私、中田敦彦のYouTube大学は欠かさず見ています。サブチャンネルにも登録しているのですが、最近、こんな動画がアップロードされまして。
この中で、「トランプって凄い」というくだりがありまして。トランプはカードゲームを作れるカードなんだと。トランプを超えるカードを作るのはめっちゃむずいと。たしかになあ……と思いました。
そこで、ちょっとゲームについて考えてみました。ド素人が考えてみただけで、特に結論とかためになる話はありません。
まず、トランプの構成要素ってなんだろうというところから考えてみました。主には4つ、多めに見て5つではないかと思います。
- 表裏
- 数字(1~13×4)
- 色(赤と黒)
- 記号(ハート、スペード、ダイヤ、クラブ)
- 絵柄(J,Q,K,A)※特別な意味を持つ場面は少ない
これらの要素によって、以下のことが可能になります。
- 並べる
- 合計する
- 組み合わせる
- 裏返す
そして、大概のゲームのゴールは以下の2つに大別できる気がします。
- 無から一定の縛りのもと何かを作る
七並べ、ブラックジャック - 有るものを一定の縛りのもと消す
ダウト、神経衰弱、ババ抜き、大富豪、ナポレオン、スピード
(ポーカーが微妙なところです。)
さて、もし以上が正しいのだとするなら、4つの要素から導き出せるのはたったの2つのゴールでしかなく、にもかかわらず数百のゲームを生み出すことができるということになります。凄いことですね。
しかし、世の中にあるカードゲームを見渡してみると、実は4つの要素すら持っていないゲームしかないのではという気もします。
UNOには記号がありません。あるいは数字がありません。1のカードには記号が付いていないし、スキップのカードには数字が付いていません。おそらくこれによってトランプに比べると拡張性がなくなっているのではないかと思います。
百人一首には記号と絵柄以外の全てがありません。花札も同様(ほぼやったことがないので多分ですが)。タロット(大アルカナ)は、数字と記号がセットになっているため実質一つの要素しかありません。ナンジャモンジャにも絵柄しかないし、人狼にも数字がありませんね。ただ、表裏は全てにありますね。
そう、表裏は全てにあります。おそらく全てのカードに存在し、全てのゲームで極めて重要な役割を担っているのではないでしょうか? もしそうであるなら、カードゲームの本質は表裏の存在なのかもしれません。つまり、何かを隠すことですね。『三体』で人類が隠し事ができなくなってしまったためにほぼ全ての戦略を失わざるを得なかったのとは逆に、隠し事をしやすくすることによって戦略性を作り上げているのがカードゲームなのかも。
ちなみに、隠れているものを暴くことが重要な要素になっているゲームはたくさんあります。数独やらヌメロンやら戦艦ゲームやらなんやらかんやら。
じゃあ逆に、表裏がゲーム性に一切関わってこない競技ってなんじゃいと考えてみたわけですが、やはり真っ先に思いつくのは囲碁将棋ですね。よく完全情報ゲームと言われるやつです。
これらのゲームの共通点はなんぞやというと、ボードゲームであることです。囲碁将棋の他に、チェス、オセロ、ダイヤモンドなんてのもあります。
ボードゲームを構成する要素は以下の2つだと思います。
- フィールド
- 駒
フィールドは、以下の要素によって特徴が決まります。
- マスの形(何角形か)
- 行、列の数
基本的にマスの形は四角形だと思います。囲碁は点ですが、マスの中を使ってもゲームに影響はないと思うので、四角形とみなすことができます。しかし、ダイヤモンドのように六角形(三角形かも)のゲームもあります。
将棋は9行9列ですが、囲碁は19行19列ですね。
駒の特徴は以下の通り
- 個性の有無
- 表裏の有無
たとえば、囲碁の駒は全くの無個性ですが、将棋には玉、金、銀、飛、角、桂、香、歩それぞれで動きが変わってきます。その点はチェスも同様ですが、将棋には表裏があり、チェスにはありません。オセロには個性がありませんが、表裏はあります。
こうやってみると、最もシンプルなのが囲碁ですが、それゆえにマスの数が最も多いのでしょう。そのシンプルさ故か、囲碁には連珠などの派生ゲームがありますが、それほど数は多くありません。ボードゲームは拡張性に乏しいようです。
オセロの道具を使って囲碁をすることを考えてみると、理由がなんとなくわかる気がします。オセロの盤と石を使って囲碁のルールで遊ぶことはできなくはないですが、オセロの盤ではフィールドが小さすぎるため、ゲーム性が途端に乏しくなります。
つまり、ゲームごとに最適なフィールドがあるため、一つのフィールドから考案されるゲームの種類は制限されてしまうということかと思います。しかも、ボードゲームにおいて駒がわりと重要なポジションなので、なおさらゲームを生み出せる余地は少なくなりそうです。
ちなみに、囲碁や将棋のようなボードゲームはボードゲームといいつつ、重要なのはボードという物ではなく、フィールド(=ボード上に書かれたもの)です。フィールドを地面に書いてしまえば、なんなら書かなくてもプレイヤー同士の共通認識さえあれば、ボードという物質は必要ありません。ボードはあくまで利便性や装飾のための道具にすぎないのですね。
しかし、カードは違います。カードという物が決定的に重要な役割を持っています。カードにしないと裏表を表現しようがないからです。カードというとペラペラの紙切れをイメージしてしまいがちですが、ここでは麻雀の牌のようなものも含めてカードと考えます。(まあ、見える状態と見えない状態を切り替えられるのであればいいので、厳密にはやはりカードという物質が必須なわけではないのですが。)
ほんでボードゲームというと、人生ゲームだのモノポリーなどもあります。ざっくりひとくくりにすると、すごろくですね。
すごろくで重要な役割を果たすのはサイコロです。言い換えれば、運の要素ですね。これはルーレットなどにも置き換えることができます。
チンチロリンやら競馬やら、運を競うゲームは腐るほどたくさんあります。
もしかすると上に挙げた完全情報ゲームに拡張性がないのは、運に左右される要素がほぼないに等しいからかもしれません。つまり完全情報ゲームにおいて勝負を左右するのはスキルのみであり、言い換えれば習熟を要するものであるということです。そうすると、根本的に完全情報ゲームの楽しみ方は、色々なゲームを楽しむよりも、一つのゲームを極めるという方向に傾くことは容易に想像ができます。プレイヤー側に新しいゲームを生み出そうというモチベーションは湧きづらくなりそうです。
一方で、おそらく全てのカードゲームにはこの運の要素が付きまといます。裏返しになったカードをシャッフルすれば、そこには不確定性が発生するからですね。というわけで、カードはサイコロの役割も果たしているということ、そしてそれが愛好家に新しいゲームを作り出させることに貢献してそうなことが分かりました。
とまあ、考えたのはそんなところです。
ただ分析してみただけで、ここからなにか新しいアイデアを生み出せそうとかそういうことはまったくないですね。いやむしろ絶望感しか感じない。単純に考えれば、トランプを超えるプラットフォーマー的アイテムを生み出そうとするなら、やはりカード一択になりそうな感じがします。じゃあ、どんなカードを作りだせばいいのかというと、とりあえずトランプ以上に属性の多いカードを作り出せれば希望は見えてくるかもしれません。しかし、数字、記号、色、にさらに何を付け加えられるでしょうか。アルファベットでもくっつけるか? しかし、そうするとなんだか無駄に複雑になりそうで、逆に想像力を阻害する可能性もひしひしと感じます。とすると、トランプとは方向性を異にしつつのトランプと同じ属性数を持つカードか。私が思うに数字という属性はめちゃくちゃ重要です。数字がないと、並べ替えも計算もできないからです。しかし、数字を使うのであれば、どこまでいってもトランプの亜種に成り下がらざるをえない気はします。数字に代わりうる属性があるとすれば、文字かもしれません。並べ替えができますし、計算ができない代わりに言語的感性を刺激できる可能性ががが。アルファベットなら大文字か小文字かという属性も付加できますね。ちなみに、トランプは1~13までありますが、アルファベットはその倍の26ですね。うーん、なにか意味ありげ。とはいえ、トランプの数が13種類しかないのはおそらくそれがベストな量なのでしょう。そうすると、アルファベットはちょっと多すぎるかなあという気もしますね。単純に考えて13×2×2VS26×2では前者の方が創意工夫の幅がありそうです。日本語の50音であれば5×10に分割することもできて、なんだか良さげですが、世界を見据えるとなるとちょい微妙な感じはしますね。というか根本的に、数字の代わりに文字を使おうなんてアイデア、古から絶対に誰かが思いついているわけで、それが今普及していないということはそういうことだと思います。あとは並べることができるというところを重視すると、誰でもが順番を理解できるもの……生物の老い、時間、曜日、音階などなどでしょうか。うーん、なんだかなあ。
いやそもそも、できることがトランプと同じならトランプでええやんとなるに決まっているから、トランプにできないことをできるゲームにした方がいいのか。トランプにできないことってなんじゃ?
(書いた後に動画を改めて見直したら、若干内容がかぶっていることに気がつきました……)