たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

『三体』が面白すぎた!!

 

 

 いやはや、私もついに『三体』を読みましたよ。

 あなたは『三体』をご存知でしょうか? 世界で2900万部発行されているという中国初の大ベストセラーSF。それが『三体』。バラク・オバママーク・ザッカーバーグが絶賛する小説。それが『三体』。

「中国ぅ? まーた中国かよ。最近なんでもかんでも中国だなあ……」

 そんなことを思ったりする人もいるでしょう。というか私は思いました。今やGDP世界第二位の大国にのし上がった中国が、エンターテインメントでも覇権を取るのかと。

 中国の小説とはいかなるものか、世界的大ヒット作とはどれほどのものか……という興味はありつつも、なんとなく食指が伸びなかった一年前の私。

 そもそも外国の小説はあまり読まなくなっていた自分がいました(というか小説自体あまり読まなくなっていた)。

 そんな私を変えたのは『ゲームの王国』でした。これはカンボジアが舞台のSF小説です。カンボジアが舞台なだけで、日本の小説なのですが、これがめ・ちゃ・く・ちゃ面白かった。『ゲームの王国』の面白さの要素としてカンボジアが舞台であるという点があったので、「外国が舞台の小説って面白いかも……」という気持ちがそこから芽生え始めました。何が面白いって、世界が広がる(気がする)んですよね。

 そうして『隠された悲鳴』を経てから、『三体』に辿り着いたわけです。

 これがある意味では期待はずれ、ある意味では期待に大いに応えてくれました。

 『三体』の物語は文化大革命から始まります。この時点で『ゲームの王国』を読んでいた私としてはワクワクです。「また共産主義の悲劇×SFが読めそうだなあ!」と。

 しかしながら、文化大革命な時代は冒頭に描かれるだけで、後はほとんど出てきません。主な舞台は現代の中国ですが、これが私が想像していた以上に科学技術を大事にしている社会であるという点を除けば(これもSF小説だからそういう風に描かれているだけの可能性もなくはないでしょう)、あまり中国風味がないんですね。ここが期待はずれの点です。

 しかし、むしろそれこそが『三体』の面白さの秘訣であるような気がします。というのは、『三体』の凄さは、その視野の広さにあります。その視界が捉えているのは、国家などというちっぽけなものではなくて、地球でもなくて、宇宙なんですね(もっと言いたいけどネタバレになりかねないので控えます)。

 人間の想像力はこれほどの大風呂敷を広げられるのか、という驚きがこの小説にはあります。自分が考えていた「世界」というのはとてもちっぽけなものだったんだなあと思わせてくれる小説、それが『三体』。『三体』を読んだら、宇宙の見方が変わると思います(SF愛好家でなければ)。

 しかも、あまりにでかいことを考えすぎると、小さなものや古いものを侮ってしまいそうなもんですが、作者・劉慈欣はそれを丁寧に拾い上げる。とてつもない科学技術の発展を描いた先にあるものが、科学技術とは対極にあるようなものであるというところが実にロマンチックです。

 もしかしたら、これほどのスケールで物事を考えられる人間が出てくることこそ今の中国らしさなのかもしれません。

 2900万部といえば、一冊あたり100円の印税だとしても29億円……ヤバくない?と読む前は思っていましたが、読み終えたらこの小説にはそのくらいの価値があると思いました。ストーリーテラーって夢があるなあ。

 ちなみに、作者はなかなかの親日派なのか、日本要素がちょろちょろ出てきて日本人読者ならではのニヤリな場面がいくつかあります。

 あと、SFに苦手意識を持っている方もいるかもしれませんが、これはわりと読みやすい部類だと思います。私が読んだSF小説というと、『幼年期の終わり』『夏への扉』『星を継ぐもの』『宇宙の戦士』『華氏451度』くらいですが、断トツで読みやすかったですね(たぶん新しいからでしょう)。それでいて一番SFっぽくあるような気もします。(SFマニアからすると異論があるかもしれませんが。)

 

<以下、ネタバレ含む感想>

 『三体』一作目の面白さってのは、まあわりかし普通レベルだと思います。上の下くらいの面白さ。VRゲームで描かれる謎の世界が実在のケンタウルス座と繋がるというところに私は一番の面白さを感じましたが、クライマックスはもうひと悶着あるかと思ったらあっさり船をスパーっと切って終わり!というあっけなさ。まあ、おかげで無駄に長い話を読まされずに、ストレスは感じませんでした。しかし、わりと絶望感のある終わり方に次巻への期待感は膨らみました。

 で『三体Ⅱ 黒闇森林』。これが面白かった! いやこんなんで勝てるか?という不安しかない面壁計画(ウォールフェイサープロジェクト)と面壁者ルオジー。冬眠して目覚めたら、科学技術が発展しまくったので三体人が来ても余裕でボコせますよ!というまさかの展開。成功する未来の見えないプロジェクトよりも、成功しか見えないパラダイスの方が不気味なんですね~。圧倒的な力を持つ三体人に対して、人類は一体どうやって立ち向かうのか?に対する答えが、まさかの社会学(?)。ここまで物理学物理学で押してきたのに、急に文系! この落差が『三体』の面白いところ。伏線回収も見事だし、最後の最後にひっくり返る展開の巧みさ。ジャイアンに勝てないならジャイアンの母ちゃんに出てきてもらえばいいという発想! Ⅱが一番人気な国もあるとかで、それも納得です。

 ハッピーエンドで終わったのに、まだ続きがあるの? もういいじゃん!という気持ちもやまやまに読んだ『三体Ⅲ 死神永生』。いきなり中世の話が始まってなんじゃこれ?という導入からの、ラダープロジェクトの話。雲天明(ユンティエンミン)が可哀想なんだな~。好きな人に脳みそだけでこの世の地獄に送られるとか、人類を恨んでも仕方ない。でも恨まない。ユン君、良いやつすぎ。ほんで現れる智子とかいう、おバカキャラ。日本刀振り回すくノ一ロボって、これ世界各国ではどういう風に見られているんでしょうか!? 非常に気になります。人類と三体の交流と発展が描かれるかと思いきや、ヒロイン程心(チェン・シン)のせいで地獄の地獄に陥ります。が、なんやかんやで危機を逃れたのやら逃れていないのやら。ここでユンティエンミン再登場です。なんか面白いおとぎ話を聴かせてくれますが、ここに人類生存の希望が隠されている様子。ホーアルシンゲンモスケン……声に出して読みたくなる日本語第10位です。このおとぎ話には二重のメタファーが仕込まれている!とかなんとかいう解読ごっこが面白いのですが、結局なーんにも活かされないという悲しさ。雲天明、ここでも可哀想です。三体世界に加えられた攻撃を分析するに、木星の影に隠れれば生き延びられる!とかなんとか。んなわけないやんけー!と突っ込みたくなってしまいます。主人公がまーた寝て覚めたら、案の定、お気楽モードになっています。こうなったら破滅のサインです。人類に対して加えられた攻撃は三体世界を崩壊させたもんどころではない激ヤバ攻撃で、宇宙破滅の序章となってしまうのです(これが始まりではないかもしれませんが)。人類の記憶を残すには、石板しかない!激ヤバ攻撃はまるでゴッホが描いた世界のようだ!とか、またしても物理学とは対極の概念が。この落差が『三体』の面白いところ。それはともかく、一体全体、人類はどうなってしまうのか!? 滅びます!! うそーん! しかし、なんだかんだで生き延びる程心。なんやねんこいつはー!という感じです。そして、逃げた先はかつて雲天明が程心にプレゼントしたあの星(の惑星)。ここで雲天明と再会するのか? ロマンチックにも程があるぞ! というところに登場する謎のイケメン。関一帆(グァンイーファン)、お前、イケメンだったのか……!という驚き。なんだか嫌な予感がします……。程心のお供がご執心のようですが……。その後、なんやかんやで雲天明に会えそう!となります。ついにキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! が、まさかのここでウラシマ効果発動!! 『トップをねらえ』でおなじみのあのウラシマ効果! ひどい! ひどすぎる! てか浦島太郎ってすごくない? それはともかく、結局、雲天明とは永遠に会えなくなってしまう程心。もう世界には程心とグァンイーファンの二人だけ。必然的に結ばれる(?)二人! ひどい! ひどすぎる! 友達がいなかった上に重病にかかり、姉に疎まれ、挙句の果てに愛しの程心から「お前どうせ死ぬんだから脳みそだけで三体艦隊のとこに言ってこいや!」と言われ、それでも程心を想い続け、必死こいておとぎ話を作り決死の語りをしたというのに理解してもらえず、挙句の果てにもう少しで会えそうというところでNTR!? ひどい! いやこの場合BSS(僕が先に好きだったのに)というのか!? しかし、雲天明はどこまでも健気です。程心のために、一つの世界を残します。そこで宇宙の終わりと再生を見届けて、アダムとイブになれと、程心に託すのです。こんな聖人、いるはずがない! もしかすると、これは雲天明なりの遠回しな復讐なのか?という気さえしてきます。結局、雲天明の残した世界的なもののせいで宇宙が生まれ変われなさそうだということが判明し、程心はその世界を出ていくのでした……。

 いや、まさか宇宙の歴史を描ききるとは思いませんでしたね。この世界が宇宙戦争の成れの果てだとは! たしかに言われてみれば、光が秒速三十万キロって遅くない?という気がしてきます。もしかしたら、本当に宇宙はこんな感じで生まれて滅びていくのかもしれないとかちょっと思っちゃいます。宇宙に人類しかいないわけないじゃんということは常日頃から(?)思ってきたので、この世界観には納得がいきます。

 エヴァみを感じるとか、セカイ系っぽいとか、訳者の大森さんでさえ言ってますし、それに関して否定はしませんが、そこらへんと『三体』が決定的に違うのは、『三体』において人類は傍観者でしかないというところな気がします。人類は広大な宇宙の中の脇役ですらないという捉え方。それゆえにスケール感がある。人類が世界を終わらせるだのだと、どうしても物語の焦点が地球周辺に偏ってしまい、本当はスケールがでかいのに狭い世界の話に見えてしまう。ところが、宇宙のどこかで起きたことが宇宙を終わらせるのであれば、無限の広がりを持った世界が生まれる。でも、人類がただの傍観者だと面白くないから、三体世界とのいざこざを通じて、人類を能動的な主役としてストーリー展開させた上で、その道の果てに宇宙の終わりを傍観することになるという組み立ては見事だなと思います。「程心がウジウジしてなければさー」という向きもありますが、程心がどのような選択をしていようと最終的に人類が滅亡するのは明らかです。

 これだけどでかいスケールの物語でありながら、この作品のテーマはコミュニケーションなのではないかと思います。『三体』では宇宙人とのファーストコンタクトが描かれます。この宇宙人の武器は全てを白日の下に晒す智子。一方で、『三体Ⅱ』の舞台になる宇宙はディスコミュニケーションの場です。遠距離の通信にはとにかく時間がかかります。そこで人類が学んだのは、第三者へのコミュニケーション手段を獲得することが人類救済の武器になるということでした。「(人類のことを)分かられてしまうから滅ぼせない」からの「分かりあえないから滅ぼし合うしかないことを利用した自爆兵器」。ハッピーエンドの裏には非情な論理があります。『三体Ⅲ』で描かれるのは、メッセージに希望を託す人々です。雲天明は人知れず程心に星を捧げ、雲天明は謎に満ちた物語に人類救済のメッセージを込め、ゴッホは星月夜に二次元化された世界を描き、人類は石板に歴史を記す。「分かり合えないから滅ぼし合うしかない世界」で、その思いが報われることは決してなかったのですが、それゆえにその一途な姿には胸を打つものがあります。程心もまた新世界へのささやかなメッセージを残して、物語は幕を閉じます。愛とはそういうものかもしれません。(そういう意味では『ワンピース』みもあります。)