然という印象だったように記憶しています。初めて彼女の演技を見た私は「これがキム・ヨナか……! たしかに凄い選手だ!」と素直に感じました。

 ちなみに、シニアの方はあまり記憶にありません。オリンピック直後で荒川静香スルツカヤプルシェンコも出ず、そんなに盛り上がらなかったような。このときに女子で優勝したキミー・マイズナーが可愛かったのだけははっきり覚えています。

2006-2007シーズン

フィギュアスケートファンの日常

 当時の私は『ムーラン・ルージュ』の映画をツタヤで借りたり、YouTubeニコニコ動画ドン・キホーテのバレエの映像を探そうとしてなかなか見つからなかったり、そんな生活を送っていました。

 生の中野友加里を見に、それまでの人生で最も長距離の一人旅をして講演を見に行ったりもしました。ちゃちー系の講演だったので、誰でも見ることができたし、講演の後に誰でも近づくことができました。若かった私はサインを貰いに突撃するのですが、その美しさに感動。肌が白くてツルッツル。輝いていました。震えながら色紙を差し出し、どうにかこうにかサインを貰うことができました。帰宅後、日記に「中野友加里は美しい花だった」みたいなことを書いたような気がします。

 それからワールドフィギュアスケートの購読を始め、アイスクリスタルの会員になったりもしました。中野友加里関係に限らず、昔のフィギュアスケートの動画を漁ったりもしていましたね。あとアイスショーにも何回か行きました。

 新しいシーズンが始まると、中野友加里の新プログラムが明らかに。シンデレラとSAYURIでした。言うまでもなく、即『SAYURI』はツタヤで借りて見ました。SAYURIは良いプログラムでしたね。エキシビジョンでは傘を持って演じたりしてな。中野友加里の魅力が存分に出ていました。

 私はこの頃には全ジャンプを判別可能になっていたし、試合後にはプロトコルを眺めたりするようになっていました。「なんでこんな非効率的なジャンプ構成にしているんだ……」とか考えたりする日々でした。高校生は時間があっていいですね。

世界選手権を生で観戦

 この年の何が重要かと言えば、東京で世界選手権が行われたことです。世界選手権を生で観戦できる千載一遇のチャンス。アイスクリスタルの会員なのでチケットはゲットできました。特に、男子シングルのフリースケーティングは一番良いクラスの席で鑑賞しました。

 この大会もめちゃくちゃよかったですね。ジュベールは4回転ジャンプを跳びまくるし、高橋大輔もよかったし、一番印象に残っているのはステファン・ランビエール。フリーのプログラムは文句なしに芸術でした。チェコトマシュ・ベルネルもダークホース的な活躍を見せて、エキシビジョンまで楽しませてくれましたねー。

 女子の方は、安藤美姫の復活が印象的です。五輪シーズンのどん底が嘘のようにキレッキレの演技を披露。世界選手権でも浅田真央キム・ヨナを上回り優勝します。(言い換えれば、この大会で2位と3位にキム浅田コンビが入っているわけで、この二人の時代がここから始まります。)我が愛しの中野友加里は2年連続の5位でした。

羽生結弦の発見

 翌シーズンの話ですが、全日本ジュニアをテレビ観戦していて、12歳なのにトリプルアクセルを含む三回転ジャンプをすべて跳ぶうえに、ビールマンスピンまでできるものすごい選手を見つけました。「この子は絶対に凄い選手になる!」と確信したものです。キノコ頭が可愛かったその少年の名前は羽生結弦

 しかし、私は彼が大成するのを見届けることなくフィギュアスケート観戦をやめてしまいます。そのきっかけになったのがバンクーバーオリンピックです。

バンクーバーオリンピック

 バンクーバーオリンピックは私にとって最悪の大会でした。

 バンクーバーオリンピックの前シーズンから受験生になった私は、前ほど熱心にスケートを見ることはできなくなっていました。たぶん。だからかこの頃の記憶は若干あやふやです。

 でも浪人生の頃に、中野友加里にファンレターという名のラブレターを出そうか悩んでいた記憶があるから、やはり熱心なファンではあったようです(字が下手なので出さなかった)。だからこそ、私はフィギュアスケートから足を洗うことになったのだと思います。

中野友加里の代表落ち

 まず、オリンピック代表選考。中野友加里ファンの私は、絶対に中野友加里にオリンピックに出てほしかったのです。なぜならこれが年齢的に最後のチャンス。これを逃したら、もうオリンピックで中野友加里の姿を見ることはできません。

 しかし、オリンピック最後の枠は鈴木明子に決まりました。たしかに鈴木明子の演技は美しかったです。が、中野友加里至上主義者の私にとっては素直な気持ちで見ることは不可能でした。鈴木明子を応援する気になどなれません。落胆は深い。

浅田真央の銀メダル

 次に、当時、話題になっていたのが浅田真央キム・ヨナの判定を巡る問題です。浅田真央に対する審査が厳しい一方で、キム・ヨナに対する審査が緩いのではないか、というのが一部の界隈で噂になっていました。

 陰謀論を信じたいお年頃だった私は完全にこれを信じていたので、バンクーバーオリンピック浅田真央がベストの演技ができなかったのを見て、「浅田真央が可哀想過ぎる!」と怒りに震えながら大学入試を受けた記憶があります(たしか試験の一日目がフリースケーティングの日だったんじゃなかろうか)。

プルシェンコの敗北

 さらに、男子シングルでエヴァン・ライサチェクが優勝したのも私にとっては最悪の出来事でした。

 トリノオリンピックプルシェンコに魅了され、その翌シーズンに4回転を跳ぶ選手が世界選手権の表彰台に立つのを見ていた私は、「男子選手は4回転を跳ぶべきだ」と考えていましたし、今でもそう思っています。

 ところが、この頃、「4回転はリスクが高いんじゃない?」という派閥が現れ始めていて、その筆頭がエヴァン・ライサチェクでした。その逆に「男子は4回転跳んでなんぼじゃろがい!」派がエフゲニー・プルシェンコ

 プルシェンコの演技は完璧ではなかったものの、ステップアウトが多かったくらいで転倒などの大きなミスはありませんでした(私の記憶では)。対してライサチェクは4回転を回避し、完璧な演技を披露。結果はライサチェクの勝利でした。これも私にとっては容認し難いことでした。

 本来、ライサチェクは私も好きな選手でした。手足の長いイケメンで、彼のカルメンは最高です。でも、スポーツ選手が限界に挑戦しなくてどうするという気持ちが私の中にはありました。今では本気で勝利を狙うなら勝率が高い道を選ぶべきだというのは理解できます。ただ、それでもやっぱり、好きなのは困難に挑戦する選手なんですよね。だからこそ浅田真央中野友加里プルシェンコに惚れたのだと思います。

フィギュアスケートを見ないことに決める

 そんなわけで、三重の苦しみが私を襲いました。そして大きな失望を覚えました。

 歪なジャッジによって選手の努力が否定される最悪のスポーツ。私の中でフィギュアスケートはそういうスポーツと化しました。そして決めたのです。もう二度とフィギュアスケートを見ないと。

 客観的に見ればワガママなやっちゃな~という感じですが、やはり当時の私は若かったのでしょうね。

 時を同じくして、中野友加里の引退が報じられました。

北京オリンピック

 それから12年の時が経ちました。フィギュアスケートへの関心が薄らぐかわりに、複雑な感情はもはやありません。

 北京オリンピックの女子シングルは時間帯もよかったし話題になっていたので最終グループは観戦しました。

 昨日も書きましたが、なかなかに悲しい気持ちになる大会でした。

weatheredwithyou.hatenablog.com

 これほど悲しいスポーツの試合はそうそうありません。

 今や一般大衆である私ですらそう感じるのです。フィギュアスケートのファンであればあるほど、悲しみは深いはずです。

 中には、バンクーバーオリンピック直後に私が抱いたのと同じような気持ちを感じている人もいるのではないでしょうか。

 トゥルソワが言ったとされる「スケートなんて嫌い」という言葉が突き刺さった人もいるのではないでしょうか。

フィギュアスケートの特質

 フィギュアスケートがこれほど複雑な感情を抱かせるのは、それが採点競技であることに起因しています。

 もしこれが短距離走だったら、とにかく速く走ったものの勝ちです。私がどれだけ中野友加里を応援していようが、中野友加里より速く走る選手がいたのなら私は納得せざるを得ないのです。

 もしこれが卓球だったら、勝った方が正しいのです。「卓球選手はこういう戦型で戦うべきだ」と信じていたとしても、違う戦型の選手に勝てないのならそんな信条に意味はないのです。

 そこにジャッジが介在する余地はほとんどないからです。ほとんどの場合、勝敗は誰の目にも明らかです。

 しかし、フィギュアスケートは違います。何が正しいかはジャッジが決めます。微妙な4回転ジャンプと美しい3回転ジャンプのどちらに高得点を付けるかはジャッジの判断で決まります。技術レベルが等しい選手の優劣もジャッジが決めます。そのうえ、観戦者は自分もジャッジになったつもりで見ます。ここに難しさがあります。

 さらに、全盛期が10代で訪れることが多いというのも、難しさを生んでいます。今回のオリンピックの問題もここに原因があります。もしワリエワが30歳であれば、即追放で終わった話なのです。同情の余地なし! それに4年経てばまた復帰できんじゃんともいえます。でも、若いワリエワは大人の言いなりになっただけなのかもしれない。それなのに、才能豊かなスケーターの競技人生がこんなにもあっさりと幕を閉じてしまうかもしれない。今回の事件が悲劇たる所以です。

 だから、フィギュアスケートを熱心に追っていれば、この難しさに起因する問題に必ずぶち当たることになります。他のスポーツでは考えられない、嫌な気持ちを味わう可能性が(相対的に)高いです。

 フィギュアスケートのファンでいるにはやはり覚悟が必要なのだと思います。

後悔

 人生にはフィギュアスケート以外にも楽しいことがいっぱいあるし、見なくて損こいたということは基本的にないと思います。

 ただ、私はフィギュアスケートを見なくなって後悔していることが一つあります

 それは羽生結弦の成長をろくに見守ることができなかったことです。

 まだ幼かった頃の羽生結弦を見てその才能に気付いていたのに。日本人初めてのオリンピック金メダリストになるのも、オリンピック連覇の偉業も、全部ニュースとしてしか知らない。

 あの時、フィギュアスケートを見るのをやめていなければ、応援する選手が金メダリストになる姿を見られたかもしれない。応援する選手が4回転を復権させてくれるのを見られたかもしれない。羽生結弦が、バンクーバーオリンピックで私が抱いた鬱屈とした気持ちを晴らしてくれたかもしれない。

 これはかなり大きな後悔です。

 もし、フィギュアスケートなんてもう見たくない!という気分になっている方がいたとしたら、本当にそれで後悔しないかは考えてみて欲しいなーと思います。

 私は今回の大会で興味が湧いたので、昔ほどの熱量は取り戻せないと思いますが、またフィギュアスケートを見ていこうかな~という気分になりつつあります。